第16話 ステータス:魅了
「よーし、完了。謎は全て解けたよワトソン君」
「森田ですけど」
指で作った双眼鏡を目に当てた友人は、そう言って滑稽な姿勢のままこちらを向いた。
「細かいことは気にしない!」
――そうですか。
威勢のいい言葉と共にビシッと由宇さんの人差し指が向けられる。人を指差しちゃいけないとは学ばなかったのだろうか。
指先から顔をそらし、相手の手を下ろそうとした時だった。僕の右手は彼女の指では無く空を掴んだ。
「ちょっ」
次の瞬間にはパッと両手を広げた由宇さんがクラスメート達の方へと向き直っていた。
「それよりも見える? この異様な光景が」
――なんて素早い。
僕は半ばあきれつつ彼女ごしにその光景を確認した。
それは確かに異様だった。
「見えますよ」
僕は言った。
魅了、魅了、魅了……僕が見えたのはまるで付属品であるかのように、クラスメートの名前にその文字が付与された光景だった。
「なんですか、魅了って」
由宇さんに尋ねた。
僕自身、その言葉の持つ意味自体はなんとなく把握している。僕が知りたいのはそういうことではない。何故、そんなものが名前の後ろに付属しているかということだ。
彼らが僕の知る意味での魅了状態であるようには見えない。
幼馴染は口元を緩ませた。
「言葉のままじゃない? このクラス、大半が誰かの支配下になってる」
「は? どの辺が」
僕の見る限りいつもと何ら変わりない、どこにでもある教室の休み時間の光景が広がっている。
分からないかなぁ。そう言って首を捻った友人は数秒間目を瞑ったあと、思いついたように顔をあげた。
「ティーナちゃーん、ミラちゃーん。ちょっといいかなー?」
「え、由宇さんちょっと」
いきなり何をする気なんだ。僕が制止するよりも早く、彼女は教室の隅で話し込んでいる集団に向けて手を振っていた。
「?」
ティーナとミラは集団から顔を覗かせ、不思議な様子でこちらを見た。
いいよ、行ってきて。集団の中からそんな言葉が聞こえた気がする。
その言葉に後押しされるように、二人の体は集団からすっぽりと形を現した。
「彼女達をどうするつもりですか」
僕は小声で質問する。
「あの二人が丁度いいかなって。森田さんがフラれたのはあの二人だよね」
彼女達に笑顔を向けたままの友人はサラリと答えた。
「だからフラれたんじゃないですって」
「不正なしのテスト」にしようと提案してお断りされただけなのだ。フラれたわけじゃない。とても丁寧に。声を揃えて。まるで双子の人形みたいにお断りを受けただけ。
なのにどうしてだろう。
それだけのことだったのに、思い出した途端、背中にじっとりと嫌なものを感じた。心臓が鷲掴みされたみたいに苦しい。
「今どき双子設定のキャラクターだって、そこまで言葉がシンクロするものじゃないでしょ」
そうなのだ。
単純な会話ならともかく、自分の意思を伝える言葉のはずなのに、一言一句ピタリと同じ。万が一同じことを言おうとしても、タイミングや語尾が変わってもいいはずなのに。何から何まで一緒。仕草、雰囲気、声色まで――
――ゴメンナサイ。ソノハナシニハ キョウリョクスルコトガ デキナイワ。
怖い。怖い怖い。
「顔色悪いけど、大丈夫かい?」
「あ、ああ……」
由宇さんが見下ろしていた。僕は小さく頷いた。
「ま、NPCとして余計な権限が与えられてないって線もあるかもしれないけど」
気休めのつもりなのか由宇さんは早口でそう付け足した。
===
ほどなくしてティーナとミラが僕らの元へとやって来た。
「あの……私達に何かご用が?」
ティーナが由宇さんに尋ねた。胸のあたりに手を当ててどこか不安げにしている。その後ろにはミラが控えていた。
僕は隣で仁王立ちする幼馴染の姿を見上げた。
「うん、ちょっとゲームしよう」
予想だにしない第一声だった。
――ゲームとはまた唐突な。
虚を突かれたのは彼女たちも同じだったらしい。二人は無言でその目を丸くしていた。
