第17話 昂る情の抑え方

 椿は隊士の様子を知らせるため、副長である土方の部屋に来ていた。厳しい表情で聞いていた土方も被害の少なさに安心したのか、やっと安堵の息を吐いた。


「ご苦労だった。椿は湯浴みでもして休め。もう落ち着いていい頃だろ」

「はい。ただ、沖田さんと藤堂さんが少し心配で……」

「なぁに。あいつらなら心配は要らねえよ。それより休める時に休んでおけ。お前まで倒れちまったら、誰があいつらを診るんだ」

「そう、ですね。ありがとうございます。土方さんもお休みください」





 椿は土方に言われた通り、体の汚れを流すため風呂場へ向かった。この時間なら誰もいないはずだ。それを知っていて土方は湯浴みをすすめたのだろう。そんなことを考えていた時だった。


「椿さん」


 その声に振り返ると、山崎が立っていた。


「山崎さん。終わったのですか」


 山崎は怪我人を屯所に運んだ後、再び現場に戻っていたのだ。何か重要な証拠が残されている可能性があるかもしれないと。これが山崎の本来の仕事でもあった。


「はい、滞りなく」

「あ、もしかして山崎さんも湯浴みを?」

「いえ。椿さんが湯浴みをするからと、副長が。その、俺は、見張りです」

 

 いくら来ないと思っていてもやはり男所帯。万が一、椿の湯浴みの最中に他の隊士が入ってきやしないかと、土方の配慮であった。


「ふふっ。では、甘えさせて頂きます」

「ゆっくりでいいですよ」

「ありがとうございます」


 椿が湯浴みをしている間、山崎は風呂の戸の前でずっと立って待っていた。





「お待たせしました。山崎さんもどうぞ」


 湯浴みを終えた椿は山崎に譲ろうと声をかけた。振り向いた山崎は、わずかに頬を緩め椿の頬に手を当てた。そしてそのまま椿の濡れた髪を耳に掛け、愛おしそうに見つめる。そして、椿に「眠れますか」と問うて来たのだ。

 その一言に椿の心は泣きそうになる。


ーー山崎さんは、私の気持ちを本当によく解ってらっしゃる。


「まだ時々、耳の奥で刀の音がします」

「分かります。俺もです。大きな仕事の後は頭が休んでくれない」

「山崎さんも、ですか」

「はい」


 特に今回は死者まで出る騒動だった。よく知った者たちが傷ついたのも影響は大きい。武士は人を斬った後、興奮して眠れないという。椿も山崎も同じ状態だった。


「俺、後で部屋に行きますから。それまで一人で居られますか」

「はい」


 山崎と一緒なら耐えられる。椿はそう思った。


「早く、来て……くださいね」

「椿さん」


 椿は山崎の顔も見ずに踵を返し、足早に戻って行った。自分の感情の変化に、どう対処してよいか分からなくなっていたのだ。山崎の瞳を見ると吸い込まれそうで、そして吸い込まれてしまいたいと思ってしまう。あの逞しい胸に飛び込んで、しがみ付きたい衝動にかられる。


