第15話 森田さんはきっぱりフラれる

 翌朝。


「ごきげんよう」

「あら、森田さんごきげんよう」


 その挨拶に対する彼女達の反応はいつもと変わりないものだった。いつもと違うのはせいぜいこちらから声をかけたことぐらい。

 僕は隣の席の彼女達にぎこちなく笑みを返した。

 いちいち躊躇している時間は無い。


「ちょっと聞いてもいいかしら」


 僕は二人の前に立った。


「?」


 お紅茶嬢とティラミス嬢が不思議そうに互いの顔を見つめる。その隙に僕はそっと彼女達の頭上を確認した。


【ティーナ ジョブ:クラスメート HP15 MP10】

【ミラ ジョブ:クラスメート HP10 MP15】


 まるでRPGのゲームに出てきそうなその板には、二人のステータスと思しきものが記されている。


――見た感じ普通の生徒だな。


 目線を元に戻すとティーナとミラの不安そうに僕の顔を見上げていた。


「私たち、何か悪い事でもしてしまった?」

「それとも困りごと?」


 悪い事はではなく、どちらかといえば困りごとだろう。

 僕が次に出すべき言葉を模索していると、先にティーナの方から声がかかった。


「とりあえずお茶でもいかが」

「あ、そのことなんだけど」

「これのこと?」


 ティーナはそう言って、バスケットから茶葉の入った小瓶を取り出した。


「ええ、そう」


 彼女が自家栽培したという紅茶を見つめ、僕は深く頷いた。


「もしかして昨日アダムス先生のところに行ったのかしら?」


 昨日先生に会いに行った時、整頓された部屋の中に感じた違和感。独特な香りと捨てられたお茶の葉。本を取り扱う場所で紅茶を飲むなど、あの几帳面な先生には似つかわしいものではなかった。

 考えられることは第三者の可能性。それも飲食を拒むことの出来ない特別な人物。


「確かに私達は、テストのことで先生に成績の交渉をしに行ったわ」


 ティーナとミラはそう言って首を縦に振った。

 

「それがどうかしたの?」


 いよいよ本題だ。

 心臓がドクンと音を立てる。


 僕ははっきりとした口調で訊ねた。


「交渉は出来た? 先生、拒否したりしなかった?」


 ドクドクドクドク。脈が次第に速くなる。

 まともに二人の顔を見ることが出来なかった。

 

――失敗していて欲しい。


 そんな気持ちが湧きあがっていた。

 僕だけが交渉出来なかったのではない。彼女達も含め、全ての生徒がアダムス先生との交渉に失敗していたなら。そうすれば成績買収もなくなり、結果、同じ土俵でテストが受けられる。

 ほんのわずかの希望だった。けれど。


「そんなことはありませんでしたわ、ね?」

「いつもどおり、テストの成績を確約してくれたわよね」


 こくりと素直に頷く二人。僕に嘘をついている様子はない。


――ああ、ですよね。


 やはり先生に拒まれていたのは『テストを不正無しで行う』という条件の方だったらしい。


「森田さん、大丈夫?」

「顔色が優れないみたいだけど」


 気遣うような二人の言葉。今は大人しく飲み込む気にもなれなかった。

 これ以上、何も得るものは無いだろう。

 自分の席に戻るべく体を捻ったところで足がもつれた。


「森田さん!」


 立ち上がった二人は慌てて不安定な僕の体を支えた。


「困ったことがあるなら相談して」


 相談。そんな事をしても解決しない。不正を持ちかけているのは彼女達生徒なのである。それを取りやめるくらいしか他に方法が無い。


――ああ、そうか。その手があるか。


「……ねえ」

「?」

「お願いがあるの」


 椅子に浅く腰を下ろし、今度は僕が二人の顔を見上げる形になった。


「今度のテスト……不正無しでやらない?」


 先生が無理でもこっちなら。

 生徒が不正さえしなければ、テストの公平性は保てる。

 僕は二人の返事を待ってそれから――


「「ごめんなさい」」


 二人の声が綺麗に重なる。


「「その話には協力することが出来ないわ」」


 爽やかに告げられたその言葉は、不気味にも綺麗な和音となって耳の奥へと響いていった。



===


「やあやあ。昨日は上手くいかなかったんだって? フェルミんから話は聞いたよ」

「フェルミんって。勝手に変なあだ名をつけないで下さい」


 休み時間。

 今日も今日とて呑気な僕の友人は、まるで昨日のテレビ番組の感想を語り合うような気楽さで声をかけてきた。


「彼本人は気にしてないみたいだし、いいかなって」


 そう言って由宇さんは、席の後方に視線を送った。フェルミんことフェルミーは自席で本を読んでいた。

 気にしてないというよりは、そう呼ばれていることに気付いていないだけなのでは。


「それで、昨日はどこ行ってたんですか」


 昨日の放課後、僕が買収作戦を告げた後、由宇さんはいつの間にか姿を消していた。


「少しは手伝ってくれると思ったのに」


 口をついて出る卑屈な言葉。実際そのせいで失敗した訳ではないのだが、ついつい当たりたい気持ちが顔を覗かせる。

 そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、彼女はニヤケ顔を浮かべるだけで何も返しては来なかった。

