三崎京はキスがしたい

第25話:その地域では海岸にどんな美女がいても近づいてはならない

 眠るリーネア先生をルピナスさんに任せて出てきた朝6時半。私は7時前に学校に到着し、誰もいない教室を見て回っていた。

 私は今日、この学校を卒業する。

 とても感慨深い。

「三崎さあん」

「……っ、」

 耳元で女性の声がして振り向く。

 担任の柳瀬先生が柔和に微笑んで立っていた。手でキツネの形を作っている。

「おはよう」

「おはようございます、先生。……どうしてここに?」

「メギツネから『様子見に行け』って言われちゃって。私も気になったからそばに」

「? キツネさん?」

 学校の近くに野生のキツネがいるんだろうか。

「気にしないで」

 柳瀬先生は30代前半くらいの女性で、長い黒髪と泣きぼくろが優しげな印象を与える美人。3年間、私の担任だった。

「……三崎さんも卒業ね。とっても感慨深いです」

「…………」

 目の奥につんときた。

「はい……その。お話できて嬉しいです。来てくださって……」

「あなたに会いたかったのだから気にしないで」

「泣きそうだから、ちょっとだけ待ってください……」

「うん。待ちましょう」

 こらえたところで、柳瀬先生に改めて向き直る。

「ここで最後のお悩み相談」

「?」

 今まで何度も悩みを相談している。リーネア先生からも『女性としての悩みとか俺に言い辛いことは柳瀬先生にしてみろ』と言われて、頼りにさせてもらった。

「単刀直入に。三崎さん、あなたは恋人がいますね?」

「……え、あ……は、はい」

 もしかして、これが『不純異性交遊』にあたるのだろうか。

「その……恋人とは、節度あるお付き合いを……」

「ああ、ああ。違うわ。そうじゃないのです。というか、イマドキ校則で若者の恋を遮るような権限は学校にはありません。心配せず節度を持っていちゃついてくださいな」

 顔が熱い。

「まあ可愛い」

「あう……」

 撫でられてしまった。

「……こうしてると思い出すわ……あなたとの出会いを」

「その節は、とてもお世話になりました」

「どういたしまして」

 登校初日に周囲から浮いていた私を助けてくれた。深く頭を下げる。

「彼氏くんへのお悩みがあるのよね?」

「え……あ、ど、どうして……?」

「だって三崎さん、帰りのホームルームでぽーっとしてるんですもの。そーいえばお昼休みに男子と二人で話す三崎さんを見たなあーなんて」

「わー! わーっ‼︎」

 追い打ちに『わかりやすくて可愛い』と言われ、顔が熱くて仕方がない。

「二人とも奥手みたいだから。仲の進展で悩んでいたんでしょう?」

「……はい……」

「若いですね。可愛らしい」

 大人の女性な柳瀬先生。

 彼女になら、このいやらしい私の悩みも吐き出せるかもしれない。

「その……恋人は、優しい人で……」

「そうねえ。私たち職員にも、その評判は伝わっています」

「優しいんですけど、その……まだ、手を繋いだことしかなくて。デートしてて一緒に歩いて話してをしてたら満足している自分もいて。……なのにもう一歩踏み込んでみたい自分も……」

「口に砂糖ぶっこまれてる気分」

「?」

「気になさらないで。……若いですね。青春ね」

「……あう……私、いやらしいんです……」

「若い時にはいろんなことに興味が出るもの。私もそうだったなあ」

 うんうんと頷いてから、言い聞かせるように表情を真剣なものに変える。

「でも、いくら恋仲とはいえ、あなたたちはまだ学生――」

「……。じ、実は……キスがしてみたいんです」

「――…………」

「こ、こんなのいやらしいですよね……」

 柳瀬先生は私の両肩に手を置いて微笑む。

「いいえ。自分の汚れ具合を再確認しました。ありがとう、三崎さん」

「えっ? あの、先生?」

「妖精さんに育てられると妖精になるとは言うけれど、あなたはドのつく天然さんなのですねえ」

「ふぇわ」

 頬を揉まれる。なんとなく心地よい。

「……妖精……リーネア先生のこと、知ってるんですか?」

 私の保護者としてリーネア先生が彼女と面談をしに行っているのは知っていたが、種族名さえ伝えていたとは思わなかった。

「言っていなかったけれど、私がリナリアと話せるのはリナリアと友達だからです」

「!」

「完全な偶然でしたよ。……ただ、あの子人見知りで。癇癪を起すと泣きわめいて窓を出入り口にするから、連絡窓口として私があなたの担任に」

「先生がごめんなさい……」

「いいえ。あなたのために人見知りを乗り越えてまで学校に来ていたのですから、友人としてはあの子の成長が嬉しい。あなたの成長もね」

「…………」

 結局、涙をこらえきれなかった。

 くすくす笑いながらハンカチで拭ってくれる。

「……先生のお友達さんだったんですね。こんなに、良くしてもらって……今まで、本当に、」

「その言葉は卒業式が終わったら、改めて言ってちょうだい」

「はい……」

 気が早すぎた。

「最初はリナリアに頼み込まれたからでしたが、今では何がなくともあなたのことが可愛いですよ。友達もできて彼氏も出来て……青春を楽しめたのね」

「青春」

「そう。ぐちゃぐちゃのドロドロで、甘くて酸っぱくて苦い時間。人によって感じ方が全く違う理不尽な人生の一部分。あなたが楽しんでくれたのなら、私は先生になれたのかしら」

「担任の先生が先生で良かったです。先生が良かったです……」

「……本当に、食べちゃいたいくらい可愛い」

 困ったように笑ってから、私から離れる。

「私はどこにでもいるような日本人に見えますが、れっきとした異種族ですよ」

「柳瀬先生ほどの美人はどこにでもは居ないと思います」

「…………」

「わ、わわ……」

 髪を指で梳かれて撫でられた。

「私は九州出身の異種族。……当てられたらすごいですね」

「……いつか教えてもらえますか?」

「いつか。……ええ、いつかね」

 長い黒髪を揺らして彼女が笑う。

「可愛い三崎さん。今日は運命の導くまま、時間の流れに身を任せているといいですよ。良いことが起こります」

「……はい」

「うん、よろしい。そろそろ職員室に戻りますね」

「ありがとうございました!」

 教室を出ていく彼女が、ひらひらと手を振った。

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