第8話 もう、後戻りは許されない

 部屋に戻った山崎は、椿を自分の布団に寝かせると、自分は少し離れた場所に腰を下ろした。自分の部屋なのにどう過ごしたら良いか分からないのだ。

 椿が居る。ただそれだけて心が落ち着かない。かと言って彼女を残して部屋を出る気にはなれない。体を休めるだけだったのこの部屋は、灯りも点けていないのに温かく、ほんのりとした淡い光に包まれているような錯覚さえ起こる。


 表情が薄いせいか、人付き合いも上手くなく世間にまみれるというよりも、世間から阻害されるように生きてきた。しかし、それがお前の武器だと言い新選組に誘ったのが土方だった。

 初めて認められた気がした。そして、椿に出逢った。

 鍼灸の技術を教えろと言ってきたのは、後にも先にも椿だけだった。


「椿さんは変わった人だ」


 大抵の女は自分の顔を見ると怒っているのかと聞いてくる。もしくは距離をおいて近寄って来ないのに……。しかし、椿は違った。くるくると変わる豊かな表情に、心を奪われたのは恐らくあの時からだろう。


――俺の心を盗んだのは、君が最初で最後だよ。


 その髪に触れ、その滑らかな肌を撫で、その小さな桃色の唇を己の物にしてしまいたい。彼女は誰にもやれない、誰にも触れさせたくない。椿は俺だけのもの、彼女のその無垢な心も清い体も全部。

 山崎の中でむくむくともたげるものは、どろどろした独占欲だった。


 山崎は柱に体を預けながら自嘲し目を閉じた。そうすればこの滾る想いにも蓋が出来る。そう、信じて。





 椿が目を覚ました頃にはもう外は真っ暗だった。縁側でうたた寝をしてしまったのは覚えてる。しかし今はなぜか、部屋から月明りが差し込んでいるのを見ている。おや? と首を傾げた時に、障子の柱に寄りかかったまま眠る山崎を見つけた。


「山崎、さんっ」


 椿は布団から這い出して、静かに山崎の方へ近づいた。山崎は椿を自室に連れてくると布団に寝かせ、自分は座ったまま休息を取っていたのだ。片膝を立てて、利き腕を常に上に置いた姿勢のままで。

 忍びではないのに忍びと同じ能力を求められる監察方に、椿の胸は締め付けられた。そんな山崎の姿を見ると、椿は自分でも知らなかった感情が溢れて来る。それは、儚くて、苦しくて、とても愛おしくて仕方のない想い。

 椿はゆっくりと右手を山崎の方へ伸ばし、躊躇いながらもその頬に触れた。触れたのと同時に山崎が反応し、椿の腕を素早く掴んだ。


「あっ!」


 椿はあまりにも速い山崎の動きに驚いて、声をあげた。


「つ、椿さん。起きていたのですか」

「はい、たった今」


 山崎は掴んだ椿の腕をそっと放した。椿はいったい自分に何をしようとしたのだろうかと、考えながら。


「お布団、ごめんなさい。山崎さんも疲れているのに」

「いえ。俺は慣れています。これでも十分休めていますよ」


 山崎は何日も屯所を空け潜入捜査をする。屋根の無い場所で夜を明かすことも少なくはないのだと何でも無いように笑いながら語る。隊士たちにも名を明かすことはなく、存在を有耶無耶にし新選組のために身を呈して働いている男。それが山崎烝だった。


「椿さん」


 椿は泣いていた。山崎を想うと胸が苦しくなる。


「すみません。山崎さんの過酷なお仕事を想像したら、我慢できなくて」

「......え」


 山崎は自分の耳を疑った。椿が自分の為に泣いている言ったからだ。


「外、すっかり暗くなってしまいました」

「はい。椿さんはもう少し休んで下さい。朝になったら、送ります」

「今度は山崎さんがお布団で、どうぞ」

「そういうわけにはいきません。女子おなごを畳の上で寝かせて、男の俺が布団に寝るなんて。それこそ士道不覚悟で切腹ですよ」


「ええ!」と、驚く椿に山崎はクスッと笑ってしまう。


「嘘、ですよね」

「いえ、嘘ではありません」


 山崎がいつもの真面目な声で言い聞かせれば、椿はしぶしぶ布団に戻り目を閉じた。その顔が不満でいっぱいなのが山崎には愛らしくてならなかった。



 次に椿が目を開けると山崎の姿はなく、外は日が昇り始めていた。飯炊き当番が起きる頃だろう。隊士達の邪魔にならぬように早く帰らなければと、椿は身支度を始めた。するとその時、障子が開き山崎が顔を出した。


