物静かな人の気が長いとは限らない

 運転手であるリーネアさんには悪いが、車とは乗っているだけでも案外と疲れるもののようで。

 ましてや俺の移動手段と言えば、もっぱら自転車か地下鉄。車に長時間乗ったことすら久しぶりである。

「……っんぐ」

 頭を窓にぶつけたことで、うつらうつらしていた俺の意識が浮上する。

「いっ……」

 スマホで時計を見ると14時半ばだった。

 運転席のリーネアさんが口を開く。

「適当に昼飯にしようと思ったらケイもお前も寝てたから、こっち戻ってきた」

 車窓を見れば、そこそこ見慣れた地域の風景だった。

「それはなんとも申し訳ないです」

 人様の車内で寝落ちとはお恥ずかしい。

 三崎さんは助手席ですやすやと眠っており、寝顔が可愛い。

「目ぇ潰すぞ」

「俺の心って読みやすいんですかねー……」

「読めるわけねえだろ」

 俺の話は人外に通じない呪いがかかっているのかもしれない。

 うちのめされていると、リーネアさんが俺の隣に置かれたビニール袋を指さす。

「腹減ってんならそこのコンビニ飯食ってていいぞ」

「え、いや、お代は?」

「ひぞれからお前にかかる分の金は受け取ってる。言い忘れてたがガソリン代も気にすんなよ」

「殺生な」

 生徒どころか子ども扱いではないか。

「18は子どもだ。金出してくれる大人が居るんなら気にせず受け取れ」

「心読んでますよね?」

「だから、無理だって言ってんだろ。……アレルギーとかあるのか?」

「あ、ないです」

 一瞬、攻撃(爪楊枝とか)が飛んでくるかと思ったが、普通に心配されて肩透かしを喰らった。

「じゃあいいや。俺は先に食べたしケイは何でも食えるから、好きな味食っていいぞ」

「三崎さんの好物あるなら残しときますけど……」

「そん中にない」

 ごちゃごちゃと話しているうちに三崎さんも目覚め、2人でおにぎりを食べた。けっこう幸せな時間だった。


 リーネアさんが車を駅前で停止させ、三崎さんが降りるまでは。


「……ん⁉」

「じゃあ、ここでな」

「はい。先生ありがとう!」

「ん。ちゃんと挨拶して来い」

「うん! あ、森山くん、また後でね!」

「え、あと? 後って?」

「じゃあ、また!」

 三崎さんは満面の笑みで手を振って駆け出して行った。

 残されたのは、運転席のリーネアさんと後部座席の俺である。

「……え?」

「よし、行くか」

 彼はギアチェンジをして車を発進させる。

「あのぅ……どこへ?」

「あ? ひぞれ言ってなかったか? 家庭教師するっつったろ」

「今日すぐだとは聞いてなかったんですけど!」

「うるせえな、お前どうせ夏休みの間ずっと暇だろ? 俺は明後日から忙しい。学生の分際で社会人を邪魔するな」

「反社会人なのに凄いこと――うぉわ!?」

 車がいきなり加速し、ぐらりと揺れた。

 ゆるやかなカーブを鋭角で曲がったのは……それこそドリフトか?

「俺は在宅仕事なんだがな。夏になると東京に行かなきゃなんねえんだよ」

「は、はあ……」

 前に三崎さんからそんなことを聞いた気がする。

「その準備とか仕事とか山積みになるってのに、お前の面倒見ろなんて言われたら、うっかり殺意が湧くだろ? だからあんまり口答えすんな」

「……何で引き受けたんですか……」

 三崎さんに近づく男というだけで、彼にとっては殺意と敵意が湧きまくりだと思うのだが。

「俺の仕事、マシンパワーが要る。ひぞれに演算肩代わりしてもらってるから、恩返し」

 演算。コンピュータのような? 前に“翰川緋叛”でググったときにその文言を見た。やはりそうなのか。

「1回10万。お前の勉強見てやっただけでタダってなれば引き受けるよ」

「ぼったくりじゃないですか」

「……お前も大学行ってみたらわかるよ。パソコンの計算スペックの低さと、スパコンの予約待ち列が動かねえときの絶望がな……10万で済むなら安いよ」

「……?」

 スパコンにそんな制度があるとは意外である。

「予約って混むんですか?」

「時期次第。論文前になると爆発的に混む。巻き込まれたときは死ぬかと思った」

「お、おお。リーネアさんからそういう弱気な発言が聞けるとは……」

「……愚痴言った。悪い」

 息を吐いて言葉を続ける。

「ひぞれはある意味スパコン以上に速く正確に演算できる。ネットを介した依頼もできるから、俺みたいに後ろ盾のない奴でも利用可能な万能コンピュータなんだ。時期次第では待ち時間ゼロで結果と過程のデータが返ってくるってことで評判」

