第7話 お嬢様、避けられる



「お嬢様、到着しました」

「……」

 

 ここが、学校。

 異世界に来てまで通うことになるなんて。


 異世界にやって来て三日目。僕は学校に登校していた。

 そう言えば由宇さんも昨日そんな事言っていた気がするもんな。


 まあその事実を忘れていた僕はうっかり寝坊して、フェルミーのモーニングコールで起きる羽目になったのだが。


「まだ寝ぼけていらっしゃるのですか」

「……ばっちり起きていますわ」


――まさか男に起こされる日が来るなんて。


 僕が望んでいるのは、朝食を用意して起こしに来てくれる可愛い女の子であり、こんなイロモノ執事ではない。

 驚いた拍子にスキルを発動してしまい、彼を水浸しにしてしまったがまあ許してほしい。誰だって寝起きの人間の隣に誰か立っているとは思わないだろ?

 とりあえず今日は戸締りを強化して寝ることにしようと心に誓ったのは言うまでも無い。


「起きているのであれば結構です」


 僕の答えに安心したのか、問題の張本人はひそめた眉を元の位置へと戻し、前に向き直った。


「では行きましょうか」


 はいはい行きましょうって、いや待て。


「え?」

「はい?」


 僕より一歩先に歩き出た男が不思議そうに振り返る。

 いやいやいや、君が過保護なお抱え執事だとしても、さすがにそれはやり過ぎだからね。何を一緒に正門くぐろうとしてるのさ、君は。


「ここからは私一人で大丈夫ですわ」


――またしつこくされても困るからな。


 僕は極力波風を立てないよう丁寧かつ軽やかににお断りした。

 これから行くのは学校だからね、うん。朝ごはんを用意したり、スケジュールを管理したり、話し相手になったり、そんな執事の出る幕は一切無いんだよ?


「はあ」


 彼の反応は悪い。何か含みのある曖昧な返事だ。こいつ、そうまでしてお嬢様と一緒にいたいのか? いやいや、帰宅すれば家でいくらでも会えるだろ。


「だから貴方は帰っていいのよ」


 僕は念を押した。


「いえ、ですが」


 そう言って、後ろをそっとついてくる。


 一体なんなんだ。

 お前はそんなにお嬢様と終始一緒に行動したいのか? そうじゃなきゃ死ぬ病気とかにかかってるのか? そんなに僕が心配か? 


「帰るのは……」


 歯切れの悪い返事。


――ああもう、なんだ、なんなんだよ! 


 くるりと振り返った。スカートが翻り、長い黒髪がバサっとなびく。僕の瞳は彼の自信なさげな顔をとらえた。僕は相手の胸元を指差しながら彼を見上げる。


「いい? 私は大丈夫だから、帰りなさい。学校は貴方のいる場所じゃなくてよ」


――よし、完璧だ。


 きつい口調。きつい視線。僕としては悪役令嬢としてまあまあいい線いってると思う。由宇さんが見たら何点をつけるだろう。70点ってところか。さあ反論できるものならするがいい。


「……」


 その執事、フェルミーは顎に右手を当てて悩んでいた。当然だ、ここまできつく言ったのだから。きっと諦めて帰るだろう。

 困ったように僕を見下ろしている彼は、ゆっくりとその口を開いた。


「ですが、お嬢様。私もお嬢様同様、学生という身分ですので」

「うんうん、さっさと帰って……え?」


 なんて言った、今。


「このまま行かないとなると、学生として何かと問題になるかと」


 君、学生なの? え、うっそー、そんな馬鹿なぁー。


「お嬢様?」

「あ、ああ。そう……だった、わね」


 かなり強引に話を合わせた。

 ははあ、そうだったのか。学生……ね。いや、確かに若いなーとは思ってたけど。


「やはりお嬢様はまだ寝ぼけていらっしゃるようですね」


 寝ぼけてないよ、全然。今のでバッチリ目が覚めた。

 いや、だってさ、本当に、学生が執事を兼務するなんて思わないでしょ。学生は学業に専念しようよ。ねえ。


 寝ぼけ判定ついでに確認すると、彼は僕と同じ年。正真正銘の18歳だった。

 それから僕は、彼と教室まで一緒に仲良く登校した。


===


「やあやあおはよう森田さん。執事君も!」

「おはよう……」

「おはようございます」


 教室の扉を開けて真っ先に声をかけてきた由宇さん。


――よかった、同じクラスなんだ。


 いつものヘラりとした笑みが浮かれたように近づいてきた。しかし四六時中元気だな、君は。


「昨晩はお楽しみでしたね?」

「意味分からないです」


 さっきの安堵は一瞬にして消滅した。口を開いて早々、この人は本当ろくなことを言わない。

 ぽんと肩に置かれた手を振り払った僕の口からはため息が漏れた。


「おお なにもないとは なさけない!」

「そんな貴方が情けないです。それよりも彼、僕達と同じ学生だったんですよ」


 どうでもいい茶番を軽く流して、僕はついさっき知ったばかりの衝撃的なニュースを由宇さんに伝えた。


「知ってたよ」

「でしょ~やっぱり由宇さんも驚い……って、え、ちょっと、知ってた? 知ってたって? そんな馬鹿な。嘘はやめてください」

「知ってた知ってた。だから昨日言ったよね。『また明日学校で』って」


 ……言ってたね。

 あれ僕だけに向けた言葉じゃなかったのか。


「あれ、知らなかった?」 


 知らない。てか、なんで由宇さんが知ってるんだ。


「そっか、知らなかったかぁ」


 腕組みしながらうんうん頷く由宇さん。なぜだろう、なんだかもやっとする。いつも何故か僕よりこの世界の事情に詳しいからかもしれない。けれどそんな風に不満を抱いても、時間の無駄に違いない。多分、深くつっこんだら負けなんだ。


