第6話 そうだ、転職しよう
「ここだよ、転職場」
自宅に帰る馬車の行き先を急遽変更して、やってきました転職場。
それは街中の商店街ちょっとはずれにぽつんと建っているクリーム色の四角い箱だった。看板なんかは一切見当たらない。随分シンプルな建物だ。
「職業安定所とかいうオチじゃないですよね」
「入ってみれば分かるよ」
促されるまま壁面に小さく設けられていた簡素な扉を押し開けた。
「これは……」
ゆっくりと開く扉の先、あんなにあっさりした外観とは思えない光景。
そこには教会のような神々しい装飾が施された空間が広がっていた。
「言いたいことは色々ありますが、えーっと……空間、おかしくないですか?」
外から見た時よりも中は明らかに広い。民家だと思って中に入ったら体育館でしたってくらいの違いはある。
「空間を拡張する魔法か何かじゃない?」
「何かじゃないって」
――言ってくれるじゃないか、おい。
ちょっと前に理屈じゃ語れない魔法のような現象を自分で起こしておいて言うのもなんだけど、魔法が存在するってこと自体、僕にはまだ受け入れられない。
――この期に及んでいちいち動じる僕がおかしいのか?
次々と事態に適応していく彼女の意気揚々とした後ろ姿を僕は複雑な気持ちで見つめた。彼女はどんどん先を行く。物理的にじゃない、精神的にもそんな気がした。
「いらっしゃい、転職したいのかな?」
背後から突然声がかかった。
振り向くと、丁度自分の目線に青いとんがり帽子が映りこむ。
――いつからこんなすぐ後ろに?
それはゲームに出てくる神官のような恰好をした白髪のおじいちゃんだった。その姿は妙に神々しい。この世界の住人は多少僕らの世界と服装が違うにせよ、ある程度許容出来るものだった。しかし彼の場合、いかにも、ゲームの登場人物ですよと主張するような風貌なのだ。
「そうです。転職をお願いします!」
僕に代わって言葉を返したのは由宇さんだった。
先を歩いていたはずの由宇さんはそう言って、目を輝かせながらツカツカツカと僕らの元へ引き返してくる。
「出来ればボスをワンパンで倒せるやつがいいです」
――君は誰に対しても相変わらずだな。
「うんうん、立ち話もなんだから向こうでゆっくり話を聞こうね」
彼はそう言ってにっこりと笑った。
===
「して、何に転職したいのかな?」
部屋の奥へと案内された僕達は、祭壇を挟んで向かい合わせに座った。隣にはきょろきょろと楽しそうにあたりを観察する由宇さん。リリェルの家といいこの場所といい珍しいのは分かるけどさ。
僕はおじいちゃんの背後にある装飾に目を向けた。
不気味に光る水晶や燭台、聖水の入っていそうな小瓶、分厚い本の数々。これが僕らの元の世界での話なら、怪しい壺なんかを売りつけられる前に速攻立ち去るべき案件なんだろうけど。
「お嬢さん?」
「あ、はっはい」
おじいちゃんのまんまるな目が僕の顔を覗き込んだ。
「転職しに来たのじゃろう?」
相手を騙そうとかそういう気持ちを感じられないおじいちゃんの言葉。
――インチキ商売の類って訳じゃないんだろうな、この場合。
不思議とそんな気がした。
「転職……でしたよね」
僕は波に乗るように自然とその言葉について考え始めた。
転職か。いざそう言われると、なんて答えるのが正解なんだろう。転職したいとは思ったものの、その先のことは考えていなかった。悪役令嬢じゃなければなんでもいいっちゃいいんだけど。
「そ、そうですね。えっとー……」
部屋に置かれた剣と盾をモチーフにした装飾。それがたまたま僕の視界に入った。とりあえずこれでいいや。
「あっ、騎士で!」
「ほほほ、こんな可愛いらしいお嬢さんが珍しい」
おじいちゃんの丸い目が更に丸く見開かれた。
「本当にいいのかな?」
「はい」
――だって本当はお嬢さんでは無いからね。
僕の意思を確認した彼は、袖の奥から眼鏡を取り出し、手にしていた本をぱらぱらとめくった。
「ほう、ふむふむ、これはこれは」
僕らの顔と本を交互に見比べる。
一体何が見えるんだろう。少し覗いてみたけれど、僕にはそれが白紙の本にしか見えなかった。
「結論から言おう」
本の動きがぴたりと止まった。
「転職は出来ない」
「転職、出来ない……?」
「そうじゃ」
ものの数十秒。あっという間に出てしまったその答えに僕は動揺した。
――結論出るの早くないか? あるだろもっとこう儀式的な、聖水をまき散らすとか、パイプオルガンが鳴るとか色々。
うっかり由宇さんみたいな発言をしてしまいそうになりながら、僕はギリギリのところで言葉を飲み込んだ。
「じゃ、じゃあ他の職業ならどうですか」
何も職業は騎士だけではない。大体、騎士というのは元々がもやしのような僕としては高望みだったのかもしれない。別にいいのだ、悪役令嬢でなければ職業はなんでも。吟遊詩人でも、占い師でも、魔法使いでもなんでも。焦った気持ちを押し殺し、僕は再度訊ねた。
「最初に言った通りじゃよ、転職は出来ない。君は今、その職以外に変更することはできんのじゃ」
「なっ」
――なんだって? 変更できない? 呪われた武器でも装備してるのか?