 翰川先生の頭脳はどうなっているのだろうか。

「ちなみに、計算内容とか処理量とかで値段が変わる」

「そんなに計算って時間かかるもんですかね……」

「……そうか。所詮は人間の力で筆算できる程度しかしたことないか」

 ほの暗い笑みで、彼は言う。

「お前がどの分野にいきたいんだか知らねえけど、理数科目の論文書かされるってなったら、地獄味わえるかもだ。お前がよっぽどじゃない限り、文系の方がいい」

「……ですねー」

 神秘を記憶できるようになったとはいえ、今の俺の数学力と理科知識は中学2年に毛が生えた程度(※翰川先生談)。小学生時代で止まっていたところからここまで来たのかと驚いてもらえたら嬉しいが、それは翰川先生が爽やかなスパルタ鬼教師だったからだ。

 時折ゲームで息抜きをしていたものの、詰め込みであったことに変わりはない。

 思い出すだけで頭の中が数式で埋め尽くされてしまいそうだ。

「それに、寛光は希望する学部で点数傾斜ががらっと変わる極端な大学だ。自分の得意な科目を活かせる分野じゃないとあっさり落ちる」

「う……得意科目……国社しかないんすけど」

「あるだけマシだろ。そのために過去問用意してもらったんだから解説してやる」

「……」

 リーネアさんは結構親切な人だ。

 俺の家があるあたりを通り過ぎて、ワンボックスは学校の方へと向かう。

「……入試の問題って、翰川先生も作ってます?」

「相方の教授と共同でな。あいつに任せると解けない問題しかできねえから」

「すでに嫌だなあ……」

 口から『先に問題教えてもらえたらいいのに』と出そうになってしまっていたが、それはあまりにクズ過ぎるのでやめよう。

「聞いても教えてくれないどころか、『キミがカンニングをしたと言いふらそう』とか笑顔で言うぞ。貴重な1年を棒に振りたくなかったらやめとけ」

「……人外は読心機能が標準装備なのか……?」

「お前が考えそうだなって思っただけだ」

 俺が単純だと言いたいのだろうか。

 あれこれ言い合っているうちに、車はマンションの駐車場に辿り着く。

 リーネアさんはスムーズにバック駐車で停めた。

「あ、ここですか?」

「そうだよ。さっさと降りろ」

 思ったより学校に近かった。

 エントランスを通ってエレベータに向かう。

「三崎さんはどこに?」

「バイト先に挨拶だとよ。菓子折り買って行くっつってた」

 降りてきたエレベータに乗り込んで、6階のボタンを一押し。

「塾行く暇ないのに、凄いなあ……」

「塾は行ってないけどな」

「……通信教材?」

「それもねえよ」

「…………」

 翰川先生が彼に家庭教師を頼んだ原因がわかり、口に出す。

「リーネアさんが三崎さんの先生ですか?」

「……そうでもなきゃその呼び方はされねえと思うんだがよ」

 教導役だから“先生”なのだという可能性があったのだ。



 ――*――

 紫織はまた眠った。

 ……寝顔を見ていると腹立たしくなってきた。

「…………」

 俺と紫織とでは、種族も魔力の所有量も差が大きい。

 無理に叩き起こして精神を引きずってしまうことを危惧し、わざわざ配慮しているのに、紫織は起きては眠ってすやすやと……

「父上。睡眠とはその時点で体に必要だから行われる生理現象だ。私たちが眠る概念のない種族だからと言って、同じ要求をするのは酷だぞ」

「……わかっているが……」

 娘に言われて、手のひらで練っていた電撃の術式を消す。

「本当にわかっているのかなこの人は……防護のない魔術師の卵にそんな魔法をぶつけようとするな」

「死なないように計算した」

「…………。わかった。私が様子を見るから父上は待ってくれ」

「わかった」

 父親の俺が言うのもなんだが、よくできた娘だと思う。

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