第11話 宣戦布告!
「これはゴミに決まってるじゃない。いらないから捨ててもらおうと思って。それ以外の何物でもありませんわ」
昨日嫌悪した出来事を彷彿とさせる言葉。
けれどそれはこの世界が再び動き出す魔法の言葉で――
「そう、ゴミだったのね。あまりにも素敵な文房具だから、リリェルさんにプレゼントでもするのかと。勘違いしてごめんなさい」
突然、今まで動きを止めていた少女が、納得したようにパチリと手のひらを合わせた。時が動き出していた。
――ごめんなさいじゃないよ。君はそこまで推察出来るなら、ご令嬢やめて探偵にでもなった方がいい。
「はあ……」
「お見事」
視界の隅にはニヤリと笑う幼馴染の姿が映った。
「嬉しくない」
褒めたと思しき言葉も、今は単なる皮肉にしか聞こえない。恐らく僕は疲れている。たぶんもうこれ以上はメンタルが持たない。
「理解いただけたようだし、もういいかしら?」
無理矢理に声を絞り出した。
――頼むからもうこれ以上、余計な詮索はしないでくれ。
「それじゃ」
さりげなく文房具の入った包みをリリェルの机の上に置き、僕は足早に場を離れた。
去り際、彼女たちの一人が、いつの間にか現れていた由宇さんを不思議そうに見ていたけど、それもあえて見なかったことにした。時間が停止していたなんて言っても信じてもらえないだろう。勿論僕もそんな意味不明な話はしたいとは思わない。
席に戻ると、机の上にはさっき指摘されたとおり自分専用の文房具が一式揃えられていた。
――こっちは文房具であっちはゴミ。
物自体は同じなのに、提供する時の行動でここまで明暗が分かれるなんて。文房具を机に置いてくるという当初の目標はクリアしたけどすごく後味が悪い。完全に性格の悪いお嬢様のいじめだ。そりゃあ役どころは間違えてないんだろうけど。
リリェルの姿を見たのは八時を過ぎた頃だった。手荷物も無く身軽そうだったので、今登校してきたというよりは、今日も先生の手伝いでもしていたのかもしれない。
落ち着いた様子で席に着こうとする彼女だったが、その動きが一瞬止まった。僕の置き残した包みを見つけたようだ。考えるようにしてリリェルは隣の女子に声をかけた。
ゴミだと言われているのだろう。
リリェルと目が合った。
――嫌悪されても仕方がない。
理屈では分かっているが、嫌われるというのはやっぱり気持ちのいいものでは無かった。これを素で出来る悪役令嬢ってメンタルが鋼で出来ているに違いない。
だからメンタルがガラスで出来ている一般人の僕は消え去りたい気持ちで視線を逸らした、のだけど。
「あの」
数秒後に僕の目の前から聞こえた声は紛れもなくリリェルのそれだった。
――このタイミングで来るか、普通。
恐らくは机の上にゴミを置かれたことを知った直後だっていうのに、よりによってそれを置いた張本人のところにわざわざ話しかけにくる? 普通ならショックで呆然とするとか、相手に対して恐怖心を抱く場面じゃないのか。
現に君は僕が水をかけたとき、あんなにも僕を敬遠したじゃないか。そんな行動を取った君が、今この行動を取るというのはあまりに不可解すぎる。だってその行動、いじめてきた相手に立ち向かうようなものだろう。どうしたリリェル。バグか? バグなのか?
「な、何?」
とりあえず会話に応じた僕だけど、彼女の顔を見ることは出来なかった。チキン? なんとでも言ってくれ。
宙に泳がせた視線がふわふわとリリェルの髪が揺れを捕捉する。
その流れに乗るように柔らかい声が耳を通った。
「これは、本当に要らないもの……ゴミですか?」
――ゴミ。
そう言って差し出された彼女の両手には、桜色の包みが乗せられていた。勿論それは、リリェルに用意したプレゼントだった訳だけど。
「それは」
ゴミじゃない。言おうとした声が詰まった。また誰か見ているかもしれない。今は僕らに無関心でも、ほんの少しルール違反を起こしただけで、不自然なくらいに注目する誰かが。だから余計なことは言わない方がいい。
言葉を飲んだ僕の目に再び桜色の包みが映った。それは僅かばかり小刻みに震えていて。
――言わない方がいい? 本当に?
