第10話 衆道か否か

 山崎と想いを確かめ合ったとは言え、此処は新選組の屯所。恋にうつつを抜かしている暇などない。山崎は非番以外は外に出ているし、例え非番であっても部屋にじっとしていることはなかった。

 椿も然り、土方の補助は想像していたよりも神経を使う。主に午前は土方の部屋で帳簿の整理や調書などの写し書きをし、午後は屯所内で診療をしながら、取り寄せて貰った医学書を読み漁っていた。


「銃弾を取り除くとは、どのようにして?」


 西洋の医術が記された書物だった。椿はまだ刀傷の治療しかしたことがない。しかし薩摩には異国から仕入れた銃が沢山あると聞く。銃弾に撃たれた場合の治療法も学ぶべきだと思っていた。


「椿くん、少しいいかね」

「はい、どうぞ」


 訪ねてきたのは、五番組組長の武田観柳斎かんりゅうさいだった。


「武田組長、どうかされましたか」


 彼は常に局長である近藤と行動を伴にしている。独自の軍事学をひけらかし、人を小馬鹿にしたように話すので、あまり好かれてはいなかった。具合が優れなければ部屋に呼びつけられるのだか、今回は自ら椿を訪ねて来た。非常に珍しい事である。


「いやなに。君は頑張っているようだから労ってあげようと思ってね。君は小さいのによく働いているね」

「ありがとうございます」


 武田は椿が女だと思っていない。女の姿の時にあまり接触がなかったからだ。武田は椿の隣に腰を下ろすといきなり肩に手をかけてきた。


「っ、何でしょうか」

「肩がこっているだろと思ってね。解してやろうじゃないか」

「そんな、申し訳ないです。それに私の肩はこっておりません」

「自分で気づいていないんだねぇ」


 武田は椿の結い上げた髪を指に絡めくるくると回し、ジトリと見つめてくる。鈍感な椿だが、流石にこれは気持ちが悪く、すぐに距離を取った。


ーーなに、この人。すごく気持ちが悪い


女子おなごのような名前だね。つばき……可愛いよ」


 手がゆっくりと椿の腰に伸びてきた。腰から尻を手のひらで、形を確かめるように撫でてくる。


「止めてください」

「ははは。最初はみな、この様な反応をするんだよ。イヤ、イヤと口では言いながら、体はこの私の指を求めるのだよ」

「離して、下さい」

「いい香油が手に入ったよ。特別に君に使ってあげよう。極上の快楽を得ることができるらしいのだ。君は初めてだろう?」


 椿は恐ろしくて声が出せなかった。今になって土方が言っていた事を身を持って知る。


「椿、怪我人だ。頼めるか?」  


 誰かに呼ばれた。天からの救いだと、この時ばかりは思った。


「はい! すぐに」


 武田の力が緩んだ隙に素早く離れ、部屋を飛び出した。慌てて外に出るとそこに居たのは原田だった。


「原田さん。どなたがお怪我を」

「いや、誰も」

「えっ」


 原田は椿を人気のない場所に連れてくると、声を潜めてこう言った。


「さっきの武田だろ」

「はい」

「あいつは要注意だ。衆道の気がある」

「……」


 それを改めて聞かされると、先ほどの武田の行動に納得した。武田は椿の事を男だと思っているような口振りであった。


「ありがとうございます。気をつけます」


 原田は椿の頭をぽんぽんと撫でると「じゃあな」と去って行った。別に女である事を隠しているわけではない。だったら屯所にいる間は女の姿に戻ればいい。出動がかかったら袴に着替えればいいのではないかと椿は思い直す。先ほどの武田の手つきを思い出すだけで身震いがする。気持ち悪い、気持ち悪いと脳と体が同時にそう訴えていた。

 この事は副長にも一言いうべきだろうと、椿はその足で土方の部屋に向かった。


「土方さん、椿です! 入りますっ」


 追われているわけでもないのに、逃げるように土方の部屋に駆け込んだ。「入れ」の言葉など待っていられない。


「ぶっ……げぼっ、げほっ」


 またしても、土方はお茶を口に含んだばかりだった。噴き出すのを堪え、何とか喉の奥に流し込む。


「大丈夫ですか? お背中、摩ります」


 椿は土方の背を摩ったり、とんとん叩いたりしてみる。ようやく落ち着いた土方がいつものように眉間に皺を寄せて、小言を始めた。


「椿っ。いきなり入ってくるんじゃねえって、何度言ったら分かる。危なく茶を吹き出すところだっただろうがっ!」

「すみません。ちょっと焦っていて……」


 椿のどこか落ち着かない表情と口調。自分の体を落ち着きなく撫でる仕草に、土方は違和感を覚えた。気のせいか顔色もあまり良くない。


「おい、どうした。何かあったのか」

「実は……」


 椿は先ほどの武田の奇怪な行動を土方に話した。原田に呼ばれなければその先どうなったのか分からない事。相手は組長で近藤局長のお気に入りなので、どう接したらよいか分からないということも伝えた。


