6. 発射

不意打ちで優しい少年と意地っ張りな少女

 紫織ちゃんの家は俺の住まうアパートからそれなりに近い。自転車を飛ばして戻れば、佳奈子が自分の部屋の前で待ち構えているのが見えた。

「コウ、お帰り」

「ただいま。……『引っ越し手伝い』ってなんだよ」

 佳奈子が居なくなるのかと思って駆け戻った。

「違うわよ。説明するから、入って」

 女の子の部屋イベント、再び。

 まさか『散らかってるから駄目』で断られ続けた佳奈子の部屋に入れるとは感無量である。

「……なんか、微妙に……あんたから女の子扱いされてない気がするのよね」

「? なんか言った?」

「何も」

 がちゃりと扉が開く。


 大量のおもちゃと子供服が目に飛び込んできた。


「~~~~……」

 想像以上の光景に、飛び出そうになった叫び声を飲み込む。

 一つ一つであれば微笑ましいはずの乳幼児向けの玩具。それが8畳のリビングに敷き詰められているとなれば圧巻……否、いっそ不気味であった。

「……なるわよね。見せたの初めてだもん」

 佳奈子の方はと言えば、いつものことであるかのように、平然として俺を眺めている。

 むしろ俺の反応を見て驚いているようにも見えた。

「え、これ。……これは」

「おばあちゃんが、あたしじゃない“佳奈子”のために集めたもの。……あたしが16年前にここに来るまでに集めてたもの」

 シュレミアさんが透視したというのはこれのことだったらしい。

 確かに、これを見れば違和感を抱いて当然だ。

「詮索はしないでね」

「……しないよ。で、俺は何をしたらいい?」

 俺が言うと、佳奈子が驚いてから小さく微笑む。

「あたしね、シェルさんとルピネさんに手伝ってもらって……存在維持を安定させる練習してるの」

 えっ、なんでお前シュレミアさんのこと『シェルさん』呼びなの。なんでそんな気さくなの。

「あ、まだシェルさんには会ったことないんだけど。翰川先生が凄く優しい人だっていうから」

 佳奈子、翰川先生の人物評価は信じない方がいいぞ。俺が保証する。

「その副作用で……何にもないこの部屋で暮らせてたのが駄目になって……」

「いいことだろ」

「え」

「もしばあちゃんが気付いてたら、お前のこときっと心配してたよ。何にもないんだから」

 そう。何もない。

 辛うじて家具と呼べるものは、子ども用のままごとセットくらいだ。それでさえ、椅子もテーブルも大人が使えるサイズじゃない。

「俺も嫌だよ」

 佳奈子は少し顔を俯けた。

「……じゃあ、このおもちゃ、段ボールに詰めるの手伝って」

「大切にしなきゃだな」

「うん……」

 しばらく、2人で玩具の仕分けをする。

 分解して畳めるおもちゃは丁寧に崩し、小物類は佳奈子が用意していた100均の布ポーチに入れて分類。ホコリが酷いものはハタキで落とす。

 床の端にまとめたところで一気に掃除機。佳奈子が改造した掃除機は、やたら元気にホコリを吸っている。

「お前これ、紙パック? 恐ろしく吸うな……」

「でしょ? 超昔の日本産だけど、まだまだ現役なんだから」

「昔って、何年前よ?」

「おばあちゃんが高校生くらいの時に買ったやつ。あたしが解体して、あちこち総とっかえしたのよ」

 ふふん、と自慢げな佳奈子。こいつ家電メーカーに就職した方がいいんじゃないか?

「そらすげーわ」

 三桁を優に超える玩具を箱にまとめ終えたころには、昼ご飯の頃になっていた。

 段ボールは中くらいのものが5つ。大きなものにまとめればいいと思ったが、それだと佳奈子とばあちゃんには持ちにくいのだという。

「よっと。……どこしまう?」

「あんたの家で、あんたの部屋になってるとこ」

「一番広い部屋だろ。いいのか?」

「開けたらわかるわ」

 まさかまた玩具?

 そう思って開いた部屋には、写真立てとアルバムが置かれていた。

「……。ああ、そっか」

 ばあちゃんの息子夫婦とその娘さんが、たくさんの写真に映っている。

「これは、元々の“佳奈子”の思い出だもの。うちのアパート、これでも家族向けだから。一部屋使わなくたって、あと二部屋あるわ」

「だな」

 往復して段ボールを運んでいるうち――家具はないなりに――少しはリビングらしい光景になった。

「家具はどうすんだ?」

「ルピネさんが伝手で家具譲ってくれるって言うから、運んでくれるのを待つ。……手伝ってくれてありがとね、コウ」

「いいよ。暇してたし」

「……シュレミアさんって本当にすごいのね」

「?」

 なぜここでシュレミアさんの名が?

