物言わぬ石は静かに佇む
佳奈子の墓は市の外れの方だそうで、俺たち2人はバスに乗って向かっていた。時間外れの昼食に弁当を買って食べたのは、案外風情があって楽しかった。
「けっこう美味しかったわ、のり弁」
「アジフライもなかなかだったな。今度揚げ物やろっかな……」
海鮮が安売りされたところを見計らえば、なんとか買えないでもなさそうだ。
「あたしも招待してくれる?」
「……手伝ってくれよ?」
「頑張るわ」
「おお。ばあちゃんも呼ぶか……って。ばあちゃん、大丈夫だった?」
「大丈夫。ちゃんと薬も飲んで落ち着いてるから」
佳奈子が病気に詳しかったのは、ばあちゃんのために勉強していたからで。畢竟、こいつは俺なんかよりずっとしっかりものなのである。
「……あたしのこと心配して探してたから倒れちゃったみたい。またお見舞いに行かなくちゃ」
「そか」
佳奈子が偽物であることは、ばあちゃんはとっくの昔に知っていたらしい。
だから、警察を呼んでも見つからないことをわかっていたし、死んだ“藍沢佳奈子”を探せるはずがないと考えたのだろう。全てが腑に落ちる。
「それでね。今から行くところもね、退院して落ち着いたら一緒に行くって約束したの」
「良かったな」
「うん。……おばあちゃんがあたしのこと受け入れてくれて、良かった」
佳奈子はきゅうっと手を握り合わせて目を閉じる。
「……嬉しかったのよ。あたしの遺体……誰も、引き取り手がいなかったから」
「………」
「行き場に困ってたあたしの体は、親のいない子どもたちのいる施設が申し出てくれて。その人たちに墓に入れてもらった」
人が居らずにガラガラだからいいものの、聞かれていればぎょっとされるに違いない。
「なんだか、あんたに話して胸のつかえがとれたみたい。幽霊なのにね」
「……いいじゃんか、幽霊だってさ」
「そう? 幽霊だと何にもできないわよ?」
「そうじゃなくて。人間だろうと幽霊だろうと、誰かと話したくなるときだって訪れるんじゃないかな……とか思う」
「ん……そうかな」
「そうだよ」
白のワンボックスにくっついていたおじさんだってそうだったと思う。……まあ、リーネアさんが話を聞くとは思えないが。
「たぶん」
「……そうね」
目的地に到着した電車から降りて、改札を目指す。
「お前地下鉄乗れたんだな」
「悪い? あたしも一応学校に通ってたんだからね」
「そういや戸籍とかどうしてたんだ?」
無粋な質問かもしれないが、気になっていた。
「座敷童のエピソードに『気づいたら子どもの数が多い』ってのがあるわ。それね」
あっけらかんと『中途半端な座敷童でもやってみるもんね』と言い放つ。
「……凄いな」
「でも、もう通じなくなった。これからどうしよう……ってとこで翰川先生が助けてくれた。……あの人凄いのね」
そこは同感だ。
「コウが尊敬するのもわかった。ごめん」
「おう。なんで謝る?」
「何でもないわよ」
ICカードを改札にかざして通る。
佳奈子は迷いなく俺を先導していく。
「出口、こっちの方が近いみたい」
「あいよ」
――*――
「先生の世界で花火ってありました?」
「あるよ。ただな……破裂音に合わせて銃撃事件が乱発するから、やってる地域が非戦闘区域しか」
「……切ないね」
リーネア先生の異世界は、やはり硝煙の香りがする。
「だよなあ。大体、頭上の破裂音と地上の銃声じゃ音が違うのに、何を大騒ぎしてんだか……」
「そっち?」
「聞き分けられるのは慣れた人だけだよ、リーネア」
私が押している車椅子から、翰川先生が声を発する。
本日の彼女は白地に赤金魚の浴衣姿。とっても可愛い。
ショッピングモールで、夫であるミズリさんが彼女にと選んでいた。
「……自分の髪色選ぶあたり……」
「ひぞれは俺の妻だよ。何も問題はないさ」
「はいはい」
