第5話 『主人公』とスキル発動!


「それでは佐々木様、お嬢様をよろしくお願いいたします。お嬢様、くれぐれも、くれぐれも御怪我などなさいませんように。何かありましたらご連絡いただければ、光の速さで駆けつけ……」

「だ、大丈夫、心配ありませんわ」


 由宇さんと二人きりで外出すると告げてから、フェルミーの態度は一変した。まるで過保護なお母さんだ。フォークを投げつけられたり頬を叩かれたりした時はあんなに反応に乏しかったのに。


「きっと屋敷内は安全地帯にでも設定されているんだろうねぇ」

「だから屋敷内の出来事は無反応だったって? あーもう、そういう分析はいいからさっさと行きましょう」

「了解~」


 こうして執事のフェルミーに見送られた僕たちは、この世界の悪役令嬢ことカテロール家の所有する馬車に乗って『主人公』の元へと向かった。


「外出させてもらえないかと思った」


 ごとごとと小刻みに揺れる馬車の中。家を出て十分くらい過ぎたところで、僕はようやく一息ついた。


「大事にされてるねぇ」

「他人事だと思って」


 向かいの席で由宇さんはニヤニヤと楽しそうに笑っていた。


「大事どころじゃないですよ。昨日なんてあれ以降、外出は危険だから禁止。換気のために窓を開けることさえ禁止。家に着いてからもずーっと僕の後をつけてきて……さすがに風呂とトイレは断りましたけど」

「エロゲーかな?」

「エロゲーって」


――この人の思考はよく分からない。


「とにかく、今日は由宇さんが来てくれて助かりました」

「あ、感謝された」

「僕だって感謝くらいしますよ」


 由宇さんが来なかったらどうなっていたか分からない。多分昨日の延長線だ。外出も何もかも禁止され監禁される。本当は由宇さんと外出するのだって却下されるものと思っていたけれど、どういう訳かのらりくらりとした話術で彼女は執事から僕の外出を勝ち取っていた。


「こうしてこの世界に来たのが僕一人じゃなくて良かったって思いますよ」

「そうかい。それはよかった」


 その言葉を耳にしながら僕は窓の外を眺めた。

 畑で農夫が小麦を収穫している。あの屋敷とは違うけれど、コンパクトで温かみのある家。そんな家がぽつりぽつりと小さな家が立ち並んでいた。庭では子供たちが追いかけっこをして遊んでいる。フェルミーはあんなに外との接触を拒んでいたけれど、なんだ全然平和じゃないか。


 ちらりと由宇さんを見ると、彼女もまた反対の窓を眺めながらヘラりと緩やかな笑みを浮かべていた。


===


「着いたよ、この家だね」


 由宇さんはそう言って馬車を降りた。僕もそれに続く。『主人公』の住んでいるらしい建物、その外観に僕は思わず息をのんだ。


――この家って、この家か。というか本当にこれは家だよな?


 わらで作られた屋根、ボロボロと穴の開いた木の壁、穴が布か何かで塞がれている窓ガラス。家全体が不安定に歪んでる気がするし、風が強くふけば吹き飛ばされそうだ。


「これが……例の『主人公』の家で間違いないんですよね?」

「そうだよ」

「そうだよって、そんなあっさりと。由宇さんはそう思っているみたいだけどさ」


 僕は改めて家を見上げた。

 間違えても普通の人が住むような家には見えない。だってこんなにボロいんだよ? それとも何か、仕掛けや別解釈でもあるのか? 豪邸への隠し通路の入り口だとか、実はペットの犬小屋だとか。最悪住んでるとしたって、敵の盗賊とかだろう。


「やっぱどう見ても『主人公』の家って感じではないでしょう」


 僕は由宇さんの顔を見つめて再度確認した。


「本当に『主人公』の家なんですか。中ボスのアジトとかではなく!」

「うん。本当にここが『主人公』の家だよ」


 冗談の含まれていない真面目な返事だった。


――本当って。


 その確信はどこから来るのだろう。そもそも僕らは昨日この世界に来たばかりなのに。見たことも無い相手を主人公だと断言出来る根拠が知りたい。


「『スキル』を使ったからね、間違いない」

「は?」


――スキル? 今、スキルって言ったこの人。高校生にもなってスキル。スキルってあれだよな、現実的な能力って意味じゃなく、由宇さんの場合は特殊能力。


「私のジョブ、『主人公の友達』だよ。そのくらいの特殊能力持ってなきゃ」

 

――ほらやっぱり。


 由宇さんがゲームや漫画好きの妄想オタクだってのは知ってたけど、いや流石にその妄想はいきすぎじゃないか?


