第二章:藍沢佳奈子は存在していたい

第8話:学校で鬼ごっこ

 今日は、平沢北高校の卒業式。あたしの二つ上の代の3年生が卒業する日だ。みんなが卒業式に出ている中、あたしはわざと遅刻して学校に入って来ていた。

 あたしは部活をしていたわけでもないからお世話になった先輩なんていない。

「……」

 仮病で保健室に居たら担任の笹谷先生が探しに来たので、養護教諭の了解を得て、窓から壁を伝って下の階に脱出している。

 いまは1階端の鍵が壊れた資料室に侵入してほとぼりが冷めるのを待っている。

「行ったかしら」

 迷惑をかけているのはわかるけど、あたしは行事が苦手だ。前に体育館で足が透けかけてからは、体育も全てサボっている。

 体育祭のときとかも、本気で消えそうになったし……

「…………」

 幼馴染のコウは、陸上部の先輩たちにお礼を言うつもりで、卒業式後の集まりにも出るらしい。あれこれと事情があって、ちょっと捻くれちゃってはいるけれど、基本的には真面目でいいやつ。

 学校生活を楽しく過ごすコウが、ほんの少しだけ羨ましいと思うこともある。

 でも、あたしは自分の生活に満足している。

「……帰るか」

 出席の証明のスタンプは養護教諭から貰えたので、あとは『頑張って登校したものの体調が悪くて早退』というていにして帰る。

 誰もいないのを見計らって、学校玄関に続く扉を開けた。

 あたしは自分がカメラに映らないようにすることができる。……これは幽霊の技能なのか座敷わらしの技能なのか、どっちなんだろう。

「……………………」

 ダメだダメだ。こんなことを考えていては気分が滅入る。

 どんなゴシップを書くかの構想を練っている方が生産的だし楽しい。

「帰ろ」

 今度こそ帰る。

 冷たい金属の靴箱を開けて自分の外靴を出して、三和土そばのすのこの上に置く。

 上靴を脱ごうとしたそのとき、あたしのいる1年生側の靴箱とは反対側の扉が開いた。

「?」

 あたしと同じ遅刻者だろうか。

 でも、反対側の靴箱は3年生のテリトリー。まさか、卒業式真っ最中のこの時間になって遅刻してくるとは思えない。

 なんだか気になる。

 目が合うと気まずいので、靴箱に隠れつつ反対側をこっそり伺う。


 真っ白な人影。

 草履が床をわずかに擦る音がした。


「――――」

 思わずあげそうになった悲鳴を飲み込んで、校舎内に駆け戻る。階段へと走る。

(目が合ってませんように、目が合ってませんように……‼︎)

 白頭巾はあたしが居ることを感知すると太鼓を打ち鳴らす。音で仲間に知らせてあたしを追い詰めようとする。

 まだ鳴らされていないから大丈夫だとは思うけど、この校舎の出口は生徒用玄関だけだ。

 あいつが出て行ってくれないと、袋小路になってしまう。

 あたしは足が遅い。普段遭遇したときは地形の高低差を利用して撒くのだけど、ここは屋内だ。階段くらいしか高低差なんてない。

 2階に駆け上る。職員室の前を避けて向かいの廊下を走る。

「……なんで入ってくるのよ……」

 今まで、白頭巾が建物の中に入ってきたことはなかったのに。なぜ今日に限って……卒業式だから?

 玄関に外靴を出したままだけど靴を換える前で良かったと考えるしかない。

 長年の経験則から、白頭巾は3人組で行動することがわかっている。ただし、たまに一匹狼で動くやつもいて……そいつは確実に他より頭がいい。

 3人組は単に直線で追いかけてくるだけで、あたしが逃げ回る先の塀や公園の遊具ですらもたつくのに対し、一匹狼は高低差を物ともせず、あろうことかあたしの着地点に先回りしようとする。

 今回入ってきたのは一人だったからもう最悪。

 足音が階段を登ってくる気配がする。

 屋外でエンカウントしたことがないから、ここからの行動パターンが読めない。

(でも、やっぱり日が暮れたら消滅するはず……)

 卒業式はもうそろそろ終わる。生徒が退場してくる体育館そばと、待機する2階3階の生徒教室側は避けるとして……って、もうこの時点であたしが動ける場所1、4階しかないんですけど‼︎

 どうしよう。どうしよう。

 白頭巾が見える人はあたし以外居ない。白頭巾が人をすり抜けてあたしに迫ってくるのを見たこともある。

 唯一の活路はコウのそばに行くこと。

 あいつのそばに行くと、追いかけられている真っ最中でも白頭巾があたしを追うのをやめる。消えたこともあった。

 ただ、1年生が体育館から出てくるのは会場の片付けをしてからだから……教室に戻るまではまだまだ先だ。

 コウが1年の教室に戻るまで、あたしはなんとしても逃げ回らなければならない。

「……」

 鍵の開いている教室は全て覚えている。いざとなったら、一室決めて籠城を――……

 いや、たぶん無理だ。

 あの白頭巾は戸を開けて玄関に入ってきたのだ。それで教室が開けられないということはないだろう。

 絶望的な鬼ごっこ。

「……捕まってなんか、やらない……」

 初めて白頭巾と出会ったのは、小学1年の夏休み。公園でコウと遊ぼうと待ち合わせをしていたら3人組が追いかけて来た。幸い、家が近所だったから逃げ込み、そして3人が消えた。以来、コウからの遊びの誘いさえ断るようになった。

 ……あいつはあいつなりにあたしに事情があると察してか、ゲームに誘うようになったけど。

「邪魔、しないでよ」

 強がりを言ってみせる。

 震えて動かなくなりそうな足を叱咤する。

「あんたたちのせいで、あたしがどれだけ苦労してると思ってるの」

 そうだ。あたしはずっと生きている。

 捕まったことなんて一度もない。

「ぜったい逃げてやる」

 反対側の階段を上り切った白頭巾が、あたしを向いて太鼓を鳴らし始めた。

 ――あたしは、非常口をすり抜けて非常階段を駆け上る。

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