「椿さん。朝早くにすみません。副長がお呼びです」


 診療所まで送りますと言われると思っていた椿は、何故? と疑問に思いながらも黙って従った。


 副長室に入ると、背筋を伸ばした土方が腕を組み座っていた。良いか悪いかは別として、真剣な話があるとのだと椿は悟った。


「朝早くから悪いな」

「いえ」

「単刀直入に話す。お前には今後、新選組専属の医者として屯所に詰めてもらう。勿論お前だけの部屋を与える。信用のある幹部の隣にお前の部屋を置くつもりだ。大捕物おおとりものの時は後方にて待機してもらい、負傷した隊士の手当を頼みたい」


 椿は突然の話についていけず、ただ土方の目を見ていた。冗談ではないのよね? と呑気に捉えながら。


「かなり悲惨な現場もあるだろう。仮に戦が始まったら、お前も従軍させざるを得なくなる。勿論、お前の命は新選組が全力で守るつもりだ」

「......」

「異論があれば聞く。だか、これは決定事項だ」


――承諾すれば私は新選組から抜け出せなくなる。でも、そうすれば山崎さんを近くで支えることができる。やっと私も、新選組の皆さんのお役に立てる!


「椿さん、無理はしな......」


 山崎が口を開くと同時に椿はこう言った。


「副長! 喜んでお受けいたします!」


 驚くことに、椿の目は煌々と輝いていた。


「お前は女だから出入りするなと言われるのかと思っていましたが、その逆で驚いています! でも、女だからと思われないように皆さんを支えてみせます! 新選組のために!」

「椿、いいんだな。もう後戻りは出来ないぞ。なあ、山崎」

「くっ......」


 山崎の左眉が上がった。

 椿は思う。山崎は自分が屯所に留まることを心配だと反対するに違いないと。だから椿は山崎の方へ体を向けた。


「山崎さん。私が女だからと、ご心配くださっていることと思います。でも、女の前に私は医者であり、山崎さんが居る新選組を何よりも大事に思っています。お上への忠義のために命を掛けて働く皆さんを、私も命を掛けてお助けしたいと思っています。性別に関係なく医者の技量を認めて下さったこの新選組のために!」


 山崎は目を見開いて椿を見つめた。まるで、土方に認められた時の自分を見ているようではないかと。山崎は彼女の意志もまた、変えることは出来ないのだと悟る。

 そして、土方は聞き逃さなかった。椿は山崎が居る新選組を大事に思っていると言ったことを。逆を言えば山崎が居なければ、そうではないという事だ。


「くくっ。椿、お前は本当に正直なヤツだな。山崎、そう言う事だ。お前はちゃんとコイツの手綱を握っておけよ。お前が居ねえとコイツは暴れ馬になり兼ねねえ」

「え?」

 

 意味が分からないと不満顔の椿と、顔を赤らめて硬直する山崎。

 性格も表情もこの二人は全く正反対だ。しかし、背負ってきた負の感情は何処か似ている。人から好かれないと卑下する男と、女のくせに医者になったと陰口を叩かれ続けた女は、一度ひとたび芽吹けば、逞しく天に向けて伸びてゆく。中身は違えどその信念と互いを想う気持ちは同じだ。


「お前らいい加減にしろ。ふはははっ」


 土方はそんな二人がこの新選組に、そして自分に仕えている事がとても嬉しかったのだ。


「土方さん、もしかしてお疲れですか」


 椿には、何がなんでも護ってやらなければならないと思わせる魅力があったのだ。


「椿の命は新選組が絶対に護る。安心しろ」


 土方が言うと本当に大丈夫な気になるから不思議だ。椿はこの人が新選組の副長で良かったと改めて思う。何事にも動じず、隊士たちを束ねるこの男がとても誇らしく感じていた。




 屯所から診療所への帰り道は山崎が一緒だった。もともと無駄話しをしない山崎が、更に口を引き結び難しい顔をしている。山崎は自分が新選組の専属医を受け入れたのを気に入らないのではと急に不安になった。


「山崎さん、すみません。勝手に大阪から追ってきて、新選組に出入りして、挙句には専属医にまでなっ......」

「椿さん!」

「は、はい!」

 

 山崎が珍しく大きな声で椿の話を遮った。


「椿さんの命はっ! 俺が、俺が絶対に護りますからっ! 副長より、俺の方がっ」

「え?」

「なんでもありません!」


 山崎は顔を真っ赤にして、途中で話を切った。あまり追求してもいけないと、椿はそこで口を閉じた。

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