 あ、そっか。シェルさんとシュレミアさんの名前が一致していないということは別人だと思っているのか。

 佳奈子はさりげなく手に持っていたスマホを俺に見せつけ、ボイスレコーダーの再生ボタンを押した。『いいよ。暇してたし』という俺の言葉がリピートされる。

「んん?」

「『光太は謙遜だろうと社交辞令だろうと「暇」と言いますので、言質は取りやすいかと』ってアドバイスくれたの」

「……あのう、佳奈子さん?」

「ということでこれからあんたの時間はあたしのものです。大人しくあたしと遠出して」

「どゆこと⁉」

 今日こそは翰川先生に数学を教わる予定だったのに!

「うっさいわね、あんた翰川先生のこと好き過ぎなのよ!」

「お前と同じくらい好きで尊敬してるけど!」

「えふぅ⁉」

「そんなまどろっこしいことしなくたって、お前の頼みなら聞くから普通に言え!」

「……………………あぅ」



  ――*――

「……父上、佳奈子にわざわざメールで何のアドバイスを?」

「無駄な方策をとるよりは一歩踏み出した方が早い。せめてもの情けに、光太に対して有利を取る形で切り出せるようにしてあげた」

「教え子をいじめるな」

「わかっている。なので、あとは佳奈子が調子に乗りやすいかどうかで展開が決まるし、俺の関知するところではない」

「あれだな。父上は恋する乙女にも鬼畜だな……」

「その通りだ」

「それもそうか」



  ――*――

「……あたしね。死んだときからのことしか覚えてないの」

 佳奈子はもじもじしながらも、俺を見上げて不安そうにする。

「だから……あたしのお墓、一緒に来て」

「墓あるのか」

「なに驚いてるのよ。……死んでるんだから、あるに決まってるじゃない」

「でもお前、家族のこと覚えてないって……」

「自分の体が運ばれてくの追いかけたら、わかるわよ」

 あまりに重たい事実に、息が詰まる。

「……ああ、うん……でもさ」

 自分の遺体を眺めていたという彼女の気持ちは、到底推し量れるものではない。俺なんかが推し量っていいものじゃない。

「大丈夫なのか?」

「?」

「無理して言ってるんならやめろよ? お前、泣き虫だから」

「……」

 佳奈子はすんと鼻を鳴らし、強気に笑う。

「言っておくけど。あたし、あんたよりずっと年上だから。これくらい屁でもないわよ」

「…………。リアルロリババア?」

 山姥キャラや仙人キャラでよくあるやつだ。

「死ねっ」

「おぐふ!」

 腹にパンチが入った。

 ……なんか、近頃の俺の頭上には不運の星が輝いている気がしてならない。ほかならぬ幸運を運ぶ座敷童からの攻撃とか、不吉過ぎる。

「あたしはあんたと同い年よ」

「さっきと矛盾してませんか佳奈子さん」

 佳奈子が二撃目を構える。

 力は強くないのだが、力加減を知らない(あと急所の位置も知らない)せいで、地味にいいところにいい感じのパンチが入るのだ。

 両手を挙げて降参のポーズをすると、拳をしまう。

「あたしには記憶がないんだもの。……彷徨ってたとき、あたしはずっと一人だった。人って死ぬと時間が停まるのよ。それがたった一人ならなおさら」

 強気な口調に反して、彼女は少しだけ泣き出しそうだった。

 それでも、笑って涙を振り切ってみせるのが佳奈子の強さなのかもしれない。

「だから、おばあちゃんとの思い出とか、あ……あんたとの学校生活とかすごく楽しかったわ。嬉しかった」

「……」

「死んだはずの自分がいることに後ろめたくもあったけど! 今は平気なの」

 ああ、なんだかすごく嬉しい。

 昔からずっと一緒にいた佳奈子と踏み込んだ話をしているから、大人になった気がして嬉しくて――どこか懐かしい。

「平気にしてくれたの、コウとルピネさんよ」

「佳奈子……」

「あ、コウが3割でルピネさん7割だから、そこは勘違いしないでほしんだけど」

「しんみり感動してた俺の気持ち返してくれ」

 上げられたと思えば落とされることには半ば予想がついていた。

 定期的にディスられなければ会話も許されないのか、俺は。

「でね。こんなこと頼むのも、どうかと思うけど」

「スルーですか佳奈子さん」

「あんたいちいちうっさいわね」

 理不尽だなこの女。だが、それでこそ佳奈子。

「あたしはずっと目を背けてたの。今度こそ向き合いたい。……ひとりじゃ勇気が出ないから。一緒に来てくれる?」

 俺の手を握って祈るように呟く。

「お願い……」

「……」

 こいつの『お願い』を断れた試しがない。

「あいよ」

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