散歩と会合の終焉
リーネアさんはきょろきょろとあちこち見回しながら歩き、シェルさんはのんびりとその後をついて行く。
「4階は音楽室と図書室と……あとは被服室とかなんで俺らはもう入れません」
鍵がかかっている。
「入るつもりはないから大丈夫」
興味津々なご様子だから忠告しているのだが……
さっきからリーネアさんが扉に手を掛けそうになるたび、シェルさんがそれとなく腕を掴んで制止している。
「妖精ですから、永遠の子どもなのです。禁止されればされるほどやりたくなる性質がありまして。本人の意思でどうこうできることでは、」
「シェル、あれなに⁉︎」
フォローに制止にと忙しい。
突発的に走り出すリーネアさんの初速は、『さすが人外』と思わざるを得ないほど。それに容易く追いつくシェルさんもシェルさんだ。
「動物の剥製と液浸標本です。ガラスが汚れるから触らないように」
ホルマリン漬けの正式名称は知らなかった。シェルさん博識。
「カエルの中身見えてる!」
「カエルは生物の体構造を見るための解剖の対象として一般的です」
「へー……カエルって臓器あるんだな。ケイに話してみよ」
「あなたはバカなんですか? 京を傷つける前に脳を修理してきなさい」
今にも理科室のガラスディスプレイに張り付きそうになっている美少女を見ながらそう思う。
「光太、すみませんが早めに下の階に……」
「そ、そっすね!」
4階は高価な機材や薬品が置いてある教室が多い。リーネアさんも興味を惹かれてしまうようだし、さっさと降りよう。
二人掛かりでリーネアさんを引きずり、階段で3階に降りる。
通りすがりの2年(ネクタイと指定靴の色でわかる)がガン見しているのを感じたが、もはやどうしようもない。無の心で引きずって行く。
……犬の散歩ってこんな気分なのかな。
「シェル、人いる。人払いの魔法使え」
人見知りと興奮を天秤にかけて、人見知りが勝ったようだ。勢いが先ほどと比べて減じている。
魔法をねだられたシェルさんがため息とともに一蹴。
「こんなところで使えるはずないでしょう。暗号を解くときの3割でいいから頭を使ってください」
「けちー」
なんか、いつもより幼いな。女装してるから?
「あながち間違いではありません。服装の違いで思うように動けないストレスと、目新しいものが多い環境へのストレスとで、妖精らしさが……リーネア、それ以上走り回ると足を折りますよ」
「さらっと心読みますね」
そしてさらっと恐ろしいことを言う。
「足を折った程度で止まる子ではありませんがね……」
もう一度ため息をつき、銀色の火花をまとわせた指でリーネアさんの首を痛打する。
「…………」
ぽけーっとするリーネアさん。どうやら落ち着いたらしい。
この隙に、一応聞いておきたかったことを聞いてみる。
「シェルさんは見たいとこあるんですか?」
この人はこの人でリーネアさんとはまた違った方向に暴走するタイプの人外だ。道中付き合ってくれて助かったが、目的は把握しておきたい。
「ヤスタカに用がありまして」
どこかで聞いたような名前。しかし、いまいち思い出せない。
「教員の誰かですか?」
「そうですね。……見つかりましたので、ここで別れます。お世話になりました」
「えっ、ちょっ」
リーネアさんを放置するとは思わなかった。
しかし、彼は落ち着きを取り戻して口を開く。
「暴走して悪かった」
「いえ」
シェルさんが会釈し、転移でどこかへ消える。
リーネアさんがバツの悪そうな顔で頭を下げた。
「悪い。途中から見たことないものばっかりで暴走した」
「…………。大丈夫です」
彼なら俺なんぞ振り切って走り回ることだってできただろう。加減はしていたはずだ。
「見たいものは見れました?」
「……ああ」
校庭で楽しげに走る部活動生や、門から出て行く下校生を見下ろして微笑む。
「楽しそうだ。やっぱ若者は幸せじゃなくちゃな」
「前にもきたことあるんですよね?」
窓から帰ったらしいが。
「今までここにきたのはケイのために渋々だったし、あんまり見る余裕なくて」
「そっすか。良かったですね」
「うん。世話になった。今度なんかお礼するわ」
彼は自分の格好を見下ろしてぽつりと呟く。
「……トイレで着替えて窓から出るか」
窓から出るのは決定事項なのか……
「トイレ行くんなら、一番近いの廊下の向こう側っす。……なんすけど、教室に誰か残ってないとも限らないんですよね」
「それはやだ。他のとこがいい」
「うーん……」
生徒の教室がないのは4階だが、また暴走されても困るんだよな。
「2階のトイレなら、体育館側に目立たないところが。古いですけど……」
体育館前のくぼみのような位置にあり、古くて暗いから利用者が少ない。
「目立たないならそこでいい。案内してほしい」
「わかりました」
