魔女の化粧

春風月葉

魔女の化粧

 叶恵は母の化粧に憧れていた。

 毎朝寝ぼけた顔で起きてくる母は、洗面台の方へのそのそと歩いて行くと数分後には別人のように綺麗ないつもの母の姿になって出てくる。

 母はそれを化粧だと言っていた。

 叶恵にとってその化粧は魔法のように思えて、一度母に

「お母さんは魔法使いなの?」

 と聞いたこともあった。

 叶恵の母はふふふと笑って、それからうむと少し難しい顔をした後に

「女の子は大人になるとみんな魔女になれるんだよ。」

 と子供みたいな顔で唇の前に右の人差し指を立てていった。

「じゃあ私も大人になったらお化粧の魔法が使えるようになるの?」

 叶恵は化粧をしている未来の自分を想像し、嬉しくなって母に聞いた。

 母はにっこりと笑うとこくこくと頷いた。

「私もお母さんみたいに真っ赤な口紅が塗りたいな。」

 叶恵がそう言って母の顔を見ると、母はくすりとしてから

「ならその時には母さんの口紅を塗ってあげるよ。」

 と言った。

 それが嬉しくて叶恵は

「絶対だよ、約束だからね。」

 そう念を押した。

 母はそんな叶恵の頭を優しく撫でた。

 その約束を境に、叶恵は毎日母の化粧をじっと見るようになった。

 母が不思議な道具を操るのを見ては未来の自分をその姿に重ねてうっとりとした。

 叶恵はまだ幼かったが、そのいつかくる未来が楽しみで仕方なかったのだ。


 叶恵が死んだ。

 誰も悪くなんかない。

 ただ運が悪かっただけの、本当にただの事故だった。

 近所の公園の遊具から足を滑らせて、偶然打ち所が悪かっただけのことで叶恵は死んだのだ。

 愛しい一人娘が自分より早く大人にもなれずにいなくなってしまった叶恵の母は空っぽになった娘の前で化粧が落ちるほど泣いた。


 母は叶恵に化粧を施した。

 死化粧だ。

 叶恵の氷のように冷たい肌は薄っすらと降り積もる白粉で雪のように白くなる。

 叶恵の幼く青白い唇に自分の口紅を優しく塗る。

 化粧を終えた母の影が叶恵から離れると、部屋の弱い灯りが叶恵の顔を照らした。

 母の目にはまだ幼い叶恵の顔が少し自分に似て見えた。

 大人になった叶恵を想像しまたぶわっと涙が溢れた。

 叶恵の夢は叶えられただろうか、母は叶恵の表情が化粧のせいか少し柔らかくなったように思った。

 それは自己満足に違いないのだろうが、叶恵の最後を彼女の望む美しい姿で送りたかったのだ。

 願わくば彼女の魂が道に迷わぬようにと魔女は手を合わせ目を瞑った。

 暗くなった空からは一つ星が降っていた。

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魔女の化粧 春風月葉 @HarukazeTsukiha

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