その様子を由宇さんはワクワクしながら眺めていた。
人が悪い。ひときしり場の状況を楽しんでから、彼女は説明を始めた。
「今から私が何か言うから、それに対して全部『はい』で答えてね」
「分かっ……はい」
「そうだね、それでおっけー」
思ったよりも簡単なゲームらしい。
由宇さんは指で小さく円を作りOKのポーズをとった。
二人はというと、多少疑問に思うんだろうがそれでも不快な顔を見せることはなく、とりあえずといった感じで頷いた。
「じゃ、はじめるよー」
かくしてそのゲームは幕を開けた。
「猫が好きだ」
「はい」 「はい」
「朝食はパン派だ」
「はい」 「はい」
「胸元にあるこの器官は何?」
「はい?」 「はい?」
「森田さんは実は男だ」
「ちょっと」
「はい」 「はい」
質問に対する決められた返答。回答する本人の意思は関係無い。
一部、質問内容に若干の不信感は覚えたものの、単純なゲームだった。単純なやり取りの中にひっかけを入れて誤答を誘う、なんてことをして昔友達と遊んだ気がする。
それから五問くらい同じようなやり取りが続いた。
ティーナもミラもひっかけに惑わされることなく、ひたすら『はい』と繰り返した。
「それじゃ最後ね」
遂に終わりがやってきた。
長い間無意味な質問を続けていた由宇さんは、まるでお別れの挨拶でも言うみたいに一瞬間を置いた後、優しくそれを告げた。
「今度のテスト、不正無しでやらない?」
――これは。
心臓が跳ね上がった。押し寄せる不安感。
これは、これは紛れもなく僕が一度彼女達に提案したものだ。そして、きっぱりと断られたもの。
――聞いてはいけない気がする。
そう思ったのは断られたことがショックだったからか。それともあの状況がどこか不気味だと感じたからか。二人のピタリと揃った声が脳の奥にこだまする。
隣を見ると由宇さんがいつもの笑みを浮かべていた。
――今は状況が違うんだ。
僕は俯いて首を左右に振った。
――これは単なるゲーム。本人の意思に関わらず『はい』と答えるだけの簡単な作業。
「あれ? 二人ともどうしたの」
由宇さんが言った。
さっきまで聞こえていた言葉が聞こえない。テンポよく一定のリズムで聞こえていたそれは、まるでデータ読み込み中の端末のように沈黙している。
「ふむ」
由宇さんの目がキラリと光った。
たぶん彼女は先の展開が読めている。
恐らく、僕もまた、先の展開が読めていた。
「「ごめんなさい」」
――やっぱり。
その声は不自然なくらい一致していた。
「「その話には協力することが出来ないわ」」
本日二度目のその言葉。
ああなんで、なんでなんでなんで、その言葉だけ特別なんだ。ゲームなんて関係ない。君達は誰の意思でその言葉を口にしているんだ。
「……ゆ、由宇さん」
その奇妙な空気が怖くて、僕は縋るように隣人の顔を見上げた。
隣人は相変わらず飄々とした笑みを浮かべていた。
「はーい、ゲーム終了っと」
パンという甲高い音が響いた。場の空気が途端に切り替わる。
その音を境に明るい声で尋ねてきたのはミラだった。
「これでよかった?」
「うんうん。ありがとね、お二人さん」
由宇さんは合わせた手のひらを広げた。
――相変わらずこの人は強い。
ひらひらと軽く手を振って二人を見送る由宇さんを、僕は呆然と眺めることしか出来なかった。
さて、これで由宇さん主催の謎のゲームは終了した、わけだが。
「由宇さん、この現象ってつまり」
「支配されてるよ、本人達の意識よりも上位の存在に。思考だか発言だかは知らないけどさ。だから何言っても返事が同じになっちゃう」
あっさりとした口調で答えた由宇さんは天井に向かって大きく背伸びをした。
「じゃあ他の人達も」
その言葉を信じるなら『魅了』された生徒は皆同じ返答になるはずである。
「試してみる?」
僕は静かに頷いた。
===
佐々木由宇という少女はやはり凄い人間なんだとこの日僕は改めて理解した。
――コミュ力がおかしい。