階段を降りて行く。
「ひぞれは?」
「ミズリさんと温泉に行ってます」
「そか」
「リーネアさんってミズリさん苦手ですよねー」
「あいつ変態なんだもん」
「…………」
ついに結論が出てしまった。
「何ショック受けてんだよ。薄々わかってたろ?」
「……そうなんですけど……」
じっくりと考えて結論を出していきたかった。
『恩人夫妻の片割れが変態』という事実には出来る限り目を逸らしていたかった。
「ひぞれは可愛いけど、可愛いひぞれには漏れなくミズリがくっついてくるからな」
ため息をついている。
「知ってるか? あいつ、ひぞれが札幌に長期滞在するって知った瞬間から働きまくって休暇確保したんだ」
「すごい、ですね」
彼の翰川先生にかける熱意を思い出せば不自然さはどこにもない。
「反動で拘束食らったけど、また働きまくってひぞれとの時間を確保。……そこで踏みとどまればふつうの純愛なのになあ」
遠い目をしている。
「……」
ミズリさんが翰川先生の風呂を撮影しようとしたり、クローゼットに潜んで翰川先生を観察したりしていたのは俺もよく知っている。
リーネアさんもそういった場面を目撃しているのだろう。合掌。
「まあいい。トイレってここか?」
体育館入り口のすぐそばには、男女それぞれのマークが入った扉があった。
「はい。化粧落としとか持ってるんですか?」
対して詳しくもないが、化粧は水だけではなかなか綺麗に落ちないものだとは知っている。
「友達から分けてもらってあるよ。髪はさすがに自分の家で落とす」
「それは安心っす」
洗面台汚れるだろうしな。
トイレ前で別れる。
階段に向かい、4階に戻ろうとしたとき――声が聞こえた。
「……森山くん、見つけた……!」
振り向くと、息を切らした三崎さんが立っていた。
「あ……」
そういえば、図書室で待っていると言ったのにあちこち移動してしまっていた。
「ご、ごめん! 走らせちゃった⁉」
「? 遅いから2階まで降りてきてくれたんだよね?」
視聴覚室は2階で、ここも2階。三崎さんは遠目に俺を見かけ、反対側から急いで駆けてきたのだという。
「それより、早く来て!」
「え」
まさか、佳奈子対女子たちの場が決裂……⁉
「佳奈子に何かあったのか⁉」
「そうと言えばそうだけど、そうじゃなくて……! とにかく、見た方が速いと思う!」
「わ、わかった!」
彼女は相変わらず足が速い。
廊下を走るなと怒られるところだが、いまはもう6時前。教師たちも職員室に居るのみだ。
辿り着いた視聴覚室。
そこで俺が見たのは――女子たちにもみくちゃにされる佳奈子だった。
「お、おお?」
最初は取っ組み合いの大ゲンカかと思ってしまったが、女子たちの様子が怒りのそれとは明らかに違った。
全員が泣きじゃくり、謝罪の言葉や応援の言葉を口々に言いながら、佳奈子に抱き着いて撫でまわしているのだ。
「なぬごと?」
唯一、この場で一人冷静な三崎さんに問うてみる。
彼女は困り顔で首を横に振った。
「私も……終わるの遅いなあ……って思って来たばっかりだから、わからないんだ。混乱して、つい森山くんにヘルプを……」
ふと見れば、仲裁役の江松さんと思しき女子と証人役の死亡フラグまで涙ぐんでいる。
二人がああだから俺にまでヘルプが回ってきたらしい。
「と、とりあえず。女子たちに帰ってもらおう。暗い中歩いてくの危ないし」
「! ……そうだね」
三崎さんはなぜか驚いたようながっかりしたような顔をしたが、それも一瞬。すぐに頷いて、佳奈子の周りの女子たちに話しかけて落ち着かせていく。
女子たちは荷物をまとめて去るときにも『頑張ってね』やら『いつでも頼って』やら佳奈子に声をかけていた。
……本当に何があったんだ。
佳奈子が、三崎さんからもらったスポドリを飲んで一言。
「平気よ。話し合い、無事に終わったから心配しないで。……ちょっと疲れたけど……」
「どういう
俺が問いかけるも、佳奈子は答える気がないらしくはぐらかされた。
「さあね。……そろそろ、帰りましょ」
「そうだね。佳奈子、途中まで一緒に帰ろ」
「うん」
ずびーっと鼻水をかんだフラグが挙手する。
「途中までならエマちゃんと俺も参戦していい?」
「あんたとエマちゃん、家あたしたちと逆方向じゃない」
「……こいつと帰るのかー。まあありがたいけど」
江松さんがフラグを見て呟き、それから俺に視線を向ける。
「や、もりりんくん」
「あ……初めまして、江松さん」
「エマちゃんでいいぜ、色男」
「いっ……色男って」
悪質な冗談を。
彼女はにやりと笑い、三崎さんの隣に移動する。
「また今度話してね。校門のとこまではみんなで一緒に歩こう」
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