僕はよくとそれを見た。
ゴミじゃない。僕が彼女に用意したプレゼントを。
「……別に注目されるくらいいいか」
僕は軽く俯いてリリェルに顔を寄せた。
「ねえ、その話なんだけど」
小声で囁く。
横目で見えたクラスメートは相変わらず雑談をしていて、こちらを気にする様子もない。
――大丈夫、まだ世界は止まっていない。
案外、主人公補正なんてものが存在するのかもしれない。主人公ゆえに僕が真実を語ることも許される。
そんな期待を持ちながら、唾を喉の奥へと流し込んだ。そして。
「本当はこれ、貴女にプレ……」
――プレゼント、その言葉が出なかった。
エラー発生、そうとでも言うかのように世界が凍りついていた。時計の秒針から窓の外の雲に至るまで、切り取られたかのような不気味な静けさ。
リリェルもまた他の生徒と同様にマネキンのような空虚な瞳を浮かべていた。
――やっぱり駄目なのか。注目されるされない以前に、役割にそぐわない行動は、この世界自体が止まってしまうらしい。
由宇さんと目が合って、ため息交じりに笑われた。
――っ……この、クソゲー
こうなると僕に出来ることは一つしかない。
「……ゴミよ、ゴミ。ゴミに決まってるじゃない。捨てただけですわ」
前のめりになっていた体を起こし、かき消すように手を振った。
地続きの時間は復活した。
――僕に出来るのはこうして悪役令嬢として振る舞うことだけか。
「え、でも今何か『ここだけの話』って……」
さっきは届かなかった言葉が今は当然のように届く。
二つの大きな黒目はこちらを見つめていた。
「気のせいですわね」
そう答えるしかなかった。
「まだ何か?」
そう言ったものの、これ以上何かあって欲しくなかった。これ以上、自分の口からリリェルに酷いことを言うのはごめんだ。
「用が無いなら」
「あの、」
「はぁい、授業を始めますね~」
同時だった。先生が前の扉から顔を出し教卓へと向かう。遮るようにチャイムが鳴った。
===
授業が始まった。
黒板にどこかで見たことのある数式が書き綴られている。こんな式を理解出来たところでこの世界をどうこう出来るわけじゃない。僕は悪役令嬢のままで、リリェルは名ばかりの主人公のままだ。
・クラスのルールには従わなければならない。
・役割に見合った行動をとらなければならない。
この世界をどうこうしているとしたら、こっちの二つの方だろう。違反すれば世界がフリーズするんだから、要はこの条件下で元の世界に帰る段取りをつけなければならないらしい。プレゼント一つでこれなのに、正直上手くいく気がしない。
「………………森田さん、聞こえてる?」
「……えっ、あ、はい」
とっさに返事をした。いつの間にか名前を呼ばれていたらしい。
「えーと、この答えは分かるかしら?」
チョーク片手の先生に困った表情が浮かんでいる。
「今日はすごく真剣に授業を聞いていたから、分かったのかなって思ったんだけど」
――すいません、真剣に考え事をしていただけです。それが真面目に授業を受けているように見えたなら、本当にすいません。
正直に言うのも申し訳ない気がするので一応頑張ってみることにした。
――どれどれ、どんな問題かな? あーこれは、複雑な計算式ですこと。でも複雑といえば複雑だけど、これ元いた世界の数学によく似てるな。
「38」
「うん、よかった。正解よ」
先生が笑った。
――よかった、僕の知ってる公式で解けて。真面目に受験勉強やってた甲斐もあるってものです。
「森田さんはお勉強も出来るのね」
隣から声が聞こえた。
――そういえば隣の席だったっけ。
それはティラミス嬢とお紅茶嬢だった。
「私はさっぱり分かりませんでしたわ」
「私も。お勉強はいつも買い取ってしまうから」
『勉強を買い取る』というのはつまるところ、教師から成績を買収するってことだろう。その辺りは昨日フェルミーが言っていたとおりだ。しかし本当に実行されていたとは。きっと彼女たちにはテスト結果に一喜一憂することなんて無いんだろう。受験戦争真っ只中だった自分にはちょっとだけ羨ましい。嘘だ。かなり羨ましい。
