第4話 ここはどこ、私は令嬢


=朝=


 朝ごはんを作ってくれる幼馴染について考えていた昨日が懐かしい。たった一日前の話なのに、僕がこれほど懐かしく感じるのは、その世界がもう二度と戻れない遠く離れた場所になってしまったからかもしれない。

 

――僕は今、異世界にいる。



「はあ」


 鏡に映る黒髪の美少女は不機嫌な表情を浮かべていた。何を隠そうこの黒髪美少女こそが僕である。僕は美少女に朝起こしてもらいたいのであって、美少女そのものになりたいとは思っていないのだ。そりゃあまあ、寝起きに鏡さえみればそこに美少女がいるけどさ。

 セルフはお断りである。


「ほんと、なんでこんな事になったかなぁ」


 滑って転んで頭を打ち付けて、目覚めてみたら黒髪美少女? なんだそれは。ありえない。誰かに打ち明けでもしてみろ、即病院送りになるに違いない。


――まあでもタンクトップ姿のおっさんとかじゃなくてよかったけど。


「森田さーん」


 窓の外から声が聞こえる。


――はいはい、ここにますよ。


 自分の姿がおっさんにならなかったことに感謝をしつつ、僕は訪ねて来たであろう友人に会うため、昨日とは違うひらひらフリルの服へと袖を通した。ちなみにこの体がちゃんと女性のものだったかどうかについてはご想像にお任せする。


「しかしあの人は朝から元気だなー…」


 部屋の窓から見下ろすと玄関先で手を振りかざす能天気なヘラヘラ笑顔の少女と目が合った。


――今やあの人が僕の唯一の知り合いか。


 これが良かったことなのか悪かったことなのか、僕にはその正誤は分からなかった。


 コンコン

「お嬢様、佐々木様がいらしております」

「今出るのですわ」


 ノック音と共に告げられたフェルミーの言葉にそう返すと、僕は恨めし気に鏡をみつめた。鏡の向こうでも黒髪パッツンロングヘアの少女が恨めしそうにこちらをみつめていた。


===


「色々分かったことがあるよ」


 朝の挨拶も無しに第一声で飛び込んできたのは彼女のそんな言葉だった。

 二人が向かい合わせに座っているテーブルの上には美味しそうなハムサンドやサラダなどが並べられている。僕だけではなく彼女の前にも置かれているのは屋敷の人の気遣いか。

 僕は手前にあったサラダを手に取りながら彼女の話を聞いた。


「やっぱりこの世界はゲームの世界で間違いないみたい」

「やっぱりって……」


 彼女の中には最初から確信めいたものがあったらしい。まあなんと理解の深いことでしょう。僕なんてやっぱり夢であって欲しいと今朝は二度寝したというのに。


「何故そう思ったんです?」


 ここは一つ理由を聞きたい。これが夢じゃなくて、ゲームだというちゃんとした理由が。じゃないと明日も僕は二度寝しそうだから。


「それはね」


 彼女は手元に置かれていたフォークを手に取った。


「いや、ちょっと待った!」


 なんかそれすごく投げそうな持ち方じゃない? というか投げっ……


「何をっ……危なっ……!」

「へーき、へーき」


――平気じゃないし!


 ヒュンとフォークが飛んでくる。

 こういう時に限って執事のフェルミーは見ていない。あなたの大事なお嬢様の危機的状況ですよー!