ミズリさんとリーネア先生は普段着で、私はなぜかミズリさんに買って頂いた浴衣を着ている。申し訳ない限りだ。
「京、キミも浴衣だろう。押しているのも疲れるんじゃないか?」
「いえ。私、今日は凄く元気なんです。調子いいんですから、ぜひ押させてください!」
「疲れたら交代するから、京ちゃんも無理しないでね」
「あ、はい……」
ミズリさんの美貌は異種族らしさが全開で、非現実感すら覚えるほど美しい。
緊張していると、ふっと笑って私を見やる。
「京ちゃん、浴衣似合ってるよ」
「そうだな。キミには黄色とオレンジがよく似合う」
美男美女のご夫妻から褒められて恐縮してしまう。
「えっ、あ……ありがとうございます。すみません、買ってもらうなんて……!」
「いいんだよ。可愛い女の子が浴衣を着ていると華やかだからね」
「リーネアがお世話になっている。そのお礼だ」
「そんな。世話になってるのは私の方で……」
何もかも教わってばかりだ。
「そうだな」
「ふえ?」
先生は私の頭を撫でて静かに言う。
「教わってばかりだ。……ありがとな」
「…………」
固まった私の傍で、仲睦まじいご夫婦が何やら話している。
「……出鼻を挫いて真っ赤にさせるとは、さすがリーネア」
「何であれで恋人居ないんだろうね?」
「気になる女性が出来るたびに撃ち殺しているとの自己申告だ」
「何で!?」
――*――
市の公共墓地と言えど、さすがにすべての墓に手が行き届く訳でもないようで。
佳奈子のものだという墓石は、ところどころに泥と苔がこびりついていた。
「……掃除するぞ、佳奈子」
「え、いいじゃない。このままでも」
「俺が嫌だよ」
本人が隣に立っていても、嫌なものは嫌なのだ。
「……ごめん、ただのわがまま。待っててくれ」
「そんな言い方しないで。……ごめん、掃除するって考えが浮かばなかった……」
「お前……」
自分の墓に対して。
「だって……仕方ないじゃない。おばあちゃん、自分の息子夫婦が海外にいるつもりだったから、お墓参りなんて……」
お墓参り初心者か。
「手順わかる?」
「ググってきたわ」
幽霊のくせにデジタルを使いこなすとは現代っ子だな。
「……地域柄とか、その霊園ごとのルールとかあるからさ。看板見ようぜ」
「そ、そうね」
事務所傍の看板を読み、俺の知る規則と変わらないのを確認する。
職員さんに挨拶をし、苔をこすって落とすためのブラシとバケツをお借りした。
本人の自己申告を信ずるならば、30年以上放置されていた墓石というやつは、なかなか頑固な苔つきで。2人して悪戦苦闘しているうちに、気づいた職員さんがやってきて墓石専用の洗剤を分けて下さった。
「軍手で取れるところまで取ってから、どうしても取り切れないところに洗剤をかけて。優しくこするといいですよ」
「すみません、ありがとうございます!」
「いやあ……まさか、一番古いお墓だと思わなくて……」
「あー……そうなんですね……用意が悪くて」
「いえいえ。若い方がこうしてくるだなんて、立派な心掛けですよ」
「ほんとにありがとうございます。こんな洗剤あるんですね」
「墓石も石ですからねー……普通の洗剤だと染みが出ることもあって」
「石って染みるんですか」
「水だと乾けば元通りですが、洗剤は薬剤ですから、化学反応が起こるときもありますよ」
「へえ……」
二言三言交わしてから、職員さんが『頑張ってください』と言って事務所に戻っていく。なんだかんだで洗剤の使い方など実践してくれて、いい人である。
「……あのひと、嫌い……」
「はあ? お前な、あんないい人――」
「あのひと魔法使いよ。……ルピネさんより劣るけど……死霊使いみたいな」
「…………」
普段ならば一笑に附したが、座敷童寸前の佳奈子が言うと真を突いている気がして、うすら寒さを振り切れなかった。
「……でもいいわ。もう、何もしない、はず」
20代の男性に見えた職員さんは何者なのか?
