第9話 走り始めた恋心

 借りていた部屋を片付け、多くはない医療道具をまとめる。あとは自分の身の回品を整理するだけになった。もともと身一つに近い形で京に上がった椿の荷物はそれほど多くはない。


「新選組の為に女は捨てよう」


 隊士たちに女である事で気を使わせたくない。なによりも山崎の足を引っ張るわけにはいかないと、椿は妙に意気込んだ。

 椿は何を思ったのか井戸端で長い髪を一束掴むと、ざくりと切った。腰まであった髪は背中まで短く整えた。それを高く結い上げ、女物の着物を脱ぎ袴に着換えた。


ーーよしっ、これでいいの。髪はまた伸びます。


 午後には隊士が荷物を取りに来てくれる。椿は最後にもう一度、忘れている事はないか部屋を見回した。


 午後になると外から自分を呼ぶ声がした。


「はい」


 戸を開けると、其処に立っていたのは原田と永倉だった。まさか組長二人が迎えに来るとは思わなかったのか、さすがの椿も恐縮してしまう。


「原田さんに永倉さん! お忙しいのにっ、すみません」

「いや、そりゃ構わねえけどよ。椿、その恰好は......」


 原田も永倉も驚いた様子で、椿を上から下まで確認した。


「まるで男じゃねえか!」

「永倉さん! 本当ですか。男に見えますかっ」

「お、おう」


 相変わらず椿は人との距離が近い。間合いが近すぎて永倉の腹に胸が当たっている。椿は永倉の顔を見上げながら嬉しそうに返事をした。思わず永倉が「うおっ」と一歩下がるほどの迫力で。


「椿、髪は女の命だろう。なんで切った」


 原田が眉間にしわを寄せて、椿の髪を惜しいとばかりに指で揺らす。


「馬の尾っぽみたいでしょ? そんなに切っていませんし、髪はまた伸びますから。変ですか?」

「変じゃねえよ。むしろ愛らしいとは思うんだが......」


 原田は納得がいかなかった。椿の意気込みは嬉しいが、女に髪を切らせ袴を履かせてしまう自分たちの立場が恨めしい。しかし、当の椿はいつものきらきらした笑顔で、憂いなど微塵も見せることはなかった。





「土方さん、椿です」

「おう。入れ」


 失礼しますといつものように椿が入ってきた筈だった。しかし土方は椿らしき姿を見て、両目を剥くほど慌てた。


「おまっ......椿、なんだよな?」

「はいっ!」


 よく見れば確かに椿だが、ぱっと見は男というより少年のようだった。藤堂よりも若く、美少年と言っても過言ではない。


「説明しろ。なにがどうして、こうなった」

「新選組で働く限りは、皆さんの足手纏いになりたくないのです。女を引き連れているなんて思われたら新選組の名に傷がつきます。それにこの方が動きやすいですから」


 そう言って眩しい程の笑顔を土方に向ける。


「椿がそこまで新選組の事を考えてくれていたとはな。お前のその気持ちに俺も応えられるように、努力する」

「はい! ありがとうございます」


 しかし、土方は椿の姿を見て心配事が二つ増えた。

 一つは兼ねてから屯所内で噂になっている『衆道しゅうどう』がいるという事。その衆道が椿を襲いやしないかという懸念だ。もう一つは、山崎がこの姿を見たらどう反応するのか。深海の如く静かな山崎だが、まさか火山のように噴火したりしないだろうかと。


「しかし、あれだな。参ったな」

「何がですか」


 土方は椿のきょとんとした表情を見て更に頭を抱えた。


――こいつ衆道って言葉を知らねえだろうなぁ......しかし、言わねえわけにもいかねえしな。


「椿。お前は衆道ってやつを知っているか」

「しゅうどう、ですか」


 案の定、その言葉は初めて聞いたという素振りだ。細かく説明して怯えさせるわけにもいかないと、土方は簡素にそれとなく伝えることにした。


「まあ、永倉と原田の部屋が近くだから大丈夫だと思うが。世の中にはな、男を好いている男がいるんだ。襲われねえように気をつけろ」

「あっ!」


 椿は前に師匠から体は男だが心が女の者がいたり、心も体も男だが男しか好きになれない者がいると聞いたことがある。また、女にもそういう者がいると何かの書物でも読んだのを思い出す。


「分かりました。皆さんが襲われないように見張っておきます」


 椿は少し顔を赤らめて、小さな声でそう土方に言った。どこまでもこの女は鈍感で無垢なのだろうか。土方はそんな椿に苛立ちさえ覚えた。


「おいっ! おまえ」


 土方は椿の腕を掴むとそのまま畳に引き倒した。驚いた椿は反射的に起き上がろうとする。しかし完全に椿の動きを読んでいる土方は、椿の肩を押し返して今度は仰向けに倒した。


