少女の疑問と歓談

「よっすー、もりりん」

「よっす、フラグ」

 クラスメートかつ悪友の死亡フラグが声をかけてきて、空いていた俺の席の前の机に着席する。

「おっ。今日も弁当? 毎日毎日、よく自炊するよなー」

 フラグは年の離れた姉に弁当を作ってもらっており、そのセリフには尊敬の意が込められている。

 高1のとき、こいつが俺に声をかけてきたきっかけも弁当だった。

「これは人に作ってもらったもんだよ」

 翰川先生から渡されたお弁当は美味である。

 俺が元陸上部で、今も受験勉強のストレス発散に走り込んでいることを知っているので、ボリュームも大きめにしてくれてちょうどいい。

「へえー、良かったな。卵焼き綺麗だ」

「だろ」

 本人曰く『完全記憶だから料理は得意だ』だそうで、いつも機械のように正確な動きで、見た目も味も見事な料理を作り上げている。

「一個、食う?」

「食う食う。ピーマンの肉詰めと交換でどうよ?」

「交渉成立ー」

 弁当の蓋を皿代わりに、各々のおかずを交換する。

「うま」

「だろ。すっごく料理上手な人なんだわ」

「食っちまったからお礼言ってくれい」

「お前の姉ちゃんにもお礼言わなきゃだな」

 その後、購買で買ってきた新フレーバーの野菜ジュースの味について『ああでもないこうでもない』と話し合っていると、フラグが俺を見てぽかんとしていた。

「どしたフラグ?」

「……後ろ見れ、もりりん」

 ああ、なるほど。俺を見ていたのではなく、フラグから俺の背後……つまりは教室のドアへの延長線上に俺が居ただけか。

 笹谷先生か土田先生でも立っているのかな? 今学期始まってから、まだ何もやらかしていないというのに。

 心当たりはないが謝罪しようと思い、椅子の上で振り向く。


「森山くん、フェンス登ったのってなんで⁉」

 ――困惑顔の三崎さんが謎の質問を繰り出してきた。


「⁉」

 いや、正確にはその質問は謎ではないのだ。

 俺は実際にフェンスを登って登校したことがあるし、その話題も三崎さんになんとなく喋ったことがあった。

 しかしなぜこのタイミング⁉

「誰に聞いても、『森山光太は問題児』とか『屋上に侵入した』とか言われて……森山くんいい人だよね⁉」

「ちょ……待って、三崎さん。マジで待って? なんでその質問になるの⁉」

 三崎さんのファンであるフラグは、彼女が唐突に3の5を訪ねてきたことに混乱していたものの、結局は笑いが勝ったせいで爆笑していた。

 後で覚えてろちくしょう。

 三崎さんは周囲のざわめきと視線に気づいていない様子だ。

「ううう……森山くんいい人なのに……!」

「信用してくれるのは嬉しいけど、何がどうなってるか教えて? ちなみにフェンス登りと屋上侵入は事実なので弁明するつもりはないです」

「もりりん、クッソ正直だよな……」



 我に返って照れ照れな三崎さん曰く、俺に妙な質問をしてしまった動機は昨日の昼――つまり、土日明けの月曜昼休みにさかのぼるのだという。

  ――*――

「佳奈子!」

 始業式で見かけて、帰り際にも見かけた佳奈子。

 私に気付いていないようだったから、廊下の人ごみを縫って小走りに駆け寄り、彼女の肩を背後から叩いた。

「わっ……な、なに。……京」

「?」

 いつもと違って、小声でおどおどと話す佳奈子の様子が奇妙に映る。

「見かけたから、挨拶しようと思って」

「……ありがと。でも、学校ではいいわ」

 微苦笑しながらパーカーのフードを被って私に背を向ける。

「佳奈子?」

 私は、彼女に何かしたのだろうか。

 そう思って呼び止めようとしたものの、佳奈子の小さな影はすぐに見えなくなってしまった。

「……」

 呆然としていると、遠巻きにやり取りを見ていた自分のクラスメートからこう言われた――



  ――*――

「『三崎さん、なんであんなのと話してるの?』『性格悪いからやめといた方がいいよ』とか……」

 途中から表情は一変し、とても悔しそうに三崎さんは呟く。

「だから、私は佳奈子は凄くいい人だって言って。『騙されてる』って言い返されて証人を呼ぶって言い返したの」

「……まさかその《証人》、もりりん?」

 なんだかんだで居続けているフラグが口を挟むと、三崎さんが大きく頷く。

「うん。佳奈子の幼馴染で凄くいい人だから」

「…………」

 三崎さんは、なんというか……警戒心と危機感が薄い。俺にまつわる噂(事実)にも、佳奈子にまつわる噂(事実半分尾ひれ半分)にも疎いようなのだ。

