少年少女の放課後

 放課後、3の5にやってきた三崎さんが持ってきてくれたのは、バインダーにまとまった複数のコピー用紙だった。

「急ごしらえだから、出来はあんまりだけど……」

 本人の自己申告とは裏腹に、むしろ俺の方が理解が薄かったと痛感させられるような出来栄えの内容だった。

 佳奈子の状態を簡潔明瞭に説明し、ゴシップ記事を書くにあたった動機も書き込まれている。

 フラグは一礼して受け取ると黙々と読み始めた。

「……三崎さん。あの。これ、誰向けに?」

 この資料は、明らかに見せる目的があって作られたものだ。

 三崎さんに限ってそういうことはないだろうが、万が一のための確認である。

「これを佳奈子を糾弾した人たちに見せて話すつもりはないんだ。これは、エマちゃん……さっき話に出た江松さんのために作ったんだよ」

「え」

 真面目な三崎さんがあだ名(※本名を名乗っていないフラグは除外)で呼ぶからには、かなり親しい仲の女子だろう。

 それならば、信頼できる人のはずだ。

「前に、私とエマちゃんと佳奈子と紫織とで勉強会したの。そのとき、佳奈子がエマちゃんに謝ってお礼言って、座敷童についても話した。佳奈子からも『エマちゃんにならいい。詳しく伝えたい』って言うから、私が説明用の資料を作って今度改めて……ってことに」

 彼女は沈んだ顔で『月曜日に話しかけたのも、都合聞くためだったんだよ』と呟く。

「俺からも後で言っとくよ。あいつ、学校の中じゃすぐ人ごみに紛れて見つからなくなるんだよなー……」

「座敷童だからじゃないかな。『いつの間にか子どもが1人増えている気がするが、誰だとは断定できない』っていう……」

「……そっか」

 あいつ凄いな。

「でも、なんでそんなに佳奈子を気にかけてくれるの?」

 仲のいい友達ではあるだろうが……

「私、嫌な思い出があるの。佳奈子が居てくれたから、吹っ切れたんだ」

 佳奈子の名を愛おしそうに、誇らしげに言う。

「みんなと仲良くしろって言いたいんじゃなくて。私は、ただ……佳奈子と普通に学校で話したい。友達でいたい」

 三崎さんは聡明で、大人びた視点から冷静に物事を見据えている。

 すごい人だと思う。

「佳奈子にとって、学校は怯えて隠れるだけの場所じゃないんだって思ってほしいんだ。そのためには、佳奈子と女子たちの溝を埋めなくちゃ」

「でも、難しいよ。たぶん」

 女子軍団に責め立てられた佳奈子は帰ってきてすぐ俺の家に飛び込むや否や、八つ当たりで座布団をボスボス叩きながら『今度なんか言ってきたらもっと酷いネタで記事書いてやる』と泣き顔のまま笑っていた。

 気丈な佳奈子を言葉で泣かす女子たちもそうだが、それでも不敵に不屈に笑う佳奈子に対しても『女子怖い』と俺を震え上がらせるにも十分だった。

「……フラグから聞くに、佳奈子は謝らなかったっぽいし」

 それはもう、ゴシップ記事を書く佳奈子が悪いと言えば悪いのだが、彼女にも事情はある。

 しかし、拗れた関係を解決するには、女子たちにその事情を話さなければ納得しないだろう。

「佳奈子を糾弾した人たちなんて、正直どうでもいいんだよね」

 彼女の瞳に――青い火花が散る。

「知ってる? 吹部の部長と副部長、ストレスで下級生いじめて不登校に追い込んでたんだよ。佳奈子はそれを握ってたけど記事には書かずにいて、でも『いつバラされるか』って不安だった二人が他の吹部の女子引き連れて佳奈子に叩きつけたの」

 どうして知っているのだろう? 彼女は噂に疎かったのではないのか。

 先ほどの俺への質問は演技だったのか?