「……」

「おやおや、その顔は森田さん信じてないね?」


 由宇さんは少しだけ不服そうに眉をひそめた。

 いやでも、いくらなんでも唐突に「自分は特殊能力に目覚めた」とか言われたら、相手をちょっと冷ややかな目で見ちゃわない? 「ほほう、なるほどそうですか」なんて僕はならない。

 彼女の顔から目線をそらし、僕はゆっくり言葉を返した。


「本当にいたら信じますよ。その『主人公』ってのが」


――まあいないだろうけど。


 僕はもう一度、ボロボロの家を見上げた。

 人の気配はない。廃墟のような色あせた建物がじっとその形を保っているだけだった。


「ほらやっぱり誰もいなっ……」

「あら由宇さん。それと……森田さん?」

「…………え?」


 建物から聞こえたわたあめのようなふわっとした声。ぼんやりと揺れる家の影。

 家の裏から現れたのは、かごいっぱい詰まった洗濯物……違う、洗濯物を抱えたふわふわ栗毛の美しいお嬢さんだった。


「美少女が出できたぁ」


 ――マジか。


 隣の幼馴染はテンションが上がっている。

 でも、わかる。僕もそう思う。

 そう、美少女。間違いなく美少女だ。たとえ今の彼女が長年こき使われてきた使用人のような地味で古臭い恰好をしているとしても、美少女オーラがそのダサさを凌駕していた。


――美少女って実在するんだ。


 異世界に転生したという事実よりも、この家から人が出てきたことよりも、そのことの方が驚きが大きかった。



===



「お水でいい? 野草のお茶もあるけれど、その……お腹を壊すといけないから」

「おかまいなく」

 

 野草のお茶も気になるところだが。彼女の謎の気遣いもあって、僕らの目の前のコップにはコポポと水が注がれていた。

 「渡したいものがある」、外で彼女に遭遇した僕達は、そんな適当な建前で家へとお邪魔をしていた。


――やっぱりここが彼女の家って事で間違いないんだろうなぁ。


 家の中は外観を見て想像したとおりだった。窓ガラスは穴の開いたタオルで無理矢理塞がれていて、壁からは僅かに風が吹き込んでいる。それに合わせて時々カタカタと家が揺れた。部屋の隅には幼い頃の彼女と思しき人物が、両親と手をつないで笑っている写真が飾られていた。


「そうだ、今日はクッキーがあるの。持ってくるね」


 そう言って台所へ向かう小動物のような後ろ姿。僕はそこから少しだけ上に視線をそらした。


【リリェル ジョブ:主人公 HP10 MP5】


――主人公。本当に主人公なんだ。


 名前はリリェルと言うらしい。確かに容姿だけ見ればまさしく主役級だ。悪役令嬢になった自分も、見た目だけはまあまあ可愛いとは思ったけれど、彼女と比べたら足元にも及ばない。内面もきっと素敵なものに違いない。

 少なくともそこで家の中を勝手に物色する由宇さんに比べれば。


「お行儀が悪いですよ」


 飾られていた写真立てを興味深そうに持ち上げた由宇さんは、ニヤリと笑みを浮かべた。


「いやーどんな生活をしたらあんな美少女になるのかなって」


 それは僕も知りたいけどさ。部屋を物色していい理由にはならないって。

 由宇さんは気にせず部屋を物色している。


「部屋の探索はゲームの基本でしょ」

「人としての罪悪感は無いんですか」

「大丈夫、まだツボを壊したりタンスを開けたりはしてないから」

「それやったら本気で軽蔑しますよ?」

「ははっ」


――分かったのか分かってないのか怪しいな、この人。


「あ、そうだ。ところで森田さん」


 ふらふらとしていた彼女は何かを思い出したように手を止めた。


「なんですか」


 僕はストンと向かい側の椅子に座る彼女を、頬杖をつきながら目で追った。


「森田さんのスキルって使ってみた?」

「スキル……またそれですか」


 何を言うのかと思えば。

 曰く、由宇さんがこの世界の主人公リリェルを発見出来たのは彼女の持つ『スキル』のおかげらしい。

 この世界にやって来て二日、自分が別世界にいることと美少女は実在するということは信じる気になったが、さすがに特殊能力の類はねぇ。ここまでの交通手段だって馬車だったし、『スキル』なんて便利なものがあれば瞬間移動だって可能だったでしょうに。

 という訳で、「そんなものは無い」に一票投じる。


「まあまあ、物は試しだ。とりあえず森田さん、目を閉じて、スキルを使うぞ~って気持ちで集中してみてよ」

「いやいや、信じられませんね。そんなスキルを使うぞだなんて……」


――ん、あれ?


 そう言葉を返した瞬間、思考の中に妙な違和感を感じた。自分が考えていることとは別のもう一つの思考。白い霧のようなぼんやりした世界に広がる文字のような何か。

 こ、れは、なんだ? ウァ、ウォ?


「≪ウ、ウォーター≫……? うわっ」


バシャアアアッ


「きゃあああっ」


――え、え、ええええええ~っ。なぜこうなった!?


