第2話 山崎さんを知りませんか
隊士たちの様子を伺いながら椿が辿り着いた場所には、呼ばれても行きたくない【鬼の部屋】がある。
新選組副長、土方歳三の部屋だ。
その鬼の副長を前にしても躊躇うことを知らない椿は、毎度副長との攻防戦を繰り広げていた。そんなやり取りが見たくて、非番の組長たちが忍び足でやってくる。もちろん遠巻きから黙って見るつもりで。
「椿です。不機嫌なところ申し訳ございません。失礼いたします」
なんと直球過ぎる挨拶であろうか。副長の「入れ」という許可も待たずに、障子に手をかけ大胆に大きく開いた。
「副長!」
「ぶっ!」
土方は口に含んだばかりの茶を吹き出しそうになった。それをなんとか堪え喉の奥に流し込む。絶対に吹き出すわけにはいかなかった。土方の目の前には、やっとの思いで書き上げた書簡がいくつも並べられてあったのだから。
熱い茶を喉に流し終えた土方は、改めて眉間に皺をグッと寄せる。泣く子も黙る鬼の副長の出来上がりだ。
土方が勝手に開かれた障子の方に目をやると、三つ折り突いてしおらしげに頭を下げる椿の姿がいた。
椿は土方が自分に顔を向けたことを確認し、これまた臆することなく口を開いた。
「山崎さんを知りませんか」
入室の許可も待たず、挙句の果てにはこの部屋の主よりも先に口を開く始末。この女に恐れという言葉はないのだろうか。
ーーこのやろう。開口一番がそれなのか……
「副長! 無視、でございますかっ」
物を言わない土方に苛立ちを覚えた椿は、文机に近寄り、ぐっと顔を寄せた。椿の思わぬ行動に鬼の副長も「おうっ」と声を漏らし、後ろに上体を逸らした。
「無視してるわけじゃねえ。お前が許可もなく勝手に入ってきて、挙げ句、勝手に喋りやがった。俺が口を開ける暇が何処にあった! ああん!」
「あ……。それは、大変失礼いたしました」
意外と素直なのもこの女の特徴であった。
「で、お前は山崎を探しているのか」
「はい、どちらにお隠しですか」
「あ?」
「お願いですから、山崎さんを隠していないで出してください。もう三日もお顔を拝見しておりません」
先ほどの勢いは何処へやら。三日も顔を見ていないと言って今にも泣きそうな顔をする。まるで土方が山崎と椿を引き離して楽しんでいるかのような口振りだ。
「おい、そんな顔をするな。今日あたり帰ってくるだろう」
「どちらに行っているのですか」
「そいつは言えねえな」
「そう、ですよね。ただの医者である私が、新選組の機密に触れる真似をしてはいけませんもの。すみません」
「戻ったら、椿が探していたと伝えておく」
「……はい」
椿は素直で相手の立場をきちんと理解する事ができる女だ。しかし、「はい」と返事をしたきりで椿に動く気配はない。山崎恋しさが募るのか、土方の前で俯いて座り込んだままだ。
「おい」
「……はい」
「下がっていい」
「……はい」
土方に椿の言う「はい」が、何故か「嫌です」に聞こえてしまうのは気のせいであろうか。此処では鬼と呼ばれる土方ではあるが、本当は根が誰よりも優しかったりする。それを知ってか知らずか、椿は潤んだ瞳で土方を見上げて「はい」と言う。
ーーまさか俺がこんな小娘ごときに振り回されるとは。しかも俺を慕っての行動じゃねえ。山崎恋しさに俺の部屋に飛び込んで来たんだよ。意地らしいよなぁ。
「まったくお前には敵わねえな。気が済むまで此処で待てばいいだろう。その代り邪魔だけはしてくれるな、いいな」
土方は子供をあやすように椿の頭をポンポンと撫でながら言った。当の椿はふにゃりと顔を歪め「はい」と儚く笑って見せるではないか。そんな顔を間近で見た土方は、耐えられず片手で顔を隠しそっぽを向いた。
ーーくそっ。山崎てめぇ、こいつのあざとさを何とかしろ!