「きゃっ」


 尚も土方は素早く椿の上に覆い被さり、彼女の両腕を片手で束ね頭の上で押さえつける。椿の腰の上に土方の腹があり、脚も割られ膝が差し込まれてしまった。どう足掻いても椿の力では動く事ができない。あっと言う間に椿は、土方から組み敷かれたのだ。

 土方は空いたもう片方の手で椿の胸元の合わせに手を伸ばし、その端正な顔をぐっと近づけた。椿は声も出せずに、ただ土方の目を睨みつけるだけだった。


「まだ分かれねえのか。こいう危険がお前にも起きるんだぞ。女の姿であろうが、男の姿てあろうがそれは変わらねえ」


 息がかかる程近くで、土方がさらに追い打ちをかける。


「女の力では、男に勝てない」

「は、い」


 椿の声は震えていた。目いっぱいに溜まった涙がツツーっと一筋流れた。土方は椿をゆっくりと引き起こし、指でその涙を拭ってやる。触れると椿の睫がぴくんと揺れた。


「手荒な真似をして悪かったな」

「いえ。何も知らない私に教えてくださり、有難うございました」

「何かあったらすぐに言うんだぞ。いいな」

「はい」


 椿は唇をキュッと横に引き締め、もう一度土方に頭を下げた。本当ならば土方は俺が護ってやるから心配するなと言ってやりたかった。しかし、そんな事をすれば、椿は余計に混乱するだろう。いつのまにか芽生えてしまった庇護欲はどうにも消し去ることができない。それは土方だけに限った事ではないだろうが。


「あと、もう一つ」

「はい」


 先ほどとは変わって土方は、にやりと悪い笑みを見せながらこう言った。


「山崎がその姿を見たら、何て言うだろうな」

「え......あっ!」

「俺は男装して来いとは言ってねえからな」


――山崎さんがこの姿を見たら驚きますよね。もしかしたら、怒るかもしれない!


「土方さん、どうしましょう」

「どうしようも、こうしようも俺にはあいつの感情は読めねえからな。まあ、普通は好きな女が自分に相談もせずに男になっちまったら、面白くはねえよな」


 それを聞いた椿は「好きな女だなんて」と言い頬を染めた。


――おいおい、まだその段階かよ......


 医術以外はからっきしな椿に頭を抱える副長の土方。

 先が思いやられるものだ。





 椿は山崎に早くこの事を知らせて、明日からの仕事に支障がないようにしなければならないと慌てた。普段は副長付きの小姓として隊務の補佐をするように言われている。折を見て医術向上の為の勉強もさせてもらえるという。


――土方さんの側に居れば今まで以上に山崎さんにも会える。報告で必ず副長室に寄るんだもの。


 その事を考えると自然と頬も緩むのだった。


「あ、沖田さん!」

「椿さん、どうしました」

「山崎さん知りませんか」

「山崎くん? さあ。彼の部屋で帰りを待ったらどうですか。なんだったら僕の部屋でも構いませんけど」


 沖田は何か言いたそうに、口角を上げた。これは何かを企んでいる時の笑みだと椿は思った。そう簡単に沖田の罠にはまるわけにはいかない。


「お気持ちだけ頂きます。山崎さんのお部屋で待ちます」

「そう? 残念だなぁ」


ーーあの姿で待ち伏せされたら山崎くんも驚くよねぇ。


 沖田はにこりと笑い椿を見送った。





 山崎の部屋の前まで来た椿は外から声を掛けてみる。


「山崎さん、いらっしゃいますか」


 待てども返事がないので、部屋の中で待つことにした。とは言え、いつ戻るのか分からない。じっと座って待つのも退屈だった。出直すか考えたが、入れ違いになってしまうのも困る。それに最近は互いに忙しく、まともに会話をしていない。

 取り敢えず待っている間、椿は戸を開け空気の入れ替えをすることにした。箒で掃いてみたがあまり埃もなく、相変わらず殺風景な部屋に変わりはなかった。部屋の奥には変わらず鍼灸箱が置かれてある。それをぼんやり眺めながら、山崎の事を考えていた。


 その頃、山崎は土方に報告を済ませ屯所に越してきた椿に会うために部屋に向かった。しかし、部屋を訪れてみたが椿は居なかった。どこに行ったのだろうかと、屯所内を巡察しながら歩いていると原田に会う。


「山崎。今、戻ったのか」

「はい」

「あ、お前椿に会ったか? まだだよな」

「はい」

「驚くぞ。覚悟しとけ」


 真剣な表情で原田が山崎に告げる。山崎は眉間に皺を寄せて考えた。


――椿さんがどうしたと?