ガッ

「ぎゃっ…………あれ?」

「ほらね。大丈夫」


 それは彼女の言う通り、僕に危害を加えることは無かった。

 フォークは僕の喉元に来たかと思うと、謎の発光と同時に何事もなかったかのように消えてしまったのだ。とはいえ怖かったんだけど。


「……」

「ごめんごめん。怒っちゃ可愛い顔が台無しだよ~?」


 誰が怒らせたと思っているんだ。

 悪びれない笑顔の由宇さんは軽い口調で僕に謝罪した。 


「まあまあ。それではい、先ほどのフォークはこちらになります!」

「あのね、その前に少しは反省してください。せめて投げた物を拾うくら……えっ」


――んな馬鹿な。


 ひらひらと手を振る彼女の手元には一本のフォークがさっきと同じようにちょこんと並べられていた。


「と、このように、安易に他人を傷つけられない仕様となっております」

「仕様となっておりますって」

「だってほら、ゲームではいきなり村人とか傷つけられないでしょ」

「そ、それはそうだけど」


 いきなり主人公が村人を殴り倒すゲームとか嫌すぎる。


「だけどほら、こんな風に」

「こんな風?」


 由宇さんはそう言うと立ち上がり右手を振り上げた。


「『モリタサンナンテ、ダイキライダー』」

「はっ?」


ぺちこん


 何を言われたか理解するよりも早く、僕の右頬には衝撃が走った。というか、軽くぶたれた。


「ストーリーがあるなら危害を加えることが出来るようになってる。棒読みでも可」

「そうですか。ところで僕は、今普通にイラッとしました」

「すみません」


 謝罪で済むなら警察はいらないと習わなかっただろうか。


「で、話を戻すと、今のは私が森田さんの美貌を気に食わなくて怒りだした設定です」

「一方的に失礼な設定ですね」

「ネタがすぐに浮かばなくて。大丈夫、ちゃんと訂正するから」


 そういう問題じゃないだろう。

 それから由宇さんは満足げに『ゴメンナサイ、ウソナノ。ホントウハ、ダイスキ。イイヨネ、クロカミビショウジョ、バンザイ』とこれまた棒読みのセリフを並べた。 

 おかげで、介入しようとしてきたフェルミーはまた何事もなく元の位置へと戻っていく。そこはもう少し怒ってくれ。


「あと名前とか」

「名前」


 彼女から出たその言葉。うん、確かに。僕にもそれは心当たりがある。


「私が調べたところ、この街の人達はみんなカタカナ表記の洋風の名前がほとんどだった」

「でも僕たちは二人とも漢字表記の和名であると」

「そうそう」


――やっぱりそうか。


 僕は彼女の頭を見上げた。そこには相変わらず半透明の四角い板が浮かんでいる。


【佐々木 由宇 ジョブ:主人公の友達 HP50 MP20】


「プレイヤーの名前って自分で設定出来たりするでしょ。イレギュラーでこの世界に来た私達はある意味プレイヤーって訳だ。だからこうして世界観にそぐわない名前でも私達は溶け込んでる」


 随分と滑稽な話だ。洋風な舞台に混ざるゴリゴリの日本人。小学生の頃やっていたゲームの主人公に『ぬぬぬぬぬ』なんてふざけて名付けたことがあったけれど、実際に味わうとこんな感じなのかもしれない。


「誰も僕達の名前に違和感を持っている様子はありませんもんね」


 一応、僕の住むこの家はカテロールという家名を持っている。しかし僕はカテロール家の人間であるにも関わらず、「森田お嬢様」とそう呼ばれるのだ。

 

「他にもさ、話しかけた内容が不適切だと会話が進まなかったり、街の人がなんとなく同じ言葉を繰り返していたり色々あるんだけど、まあざっくり検討した結果、たぶんこれはゲームの中なんじゃないかなってことになりました」

「……」

「あれ、森田さん否定しないの?」

「しませんよ」


――これについても昨日、自分で目の当たりにしたから。


 昨日の帰宅後、僕はこの屋敷にいる何人かの使用人と会話する機会があった。使用人とはいえ相手は大人、当然敬語を使うべきだと思った。しかし彼らはそれでは一切反応しないのだ。まるであの時のフェルミーのように。そんな彼らが反応する方法、それはもちろん僕の高慢で命令的な態度。

 フェルミー一人ならともかく屋敷の使用人複数名ともなると、さすがに性癖で片付けられる問題ではないだろう。


――じゃあ本当にゲームの世界なのか。

 

 受験勉強の現実逃避の一種としてそんな事を願った日もあったかもしれない。けどそれは、絶対に起こりえないから願ったことで、まさかこうして現実に起こっちゃうとなあ。


「……仮にここがゲームの世界だとして、元の世界に戻る方法は無いんですかね」

「戻りたいの?」


――戻りたくなるよ、実際。


 だって戻らなかったらどうなる?