その頃、廊下にはいつくかの大きな影が潜んでいた。
「見ました? 土方さんでもお手上げなんですよ椿さんには」
「あれが鬼の副長か? 人違いじゃねえのか」
「副長があのような……ありえん」
沖田、原田、斎藤の三人は見てはいけないものを見てしまったと言わんばかりに顔を見合わせた。やはり椿は大した女だと、それぞれの心で思う。
そんな椿の気持ちを山崎は知っているのだろうか。それよりも椿はいったい、山崎のどこがいいというのだろうか。誰にも媚びない、冷静沈着、仕事は抜かりなく、主人には忠実な男である。しかし、それのどこに椿が惚れる部分があるのかと真剣に男たちは考えた。
「ねえ、どうせ暇ですし僕たちも入りましょうよ」
「は?」
「なんだとっ」
この沖田という男も椿と並ぶくらい突拍子もないことをしでかす。いきなり「失礼しますよ」と臆することなく、副長室の障子を開けたのだから。
「なんだお前ら」
「いや副長一人で椿さんのお相手は大変でしょうと思いましてね」
「沖田さん。あれ、原田さんと斎藤さんもご一緒ですか」
「俺は忙しいんだ。お前たちの相手をしている暇はない」
「分かっていますよ。邪魔はしませんから。椿さん、僕の部屋へ来ませんか。副長はお忙しいみたいですから。どうでしょう」
椿は暫し考えた。沖田が言うようにこのまま居座っては、忙しい副長の邪魔になる。しかし山崎は、任務の報告で必ず土方の部屋に立ち寄る。だから此処に居さえすれば確実に山崎に会える。
ーーどうしよう……
だからと言って、新選組の仕事を邪魔してはいけない。その為に山崎が走り回っているのだから。でも、自分はその新選組の仕事のせいで山崎に三日も会っていないではないか。
ーーうぅ……どうしよう……
柄になく椿は困り果てていた。沖田はそれを面白そうに見ては口元を緩ませる。沖田の意地の悪い笑みを見た椿はぷうっとむくれた。
「沖田さんは、意地悪です」
「ごめん、ごめん」
心の中で今日は椿に勝ったと呟く沖田は、余裕の笑みを見せながら、椿の頭をよしよしと撫でてやった。
そしてその光景を見て、一番困り果てた男が副長室の障子に手を掛けたまま固まっていた。
まだ誰もその存在に気づいていないようだ。
その男こそ、椿が探している山崎烝だったのだ。
ーーこれは、いったいどういう状況なのだろうか……椿さんが副長と組長たちに取り囲まれている!
山崎の背を嫌な汗が伝った。
◇
椿は悩ましげに眉を下げて沖田と土方を交互に見た。
ーーいつまでもこうしてはいられない。私は子供ではないのだから。部屋の
子供に言い聞かせるように心の名で自分に言うと、土方の顔をもう一度見た。
「お邪魔して申し訳ございませんでした。沖田さんの部屋で待ちますので、戻られたらご伝言お願いしても宜しいでしょうか」
「ああ、必ず伝えるから安心しろ」
「ありがとうございます」
先程までの勢いは何処へやら。がくりと肩を落とした椿がようやく土方の部屋を出で行った。そんな椿の姿を見ると、さすがの沖田も可哀そうに思い、そっと椿の手を引いた。
斎藤と原田は「はぁ」とため息を吐き、
部屋から出てくる椿たちを見て、山崎は反射的に身を隠してしまう。いつも勝ち気な椿が、とても落ち込んでいるように見えた。そしてあの沖田に手を引かれて、なされるがままに廊下を曲がって行ったのだ。
「椿さん……」
自分が任務に出る前はお天道様のような笑顔で笑いかけてくれたのに。不在にしていたこの三日で何かあったのだろうか。山崎は椿が去った方を見つめ、眉を僅かに寄せるのだった。
「副長、山崎です」
「入れ」
山崎は土方の部屋に入ると、いつもの薄い表情で報告を始める。京を出入り禁止となっているはずの長州の者が、夜な夜な会合を開いている事。薩摩と土佐の怪しげな動きなどを土方に淡々と報告した。
「なるほど、会合の内容まで掴めたら会津藩に報告だな。現場を押えて幕府に突き出す」
