第12話 教師を買収せよ


「宣戦布告だってね。宣戦☆布告」

「面白がって首を突っ込みたいだけなら帰ってくださいね、由宇さん」


 放課後。

 その日の授業が終わるなり、面白そうなことに目が無い僕の幼馴染は、ワクワクしながら現れた。日中ではなかったことだけ褒めてあげよう。


「違いますよぉ」


 いかにも信じがたい。

 机の周りをうろうろしながら彼女は、冗談か本気か分からないような口調で疑問をもらした。


「だからこそ、私はその真意が知りたいんですよねぇ」

「……」


 今日もまた、教室には身なりの整ったいかにも温室育ちのようなお坊ちゃんお嬢さんが何人か残って会話を楽しんでいた。机に向かっている人は一人もいない。


「このクラスの生徒、一切勉強しないんですよ」

「そうだね。先生から成績買ってるから。あ、なるほど、そういう話ね」


 それだけの会話で、既に話の先を読み切ったのか由宇さんは確信したようにニヤリと笑った。相変わらず察しが良すぎる。

 いちいち気にしても始まらないので、話を続けた。


「つまり成績を買収出来なければ、このクラスはみんな自力でテストを受けなきゃいけない。でも普段から勉強しない彼らはろくな点数を取れない」

「その場合、普段からきちんと勉強している人がトップになると。リリェルちゃんとかね」


 僕は首を強く縦に振った。


 今日の授業。

 普段から成績を買収しているお紅茶嬢とティラミス嬢は、その内容を理解するどころか聞いてすらいなかった。二人の話を信じるならば、買収をしている大半の生徒達も授業をまともに聞いていない。


「彼女が僕を……いえクラスメート全員を打ち負かすようなことになれば、これまでの上下関係は逆転。恐らくこのクラスのルールだって崩壊します」

「ふーん」

「なっ、なんですか」


 いつの間にか由宇さんは頬杖をつきながら、上目遣いで僕の顔を覗いていた。彼女にしては珍しく真顔だ。


「そんな椅子を後ろに下げてまで驚かなくてもいいのに」

「近すぎるから距離を取ったまでです。で、何か言いたいことでもあるんですか?」

「いやぁ森田さん、最初から勝つ気は無いんだなって」

「勝つ気がない? 当然でしょう」


 これは彼女を認めさせるための勝負。

 負けようとすることはあっても、勝ちにいくなんてことは絶対にしない。


「んーそれって面白いのかなぁ……」


――いいんだよそこは別に面白くなくて。


 妙に真顔で話しかけるから何か重要な話題かと身構えたのに、単に面白そうな話に首を突っ込みたかっただけかもしれない。大きく伸びをした由宇さんの表情はまたいつものヘラヘラ顔に戻っていた。



「お嬢様」

 

 背後からの声。フェルミーが教室の扉を開けて中に入って来た。さすがは僕のお抱え執事、仕事が早い。右手で運んでいるのが僕の頼んだ物だろう。


「例のもの、ご用意出来ました」

「ありがとう」

「何それ、アタッシュケース?」

「まあね」


 抱えられた銀色の大きな四角い鞄。大体想像していたとおりの物だ。


「ふーん、どれどれ」 


 フェルミーに歩み寄った由宇さんは、手の甲でコンコンとケースの側面を弾いた。

 どうせ黙っていてもすぐばれるだろう。それなら最初から説明した方がいい。


「それで成績の買収を阻止しようと思います」

「阻止? みんなに買収を辞めて欲しいってお願いするとか?」

「それじゃ一々手間がかかる」


 取るべきなのはもっとも確実な方法。

 目には目を――

 歯に歯はを――


「買収には、買収を。これで彼らに買収された教師を再買収します」


 成績が買収出来るんだ。ならば、それを上回る額でその成績買収が無かったことになるように、買収することも出来るはず。


「お金ならいくらでもあるんです」


 だって僕は主人公に対抗する悪役令嬢なんだから。


「ま、ここは、悪役らしく財力で解決してみせますよ」



===



「先生のご判断、大変素晴らしいと思いますわ。それではよろしくお願いします」


 あくまで礼儀は忘れずに、それでいて確実に相手を手中に収める。

 これで六人目。

 僕たちは着実に教師を買収していった。

 ある時は職員室、ある時は音楽室、またある時は校舎裏で。

 これがもし、学園を舞台にした恋愛ドラマならいくつもの素敵なエピソードが生まれていたかもしれない。しかし生憎これは陰謀うごめくどす黒い駆け引きの物語。恋の『こ』の字も存在しない。