 ゲーム世界の悪役令嬢として一生を終えるのか? これまでの18年間は? 

 何も無かったかのように「×」ボタンで閉じられてしまうって? それは嫌だろ。


「戻れるかなあ」

「えっ」


――戻れないの? ここまでこの世界に理解のある由宇さんともあろう人がそんな消極的な。いやいや、やめてよ冗談でしょ。


 途端に体がぞっとした。まるで余命を申告されたみたいだ。


「由宇さん」

「うーん、可能性の話だけどね」


 由宇さんにしては歯切れが悪そうに口を開いた。

 僕はそれを藁にも縋るような思いで聞いた。


「可能性でも全然いいです」


 食い入るように彼女をみつめた。


「これがゲームの世界だとしたら、クリア条件は必ずあるんじゃないかって思うんだよね。魔王を倒すとか、彼女を作るとか、甲子園で優勝するとか」


 確かに。

 例えどんなクソゲーでもゲームと名が付くものならば、何かしらの目的がある。

 そして、それを達成した先にあるのはゲームの終わり――元の世界への帰還が待っている?


「ゲームをクリアすれば帰れるかもしれないってことですよね!」

「や、そうかなってだけで、確信ではないよ」


 可能性があるなら何でもいい。

 このままここで一生を終えるより全然マシだ。


「それで、この世界のクリア条件はなんですか!」

 

 ガチャンと席を立った拍子にテーブルが軽く揺れた。注がれた紅茶がゆらゆらと波を描く。


「さあ?」

「さあ、って由宇さんらしくもない」

「主人公次第かなって思って」


 主人公。そうか、主人公。つまり僕。

 確かにそうだ。ふわふわのお嬢様が甲子園なんか目指さないし、国盗りをしている戦国武将が恋の戦争なんて起こさない。その主人公には、その主人公に合ったシナリオが用意されている!


「じゃあクリア条件は僕次第だと、そういうことでいいんですね!」


 恋愛か、魔王討伐か、億万長者か、なんだっていい。僕がこの世界から帰還するためならなんだってやってやる。


「違うよ」

「え?」

「違う違う」


――違う?


 由宇さんは特に笑うことも無く、真顔で首を横に振っていた。そんなに真顔で言われると。え、冗談じゃないの。


「でも」


 でもさっき自分で言ったじゃないか。「主人公次第だ」って。僕次第でゲームのクリア条件が決まって、僕がその課題をクリアすれば元の世界に帰れるんでしょ? それともなんだ、僕がどこかで聞き間違えていた……?


「いや」


――いや?


「昨日結局、主人公には会えなくて。門限が過ぎてたみたいで面会断られちゃってさ」


――主人公には「会えなかった」?


 ちょっと待てよ。僕と由宇さんは昨日の時点で出会っている。それなのに会えなかったってことは……僕でもない、由宇さんでもない、まだ見ぬ誰かが主人公ってことだったりする?


「だから今日、これから会いに行ってみない? 主人公のところに」

「やっぱり……」


 やっぱりそうだ。ここにいない第三者が主人公。


――主人公が僕じゃなかったのか。

 

「森田さん?」

「……なんでしょう」

「そんな顔なさらずに。大丈夫だよ、私はほら、主人公の友達ってポジションだから、門限みたいな縛りさえなければ簡単に会えるよ」

「……ああ、うん。そうだね」


 違うんだ由宇さん。僕がこんな顔してるのは心配だからじゃない。

 勘違いしていたんだ。


 あまりにも由宇さんが普通に話しかけてくるもんだから。


 この世界に来たのが自分達だけだったから。


 自分が主人公だって? 馬鹿を言え、僕は主人公じゃない。


 ああ、この勘違い、死ぬほど恥ずかしい。





 後に僕は彼女に聞いた。


「ん、悪役令嬢? 悪役令嬢はね、大体主人公の足を引っ張ったり立ちはだかったり、そういう役割の子だよ。主人公ではないねぇ」


 佐々木 由宇よ。どうして君は悪役令嬢になりたいと思った。

 そして僕はまた一つ、小さなため息がこぼれた。

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