「私は女である事をこの屯所内では隠しているわけではありませんから、普段は女の恰好の方をした方がよいのかもしれません。私のせいであらぬ誤解を招いてしまいました。外出時だけ袴に着換えることにしようかと」

「まあ、それでも構いやしねえが」

「すみません。やっかいな問題を起こしてしまって」


 椿が悪い訳でもない。たまたま間違えられただけで、他の隊士が同じ目に合う事だってあるのだから。しかし椿はかなり落ち込んでいた。


「そんなに落ち込むな、たまたま椿だっただけだろ。他の隊士にだって起こりうる事だからな」


 土方は椿の頭を優しく撫でてやった。


「暫くは俺の部屋で診療をしろ。どうせ隣の部屋は使ってねえんだ」

「よいのですか。ご迷惑では」

「いや俺にも隊士の健康状態を把握する必要がある。そうしてもらった方が助かるんだ」


 それを聞いた椿はやっと笑みを零らした。土方の遠回しな優しさが痛いほど伝わった。誰が鬼と名付けたのか、こんなに思いやりのある副長なのにと椿は思う。


「では早速、荷物を持ってきます」

「おう、そうしてくれ」





 椿の背を見送ったあと、土方は困っ様に首を摩りながら考えていた。


ーー武田か。あいつをどうするかな。本当にただの衆道なのか……


 土方はすぐに島田を呼んだ。島田魁しまだかい。山崎と同じく監察方だが、彼は潜入などはしない。恰幅の良い体格で、人当たりが良いため警戒されにくい。剣術の腕前もよく、伍長として組長の補佐もしていた。そのため、山崎と島田は正反対なやり方で土方の手足となっていたのだ。


「悪いが、暫く武田観柳斎と仲良くやってくれないか」

「承知しました」


 どこかで化けの皮を剥ぎたいと土方は考えていた。


ーーあの腰巾着め、さっさと本性を出しやがれ。



 その後、椿は診療道具を持って土方の部屋に入り、黙々と医学書を読み耽った。土方はそんな椿の姿を微笑ましく思いながら、自分も勘定整理などをするのであった。





 一日の終わりに山崎は必ず報告で土方の部屋に立ち寄る。それを楽しみにしている椿だが、この日は異国の医学書に夢中で気付かない。


ーー麻酔はどうやって作るのだろう。切開しても痛みが無いのはすごいこと。でも、そんな薬がこの日本で手に入る訳がない。


 ふと、椿は柔らかな視線を感じて顔を上げた。そこには好いた山崎がいるではないか。


「山崎さんっ。お帰りなさい」

「はい。戻りました」

「おい、椿。そんな笑顔を俺にもよこしやがれっ」

「え?」


 土方の言葉に山崎は顔を赤く染め、目を伏せる。それを見た土方はふんっと鼻で笑った。山崎の照れ隠しと土方の嫌味も気に留めていなかった椿は唐突に声をあげた。


「あ! 針で痛みが和らぐかもしれない!」


 土方も山崎も何事かと椿を見ている。お構いなしに椿は医学書を片手に二人の間に割り込んでこう言った。


「山崎さん、針で体の痛みを抑える事ができましたよね」

「ええ。多少なりとは」

「土方さんっ。患者になってくださいっ」

「はあ?」


 椿は二人の腕をがっちりと掴んで、新選組のためなのだと熱く語りはじめる。椿の勢いに二人は口を開けて固まっていた。


「ちょと待て、患者ってなんだ。俺はどこも悪くわねえぞ」

「痛みさえ緩和できれば、銃弾を取り除く事ができるかもしれないのです」


 ますます混乱する土方を他所に、椿は更に捲し立てた。


「土方さんっ、ご協力ください。もし痛みが少しでも軽減できれば、無理なく楽に、素早く切開が出来るんです」

「なにっ! 切開だとっ!」


 土方は殺されると云わんばかりの怯えた表情で、椿の手を払った。


「そんなに怖がらかくても大丈夫です。痛くありませんからっ」

「痛い痛くないの問題じゃねえ。なんで俺なんだっ、断る」


 土方は後退り、椿がじりじりと迫り寄る。山崎は土方の怯え顔を見て驚いていた。副長にこんな顔をさせるのは、沖田くらいだと思っていたからだ。しばらく様子を見ていた山崎は、このままではらちがあかないと、ようやく腰を上げた。


