5. 着火

夕暮れかくれんぼ

 かつて『森山とかくれんぼやりたくない』と地味に傷つくことを言われてきた俺である。


 半笑いで舌を出しながら言われていたので、冗談であることはわかっていた。

 そのあとにほぼ全員が手のひら返したからな。

 今思い返すと、あれは正直いじめスレスレだったと思う。俺が通りかかるとニヤニヤしたりとか、さりげなく掃除当番押し付けられたりとか。

 あれを見れば本物の悪意との区別はつく。


 つまり俺は、かくれんぼの鬼役が本当に得意だということである。

「佳奈子ぉ――――――‼」

 怒りに任せて名を叫び散らしつつ、パイプの遊具を片っ端から確認していく。

 俺を見ている小学生、俺みたいになるなよ。あと5時半過ぎてるからちゃんと帰れ。

 名前を叫びながら探すのは禁じ手中の禁じ手。


 しかし、一定の効果はある。

 例えば――夜の時間が差し迫っているときだとか。


「あんたうっさいのよっ、コウ‼」

 久しぶりに見る佳奈子が、遊具の高い屋根とパイプの隙間から飛び降りてきた。

 危なげなく俺の目の前に着地する。

「おおっ……!?」

「あたしが、どんだけ……心臓止まるかと……ふざっけん、げほっ……」

 かなり混乱しているようで、怒鳴りつけようとしたら咽てしまったようだ。

「……落ち着け、佳奈子」

「っえふ……くふぅ」

 せき込む佳奈子に天然水のペットボトルを渡すと、ぐいぐいと飲んでいく。

 500mlを半分ほど減らしたところで、佳奈子が改めて怒鳴る。

「なんで、来るのよ……」

 ……怒鳴るかと思っていたのに、佳奈子はぼろぼろと涙を流し始めた。

「うぉ……」

「あたしもう、終わりだって……捕まるって思ったのに……」

「捕まるって誰に?」

「わかんない……太鼓叩いてる白頭巾」

「……」

 玄武さん――

「なによそのリアクション! いつもみたいに大げさに驚きなさいよ!」

 ぎゃんぎゃんと泣きわめく佳奈子は小型犬を想起させる見た目だ。

「……いや……ごめん。え、それ、神様? 神様じゃないよな?」

「知らないわよばかぁ……」

 あの人大丈夫なのか? 神様ぶっ殺したらまずいんじゃ?

「怖かった、のに。コウが、来るから……」

「……」

 佳奈子は小さくて気が強いが、それでも女の子だ。

 たった1人で飛び出して、得体の知れない怪物に追いかけられていたとなれば、怖くないはずがない。

「泣くなよ。……帰ろう」

「……やだ……」

「……おい」

「だって、もう……家に居ても、足が透けるんだもん……」

「…………」

 思わず彼女の足を見るが、透けていない。

「いまはコウが居てあたしを見てるから。でも、もう駄目なの。……幽霊になっちゃったら終わり……」

「……じゃあずっと見ててやる」

「っ」

 佳奈子を指さして告げる。

「お前がばあちゃんとこに戻るまで見ててやる。俺の隣の家に帰るまで‼」

「なんっ、なんで。あんたに、関係ないでしょ!?」

「大ありだこのアホ! 俺がっ、どんだけお前を心配してたと……!」

「……あんたにはもう、翰川先生がいるでしょ! あたし…………あたしは、おばあちゃん……おばあちゃんのこと、」

「うんそうだな。お前はばあちゃんを騙してたんだよな。知ってる」

 人から聞いただけだが知っている。

「‼」

 佳奈子が目を見開く。

「知ってるならなんで迎えに来るのよ⁉︎」

「迎えに来られずにいらいでか‼」

「ぴゃっ」

 会えなくなってから初めて気づいた。


「俺はお前のことが大好きなんだよ‼」

「‼‼‼」


「一日一回はお前とあいさつしなきゃ寂しいし、三日にいっぺんはお前とゲームしたいわ!」

 翰川先生とゲームをするのも楽しかったが、佳奈子ともゲームがしたかった。だから誘ったというのに、内弁慶なこいつは乗っかってくれなかった。

 人見知りも大概にしてくれ。

「……」

「大体、偽物だからってなんだよ!」

 いい加減に俺も我慢の限界だ。

「打算だけでばあちゃん騙してたって言うなら、そんな泣きそうな顔すんじゃねーよ‼」

「――」

 こいつは、何をぐだぐだ悩んでんだ。

「お前は自分がかわいくてばあちゃんの手伝いしてたのか? 参観日に来てくれたばあちゃんに向かって笑ってたのは演技か? 俺に『母の日にプレゼントしたら変かな』なんて聞いてきたのは嘘の補強か⁉︎」