 飛び散る水しぶき。被害者はリリェル。

 水が、僕の手元から勝手に水が噴出しただって? いや、そんな馬鹿な。


「ごめんなさい、大丈夫?」


 とっさに出る言葉は何一つ現状をフォローしていない。僕は完全に混乱していた。顔面から胸元のあたりまで、いきなり飛びかかった水のせいでリリェルはびしょ濡れだ。

 僕は何を言っているんだ。見りゃ分かるだろ。大丈夫な訳ないんだ。

 悪意が無いとはいえ、やってしまった事実を取り返すべく次に僕がとった行動は、机に置かれているおしぼりを手に取ることだった。


「早く拭か……」


 しかしそこで、あることに気付いてしまった。


――僕はそれをどうするって?

 

 彼女の体を拭く? もしかして、これ、セクハラになるのでは?


 おしぼりを手にした体勢のまま僕はぴたりと固まってしまった。


――こんな時に健全な男子高校生である僕の一面が出てしまうとは。


 いやいや待て待てよく考えろ。


 僕は目を閉じた。


 僕の外見、前髪パッツン黒髪ロングの美少女。よし、ここは問題ない。

 中身、本当はどこにでもいる普通の男子高校生。しかし今はどうだ。外見にカモフラージュされたおかげで、話し方などに気を使えば外見同様女の子なのでは。


「……いけるか?」


 男子高校生の僕が現実にやったら訴えられかねないその行為、今なら許されるのではないだろうか。いやむしろ許してやりたい。自分に許可を与えてやりた……


「リリェルちゃん、とりあえず着替えた方がいいね」

「うっ、うん。そうするね」


――佐々木 由宇!?

 

 ああ、そうだ。そうだった。この世界には僕一人じゃない、僕の中身を知っている彼女がいるんだった。

 ……この世界に来たのが僕一人じゃなくて良かったなんてよく言ったもんだ。別に、いいけどね。ちょっと冷静になろうか、自分。


 役立たずのおしぼりを握りしめ、僕は奥の部屋へと消えていくリリェルと由宇さんを見送った。


===


「他に人前に出れそうな服がないから今日はごめんなさい、だって。はい、これお土産のクッキー」


 奥から戻ってきたのは、手元に小さな包み紙を持った由宇さん一人だった。

 とんでもない。こちらこそごめんなさいですよ。

 残念すぎた甘い自分の思考。あとから冷静になって考えて、心の底から申し訳ない気持ちになった。


「本当にすみませんでした」


 そう言って僕は、彼女のいる部屋に頭を下げた。

 当然、返事は無かった。


===


「で、あれが森田さんのスキルってことでいいのかな?」

「……でしょうね」


 ところ変わって馬車の中。

 自己嫌悪に陥っている僕におかまいなしに由宇さんは声をかけた。


「まさか水を『かける』スキルだったなんてね。さすがジョブが悪役令嬢なだけある」

「やっぱり由宇さんにはそう見えたんですね」


 そんなことだろうとは思った。

 二人が着替えで消えた後、僕はもう一度あの状況を思い起こしていた。

 リリェルに水がかかってしまった。もちろんあの時、僕はコップを傾けたりはしていない。やったことがあるとすれば、頭の中におぼろげに浮かんだ言葉を口にしただけだ。けれどその瞬間、絶妙な角度、勢い、命中率でコップの水は飛び出した。その勢いは僕の手首をも軽々と操作し、傍から見れば彼女を水をひっかけた。それはまるで僕の意思のようにしか見えないだろう。ドラマのワンシーンでしか見たことがないような光景。完全に嫌がらせだ。


――悪役令嬢という役割に与えられた、悪意あるスキル。


「由宇さんはどうしてこんなものになりたいなんて思ったんですか」


 今のところこの役柄に何一つ魅力が感じられない。


「私の知ってる悪役令嬢は、その悪役的なところを乗り越えてハッピーエンドになるので」

「その悪役令嬢、きっとレベルがMAXの状態なんですよ」

「確かに!」


 ぱっと表情が輝く彼女を視界から外し、僕はため息をついた。


「そういうことだと、森田さんはまだレベルが1だから……ん、待って。2に上がってる! おめでとうございます!」

「嬉しくないです」

「いやぁこれは案外さっきのスキル発動が原因だったりして」

「嬉しくない、本当に嬉しくない」


 他人の不幸を犠牲にしてレベルが上がるぐらいなら、僕はこのままで構わない。

 再び今日の残念な自分の行動を思い出し、僕の口からはもう一度深いため息がもれた。


「これが本当にゲームなら僕は転職したいですよ」


 出来ればもう少ししっかりした職がいい。賢者とか騎士とか理性がしっかり保てそうな。


「転職? 出来るよ」


 なんだと。



「じゃあ時間もまだあるし、行ってみます? 転職場」

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