 代わりに彼女は人差し指をぴんと頭上に向けた。


「いやぁ、ちょっとレベル上げに行ってまして」

「レベル上げ?」


 目線だけを上にずらす。


【佐々木 由宇 ジョブ:主人公の友達 HP70 MP35】


 HPやMPの数値が増えているような気がする。これがレベルが上がったということだろうか。というか、自主的にレベル上げ出来るものなのか。ゲームじゃあるまいし。


「……で、具体的には何をしたんです?」


 半信半疑ではあるが一応聞いてみた。


「素材集めのクエストとモンスター退治、かな」


――聞くんじゃなかった。


「あっ森田さん、胡散臭いって顔してる。本当なのに」


 胡散臭いものは胡散臭い。

 ヘラヘラと浮かんだ笑顔がそれに拍車をかけた。

 クエストにモンスター退治? どうせ夕飯の買い出しとか、家の畑に殺虫剤をまいたとか、そんな話に違いない。実にくだらない。


「はいはい、信じます。信じますよ。で、レベルが上がったと」

「そうそう。あ、そんな事よりさ」


 そんな事って。自分が話を持ちかけたんだろうに。

 急に身を乗り出してきた友人の頭を僕は全力で押しやると、それにもめげず言葉を続けた。


「今朝、ティーナ嬢達と何か話してたでしょ。何かあったの?」


 挙句この人はピンポイントで痛いところをついてくる。

 好奇心の塊のような目で返答を待つ彼女。思わずため息がもれた。隠すことは出来なさそうだ。


「確認してたんですよ、アダムス先生を買収出来るのか。出来たみたいですけどね」

「うん、それで?」

「それでって」

「それだけじゃないでしょ~なんか面白そうなことやってなかった?」

「面白そうってね……」


 この顔はもうおしまいだと言っても引きさがりそうにないな。本当は自分の心の中だけで処理したかったけど。


「お願いしてみたんですよ。彼女達に今回のテストは不正無しにしようって。断られましたけど」

「フラれたの?」

「フラれっ……こーとーわーらーれーまーしーたー」


 繊細な男子高校生に何悲しいこと言わせようとしてるんだ。こっちはあんなに優しそうな二人に断られてハートえぐれてるんだぞ。終いには慰謝料請求するからな。あははじゃないんだよ、全く。

 彼女に悪びれている様子はない。完全に僕の反応を見て面白がっていた。 


「そんなに成績が大事ですかね」


 頬杖をつくと、視界の隅にティーナとミラが映った。二人は今もまた楽しそうに雑談している。


「いくら仲良しだからって、声を揃えてお断りしなくてもいいのに」


 あの時の光景がよみがえる。まるで示し合わせたかのように、二人の息ピッタリのお断りの言葉。それはやや不気味でもあった。

 普段おっとりとお茶会を楽しむだけの少女達。それがテストの話題になった途端急に対応を変えるものだろうか。そんなにテストの成績が大事なのか。


「んー、森田さんがそんな不細工な顔になってることだし、ちょっと調べてみようか」


――不細工は余計だ。


 僕は眉間に寄った皺に手を当てた。


「調べてみる、って何を」


 そう訊ねた時には、既に由宇さんは指を筒のように丸め、目に当てていた。


――何それ。望遠鏡のつもり?


 筒の先をティーナ達二人の方に向けている。穴をじっと覗き込んでいた。

 彼女の人間性を把握してなければ、間違いなく変出者として認定するだろう。


――何がしたいんだ?


 変人であることは理解していても、さすがにその脳内までは理解に及んでいない。

 自分で話題を出した手前放置することも出来ず、仕方なく僕は彼女の横顔を覗き込んだ。口元がニヤリと緩んだ。


「私の昨日の成果。いくよ、スキル発動<<ステータス>>」

「ステータス? それで何が……あっ」


 それで何が出来るのか。そう訊ねる前にその変化は一目で明らかになった。


【ティーナ(魅了) ジョブ:クラスメート HP15 MP10】

【ミラ(魅了) ジョブ:クラスメート HP10 MP15】


 二人の名前の後ろには、さっきまで存在しなかった新たな文字が浮かんでいる。


「魅了?」

「なるほどなるほどー」


 ほうほうふむふむと彼女は隣で呟いた。


「ええい、こうなったら全員調べちゃえ」


 そう言って今度は楽しそうに体を一回転させる。丁度クラスをぐるっと一周見渡した形になるだろうか。


――これは。


 一人また一人、街に明かりが灯るように、クラスメートの名前の後ろには(魅了)の文字が浮かんでいった。

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