第3話 悪役令嬢30点

 

 自分の体が女性になったことは理解した。

 でも、死んで異世界に転生? その辺については一つも納得も理解してないからね?


「本当は私が悪役令嬢に転生するはずだったんだけど、森田さんに先を越されてしまったねぇ」

「なんでそんな平然としていられるのか分からない」


 あははと由宇さんは悪意なく笑った。

 僕の混乱も疑問も不安も大した問題じゃないって顔だな、君。


「じゃ森田さん、是非頑張って悪役令嬢ライフを満喫してください」


 ぽんぽんと肩を叩くその手には、やっぱりこの現状に対する深刻さは一切見当たらなかった。見当たるのは彼女の純粋な好奇心のみ。


――満喫してください。じゃないんだよ。


 そんな「さあ今日から第二の人生スタートです!」なんて感じの話をされて「そっか今日から令嬢か」なんてなる? ならないでしょ普通。大体、本当にここは異世界? 本当に僕は死んでるの? ああどうせなら夢の中だと言われた方がまだましだったよ。

 でもさ、この妙に現実感のある景色や音、質感、これどう見ても夢じゃないんだよ。それなのに、頭の上のステータス板、これどう見ても非現実的ではないですかね。


「まーまー。悩んでも仕方ないからさ、現状確認してみようよ」

「現状、確認?」

「イエス、現状確認」

 

 イキイキとした表情の由宇さんは、そう言って彼のことを指差した。それは僕にぐいぐい詰め寄ってきたスーツ姿のあの男。


「さあさ、早く早く」


――ちょっと何すんだ、おい。


 ずいずいと背中を押される僕。この体になったとはいえ、まさか由宇さんに力負けする日が来るなんて。

 踏ん張ることむなしく僕は例の男の前へと躍り出てしまった。


「えっと……」


 なんと切り出せばいいのか迷う。というか僕が話しかける必要はあるんだろうか。


「森田さん、ファイト」


 いつの間にか由宇さんはちょっと離れた物陰に退避している。


――ここからどう現状確認しろと。


 ここはどこですか? 私は誰ですか? んんん、なんか違う気がする。


「もう口を開いてもよろしいでしょうか」

「え?」


 相手の方が先に口を開いた。そして一歩、前進しこちらとの距離を詰める。


「お嬢様」

「は、はい」


 男の真剣な表情に僕も思わず硬直した。


「具合のほうは大丈夫ですか、まだ体調がすぐれないですか、お茶をお飲みになりますか、日差しが強いですか、風が冷たいですか、先ほどの野次馬が気に入らないから制裁を加えるべきでしたか」


 まるで二倍速で再生しているかのような流れるような早口。お茶が、野次馬が、制裁がどうしたって?


「え、いや、ちょっと」

「ああ、失礼しました。まだ『待て』の途中でしたか。許可も得ず勝手に口を開いてしまいました。大変申し訳ございません」


 そう言うと男はピタリと、今度は停止ボタンを押したように動きが止まった。


――今のちょっと冷たい対応だったかな


「えっとー……なんかごめんなさい」

「……」


 無言。


「不快な思いをさせてしまったのならすみません。一つ質問が。あの、ここは一体どこですか?」

「……」


 無言。


「あのすみません、もしもーし」

「……」


 無言。まさかの無視。さっきまでの怒涛の質問攻めはなんだったのか。

 不安になって覗き込んでもうつむいたまま目線を合わせることすらしてくれない。その様子は若干不気味だ。


「あれじゃない、悪役らしく命令口調で高慢に」


 背後からアドバイス。由宇さんだ。


――命令口調で高慢に……って。


 そんなことを初対面の見ず知らずの人に対して行うのはいかがなものか。それなら由宇さんが変わってくれ。

 僕は抗議のアイコンタクトを飛ばした。が、どうにも効果はなさそうだ。彼女は傍観者に徹する気満々の表情でニコニコとこちらを見ている。


――駄目だな、こりゃ。


 諦めて僕は彼女のアドバイスを反芻した。

 命令口調で高慢に。そんな偉そうな訊ね方をして、仮に反応が返ってきたとしても、気持ちはあまりいいものではないな。しかもその場合、それでホイホイ返答するこの人の性癖もなんか危ないでしょ。そもそも視線すら合わせてくれないこの人に効果はあるのかな。うーん。


「ほらほら早く」


 分かってるって。でも今僕は人としての礼儀とか効果の確実性について考えていてね……


「森田さーん」

「……」

「はや……」


――ああもう、分かったって! とりあえずやってみるよ!


 由宇さんの急かす声に押し負けて、結局、僕は命令口調でかつ高慢な態度で彼に同じ質問をした。


「ここはどこだ? 教えろ」 

「……」


――無反応じゃないか! ほら、やっぱり!


「森田さん、口調、口調! 森田さんは令嬢!」


――は、令嬢?