「ち、が……あたし、おばあちゃん、騙して……」

「んな訳ねーだろ! 幼馴染の俺でさえこきおろしていじって遊ぶお前が、ただの保身であんなに他人気遣えるか⁉︎」

 その思い出は――間違いなく本物なのに。

「……あ……」

「最初は嘘だったのかもしれないけど。もうずっと一緒なんだろ⁉︎ それで情が湧かないってんなら、いっそ尊敬するよ! そんなに器用だったのかってな‼」

 俺は怒りを叩きつけ、折り畳み自転車をバッグから引っ張り出して展開する。

「ばあちゃんとこ連れてく。お前が何を思ってどうしてたのかなんて知らないけど連れてくぞ!」

「ふたり乗り、したら、交通法違反……」

 ことあるごとに違反させようとしてきたくせに、いまさら何を言う。

「……いいよもう、罰金だってなんだって払ってやる。だから乗れよ。ばあちゃんとこ行くぞ」

「……」

 自転車の荷台から、荷物を固定する網を外して佳奈子に言う。

 立ちすくんだままの彼女に再び叫ぶ。

「ばあちゃんは、お前を心配して倒れて入院してんだよ! お前の気持ちなんて知らないけど、その想いくらい汲んでくれ‼」

「……っ~~」

 佳奈子は顔を手で乱暴に拭って、俺にくっついた。

 俺はサドルに腰かけ、佳奈子の小柄な体を引っ張り上げる。

「よし。行くぞ!」

 彼女は固まっていたが、さすがのバランス感覚で自身の胴体を安定させている。

 これなら振り落とすことはないだろう。



  ――*――

「なかなか男じゃないか、光太」

 町中の監視カメラを介して見ていたひーちゃんが笑い、パソコンを開く。

 彼女を膝に乗せるミズリは彼女のディープブルーの髪を指で梳いて楽しんでいた。

「そうだね。……どうする? このままだと、交差点のカメラにひっかかって罰金だ」

「わかっている」


 瞳に、火花が瞬く。

「――力を貸してやろう」


 コードが膨れ上がり、パソコンを介して監視カメラのネットワークに入り込む。

 セキュリティなど彼女の頭脳の前では数字の塊。

 容易くすり抜けてサーバへと到達する。

「どうかな、ひぞれ」

「問題ない。このシステムはかつて僕が考えた形式だ。コードで強制操作しなくても、普通のクラックで十全に乗っ取れる」

「製作者が悪用するなんて世も末だ」

 私もそう思うが、今回ばかりは目をつぶってあげてほしい。佳奈子が光太を選んだ理由はとてもわかりやすいのだから。

 ……ほかならぬ光太は気付いていないのだろうがな。

「光太は罪な男だ」

「魔術学府でモッテモテだった姉さんが言うんですかい?」

 玄武の反応がなぜか芳しくない。

「?」

「いや……いいんだけどよ。知らんでいいけど。……ご兄弟とご両親の裏工作がね……」

「何を言う、玄武。私より姉上や妹の方が可憐で美しいぞ」

「柱圧し折る姉さん方と柱ぶった切る妹さんと比べるのは……」

「ふふふ。私の姉妹はお転婆だからな」

「身内フィルターって怖いなあ」

 この玄武はローザライマ家で育てられている。私たちにとって弟のようなもの。

「そうだな。お前もいつまでも可愛らしい弟だ」

「……どうも」

「いつ花嫁を迎えるのかと心配している」

「ぼっふぇ」

 日本酒を噴き出しかけた。

「どうした、玄武。お前が東京で父上の同僚と良い感じになっているのは聞いているぞ」

「……誰から?」

「他ならぬ父上と、リーネアの父君からの情報だ」

「我らが漁火いさりび愛良あいらだな! 彼女もまんざらでもないぞ!」