考えたところで分からない。
諦めて墓に向き直る。
「佳奈子。軽く水で流して……あとは花とお供え出そう」
「……そうね」
苔の生命力を甘く見ていたせいで夕方だ。
泡を落とすと墓石の地がよく見える。
「こんな色してたっけ」
「おい」
擦り傷や経年劣化でぼやけてはいるが、他の墓と変わらぬ灰色だ。
「見に来れるわけないでしょ」
佳奈子はすんと鼻を鳴らして、俺を振り向く。
「…………ねえ、自分で自分の墓にお供えするのってどう思う?」
「今更だな!」
墓参りしようって言ったの佳奈子だろ。
「こ、来られたのは嬉しいし、その……うう。だって」
「だって……何だよ?」
「確かにね、あたしは、自分が警察に――むぐ!」
「大声で叫ぶな……!」
咄嗟に佳奈子の口をスポドリのボトルでふさぐ。
佳奈子はんぐんぐと飲み干してから、不服そうな顔をした。
「自分が運ばれて……行き先話し合ってるところまでは見たの。でも、場所が決まってから、見に行く勇気もなくて……ずっとこのまま」
その気持ちたるや、想像を絶するものがある。
「でも! なんか、直面すると変じゃないかなあって思ったのよ。……あんたも考えてみてよ。あたしいま自分でお供え持ってきたけど、自分のお墓に供えるの? これを? ここで自分で食べたいくらいよ」
佳奈子の好物といえばハンバーガーや駄菓子類だが、さすがにそれはどうかと本人もわかっているらしく、彼女はバームクーヘン入りの袋を提げている。
「……」
佳奈子に言ってなかったが、俺はこっそりと墓の主本人の好物を用意してきている。つまり彼女自身の好物でもあり……ってなんだこの状況。
ちょっと気持ちが分かった。
「…………。よし、佳奈子。実はな、キツネだとかの動物とかハチとハエみたいな虫だとか湧くかもしれないからな。お供え置いて、手を合わせたら、お供えは回収するんだ」
「っ……そうなの?」
「そうなのだぞ。飲み物ならまた違うみたいだけど、今回はお菓子だから。複雑な気持ちはおいといて、お供えしよう」
「わかったわ。あとで食べればいいんだもんね」
いまにもじゅるりとよだれを垂らしそうだ。
「……お前へのお供えだからいいと思う」
お供えの台を拭いて、持ってきていた大きめの紙皿を敷く。ミニバームクーヘンと、3種味取り揃えのマドレーヌを並べた。
「! ほ、褒めてつかわすわ、コウ!」
「キャラぶれてますよ佳奈子さん」
お前はどこの女王だ。
「とにかく、お参りだ。お参り」
「……うん」
手を合わせて目を閉じる。
なんて念じればいいかわからなかったので、隣の佳奈子に向かって一緒に居られるように祈っておいた。
「んっ。よし!」
佳奈子はむんと胸を張り、バッグにお菓子を回収し始めた。
俺も倣って箱にマドレーヌを戻し、リュックに入れる。
「コウ、行くわよ」
「行くわよって、どこに?」
佳奈子の小さな手は、墓場左手側に建つひっそりした神社を指し示している。
「神社にお参りしなさいって、ルピネさんが言ってたの」
「…………あの石段登んの?」
丘の斜面に立っているお蔭で段数はかなりのものだ。
陸上部時代のトレーニングを思い出せば平気だが、佳奈子は……
「あんたがおぶってくれるから平気よ」
「無理だわ」
人一人おぶって登るなんてできない。
「冗談」
佳奈子はたんとんとスニーカーの調子を確かめるように足踏みし、神社の方へと駆け足する。
「行きましょ。時間ないから!」
「へっ、時間?」
「いいから早く早く!」
「……わかった!」
大して見たことはないが、佳奈子はやはり足が遅い。
しかしバランス感覚――というか、重心の移動の上手さは凄まじく、割と急な階段をひょいひょいと登っていく。階段に足をかけた瞬間に加速しているようにも見えて、面白い光景だ。
あいつ、こんなことも出来たんだ。
俺も軽く足踏みして階段を駆け上る。
「はっ、ふっ、」
楽しい。
ここ最近は朝のジョギングくらいしかしていないから、こんなに勾配のある場所を走ってなんていなかった。
インドアな佳奈子と外で遊んでいるのが嬉しい。
最後には競争のようにして、息せき切って頂上に辿り着いた。
「……っはー……うー、走ったぁ」
「佳奈子、水分」
「ありがと」
しばしの休息である。
「お参りしろってんならしよう。佳奈子、小銭ある?」
「一応。こういうときって何円がいいの?」
「『ご縁がありますように』で5円とか、1が強い数字だからって11円だとか……でもま、自分がいいと思うの入れればいんじゃね?」
