新選組の医者

第7話 動き出した、運命

 季節は夏に入る。

 湿気が高く茹だるような暑さは京都ならではのもの。隊士の約半分が江戸から来た者たちだったせいか、慣れずに体調を崩すものが続出した。


「大部屋が殆どですね。やはり伝染してしまうのですね」


 椿は往診に来て愕然とした。腹を壊し嘔吐の繰り返しで体力が落ち、自身の体を清潔に保つこともままならなくなっていた。一般隊士たちは雑魚寝であるため、他人が汚したものなのか自分が汚したものなのかも分からない。異臭がたちこめる部屋で横たわる男たちを、どこから手を付けたらよいのか悩んだ。こんなに混乱した現場は椿も初めてで、これが屯所内だけの出来事であることが幸いと思うしかない状況だ。

 椿は布で自分の口と鼻を覆い、患者たちの治療に尽くした。休む暇もなく、昼夜を徹して対応に追われた。


「椿、すまんな。無理をさせて」

「土方さん、私は大丈夫です。それより動ける隊士が少いので、元気な皆さんまで具合が悪くなるのではないかと心配です」

「そうなんだよな。こんな時に限って捕物とりものが起きたりするんだ」


 土方もこの状況に頭を痛めていた。


「副長」

「山崎か。入れ」


 音もたてずに障子を開けて山崎が入って来た。久しぶりに山崎の姿を見たが、変わりなく血色もよさそうで安心した。椿は安堵し柔らかな視線を山崎に向けた。一瞬、二人は視線を合わせた。その時だけは山崎もほんの少し表情を緩めるのだ。

 土方はそんな二人をむず痒い思いで見ていた。心の何処かで、さっさとくっ付いて、ヤルことヤッちまえ! などとほとんど投げやりに。


「私はこれで失礼致します」

「おう、ご苦労だった。椿、うつらねえように用心しろよ」


 山崎がこの部屋に来ると言う事は、何かしらの情報を握ったという事だ。これ以上の居座りは新選組の機密に触れることになる。椿は分をわきまえなければいけないと、静かに副長土方の部屋を退出した。





 あんなに暑かった日中も日が落ちれば随分と過ごしやすくなる。これなら隊士たちも寝苦しさから、幾分か解放されるだろう。夜も屯所に詰めてろくに睡眠も取れていないためか、そよぐ風が椿を夢の世界へ誘う。心地がよすぎて忘れていた疲労がどっと噴き出して来た。体が怠くてたまらない。今日は診療所に帰って休もうと決めていたのに、どうしても体が動かない。


「ねむい......少し、だけ」


 縁側で腰掛けていた椿は柱に体を預け、暫し目を閉じた。


 ちょうどその頃、土方に報告を終えた山崎が何日振りかの自室へ戻ろうとしていた。すると廊下の先で小さな気配を感じた。そこに目を向けると薄暗くなった廊下の端に小さな影がひとつある。そっと近づくと、やはりそれは椿だった。


「椿さん」


 椿は眠っていた。きちんと結い上げていた髪は乱れ、おくれ毛が頬へ流れている。土方から最近の屯所の様子を聞かされていた山崎は、その中で気丈に立ち振る舞う椿の姿を思い浮かべた。椿の疲れた横顔はなんと艶めかしいことか。弱った女ほど色気のあるものは無いと、何処かで聞いたことがある。ああ、このことか。と、山崎は思う。


「椿さん、風邪をひきますよ」


 声を掛けても起きる気配がない。よほど疲れていたのだろう。山崎は椿の肩に手を置き、そっと揺らしてみた。


「椿さん、こんな所で寝てはいけません。椿さん」

「んっ......あっ、ごめんなさい。寝てしまいました」

「立てますか」


 椿は頷いて、手をつき立ち上がろうとしたが力が入らない。どんなふうに体重を掛けて寝ていたのか、腕と脚が痺れていた。


「え、あれっ」

「どうしました」

「山崎さん。体が、痺れてしまいました。おかし......ふふふっ。あはははっ」


 そう言って、ケラケラっと笑いだしたではないか。その椿の顔に山崎は釘付けになった。本当は疲れて体が辛いはずなのに、こうして笑ってみせるなんて。ここ数日の任務で気を張り詰めていた山崎の心が、椿にゆっくりと溶かされてゆくのが分かる。


「ぷっ、くくっ」 


 山崎が笑った。

 今度は椿がその笑顔に釘付けだ。


――山崎さんが声を出して笑った!


「おぶってあげますよ。ひとまず、俺の部屋で休みましょう」


 山崎は椿の言葉を待たずに、失礼しますと背負い自室に向かった。椿が誰かにこうしておぶさるなんて、いつ以来だろうか。もう遥か遠い幼き頃の記憶しかない。山崎の背中は思ったより逞しく、そしてなにより温かかった。そして一定の揺れが再び椿を眠りに誘う。


――もう駄目......


 こてりと頭を山崎の背中に預け、また眠りについた。





 この日、山崎は土方に薩摩、土佐、長州に不穏の動きありと報告している。内部調査、いわゆる間者の洗い出しで分かったことだ。そう遠くない将来に大捕物が行われる可能性がある。新選組が名を挙げるに持ってこいの機会だ。そうなると戦紛いくさまがいになるだろう。

 土方は貴重な隊士を減らさぬよう、医者を後方に控えさせたいと言っていた。それも新選組を理解し、外部との接触を断てる者。


「副長、まさか椿さんを」


 少し間をおいて「ああ」と返事が返ってきた。土方は伊達に鬼の副長と呼ばれていない。新選組のためなら使えるものは使うし、使えなくなれば潔く捨てる。いくさになれば医者である椿も従軍させかねない。


「椿さんは女ですよ」

「女だか医者だ。それも新選組・・・のな」


 山崎は左眉をぴくりと僅かに揺らした。山崎が動揺している時にする表情だ。土方はその変化を見逃さなかった。


「あいつは新選組・・・の優秀な専属医だ。あいつの屯所出入りを許したのは、この俺だ」


 山崎は土方の意志が堅い事を承知していた。何故ならば、新選組という言葉を椿に対して、二度も使ったからだ。


「出過ぎた真似を、致しました」

「近々、屯所内に椿の部屋を作る。外出時には腕の立つ隊士を護衛で二名付ける。椿の命は、新選組が預かる」


     



 自分の背中で寝入ってしまった椿。

 笑うとお天道様のように明るい彼女を、闇が覆うかもしれない。もしもあの時、鍼灸の指南を断っていたら、彼女は新選組になど関わらずに済んだのに。どんなに後悔をしても、全て今更であった。


 副長の決定を覆す事は出来ない。この流れを止める事は、誰にも出来ないのだ。

何があっても、彼女の命だけは繋ぎたい。新選組と惚れた女との間で揺れる己の心が恨めしくてたまらない。山崎あギリリと奥歯を擦り鳴らし、椿を背負う腕にぐっと力を入れた。

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