 いや、違う。あれは、本当に俺への評価を気にかけてくれていた。

「…………」

 火花が面積を増して瞳を青に染める。

 同じ青でも、光を吸い込むようなシュレミアさんの青とは全く違う青。

「部長と副部長たち、もういない。……いじめが明るみになった今では、先輩に釣られて糾弾に参加した私たちの同級生の女子も気まずそうにしてるくらい」

 どうしてこれが起こるのが今なんだろう。

 三崎さんの表情、声音。

 普段とは全く違う、冷酷なまでに無邪気な自信が満ちた仕草――

「だから、今がチャンスなんだ」

 淡い燐光を放つ青い瞳に胸が締め付けられる。

「佳奈子が笑ってくれるなら、私は何でもするよ」

 純粋なる友愛と優しさは、豹変した彼女の心に凛然と輝いていた。

 だから――彼女は変わらず美しい。

(……なんだこれ。なんで)

 胸が痛い。

 三崎さんは俺に宣言して満足したようで、鼻歌でも歌いそうな上機嫌で窓際に歩いて行った。

 日の早くなった夕暮れを見渡している。

「よっし、読み終わったぁ!」

「うぁわ」

 大声に驚いて、フラグに視線を向ける。

「えっ、もう? 読むの速いんだね」

 振り向いた三崎さんの瞳は、いつものダークグレーに戻っていた。



 何度も頷きながら、納得した様子のフラグが口を開く。

「あれこれと辻褄が合ったわ。佳奈子たん、苦労してたんだな」

「そうみたいだ」

「……三崎さんはこれからどうするつもり?」

 俺とフラグの視線を受けて、三崎さんが答える。

「女子のツテを辿って丁度いい席を設けたいと思ってる」

 要は、謝罪と和解の場を作るということかな。

 人望ある三崎さんから伝われば女子たちの集まりはいいだろうが、懸念が一つ。

「佳奈子はあれでけっこうプライドが高いっつーか……素直には了承しないと思うよ」

「うん。私が助けても、『余計なことしないで』って言う。わかるよ」

 彼女が苦笑する。

「私が手助けするのは佳奈子と女子たちの話し合いが失敗に終わった時でいいんだ。……私が参加すると、話し合いが上手くいかなくなるから」

 前述の通り、三崎さんは人望の厚い人だ。

 そんな彼女が場を用意して話し合いを取り仕切ってしまっては、『ほらみんな、佳奈子のこと許してあげてね』みたいな――本人に悪意はないにせよ――上から丸く収めているように見えてしまうだろう。

 佳奈子にも『三崎さんに助けてもらった可哀そうな人』というレッテルが貼られてしまう。

「私は裏方で用意して。実際に荒れた時の仲裁役にエマちゃん」

「ぴったりですな」

 フラグが呟く。こいつはこいつで、けっこう学年中に顔が広い。

「エマちゃんは冷静な人だから。それと、佳奈子の証人役に……」

「そこで俺なのか」

 言いふらしているわけでもないが、佳奈子と普通に話す俺を見かけた男子に聞かれて『幼馴染だ』と答えたら、翌日には学年中に噂が広まっていた。

「でも、たぶん俺は向かないと思うよ?」

「どうして?」

「……」

 俺の噂と佳奈子の噂は、幼馴染だと知れ渡ってからは相乗効果で尾ひれが付いた。

 噂は3の5以外すべてを駆け回っているはずだ。

「えー……そのう」

 どうしたものかと思ったが、言わないわけにもいかない。

「あの。三崎さん。……その――もがっ」

「おっと。その話はこっちでさせてもらうぜ」

 フラグが俺の口を弁当の包みでふさいだ。

「ちょ……フラグ!」

 いきなり布が押し当てられて咽るかと思った。

「もりりんは弁明しなさすぎなのじゃよ」

「弁明も何も。俺がフェンスクライミングしたのは事実だし……」

「あーあーあー。これだからもりりんはいつまでも誤解されとるんだよ」

 呆れたように肩をすくめ、彼は三崎さんに向き直った。

「もりりんに代わって俺が話すでござる」

 その発言への返答は、楽し気な三崎さんの一言だった。

「かたじけのうござる」

「……もりりん、やっぱミサッキー可愛いな」

「本人を目の前にして言うなよ。真っ赤になってんじゃん」

 三崎さんがわたわたしていて可愛い。

 俺はフラグを軽く小突いて諫めてから、フラグに説明を任せることにした。

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