一人に声をかけたかと思うと、二人三人とまるで地引網のようにあっという間にクラス全体とコミュニケーションを取っていた。
僕はというと、ただそれを眺めていた。この時ばかりは彼女の行動力に感謝せざるおえない。
それで分かったことがある。
「……気持ち悪いくらい同じ返事ですね」
『テストを不正無しで行う』という提案に対し、十人中十人、百発百中とも呼べる確率で彼らの返答は統一されていたのだ。
「これが魅了、ですか」
「たぶんね」
そう言って友人は僕の机の上に腰を下ろした。
「同じ返事しかしないなんて、ちょっとしたホラーですよ」
仕組みが分かったからいいものの、それでもその光景は気味が悪い。
「魅了されてない人なら違う返事になるんですよね」
「そうだと思うよ」
そんな簡単な言葉が随分と自分を安心させる。
「あ、そうだ」
「ん?」
由宇さんはまた何か思いついたように顔を上げた。くるりと体を九十度ほど反転させて、それから言った。
「ねえねえ。フェルミん、ちょっといいかな?」
「なんでしょう」
なんなんでしょう。
フェルミんもといフェルミーは、開いていた教科書から目をはなし、静かに顔をあげた。この隙間時間に勉強を欠かさない君は偉い。
「今度のテストなんだけど、不正無しで出来るように協力して貰えないかな?」
「……」
「……」
――は? はああああ?
「そ、それ聞くの?」
「だって気になるんでしょ。普通の人の反応」
「いや、それは、確かにそう言ったけど」
慌てて頭上を見上げた。フェルミーは魅了されていない。でも。
もし、もしもだ。もしこれで、フェルミーが彼女達と同じ言葉を繰り返したら、僕は一体どうしたらいい。
脳裏によみがえる無機質な言葉。
――それを聞いたら、たぶん立ち直れない。
「大丈夫大丈夫、心配性だなぁ」
「でも、だって、万が一ってことも。そういうの嫌なの! 安心してたら実はどん底に叩き落とされるみたいやつ!」
「んーバットエンドがお好き?」
「大嫌いです!」
そう叫んでお気楽な由宇さんから顔を反らしたところに、ちょうどフェルミーの顔があった。しかし例のごとく何を考えているかは分からない。通常運転といえば通常運転なんだけど。
「はいはい、森田さんはおとなしく聞く」
「あの」
「!」
フェルミーが静かに口を開けた。
――どうだ、どうなんだ。
「それって昨日のお嬢様の話ですよね。ならばそれは当然そうするつもりです。昨日は失敗に終わってしまった話を、先ほどしたではありませんか」
「ほらね」
「……ふぇ」
――フェルミんんんんんん! 安心した。めちゃくちゃ安心した。お前はそういうやつだよ、よかった。本当によかった。
「えっ、いきなり立ち上がって、どうしたんですお嬢様?」
「森田さん、顔。顔ゆがみすぎ」
二人が見上げていた。ガッツポーズまでしていなかったのは幸いである。
「……こほん。私の執事なら当然の回答ね」
笑っていた口元は手で押さえた。
「まぁたまた、安心したくせに」
――うるさい。
今彼女の方を向いたら、そのニヤけ顔と目が合ってしまうだろう。だから僕は振り返らない。そんなことよりも。
「とーにーかーく」
改めて教室を一望した。
魅了された生徒に占められている教室。でも全員じゃない。フェルミーしかり。由宇さんしかり。そして二人以外にも。
「魅了されてなきゃ味方の可能性はあるってことでしょ」
僕は確かにこの目で見たのだ。魅了の文字が浮かんでいないクラスメートの姿を。
――たしかあの辺に。
心当たりのある場所に目を向ける。ティーナにミラ、彼女達がいる輪の中心。
頭上に浮かぶプロフィールの中に、一人だけ『魅了』の文字が無い人物がいた。
――そこだ。
早く、早く輪の中に。
相手が逃げる訳でも無いのに、足は早まっていた。
これで一人、仲間が増えるかもしれない。
「ねえ、貴方。ちょっと話があるのだけど」
そして僕は声をかけた。
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