「ひーちゃん‼ 言わないでいいから!」

 データ改竄やら何やらが終わったのか、ひーちゃんがミズリの膝上ではしゃいだ。ああ、可愛い。

「寛光文学部の姫様だね」

「ちょ、ミズリさん、乗らんで下さい……」

 賑やかしい夜は更けていく。



  ――*――

「っ……はあ……」

 病院に辿り着き、自転車を停める。

 佳奈子がぴょこんと降りて、俺を心配そうに見上げる。

「こ、コウ……大丈夫?」

「大丈夫だっての」

 軽口を叩いたが、佳奈子の体が小さいからと言って、人ひとりの重さを自転車に乗せて漕ぐのは足にくる。

 だが、それこそが佳奈子が存在している証だ。

 幽霊でも座敷童でもない彼女は、俺の後ろに重さをもって在った。

「ばあちゃんとこ、行ってこい。……受付で名前言ったら見舞許可出してくれる」

「……うん」

「迷子になるなよ」

「ならないわよ、ばーか……」

 声からしてすでに泣きそうで不安だ。ついていってやりたくなるが……ばあちゃんと話すのは佳奈子だけであるべきだ。

「待ってるからな。ちゃんと帰って来いよ」

「…………うん……」



  ――*――

 足が透けることを危惧して、看護師さんに案内を頼む。

 看護師さんは、『VRによって矢印やマークで案内してくれるのに物珍しい』と思っているだろうけど、夜に近いこともあってか迷惑そうな顔はされなかった。

 ……コウがいつの間にか大人になってて凄くびっくりした。

 昔は怖い番組があるたびあたしの後ろに隠れてたくせに。

「ここですよ」

「……ありがとう、ございます」

 感覚を取り戻した足が震えている。電動の扉は、許可証を翳すだけで開く。

「…………」

 おばあちゃんがあたしを見て笑う。

 今にも泣きだしそうな顔をしてあたしを見ている。

「…………ごめん、なさい」

「どこ行ってたの。ばあちゃん心配したのよ?」

「……」

 言葉が出ない。

 固まってしまう。

 言い出しておばあちゃんがまた倒れたら、どうしよう。

「……佳奈子ちゃん?」

「…………ぁ、う」

 もう泣きそう。


 思ったことを言えるコウが羨ましい。あれはあれで強さなんだって今わかった。

 翰川先生が来たばかりの時に、あいつの怒鳴り声が聞こえてびっくりした。

 あたしでさえ、いつもへらへらしているあいつが大声出したところを見たのは、数えるほど。……今日のもそうだ。

 でも、いまのあいつは翰川先生に家庭教師を頼んでいる。

 酷いことを言ったあとに、きちんと謝って仲直りできることだって、誰にもできることじゃない。

 大人になればなおさらだ。


「……」

 あたしも……ちゃんと謝りたい。

 卑怯者の私を許してくれるかはわからない。

「おばあちゃん」

「……どうしたの、佳奈子ちゃん」

 だからって、何も言わないで黙っているのはもっと卑怯だ。

「あた、し」

 何か伝えようとしているのを察したおばあちゃんは、あたしをじっと見返している。

「……」

 時計の秒針が何度回っただろう。

 ようやく、口を開けた。

「あたしね。……あたし、本当は」

「うん」

「本当は、あなたの、孫じゃないの……」

「…………」

 顔を見られない。

「偽物、なの。……あなたの孫になり替わった他人――」

「佳奈子ちゃんは、ばあちゃんの孫よ。誰だろうと、可愛い孫娘」

「――‼」

 おばあちゃんは、気づいていた。

 いつから?