「ところで」


 半チートみたいな幼馴染と、同級生と判明したばかりの執事のことは一旦端に置いといて、僕はあらためて教室を見まわした。


「彼女は学校にいないんですか」

「リリェルちゃんかい?」


 僕は首を縦に振った。

 この世界の主人公ことリリェル。彼女の姿が見当たらない。てっきり同じクラスだと思っていたんだけど。まさか貧乏で学校にも通えないのか? そんな不安が脳裏をよぎった。


「いるよ」


 短い返答。けれどそれは僕を安心させるのには十分だった。


「ほらあそこ」


 そう言って由宇さんは教室前方に視線を送る。それにあわせて、僕も視線を追った。


「……どこ?」


 探し方が悪いのだろうか。僕にはさっぱり見当たらない。

 おかしい、あれだけの美少女オーラ、見落とすはずないのに。


「どこ見てるの。こっちだよ、森田さん」


 由宇さんそう言って教室の前方に向かい始めた。僕も慌てて彼女の後を追う。


「そっちって」


――さっき確認したけどリリェルは別にいなかったような。


 とりあえずクラスメートの隙間を縫って前へと進む。


「別に彼女はいないかと……え、あれ?」


 そこにはちゃんとリリェルがいた。

 昨日と同様、グレーの味気ないワンピース。彼女は誰かと会話するわけでもなく、ぼおっと窓の外を眺めていた。勿論それだけでも可愛いことには変わりないが。


――こんなにはっきりとここにいたのに、どうして僕には見えなかった?


 まるで狐に化かされたみたいだ。絶対いないと思ったのに。

 その奇妙な違和感を覚えつつ、僕は彼女に恐る恐る声をかけた。


「お、おはよう、リリェルさん」

「あっ……おは、おはよう、ございます」


――僕以上におどおどした反応だなぁ。


 一瞬びくっと体を震わせた彼女は、慌てるように小さく頭を下げた。なんだこの小動物みたいな感じは。

 その仕草になんとも言えない気持ちを感じながら僕は首を横に振った。

 

――そうじゃなくて、昨日のことをもう一度謝っておかないと。


 事故とはいえ彼女に水をひっかけてしまった。僕はその事を謝罪すべく口を開いた。

 

「ところで昨日はごめっ……」

「リリェルさん、ちょっといいかしらー?」


――タイミング悪っ!


 僕の謝罪を遮るように廊下から届くおっとりした女性の声。

 声のする方に目を向けてみると、そこには大きな荷物を抱きかかえた大人の女性が立っていた。


「はい先生」


 リリェルはその呼びかけに柔らかな笑顔を向けた。あ、可愛い。じゃなくて!


「ちょっと待って、まだ話が」

「ご、ごめんなさい。用事があるので!」


 さっと席を立ちあがると、彼女は僕にそう言った。その顔に笑顔は見られない。彼女は戸惑った様子で僕に頭を下げた。そして逃げるように僕らの前から離れていく。


――完全に避けられてるな、これ。


「お嬢様とのせっかくの会話できる機会だというのに失礼ですね。処しますか」


 いつの間に沸いたのか、冗談にも思えないフェルミーがぼそりと囁いた。


「やめて」


 そんな事したら、君、解雇だからね?

 彼女が消えた廊下を呆然と見つめながら、僕は抑揚のない声で返した。


「ふむふむ」

「……何か?」


 隣で由宇さんが何かを悟ったように目を細めて頷いていた。


「相当警戒されてるなぁと思って」

「ああ、やっぱり。ですよね」


 はたから見てもそう見えるらしい。


「まああんな風にいきなりを水かけた森田さんを、警戒しないわけが無いよねぇ」

「ですよねぇ」


 わざとじゃない。そう言いたかったのだけれど。

 結局、水をかけてしまったのは事実で、リリェルに損害を与えてしまったのも事実で。わざとじゃなければいいってもんじゃないと分かっているから、僕はそれ以上何も言葉を返せなかった。


「この溝は深そうだ」 

「一応、彼女の家でも謝罪はしましたけどね。だからって、それでいいって訳でもないんですけど」

「彼女の家で謝罪……? ああ、あれか。甘いなぁ森田さん」


 そう言ってふるふると顔を横に振った。

 僕が甘い? 土下座でもするべきだったってことか?


「だって考えてもみてよ、森田さん悪役令嬢なんだよ。悪役令嬢の謝罪なんて耳に入る? そこの執事さんと出会った日のこと思い出してみなよ。役割にそぐわない発言はスルーされたんじゃないかな」


 そんなまさか。

 でも確かにはじめてこの世界にやって来た日の出来事。最初の会話で僕はフェルミーに総スルーされた。命令口調で高慢な態度で話しかけて、ようやく会話が成立したっけ。


――じゃあもしかして、僕の謝罪は、彼女の心には届かない?

 

 僕はぽっかりと空いたリリェルの席をみつめた。


「それにさ」


 まだ何かあるのか。

 会話の波に乗った由宇さんは留まるところを知らない。まるで犯人を推理するよ探偵のように達観した表情で腕組みをしながら、彼女は窓の外を眺めた。

 そして一言。


「一度下げた好感度がそんなに簡単に戻せたら、恋愛ゲームは苦労しないよ」

 

――いや、いつこの世界が恋愛ゲームだと確定した。


 そこについてはスルーするとして、リリェルとの間に生まれてしまった溝については、なんとかしなければといけないと思った。

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