 俺が何と答えようか迷っていると、眉間にしわを寄せたフラグが呟く。

「佳奈子たん、話してみれば悪い奴じゃないんだけど……そうかー、女子ん間ではそうなっちゃってんのかー」

「フラグくん、何か知ってるの?」

 三崎さんに『森山くんの大親友の死亡フラグです』と自己紹介したフラグが、三崎さんにあだ名を呼ばれて嬉しそうに、しかし表情と声音に真剣実を滲ませて答える。

「もちっす。俺、学内の裏掲示板に潜りまくってっからね」

「佳奈子がゴシップ記事書いてたところ?」

「そう、そこ。知ってるんなら話は早い。女子ってのはそういうの嫌いなもんでしょ?」

「???」

 今にも頭上にクエスチョンマークが浮かんで見えそうな顔をする三崎さん。やはり、少し疎い。……いや、鈍い。

 困ったフラグがアイコンタクトしてきたので、頷いて引き受ける。

「……三崎さん。佳奈子さ、学校ではほとんど目立たないようにひっそりと過ごしてるんだ」

「う、うん」

 俺でさえ、長く話せるのは人気のなくなった放課後か、偶然出会った帰り道くらいだ。究極の内弁慶は、あいつが座敷童になってからも変わらない。

「校内の人のゴシップを題材にあれこれ面白おかしく書き殴って記事書いてさ。一定時間で記事消えるったって、あんまりいい気分にならないじゃんか」

 記事を面白がる人もいれば嫌がる人もいる。

 そのことは佳奈子もわかっていたし、佳奈子が記事を書いていると知った俺も『ほどほどにしとけよ』と諫めた。

 ……止めなかったのは、『あたしは絶対、記事書くのやめない』と宣言する佳奈子の表情に鬼気迫るものがあったからだが、当時は事情を知らなかった。

「そう、かもだけど……」

「噂はすぐ消えちゃうけど、思春期ど真ん中な俺らの年代ではさ、一瞬しかない噂でも傷つく人がいるよ」

 陸上部の活動中で『その場面』を見ていない俺は、当事者であるフラグに主導権を譲る。

「吹奏楽部の部長と副部長だかの縺れた三角関係を記事にしたら、高1の夏休み前、佳奈子たんの糾弾大会が始まったんだ」

 吹奏楽部は大所帯で女所帯だ。のちにそれを聞いた俺は、よりによってとんでもない相手を敵に回したと思ったものだった。

「途中からだけど、ひっどいもんだったよ。『いくらなんだってそこまで言うか⁉』みたいなさ。女子ってこえーえなあ……と」

「……」

 心配そうな顔をする三崎さんに、フラグは咳払いして話をつづけた。

「江松さんだったかな。第三者の女子が駆け付けて仲裁してたけど止まらんかった。で、ハラハラ見守ってた俺がこっそり笹谷先生を呼んだ。……で、おしまい。元々ひっそり過ごしてた佳奈子たんはますますひっそりと溶け込むようになっちゃった」

「…………。そこで記事の更新が止まってないってことは、書き続けたんだよね。そうするしかないもんね」

 幽霊と座敷童とで中途半端な状態にあった佳奈子は、幽霊と座敷童とを両立しなければならなかったらしい。

 座敷童として俺に幸運を贈り、幽霊として観測者を求めた。――なければ、消滅してしまうから。

 自分の存在を認識してくれる相手が無差別にいるような、ネットのブログ記事やニュース記事は、佳奈子にとってはうってつけだったのだ。

 外を歩こうにも彼女を追いかける妖怪が居たことだし。

「フラグくんは、佳奈子と仲良しなの?」

「もりりんと居るとこに突っ込んでってしつこく話しかけたら、会話してくれるようになった」

 Vサインするフラグ。

 佳奈子がどんなに撥ねつけてもめげずに話しかけたこいつは、メンタルが鋼で出来た猛者である。佳奈子もフラグは『なんだかんだで害はない』と認識したらしく、状況次第では割と普通に話すようになった。

 とはいえ、フラグには――佳奈子が座敷童だということまでは伝えていない。

「……フラグ。フラグさ、妖怪とか信じる?」

「うん? もりりん唐突だね」

「っ……森山くん、教えて大丈夫なの?」

 彼女の唇が『佳奈子の気持ちは』と、声にならない音を描いた。

「…………」

 苦渋の決断という訳ではない。

 高校に上がって、暗黒の中学時代を思い出して陰鬱だった俺がクラスに溶け込めるようになったのは、フラグのお陰なのだ。

 恩人に嘘はつけないし、つきたくない。

 昼休みも終わりかけなので二人に提案する。

「放課後、集まれる?」

 フラグにと言うよりは、特進の三崎さんに向けて問う。

「だ、大丈夫だよ」

「わかった。フラグは少し待ってくれ」

「……あいさー」


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