 山崎は原田に会釈して廊下を進んだ。途中、斎藤とすれ違ったが小声で「驚くぞ」と言われた。斎藤にまで言われるとなると、本当に何かあったのだと不安にかられた。廊下を足早に先を進むが、椿は何処にも見当たらない。


「あれ、山崎くん。何か探しものでもしてるの?」

「お、沖田さんっ」


 山崎は先日の事を思いだしたのか気まずそうに俯く。


「沖田さん、先日はすみませんでした」

「くくっ、君らしくないよね。それだけ彼女に惚れているんだぁ。羨ましいよ君が」

「俺は別にっ」

「部屋で待ってると思うよ。僕の部屋、じゃなくて君の部屋でね」

「え」


 それを聞いて、山崎はボッと顔を赤らめてしまう。顔を隠すように俯くいて、早口で沖田に礼を言い、自室に足を向けたのだった。


 山崎は自室の障子に手を掛けた。が、何故か開けるのを躊躇ってしまう。どんな顔で会ったらいいのか、最初になんと声を掛けたらいいのか今更ながらに悩んでしまう。

 もだもだしていると、椿の澄んだ声がしたのと同時に、障子がパンッと開いた。


「山崎さん、お戻りですか?」

「っ!」

「山崎さん! お帰りなさいっ」


 椿のいつもの笑顔が間近で自分を見上げているのに、声が出なかった。何故ならば、椿の体と自分の体が触れていたからだ。


「椿さん。あの、取り敢えず部屋に」


 椿は素直に部屋に戻っていく。その時初めて気づいた、椿が袴を穿きそして髪が高く結い上げられている事に。


「はっ! 椿さん!」


 山崎は口を開けて何か言葉を発しようとしているようだが、待てど暮らせど言葉が紡がれない。椿はようやく山崎が自分の姿に驚いている事に気がついた。


「あの、山崎さん。驚いていますよね? その、この恰好」

「……」

「これは自分の身を守るためでもあるのです。髪は長いと何かに引っ掛けたりして危険ですし、袴にしたのは走れるからです。ほら、逃げやすいでしょう? それに、新選組が女を連れて歩いていると知れたら、その名に傷か付きます。だから、そのっ……」

「椿さん」

「はい」


 山崎は両手で椿の手をそっと持ち上げ、慈しむ様に包み込んだ。


「貴女って人は......もっと自分を大事にして下さい。新選組よりも女としての幸せを」


 椿にも山崎が何を言いたいのかは分かる。しかし、椿にとって女としての幸せは、自分の気持ちを殺して生きるという事だと思っている。だらか言わずにはいられなかった。


「山崎さん。女の幸せって何でしょうか」

「えっ」

「適齢期になったら好きでもない男の人の所へ嫁いで、子供を産んで歳を取って死んでゆくことでしょうか。与えられた仕事だけをして、静かに家に閉じこもっている事でしょうか」


 椿はいつになく冷静な口調で山崎に問いかけた。


「椿さん」


 山崎は決してそう言うつもりで言った訳ではない。ただ、好きな女が明日の命の保証もない場所にいるのが辛かっただけだ。しかし、そう言われてしまうと何も返せない。


「私は自分の意志で生きて行きたいのです。例えそれで自分の命を縮める事になっても」

「俺はただ貴女に傷ついて欲しくないんです」

「分かっています。山崎さんは私の事を想って言ってくださっていること。でも私は新選組のお役に立ちたいし、いつだって山崎さんの近くに居たいんです。それが私の幸せなのです」


 いつも椿は自分に対して真っ直ぐな気持ちをぶつけて来る。では、自分はどうだろうか。彼女の事を想へば本当は新選組から離れてほしいし、自分に関わらない方がきっと彼女のためになると思っている。しかしそれは、自分が傷つきたくなかったからかもしれないと思い至った。失う前に手放してしまえば傷は小さくすむと。


「椿さん、俺の正直な気持ちを伝えます」

「はい」

「俺は、椿さんに惚れています」


 その言葉を聞いた椿は息を呑んだ。確かに山崎は自分に惚れていると言った。


「これから新選組は険しい道へと進みます。戦も起きるかもしれない。沢山の人を殺したり、殺されたりするかもしれない。俺だっていつ死ぬか分からない。それでも此の一刻を椿さんと共に過ごしたいと思っています。いいですか?」


 山崎の言葉に椿はぽろぽろと涙を流しながら頷いた。


「俺は貴女に、何もしてあげられないかもしれない」


 念を押すかのように、山崎は椿に言い聞かせる。それでも椿は、いいのだと何度も頷いた。


「本当に椿さんは変わったひとですね」

「どうしてですか」

「俺の事を好いているからです」


 椿は顔を真っ赤にして山崎の顔を見上げた。


「そう言う山崎さんも変わったひとです!」

「なぜ」

「わ、私のことを好いているからですっ!」


 山崎は咄嗟に椿から顔を背けた。耳まで真っ赤にして反論した椿が、余りにも可愛くて仕方がなかったからだ。


「俺の負けです」

「へ?」

「俺はこの先、椿さんに勝てる気がしません」


 首を傾げる椿に苦笑しつつ、これからの事を考える山崎だった。

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