ーー私……おかしい。


 椿は胸元を握りしめながら部屋に入った。





 どれくらい時間がたったのか。静かに障子が開いて、山崎が入ってくる。椿は横になる事もできずにぼんやりと座っていた。


「椿さん。大丈夫ですか」

「山崎さん。私っ、何だかおかしいのです」

「え」


 椿は待ちくたびれた子供のように山崎にしがみついた。山崎はまさか椿から抱きつかれるとは思っていなかったのだろう。驚いた顔のまま抱き留めるのがやっとだった。

 当の椿に目を落とすと自分の胸に顔を埋め、着物を握り締めて震えていた。


「椿さんが眠るまで傍に居ますから」

「眠りたくない。私、ずっとこうしていたいです」

「っ……」


 惚れた女からそんな風に言われると、いくら真面目で堅物な山崎でも心が落ち着かない。気が昂ぶっている椿に負担をかけてはいけないのだ。休ませてやらねばならないのに。


「何だか、苦しくて。山崎さんとこうしていれば……私」

「ちょ、ちょっと待って下さい。いくら俺でもこのままでは」

「駄目ですか」


ーー駄目なわけはない! でもっ……。


 しかし、このままでは男の芯が熱を持ち始めてしまう。山崎だって捕物の後で興奮しているのだ。何もしなくとも擡げてしまうのに、そんな眼で見られては堪らない。


「椿さんに触れていると、我慢が利かなくなるのです」

「え?」

「っ、ですからっ。男の事情です! 離れた方がいい」


 椿は山崎が云わんとする事を考えていた。


 ーー男の、事情……。


 いくら経験のない椿でも分かる筈だ。ましてや彼女は医者なのだから。椿は思い当たるところに辿り着いたのか、勢いよく山崎から離れた。そして、真剣な面持ちで言う。


「あの」

「はい」

「何も分かりませんけど、お願いします」

「はい。ーーえっ」


 山崎は口を閉じるのも忘れ、椿がお願いしている内容を考えていた。椿はといえば真剣でさっきまでの蕩けた瞳ではなく、凛々しく目を見開いて改めて山崎に近寄った。


「その、山崎さんの男の事情は私が」

「……ぇ」

「お願いですから、島原なんかに行かないで下さい。私は山崎さんとなら構いませんからっ。そうでなければ、私っ」


 椿は昂ぶる気持ちをもう抑えられないでいた。体中の血が脈を打ちながら駆け巡る。もう熱くて苦しくて、はち切れそうだった。その勢いのままに、椿は自分の帯に手を掛けた。


「椿さん! 貴女は、自分が何をしようとしているのか分かっているのですか。そんなに簡単に体を開いてはなりません」

「どうしてですか。男の人は慰めなければならないでしょう。医学的に考慮しても仕方のない事です。それに、他の女の人では嫌なのです」

「椿っ……さ」

「山崎さんっ。お願いですから」


 椿は山崎の膝に手を置いて懇願した。

 山崎が椿を思えばこそ、その先に進む事ができないでいた。いつ厳しいいくさが起きるか分からない状況で、彼女に負担はかけられないと思っていた。今や椿は新選組には欠かせない存在だ。それに、自分は任務でいつ命を落とすか分からない。そんな中で生娘の椿を抱いてもよいのかと。


「椿さん。俺は他の女で自分を慰めたりしませんよ。信じてください」

「私では、役不足ですか」

「違います。俺は貴女を大事にしたいのです。男の勝手な本能で、こんな事っ」

「私が、我慢できないのです」

「椿さん」


 山崎は椿にそうまで言わせてしまった事に愕然とした。椿に引く気配は見られない。山崎だってあの武田の一件から、椿に対する想いは増すばかりだ。自分以外の男が椿に触れることさえも耐えられそうにないのだから。


 山崎は椿を抱き寄せて、自分の胸に閉じ込めた。


「よいのですか。俺に椿さんの大切な体を預けても」

「私は、山崎さんでなければ嫌なのです」

「椿さん、あなたは……。できるだけ、優しく、します」

「はい」


 消え入りそうな椿の返事に山崎は苦笑した。いつだって真っ直ぐな椿に自分は押されてばかりだと。

 

 山崎は椿の体を抱え上げると、部屋の奥にあるしとねの上におろした。


「止めて欲しい時は言ってください。我慢はいけません」


 椿は首を横に振った。絶対に止めたくないという精一杯の抵抗だ。山崎は椿の帯に手を掛け、固く結んだ紐を解いた。くるくると何度か回すと腰紐だけになった。それに指をかて簡単に取ってしまった。


「……ん」


 強張った椿を解すかのように、山崎は椿の柔らかな唇に蝶がとまるような優しさで触れた。上唇、下唇を交互にやわやわと食む。椿はいつかも感じた、背中が粟立つ感触にただ瞼を固く瞑った。


「あ、んっ」


 自分でも驚くほど甘い声が漏れた。椿の中に眠っていた女が目を覚まし始めたのだ。初めてのはずなのに、もう体が疼いて仕方が無い。とても恥ずかしくて、とても官能的だった。

 椿は以前に、山崎から媚薬の熱を解かれている事を知らない。まったくの初めての経験なのだと思っている。

 山崎は手を進めた。椿の胸の合わせをに片手を添えて、大きく横に開いた。空気が肌に触れ椿は体を震わせた。その隙間から、山崎の右手が着物の中に侵入する。


「ぁっ」

「貴女はとても、温かい……」

「やっ……」


 椿は上体を反らしてしまう。じかに山崎の手が乳房に触れたからだ。山崎はそっと椿の体を押し倒した。湯上がりで寝間着であった椿は一枚捲っただけで襦袢姿となった。山崎自身も着物の紐を解き、上半身を晒した。


「椿さん、大事にしますから」

「はい」

「山崎さ……ん」

「辛い、ですか」


 椿の首を振る。辛いはずはない。空いた男から身も心も愛されようとしているのだから。


「貴女って人は……」


 池田屋に出陣した者は皆、自身の昂りを抑えるために夜の街へ繰り出していた。誰もが行き場のない熱を持て余し、なんとかしてそれを解き放そうとしていた。人を斬るということに慣れても、その斬った人の死を昇華させるのは大変至難なことであった。


「嬉しいです。私っ、山崎さんとこんなふうになれて」

「はい。俺もこの上なく幸せです」


 山崎は椿の体を抱きしめた。自分を受入れてくれた健気なこの女を、何が何でも護りたいと思った。例え、己の命に代えてでも。

 それでもまだ、椿の体に子種を送るわけにはいかない。愛おしい女に負担をかけてはならない。いつかこの乱世が落ち着いたその時こそ、彼女の中で抱き締められたまま果てたいと。


「辛かったでしょう」

「少し。でも、いづれ善くなると聞きます。だから、次は今日よりも善くなっていると、思うのです」

「椿さんっ。貴方って人は!」


 椿の素直な言葉に、いつも袈裟斬りに合っているような気分になる山崎であった。

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