第14話 交渉決裂
「何度も言うが君の話には乗らんよ。たとえ金をいくら積まれてもそれは変わらない」
それが部屋に入るなり僕らに投げかけられた言葉だった。
「お嬢様、どうします?」
「……手が無い」
それから数分が経っている。最後の交渉相手こと学年主任のアダムス先生は、もう話すことは無いと言わんばかりに自分の本を読んでいた。僕らはその傍らで立っているだけ。
――まさかこうも真正面から拒否されるとは思わなかった。
これは想定外である。今まで買収されていた人間なら、買収で解決出来ると思っていた。フェルミーの買収失敗の話だって、僕本人が直接値段交渉すれば済む話なんだと思っていた。
――それがまさか買収自体が無効だなんて。
僕が用意した作戦はお金による教師買収だけ。教師が買収に応じなかった場合、この作戦は詰む。
「生徒達は教師から成績を買収する」という話を過信して、それ以外に教師を味方に付ける手段を用意していなかった僕の判断ミスだ。
「出直します」
「出直しても変わらんと思うがね」
年老いてしゃがれた声。彼の眼鏡がキラリと冷たく反射した。
見るからに真面目そうだ。
指紋一つ無さそうな手入れの行き届いた眼鏡。ピンと張った真っ白なワイシャツ。室内は気品ある紅茶の香りが漂っている。シオン先生とは違い、机まわりはきっちりと整頓されていた。
――他の生徒達はこんな人をどうやって買収していたんだろう。
「どうしました?」
先に出口の扉に辿り着いていたフェルミーが不思議そうにこちらを見ていた。
「……なんでもない」
そう答え、僕は彼の後を追った。
===
「あら、二人とも」
部屋を出たところで丁度聞き覚えのある声が響いた。薄い茶のコートを羽織ったシオン先生だ。身支度を済ませていることから、これからリリェルと一緒に帰るんだろう。
「どうだった?」
「全然ダメでした。あの先生、本当に買収で動く人なんですか?」
「あ、ひどーい。先生のこと信じてないんだぁ」
先生は小さな子供がするみたいに頬を膨らませた。なんだこの人は、いくつなんだ。別に似合わないわけじゃないんだけどさ。
しばらく黙ってその様子を見ていることにした。例に漏れずフェルミーも無言だ。妙な間が開いた。
「ツッコミが無いのは寂しいなぁ」
先生なりにその反応に何か突き刺さるものがあったらしい。
――いやいや由宇さんじゃあるまいし。
その口調に現在不在のイロモノ幼馴染の姿を思い出し苦笑した。これはツッコまなくて正解だな。
「で、買収だっけ。あの時も言ったとおり、それは間違いないと思うけど」
「そうですか」
あっさりした答えだった。
アダムス先生だけ「やっぱり買収されていませんでしたー」なんてオチではないらしい。
「じゃなきゃみんながテストで好成績になるなんてありえないわよ。というか、森田さんだって元々そうやってテストを受けてきたんじゃないの?」
「えっ、あっ」
――まずい。
言葉に詰まった。
言われてみれば確かにそうだ。勉強しないで教師を買収するというアイデア自体、転生前の自分が言い出しっぺなのだ。自分がきっかけでそれを始めたのに、逆にその事実を先生に確かめるなんて明らかに不自然だった。
「そっ、そうでしたよね!」
疑わし気なジト目で顔を覗く先生から僕はとっさに目をそらした。これは墓穴だ。大きな墓穴。きっとシオン先生は僕のことを怪しんで――
「なーんて、フェルミー君が全部手続きしてたから知らなかったのよね」
「えっ」
先生からの意外な言葉。そうなの?
「はい、そうです」
「分かるわ。いいわよねー先生も欲しいな、令嬢サマに仕えるお抱え執事君」
――そうなの?????
とっさにシオン先生とフェルミーの顔を交互に確認した。二人ともなんてことないような様子で会話をしている。ってことは、怪しんでない?
「そ、そうなんですよ。いやー優秀な執事がいてよかったー……」
ホント色んな意味でよかった。
これ以上の墓穴を掘るのは恐ろしいので、今日もう帰ろう。
僕達は図書室をあとにした。
===
その日の夕食にて。
「フェルミー」
「なんでしょうか」
「今まではアダムス先生のこと、本当に『お金』で買収出来ていたのよね」
僕は念のため彼にその事実を確認することにした。
「ええ、まあ」
相変わらずの淡白な返事。
――とりあえず買収手段は変わらないっと。
買収の方法を間違えていたわけではなさそうだ。
もし「色仕掛けで」なんて言われたら、今回の買収作戦を強制終了するところだった。
「ちなみに今回、先生にはどんな風に話を持ち掛けたのかしら?」
僕自身はアダムス先生に会って即「話には乗らない」と一蹴されたので、実際フェルミーが最初にどういった交渉をしたかまでは知らない。
「そうですね」
フェルミーは記憶の糸を手繰り寄せるように天井を見上げた。
「『次回のテストに関して交渉したい』と」
他の先生と買収交渉をした時と同じ切り出しだ。特に変なところは無い。
「なるほど、他には?」
「具体的な内容を尋ねられたので『テストを不正なしで行うこと』をご説明しました」
これも他の先生とのやり取りとほぼ同じだ。やはり変なところは無い。他の先生の場合、それを聞いて二つ返事で了承してくれていたのだ。でもアダムス先生は……
「その結果断られたのね?」
「はい。後はお嬢様が聞いた内容と同じです」
「『話には乗らない。お金を積まれても変わらない』か」
「はい」
断った理由はなんだろう。
途中まではスムーズにいっていたように思う。アダムス先生はフェルミーの持ちかける交渉の言葉を耳にし、一度はその内容について尋ねている。
――つまり、そこまでは話を聞くつもりがあったってことか。
最初から交渉を拒否したのではない。途中まで話を聞いて、そこから態度を一変させたのだ。分岐点があるとしたらそこだ。
「フェルミー、先生が断ったのは『テストを不正無しで行う』って説明した後で間違いないわね?」
「だと、記憶しています」
恐らくここが分岐点で間違いない。先生はその交渉『内容』に拒絶を示したのだ。内容――テストを不正なしで行うこと。
どうして『不正無しのテスト』を拒むのだろう。教師なら本来、不正なんて無い方がよくないか。
――『不正無しのテスト』は先生にとって都合が悪い?
僕は背後に控える男の顔を見上げた。
「『テストを不正無しで行う』と先生に不都合でもあるのかしら? あのクラスルールみたいなものが設定されているとか」
感情の読み取れない黒い瞳が下を向いた。
「無いと思いますが」
「そう」
即答だった。
なんだか分からなくなってしまった。
フェルミーの言葉を信じるなら、この交渉に先生が拒みそうな要因は無い。
じゃあどうして拒むのだろう。気まぐれか。それとも内に秘めた信条でもあるのか。
――『テストの不正を無くすこと』じゃなければ交渉出来てたのかな。
最初は交渉に応じる姿勢があったからそうなのかもしれない。
――念のため明日、学校であたってみるか。
僕はふとアダムス先生の部屋で感じた独特な紅茶の香りを思い浮かべた。
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