第4話 ご乱心?

 シンと静まり返った部屋で椿は山崎の胸に顔を寄せていた。山崎の腕はしっかりと椿の背に回っており、今のところ離す気配はない。


「山崎、さん」


 椿は混乱していた。山崎に抱きしめられているからだ。どうしてこうなったのか、先ほどの自分を思い返してみる。


 山崎は椿が沖田に口づけをされたと誤解し、沖田の事が好きなのかと椿に問うた。椿は違うと答える。実は口づけをされたのではなく、山崎が誰かに取られるかもしれないと教えてもらったのだと説明をした。すると山崎が信じられないというような顔をしたので、早く誤解を解こうと思わず山崎の胸ぐらを掴んた。

 そして椿は、自分が慕っているのは山崎なのだと言った。そうしたら、こうなっていた。


「あの」


 椿が何か言おうと体をよじると、山崎の腕に力が入り余計に動けなくなる。あまりにも急な展開だったので、椿の腕は胸の前で折りたたまれた状態だ。手も抜くこともできない、顔を上げることもできない。


「椿さん」


 仕方なくじっとしていると、山崎がと息を吐くように小声で椿の名を呼んだ。そのあとやっと山崎は腕の力を緩めたので、椿は姿勢を正し、山崎に向き直った。


「見苦しい姿を見せてしまいました。謝るのは俺の方です。すみません」

「そんな。だって悪いのは私なんですから」


 すると山崎は困ったように眉を下げて、「椿さんは悪くありません」と言うのだ。椿は山崎が頑固な事を知っている。どちらが悪いという言い合いだけはしたくなかった。本当は腑に落ちないけれど、自分の気持ちは一旦呑み込むことにした。


「えっと、……分かりました」


 椿が詫びを受け入れると、山崎は目元を緩ませて穏やかに笑った。細く切れ長な目が更に細められ、引き締まった口元がほんの少し上がる。そんな山崎の表情を見たら胸の奥がズクンと疼いた。椿の心臓はといえば、さっきからずっと駆け足状態だ。


ーー熱い。顔も、体も……どこもかしこも熱いです……


「ありがとうございます」


 何故か山崎は椿に礼を言った。そしてもう一度、今度はさっきよりも強く力を込めて抱きしめた。そんな抱擁を暫く交わしたあと、山崎はゆっくりと椿を解放した。椿はというと、急に涼しげな空気が体の隙間を抜けて行ったので、山崎から体が離れてしまった事を理解し、残念に思っていた。


「明日、一緒に出掛けてくれませんか。副長から書簡を届けるように頼まれたのです」

「え、私も行ってよいのですか」

「はい。副長からのご指名ですよ」

「指名……?」


 山崎と島原に潜入して、討幕派の様子を探って欲しいという内容だった。本来なら好意にしている天神に同伴を依頼するのだが、山崎には椿がよいとの土方の判断だった。


ーー私が山崎さんと一緒に新選組のお仕事をしていいの?


 嬉しさの反面、自分にそんな重要な任務が務まるのかと不安になる。


「お役に立てるのでしょうか」

「大丈夫です。今回の任務に危険は伴いません。椿さんは俺の隣に居てくれるだけでいいのですよ」

「隣に居るだけ」

「はい、もし何かあっても椿さんの事は俺が護ります」


 今まで見たこともないような優しい眼差しで、山崎は椿を見つめた。心はいつでも男前な椿も、そんな山崎の前ではしおらしく、うまく言葉が出てこない。ただ俯いて「はい」としか言えなかった。


 明日の午後、屯所で待ち合わせることにした椿は、診療所に帰ることにした。山崎はこの後もまた任務があると忙しそうだ。


「山崎さん、お気をつけて」


 にっこりと山崎に笑いかける笑顔は、もういつもの椿だった。




 さて、屯所を出てから椿は悶々と考え込んでいた。


ーー山崎さん、やっぱりいつもと少し違った。あんな表情を見せるなんて考えられない。悪いのは自分だと言っていたし、私のことを抱きしめて……っ!


 椿は自分が頬を赤らめていることにも気づかず、ふわふわと頼りない足取りで街を歩いていた。


「おう! 椿ちゃんじゃねえか」


 自分が呼ばれていることにも気づかず、声の主の横を通り過ぎてしまう。


「え……、おいっ」


 椿よりも遥かに大きな男は手を宙に浮かしたまま通り過ぎていく椿を横目で見送った。巡察中の男、二番組組長の永倉新八である。いつもなら椿が先に気付き「永倉さん、お疲れ様です」と小さな掌でバシバシと肩を叩いてくるのだ。威勢が良くて元気の塊みたいな椿が上の空で歩いていった。


「どっか具合でも悪いんじゃないのか」


 永倉は気になり椿を目で追った。すると、浪人らしき男と椿が角でぶつかってしまう。見るからに柄の悪い男が、目を吊り上げて椿の襟元を掴もうとした。永倉は素早く男の背後にまわり、男の腕を掴む。


「新選組だ。なにか問題でも起きたのか」

「い、いえ。何でもありません。へへへ」


 男は永倉の睨みに怯え、椿とは反対方向へ走り去る。それでも椿は気付かない。永倉は椿が診療所に入るまで見守ろうと決め後をつけた。

 椿がしっかりと診療所の戸を閉めたのを確認して、再び屯所へ帰ったのであった。





「土方さん、いいか」

「永倉か、入れ」


 永倉は巡察の報告をするため、副長である土方の部屋に来ていた。


「あのよ、椿ちゃんどうかしたのか」

「どうかしたって、どういう意味だ」

「さっき表ですれ違ったんだが、ぼうっとしてたぞ。俺とすれ違ったのも気づきやしねえ。声もかけたんだぜ。それでも全くだった。ふらふらと歩いて行っちまった」

「椿が、か?」

「ああ。顔が少し赤かったんだよな。風邪でもひいたんじゃねえかな。柄の悪そうな浪人とぶつかっても見向きもしねえんだ」

「危ねえな」

「だから診療所まで後ろをついて行ったさ」

「そいつは、ご苦労だったな」


 永倉の報告に、土方は今日の事を振り返る。

気づけば「あいつ、山崎と何かあったのか?」と呟いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る