「椿さん、俺が代わりになりますよ」

「そんな、だって痛いかもしれないのに」


 椿は急に静かになり、心配そうに山崎を見た。山崎は大丈夫だと柔らかく笑う。


「おいっ、椿っ! そいつはどう言う意味だっ」

「えっ」

「え、じゃねえだろ。え、じゃ! 山崎の時は心配しやがって、俺には大丈夫だって言っただろうがっ」


 土方は椿を睨らみつけた。しかし、椿に土方の睨みは通用しない。


「分かりました。では言った自分が身を持って体験します。それなら文句ありませんよね」

「おう。最初っからそうすれば良かったんだろうが」


 何故か土方と椿は睨み合っている。堪りにかねた山崎は椿をたしなめるように手を取り立ち上がった。


「先ずは針の基本を教えますから、話はそれからです」

「はい」


 さっきまで犬のように吠えていた椿だったが、山崎の手に掛ると途端に大人しくなってしまった。これには土方も口をあんぐりさせてしまう。


ーー本当に椿は、山崎にしか操れないかもしれねえ。


 二人は土方に頭を下げて、出て行った。





 椿は山崎に針の基礎を教えると言われたのが嬉しくて、山崎が針箱を開けるのをまじまじと見ていた。そんな真剣な椿が子供のようで山崎は笑った。


「その前に、椿さん女の恰好に戻ったんですね」

「はい、実は」


 椿は土方に話したように、こうなった理由を山崎に話した。それを聞いた山崎は怒りで眉間に力が入る。山崎がこうして感情を露わにするのは珍しい事だ。


「ですから、女だと分かれば問題ないかと思いまして」

「……」

「山崎さん?」

「それに関しては武田組長が単に衆道なら、ですけどね」

「違うんですか」

「いえ、まだ分かりませんが」


 山崎は椿を自分の正面に座らせ、椿の体を確認するように上から下まで目で確かめた。さすがの椿もそうされると恥ずかくもあり、居た堪れない気持ちになる。


「椿さん、武田組長は貴女の何処に触れたのですか」


 山崎の静かに問いただす声は低く、怒っているように聞こえる。


「えっと、肩と腰……です」


 実は尻も触られたとは言えなかった。山崎の眉間には皺が深く刻まれていたし、沖田のときとは違う怒りが感じられたからだ。椿はどうしたら良いか分からず俯いた。


ーー山崎さん、とても怒ってる。


 すると突然、強く手を引かれ山崎の胸に倒れ込んでしまった。


「ごめんなさっ」


 体を起こそうとしたら山崎から背中に腕を回された。山崎は腕に力をこめて、今度は椿の背中を優しく撫で始めたのだ。椿は山崎がどんな顔をしているのか確かめようとしたが、山崎は椿の肩に顔を埋めており、その表情を見ることはできなかった。ただ、とても心配してくれている事は分かる。だから椿も、両腕を山崎の背に回した。一瞬、山崎の体が跳ねたき気がしたが、構わずに山崎がしてくれた様に腕に力をこめた。


 暫くそうしていると、山崎が肩口でふっと笑う。


「山崎さん」

「すみません。このままで」

「はい」

「本当は俺が椿さんを慰めたくてこうしたのです。でも何故か俺が椿さんから慰められているような気がしています」

「慰める……」

「武田組長に触られて気持ち悪かっただろうと思って。でも実は俺が悔しかったんですよ」


 ゆっくりと山崎は椿の背に回した腕を解いた。山崎はひどく優しい顔をしている。


「本当に貴女って人は……」

「すみません」


 初心うぶ過ぎる椿には山崎が云わんとする事がよく分からない。山崎は声を出して笑った。椿にかかれば山崎が培ってきた鉄の仮面は、いとも簡単に壊されてしまう。でも、椿の前だけならいいと諦めることにした。


「では、針の基礎をお教えします」

「はい!」


 山崎は手際よく箱の中身を出して道具の説明を始めた。針の刺し方や人の体にあるツボの話も丁寧にする。椿は真剣に、時に紙に書き留めながらそれらを学んだ。


「すぐに覚えますよ。椿さんは優秀なお弟子さんですから」

「ありがとうございます」


 山崎は椿の屈託のない笑顔を見ながら、腹の底では武田を優先監察対象者に上げたのは言うまでもない。

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