「……ふ、ふーん」
佳奈子は自身の財布から小銭を出して、隠すように賽銭箱に入れた。
「?」
よくわからなかったが、俺も追って財布の小銭を漁る。
5円でいっか。合格云々だって大学との“ご縁”だしな。
「! ……」
「二礼二拍手一礼! だな」
ほれほれと佳奈子を引っ張り寄せて、鈴を鳴らす。
鈴から繋がって垂れる紅白の縄は、年月を感じさせる触り心地だ。
がらんがらん、と大きな音が鳴り響く。
「これ、なんて名前なの?」
「鈴はそのまんまでもいいらしいけど」
以前読んだ小説で出てきたのを思い出す。
「鈴の正式な名前は本坪鈴。このぶっとい縄は鈴緒。鼻緒とおんなじな」
「へえー。あたしも鳴らしていい?」
「止めはしないけど……背届くの?」
「子ども扱いしないでくれる!?」
鈴緒はそれなりの高さを掴めないと鈴が上手く鳴らない。背が小さい子供などは親御さんと一緒に鳴らすことが多いと思う。
重さにつんのめった佳奈子が縄に振り回されている。
これは身長の問題というより……古さゆえの重さを考えていなかったから勢い余ったのかな。予想を裏切らない佳奈子が愛おしい。
「なに感心して見てるの……」
「いや……可愛いなって」
なんか小動物っぽい。さすが座敷童。
「っっっっ」
とりあえず縄を掴んで体勢を戻してやり、二人で本殿に向き直る。
2回お辞儀し、2回の拍手。そしてもう1回お辞儀。
(佳奈子たちを見守って下さってありがとうございます)
西洋なんだか東洋なんだかわかりづらい龍のオブジェにも、感謝の念を送っておいた。
「よっし。帰るか」
「か、帰らない! まだだめ!」
「ん?」
リュックを背負って戻ろうとしたら、佳奈子に引き留められた。
「どした?」
「あとちょっと」
身長の低い佳奈子は自然と上目遣いになる。野良猫がおねだりしてきているようで、なんとも目を逸らしがたい。
「つっても、バスの時間が」
「まだ最終便が残ってるでしょ。だいじょうぶ」
「……?」
「もうすぐ――」
ぱぁん! と、音が響いた。
音源を振り向けば、夕闇に変わり始めた空に花火が咲いていた。
一発、二発、三発。
大小も色合いもさまざまな花弁が咲き誇る。
「……綺麗」
佳奈子がぽつりと呟いたセリフに、半分無意識で頷く。
神社の中で不謹慎かもしれないが――特等席だ。
「ルピネさん、これのこと言ってたのか?」
「うん。『よく見えるだろう』って」
「そっか……すごいな」
石段に腰掛けて、花火を見つめる。
まともに遠出も出来なくなり、人ごみも避けるようになった俺は、花火大会など行ったことがない。窓から眺めても寂しくて……いつしか忘れていた。
「……」
ぼうっと眺めていると、ここ最近で胸に去来していた郷愁の正体を掴めたので、佳奈子に報告することにする。
「俺さ」
「なあに?」
それこそ、俺に“呪い”がかかる秋より前まで。
「お前と花火見に行くつもりだったんだよ」
「ふぇっ」
「近所の奴ら誘ってさ」
「…………」
「山口とか高田とか居たじゃん」
「そうよね……あんたはそういう奴よね……」
「そいつらと遊びに行く計画を立てて」
内弁慶な佳奈子も誘って。
トシ子ちゃん……紫織ちゃんも誘ったが、断られてしまった。
「乗り方習ったばっかの地下鉄使って冒険して……」
そうだ。
やっぱり俺は、いつしか忘れていた。
高校生の今でこそ、俺も周りも他人の事情を考えられるようになっていたから。みんなが俺を受け入れてくれた。
小学生には難しい要求で――
「…………」
「コウ?」
「……いやさ」
素直に、思ったことを口に出す。
「お前とここに来られて、よかったなって」
「へうぁっ……!?」
俺はいつぶっ倒れるかわからない身で、友達付き合いするには厄介な子どもだった。
思えば、小学校時代の俺を知りながらも、離れず根気よく友達をしてくれたのは佳奈子だけだ。札幌のあのアパートに引っ越してきてからずっと、佳奈子は俺の傍にいてくれた。
「ぁ、ああ、うん。そ、そうね」
「シュレミアさんが俺のこと幸運だって言ってたけど、ほんとだったわ」
「……」
「ありがとな、佳奈子」
「……どういたしまして……」
か細い声で佳奈子が答えた。
「どした?」
「なんでもない。……それより、花火見ましょ」
「おう」
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