「フェルミー、あと何人ぐらいで終わる?」

「あと二人です。一人は語学教師、もう一人は数学……うちの担任ですね」

「ああ担任、そっか」

 

 うちの担任は数学教師だっけ。

 僕が質問を受けたのもそういえば数学の授業だった。他の授業では教師は買収されているからか、そもそもそんなやり取りさえ見なかった気がする。数学は担任の先生が受け持っていた分、多少生徒に干渉してきたのかもしれない。

 まあどちらにせよ買収することに変わりはないんだけど。


「あら森田さんにフェルミー君」


 噂をすればなんとやら。


「なんだか随分と頑張っているみたいね」

「シオン先生」


 シオン先生、フェルミーに事前に聞いていた名前だ。年齢も若いらしく、数年前にこの学校に着任したばかりらしい。なるほど他の先生よりもイキイキしている。


「よければここでお茶でもいかが?」


 『ここ』と言ったその場所の入り口には、小さく『数学準備室』の文字が刻まれていた。


――確かに場所としてはちょうどいいけど、お茶までしている時間は……外の感じも少しずつ茜色から藍色になってきているし、先生なら「早く帰りなさい」って指導する場面なのでは?


「あのえっと」

「お嬢様」


――おや、フェルミーから話しかけてくるなんて珍しい。


「私は用事を済ませますので、少しこちらでお待ちいただいても宜しいですか?」


――ああ、そういう事。


 アタッシュケースをしっかり握りしめたフェルミーは、僕にだけ分かるようにそれを微かに持ち上げた。残るもう一人の買収を済ませてくれるらしい。君のそういうところは本当にいいと思う。

 

――じゃあ任せるよ。


「構いませんわ」


 フェルミーの後ろ姿を見送って、僕は小部屋へと足を踏み入れた。


「はい、どうぞ。貴女がいつも飲んでいるものに比べたら劣ってしまって申し訳ないけど」

「あまり味は分からないので」


 部屋に入ると当初の目的通りお茶が差し出された。飲んでみても、これといって劣った味だとは思わなかった。

 この世界にやって来て、やれどこの大陸産だの、希少な一品だのと何種類かのお茶を飲んではみたものの、特に美味しいと感じることはなかった自分にとって何を出されても感想が変わることは無いのだろう。

 所詮お茶はお茶。その程度にとどまってしまうのである。

 そもそも僕は猫舌だ。


「シオン先生は普段からここに?」


 部屋には積み重なった授業教材や参考書、プリントがちらほら散乱していた。


「汚くて驚いちゃった? 先生、片付けるのちょっと苦手なの」

「いや、まあ、ええ……まあ」


 ちょっとどころではない。これでよくお茶を誘えるなと思うほどに汚かった。女性の部屋って綺麗なものなんだと勝手に思い込んでいたけれど、必ずしもそうという訳ではないらしい。男友達でも部屋が綺麗な奴もいるし、性別は関係ないのかもしれない。


「いいよいいよ、正直に汚いって言っても。大体何考えてるか分かった」

「え」


 目は口ほどに物を言う。

 先生はクスクスと笑った。いたずらっぽくはにかむ先生の表情は教師というより、まるでおっちょこちょいな親戚のお姉さんって感じだな。


「だからリリェルさんにはよくお手伝いをお願いしててね。この部屋の片づけとか探し物とか」


 確かにリリェルが先生に呼び出される姿は何度か目撃している。そうか、色々やっていたんだな。リリェルが教室からいなくなる真相に納得したのも束の間、僕は自分がここに来た肝心の目的をまだ果たしていないことを思い出した。


「先生。あの、お願いがあるんですが」

「大丈夫」

「今度のテストで、是非――」

「いいわ、協力する」

「買しゅ……う、あれっ…………え?」


――今、話をする前に、先生いいって言わなかったか?