 彼女が息子夫婦と孫を失ったのは30年前だ。

 若くして息子を授かり、女手一つで手塩にかけて育て――あっけなく失った。

 彼女は、息子家族が暮らすはずだった部屋――いまのあたしの部屋に、いくつもの子供のおもちゃを並べてランドセルと勉強机を揃えていた。

 さまよっていたあたしは、部屋の中で見えない孫に話しかける彼女を利用した。

 あたしに生前の記憶はほとんどなかった。

 幽霊になってからの方が長くて。

 消えたくないと思った。

 だから、彼女の孫に成り代わった。

 ――成り代わって欲が出て、座敷童になろうとした。

「……ばあちゃんね。実家の親が遺してくれたこのアパートを預かって、大家さんになったのよ。大変なこともあったけど、住民の皆さん良い人だった。……物事を真っすぐ見られなくなったばあちゃんは、その人たち怖がらせちゃったの」

「……」

 ありったけのおもちゃと子供服。

 生活感のない部屋で、彼女はずっと孫と遊んでは話しかけていた。

 そこに孫娘の幽霊は居ないのに。

「でも。いつしか、気づいたら佳奈子ちゃんがいたわ。本当に、孫娘が蘇って生きている気がして……本当は死んでいたはずなのにってわかったときには。あなたのこと大好きだった」

「……ん……」

 おばあちゃんの手は、骨ばって堅くてがさがさしている。

 大家として、アパートのみんなのおばあちゃんとして働き続けたその証明は、卑怯者な幽霊もどきのあたしの手より暖かい。

 撫でられると、何も言えなくなってしまう。

「……夢の続きを見せてくれて、ありがとうね」

「……っ……ご、めん……あたし、そんなに、綺麗な人じゃない。あたしは消えるのが怖くて、あなたの思い出に入り込んだだけ。それだけなの……‼」

「わかってるの。でももう、ずうっと一緒にいるわ。食べさせたかったお料理を喜んで食べてくれた。着せてやりたかったお洋服も着てくれたでしょう?」

「だって、それは、あたしじゃなくて……“佳奈子”にすることでしょ……? あたしは偽物だった。あなたを騙していただけだった‼」

「困ったねえ。……ばあちゃんが喜んだ気持ちは、偽物じゃないのにねえ」

「っ……!」

「……女の子がそんな顔して泣かないの。お顔拭きなさいね」

 おばあちゃんはタオルを手に取って、あたしの顔を拭いてくれる。

「……」

 コウと喧嘩して、消え去ってしまう恐怖で泣きわめくあたしを抱きしめてくれたことを思いだす。

 打算で始めた演技はいつしか必要がなくなった。

 あたしは、おばあちゃんの孫娘として、アパートの帳簿管理を手伝ったり大掃除に住民にけしかけて働かせたり、たくさんのことをした。

 その思い出は――偽物じゃなかった。

 おばあちゃんもそうだと思ってくれるなら、これほど嬉しいことはない。

「……おばあちゃん」

「なあに? 佳奈子ちゃん」

「おばあちゃんのこと、あたしも好きよ」

「……まあ。ほんとう?」

「ほんとう。……ほんとに。好き」

 タオルを受け取って、ぐしぐしと目を拭う。

「……だから。あなたの、孫で居させて……」

「……」

「何言っても信じてもらえないかもしれない。でも、あたしが消えたくないからじゃなくて、ずっと……こうして……」

 言葉に詰まる。

 訳が分からなくて、消えてしまいそう。

「……佳奈子ちゃん。言ったでしょう?」

 おばあちゃんはあたしの手を握って、優しい声で言う。

「佳奈子ちゃんはばあちゃんの自慢の孫娘。……たとえ佳奈子ちゃん自身から断られたって変わらないわ」

 あたしはそれきり、訳の分からない感情のまま、大泣きしておばあちゃんに縋りついた。

 こんなに泣いたのは、コウと昔大喧嘩した時以来だ。

「止め方、わかんないぃ……」

「わかったら変ねえ」

「ぅぇ、ふぅ」

 タオルが柔らかい。

「…………」

 子どもみたいに泣き続けるあたしを、おばあちゃんはずっと撫でていてくれた。

 暖かくて安心する。

「……どこいたの、佳奈子ちゃん?」

「公園。コウが、迎えに来てくれたの……」

「良かったねえ」

「……?」

 おばあちゃんが嬉しそうに笑う。

「佳奈子ちゃんは、コウちゃんのこと好きだものねえ」

「……うん、好きよ」

 おばあちゃんの手を握って、涙をこらえながら答える。

 いつもなら否定していた言葉を肯定する。

「おばあちゃんとおんなじくらい、大好き」

「……そう。良かったわねえ、佳奈子ちゃん」

「うん。……心配、かけてごめ、んね」

「いいの。無事で帰ってきてくれたら、それだけでばあちゃん嬉しいんだから」

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