「あ。それじゃあ」
ちょっとだけ気になった。
「他の皆さんも勉強はあまりやらないのかしら?」
元々このクラスにいた自分がこんな質問をするのは違和感があっただろうか。「何を今さら」と言いたげな様子で二人は互いに顔を見合わせた。
「そうだと思うけど……?」
やっぱりそうか。
「こほん。最近、ちょっとだけお勉強に興味があって、それで気になりましたの」
「そういう事でしたのね」
怪しまれないようそれっぽい咳払いを交えて答えると、二人はなんだか納得したようだった。
――普通に納得されてしまった。流石お嬢様、なんて純粋なんだ。まあここ何日かで中身が別人のように変わったと思うし上手くごまかせたって事にしておこう。
「森田さんは最近増々素敵になられたわね」
「ええ、そう思うわ」
隣で二人が囁きあっている。まさか、この十八年間、極めて平凡な人間性をキープしてきた自分が称賛を受ける日が来ようとは。
――それにしても、『勉強しない』ね。
黒板につらつらと書かれていく数式。真剣に話を聞くリリェルの背中を眺めながら、僕は小さく欠伸を噛んだ。
===
「あの」
一時間目の授業が終わった後、再びリリェルがやって来た。逃げきったと思ったのに頑張るね。ちょっと前まで僕に怯えていた君はなんだったのか。
「何か?」
「嘘ですよね」
「嘘?」
じっとこちらを見てくるその仕草が可愛いのはさておき、突然の彼女の嘘つき発言が始まった。
――嘘ねぇ。残念ながら僕には思い当たる節がない。
「普通こんな綺麗なノートをゴミとは言いません」
机に乗せられたのは新品のノートだった。
――ああそれか。そうだよね、どう見てもゴミじゃないよね。元々プレゼントとして用意したものだしさ……でも受け入れる訳にはいかないんだなあ。
「私がゴミだと思ったんだものゴミよ」
ノートを軽くつまみあげ鼻で笑った。今、絶対に自分悪い顔してる。
「昨日の話、忘れたの? 言ったでしょ、貴女は無価値なのよ。そんな人間に対して私が何かを配慮するかしら。ゴミを捨てる場所が無かったからそこに捨てたまでよ」
相手を見下すような声色で言葉を浴びせた。
――さあ盛大に僕を恐れるがいい。これが悪役令嬢なんだろ。じゃないと話が止まっちゃうからさ。今はまだ、これ意外にやり過ごす方法が思いつかないし、いいよ、悪役令嬢になるよ。だからこの嫌な時間早く過ぎ去れ。
チラリと見上げた彼女の顔は、何かを耐えているようだった。
――さあ早く言うんだ。僕を、自分を馬鹿にしたこの悪役令嬢を大嫌いだと。批判するのだ! 傷つくけど! すごく傷つくけど我慢するから!
「待ってください」
批判きたーーーーー!
「森田さんのような人が」
うんうん。
「そんなこと」
うんうんうん。
「本心で思うわけ無いと思うんです」
そうそ……ええええーっ!
「ちょっ」
ぎょっとして思わず僕は立ち上がった。
いやいやちょっと待ちなさい。批判ならまだしも、どうして僕の擁護をしようと思った?
「森田さんは昨日私に言ったこと、それってきっと――」
しかもこの子、どこか核心めいたこと言おうとしてる。
待って、やめて、恥ずかしい。違う、展開が、ちょっと、違う。
ここはバチバチ、火花を飛ばす場面でっ。
「私が――」
「も、もういいわ!」
リリェルのセリフを奪うように僕は大きく言葉をかぶせた。
「み、身の程知らずもいい加減にして頂戴。私に何か言いたいのなら、そ、そう、私に勝ってからにすることね。た、たと、例えば勉強とかで! そう、テスト! つ、次のテストで勝負ですわ! 宣戦布告っ、宣戦布告なんだから! ですわ」
宣戦布告。
ちょっとイメージしてた展開とは違うけれど、クラス中に聞こえるように、僕は確かにその言葉を口にした。
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