 改めて先生の顔を確認すると、そこにはさっきとなんら変わりない笑顔が浮かんでいた。


――え、そんな、あっさり。


 今まで何人も交渉してきたけれど、こんな一瞬でOKが出たのはシオン先生が始めてだ。理由とかお金とかまだ何も提示してませんでしたよね、僕。


「先生たちを逆買収してるんでしょ。今度のテストを公平にするために。その話、先生も乗るわ。リリェルさんにはいつもお世話になっているしね」


 既に事情も把握済みときたか。担任だからだろうか。

 ぱちりとウインクした姿はどこかいたずらな感じがして、やっぱり教師には見えなかった。


「当然お金もいらないってことで」

「あ、ありがとうございます」


――なんだ、この先生。滅茶苦茶いい人じゃないか。


 考えてみれば、あんな腐ったクラスでまともに授業はやってるし、リリェルだって懐いている。これは強い味方を見つけたのかもしれない。


「そーのーかーわーり」

「へ?」


 いつの間にか先生が目の前から消えていた。

 かと思うと急に腕に強い力が加わった。体が僕の意思とは無関係にズルズルズルと壁際まで追い込まれる。


「わ、ちょっと、せ、先生っ?」

「違う見返りを貰おうかなって」

「!????」


 腕は片腕は押さえつけられている。背には壁。目の前には先生。どうにも逃げられないこの状況。これはまるで噂に聞く壁ドンというやつじゃないか。いやいや、先生は女性だろ。僕は今、どうしてそんな事されているんだ。そういう趣味なのか?

 逃げ出そうにも逃げ出せない。小柄な自分では、長身のシオン先生に勝てるはずがないのだ。

 ギリギリと反対の手で先生を押しとどめるが、それも時間の問題な気がしてきた。


「いいかなぁ?」


 先生は優しく囁いた。


――いいかどうかという問題ではない!


 いや僕個人としては、放課後の小部屋で美人教師に壁ドンされるなんてレアな展開、ありといえばありだけど! それは中の人の問題であって、外から見た絵面的にはどうなんだろう。これは……これは……!!


――やっぱり不味い気がする!


「あ、あの!」

「ふふっ………………なーんて、冗談よ。冗談」

「へっ?」

「いつも強気そうなお嬢様が真面目にお願いなんてするんだから、面白くなってちょっとからかってみただけ」

 

 いたずらっぽい顔をしてたのって、比喩表現じゃなくて、本当にいたずらしようとしてたってか。なんだその冗談は。信じられない。


「やだなーもう、そんな目で見ないでよー可愛いなぁ」

「わふっ」

 

 熊の人形にでも抱きつくみたいに思い切り抱きつかれた。さっぱりとしたミントのような匂いがする。僕が悪役令嬢じゃなくて僕だったら、ちょっとした事案になってるよ、ほんと。

 素直に喜べない感情のまま僕は扉の方に視線を送った。


「って訳だから、フェルミー君も心配しなくて大丈夫よ」

「そうですか」


 フェルミーは淡々とこちらを見ていた。いつの間に中に入ったのだろう。扉の前に立つ彼は、先生の言う『心配』とは無縁のように表情が無い。先生に「一緒に混ざる?」なんて聞かれていたけれど、彼は一切の冗談も交える事無く普通にお断りしていた。その精神を見習いたい。


「お嬢様に報告があります」


 フェルミーは再び口を開いた。買収の件だろう。僕の代わりに語学教師を買収しに行った彼は、その目的を果たしたため結果報告に来たらしい。


「お疲れさま」

「それが」


 ん? 彼の表情が少しだけ曇っている。



「例の最後の一件、失敗致しました」



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