 ひそひそと小声でダメ出しをする友人に、僕は首を傾げた。いやまあ、確かに見た目は女の子だけどね。

 実際には僕は男。心の中で自分は決して内面まで性転換した訳では無いことを強く弁明しつつ、渋々僕は彼女の指示に従った。


「……こほん。ここはどこなのかしら? 教えなさいですわ」


「うーん、30点」


 やかましい。こっちだっていっぱいいっぱいなんだ。これで無反応だったら今度こそ本当に恨むぞ。


「ここは」

「お」

「ここはラビーエントの街ですが……?」


 ラビーエントの街? 知らない、全然知らない。でも。


「ラビーエントっていうのね、ここ」

「そうですが?」


 語尾に『?』は付いているものの、会話が成立した。


「由宇さん、見てました? やりましたよ」

「ん。それより前、前」

「は、前? ひっ」


 僕は後ろに飛びのいた。

 いや待って。顔が近かったよ、君。何する気? 男同士の距離としてはあり得ないくらいの近い距離だったよ、今。


「なぜ今そのようなご質問を。はっ、やはり具合が悪いのですね」


 あ、駄目だこの人。全然分かってない。

 逃げられれば追ってしまうのが生き物の習性とでもいえばいいのだろうか。彼は臆することなく再度僕へと歩み寄ったかと思うと、その手をするりと僕の腰に伸ばした。

 こいつ、もしかしなくても抱くつもりか、僕を。誰が喜ぶの、この展開。


――ええい、やめい!!!!!


 逃げ出そうと手足をばたつかせるがあまり効果は無い。動くたびに手の周りのレースがフワフワして……ああ、うっとおしい!


「待っ、やめ、やめなさいですわ!」


 叫ぶことしか出来なかった。けれど、訴えには成功したらしい。


「失礼……しました?」 


 すとんと足元から丁寧に僕の体は地面に降りた。

 さも当然のことをしたのに一体なぜ? そう言いたげな彼との距離を十分にとり、僕はけん制するように睨みをきかせた。


「森田さんは語尾の使い方にセンスがないんだよねぇ」

 

 いいから見てないで助けろ。



===



「……ふう」


 男に抱かれるという危機的な状況を乗り切った僕は、ようやく冷静に現状を把握する余裕が生まれた。まあ本当ならここでヘラヘラ観戦している友人が手助けしてくれたらもっと早かったんだろうけどね! で、彼は一体何者だって? 確か頭の上の板を見ればいいんだったよな。どれどれ。


【フェルミー ジョブ:悪役令嬢お抱えの執事 HP100 MP60】


 ……なるほど、執事さんでしたか。妙にかっちりしたスーツの着こなしや僕を第一に考えるような言動はそれが原因だったと。それが令嬢お抱えの執事だからだと言われれば納得がいくような気もするけどさ、さすがにさっきのアレはやり過ぎだと思うよ、僕は。

 一応は僕の世話をしなければならない立場にある人ってことで今は納得しておきましょうか。まあこれ以上、変なトラブルは避けたいから、真面目で過保護なこの人の前で迂闊な発言をするのは避けるってことで。


 結局僕はこの日を、ラビーエントの街という全く身に覚えのない都市名を得て終わった。



「それで由宇さんはこれからどうします」


 例の執事には待機してもらい、僕はそっと彼女に訊ねた。


「森田さんは?」

「僕はこの人についていきますよ。お腹もすきましたし」


 前の世界にいた自分は朝ご飯をまだ食べていなかったのである。ふとそれを思い出した僕は急にお腹の虫がざわめくのを感じていた。


「令嬢と名がつくことにはきっとお金持ちの家なんでしょう。身の安全もひとまず確保されるはずです」

「おっ、悪役令嬢としてやる気が出てきたね」

「出ませんよ。正直、明日の朝には発狂して全裸で街中を走り回っているかもしれませんからね」


 いきなりこんなところにぶち込まれたんだ。眠ってる間に今日のことを忘れ、翌朝鏡を見て大絶叫なんてこともありえる。


「それはさすがにオススメしないけどねぇ。ジャンルが違う」


 ジャンルってなんだ。ジャンルって。

 ジャンルが何を意味するかは分からないが、彼女の含み笑顔からどうせろくでもない内容なんだろうなと察した。


「じゃあ私も自分の家でも探してこようかな」


 そう言って彼女は自分の頭上の板を見上げた。

 相変わらずひっそりと浮かんでいるそれは、何かにこたえるわけでもなく彼女のステータスを表示している。


「あ、もしっ……」


――もしよければうちに来れば。


 僕でさえもまだ自分の家がどんなところか分かっていない。にもかからわらず、そんな誘い言葉が浮かんだ。

 互いの家を知っていた今まででさえも、決して浮かびはしないのに。


「あ~どんな世界が待っているのかな、楽しみだ。ん、森田さん何か言いました?」

「別に」

「そうです? それでは楽しい悪役令嬢ライフを!」


――寂しい? そんなことはないはずだ。


 本日何度目かの励ましの言葉を残し嬉々として街中にくり出す彼女を見送り、僕はまだ見ぬ自宅への帰路へとつくのだった。

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