「はい、では引き続き潜入を続けます」
「うむ……否。その前にこの書簡を届けて欲しい」
「はい」
「急ぎじゃねえ。明日中に頼む」
「
山崎の忠実な姿を見ながら土方は思った。相変わらず任務遂行においては抜かりがない。眉ひとつ動かすことなく、冷静に客観的に正確な情報を持ってくる。山崎の一挙一動を土方は観察していた。
ーー椿はこいつのどこに惚れたんだ。仕事においては文句のつけようはないが、女が惚れる要素が見当たらねえ。表情は相変わらず乏しいし、女が喜ぶような言葉は持ち合わせてはいないだろうに。
「うむ……」
土方は腕組みをしたまま目を伏せ、つい唸ってしまったのだ。
「副長、如何しました」
「ん? ああ」
ぞんざいな返事をしながら、じぃっと山崎の顔を睨み付けた。山崎としては大変居心地が悪い。
「なあ、山崎」
「はい」
「笑って見せろ」
「今、なんと?」
「いや、お前の笑ったところを見たことがねえと思ってな」
「え……」
山崎は思った。副長はどうしてしまったのだろうか。自分に対して冗談など言うようなお人ではないのに。
ーー忙しすぎて少し頭が……いや、俺の考え過ぎか……
副長を思うが故に、山崎の顔がだんだんと難しくなっていく。
「悪い。お前を困らせるつもりで言ったわけじゃねえんだ」
「はぁ」
「椿の事なんだが」
ギクリと山崎の肩が揺れた。まさか彼女は新選組の法(局中法度)に触れてしまったのだろうか。
「副長っ、椿さんが何かしてしまったのでしょうか。もしそうであれば、責任は俺にあります。俺が京に上がる事を口にしてしまったが為にこうなったのです。切腹はこの俺がっ」
「切腹? 何の話だ」
「ですから、椿さんが犯してしまった罪は俺が代わりにっ……え?」
土方は声こそ堪えていたが、肩を揺らして笑っていた。その揺れが段々と激しくなり、とうとう声に出してしまう。
「椿はっ、はははっ。武士じゃねえ。何かヤッちまっても切腹になることはねえよ。それにあいつは隊士じゃねえ。くくくっ、医者だろうが……く、はははっ」
「は、はい」
土方の笑いは益々酷くなる。山崎は眉をひそめながら自分の言動を顧みた。俺は何かおかしなことを言ったのだろうかと。
「山崎、おまえ何か勘違いをしているぞ。俺は椿が何かヤらかしたと言ったか」
「……いえ」
「まあいいさ。今のお前の態度を見てよく分かった。邪魔はしねえよ。だが万が一、椿がお前の手に余るようなら遠慮なく言え。その時は俺が貰い受ける。あいつはなかなか面白い、骨のある医者だからな」
「え……あ、ありがとうござい、ます」
いまいち土方の言いたい事が分からない山崎が発した言葉は、何故か礼だった。それを聞いた土方がさらにツボにはまって、腹を抱えて笑い出してしまったので、山崎は狼狽した。
「ふ、副長! 大丈夫ですかっ。なにか良からぬものでも食べたのでは」
土方が手で大丈夫だと制して見せるが、どう見ても大丈夫そうには見えない。山崎は神妙な面持ちで、土方が悶えているのを見守るしかなかった。
暫くして落ち着きを取り戻した土方は、表情をいつもの男前に戻すと、再び仕事の話に戻した。
「この書簡を島原の柳大夫に渡してくれ。角屋で、かなりの会合が行われている」
「承知しました」
「椿と一緒に行ってきてくれないか」
「椿さんと?」
「ああ、それなりの恰好をさせて探ってきてほしい。それから」
「はい」
「椿がお前に話があるみたいだったから、この後、顔を出してやってくれ。総司の所に居るだろう。以上だ」
「はい」
ーー椿さんと島原に潜入して会合の様子を探るのか。
山崎は様子がおかしかった土方を気にしつつも、沖田の部屋に居るだろう椿のもとへ足を運ぶことにした。
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