勿論僕に所持する武器の類は何もない。念のため体を触って確認してみても、やはり何も持ってはいなかった。
「転職には、今の職をマスターする必要があるのでのう」
「マス……ター?」
僕の脳内に一本のソースがよぎる。違う、これはウスターだ。完全に僕の頭がバグっている。
「ちなみにマスターってどのぐらいレベルが必要ですか?」
由宇さんはいつもの調子でサクサクと彼に問いかけた。
「そうさなぁ、ざっと100くらいかのう」
「ひゃっ……」
転職に必要なレベルが100。
対する今の僕はレベル2。
あ、これ、一生転職出来ないやつだ。
ちまたの求人サイトの方がよっぽど簡単に転職できる。
「100かぁ~」
まるで世間話をするように緩やかに言う彼女の隣で、僕はもう二度と訪れることはないであろう場所の天井を見上げ大きく嘆いた。
===
「レベル100だって」
「実質、転職不可ってことじゃないですか。こんなのクソゲーですよ、クソゲー」
「やり込み要素があっていいと思うけどなぁ」
――このオタクめ。
「僕は頑張らないですよ。もうこのままでいいです」
大体、悪役令嬢やめるために悪役令嬢を極めたら本末転倒だ。
「ふーん、縛りプレーかぁ、大変だねぇ」
「そういう意味じゃなくて」
僕の声など届いていないのか、うんうんと理解を示したように頷く由宇さん。
君は何も分かってないからね。
「森田さんが転職出来ないと分かったところで、後はリリェルちゃんをどうするかだね。悪役令嬢としてさ」
「悪役令嬢としてかー……」
この世界の主人公リリェル。
持っているのは主人公という肩書きだけで、何故かとてつもなく貧乏だった彼女。そんな彼女は一体どうすればハッピーエンドになるんだろう。
「……とりあえず、資金援助でもしておきますか?」
悪役とはいえ令嬢なんだし、お金は腐るほどあるだろうから。
つぎはぎだらけだった服を思い出し、僕はそうしてみようと思った。
「早速家に帰ったら相談してみ……」
「お嬢様っ!」
「うわ」
場にピンと張るような男の声。怒られている訳でもないのに、それに似たようなドキッとした緊張感が僕の体を駆け抜けた。
――げ、あれは。
つかつかつかとスーツ姿の男がこちらに向かってくる。わらわらした人込みをかき分けて、目標を追いかける猟犬のように黒いスーツが近づいてくる。
もしかしなくてもフェルミーだった。
「なかなかお戻りになられないようでしたので、お嬢様を御迎えにあがりました」
「え、ええ~」
――いやいや全然外も明るいし、門限にはちょっと早いでしょ。
余程必死に探し歩いたのか、今朝はしっかり整っていたはずの髪の毛も今はぼさぼさに乱れている。
「イケメン執事が台無しだね。ま、それも美味しいけど。ヤンデレ忠犬わんこ」
由宇さん、君は黙ってなさい。
それにしても一体どうやってここを探し当てたんだろう。まさか本当に犬というわけでもあるまい。
「よ、よくここが見つけられたわね」
「はい、それはもうお嬢様の為ですから、持ちうる体力とお嬢様ネットワークを駆使して探しましたよ」
お嬢様ネットワーク? なにそれ、なんなの怖い。
【フェルミー HP15 MP0】
しかも言葉のとおり本当に体力が減っている。ついでにMPも。まさか僕を追跡するための変なスキルとか使ってる? さすがにそれはないか。さすがに。いや、やめよう、これ以上考えるの。
彼の視線から顔を外し、僕は急いで馬車に乗り込んだ。
「佐々木様はあちらの馬車をお使いください」
道の隅に一台の馬車が止まっていた。フェルミーが使っていたものらしい。
「それじゃあまた明日学校で。面白い話、期待してるね!」
由宇さん、君は一体何を期待しているのか。
手を振る彼女に見送られながら、僕は転職場をあとにした。
「ところでお嬢様、お嬢様はあのような場所で何をやっていたのです?」
「何って、気になるお店があったのですわ」
「はて、あそこに店ですか? そんなものはありませんでしたが」
おや。おやおや?
振り返って確認してみた。けれど、フェルミーの言葉どおりそこにはまっさらな空き地があるだけだった。じゃあ僕がさっきまでいた場所は何?
「まさかお嬢様、またどこかでお怪我をなされて、それでありもしない幻覚を見たのでは? ああやはり私がお供すればよかった。今日こそは片時もおそばを離れないように務めさせていただきますのでご安心ください」
――だからそれはやめろ。
男二人を乗せた馬車はガタンゴトンと乱暴にお屋敷へと消えていった。
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