Vol. 5
1.藍沢佳奈子を取り巻く周辺の状況と関係
少年の雑談
始業式が終わって高校生活も再開。受験と就活とで周囲の緊張感が増していく時期だ。
そんな中でも、俺は放課後や休日には、翰川先生に勉強を教わっていた。
「光太。どう〇つの森で一番好きな住民は?」
「いきなりっすね」
夕飯を食べてからの勉強の小休止中、いつでも唐突な翰川先生が口を開いた。
焼きリンゴをバニラアイスにのせた豪華デザートを食べながら彼女は言う。
「僕はペンギン住民全般だ」
「先生っぽい」
翰川先生はペンギン好きだ。
「俺はと言えば……ど〇森自体好きで住民も好きですけど。誰が一番ってのは決めらんないっすね」
「どの動物かでもいいぞ」
「そんならネコかな。好きな住民多いし」
小中学校時代は、ほのぼのスローライフなゲームをやりこんだものだ。
佳奈子とよく通信して村を行き来していた。
「なんか気になったんですか?」
「うむ。僕は、現実世界ではネコとペンギンなのだ」
「ですね」
翰川先生の小物(バッグやポーチなど)は動物モチーフが多いが、その中でも多く使われているのがペンギンとネコだ。
「ど〇森でも同じく。しかしだな。現実世界において犬好きであるリーネアはリス派。ハリネズミのような小動物を好むミズリはネコ派……」
「
同居人から『戦争の擬人化』と呼ばれる人が動物を可愛がるイメージが浮かばない。
「彼が犬好きになったきっかけは常人には理解しがたいことなので、名状は避けるよ」
「ぜひお願いします」
普通は逆の場面で使うべき言葉だが、しっくり来てしまうのがリーネアさんがリーネアさんである所以だ。
「現実世界で好きな動物がそのままゲームの中でも好きになるのか? そう思って聞いてみたのだ」
「へー………なんでいきなりそう思ったんです?」
「お昼の番組で動物特集の再放送があった」
先生はティッシュで上品に自分の口元を拭う。
ティッシュを捨ててから、むふーっとした表情で、携帯ゲーム機をぺんぎんさんバッグから引っ張り出した。
ケースがリンゴ柄である。
「久しぶりにどう〇つの森をやろうとした次第だ。キミが学校に行っている間が暇なのでな」
「そうですよね」
翰川先生は夫であるミズリさんとここに暮らしているのだが、ここ最近のミズリさんは仕事で出てしまっている。
「寂しかったりします?」
「いや。ルピネと紫織とデートできるので寂しくはない」
「……そうなんですか」
意外な取り合わせだが、紫織ちゃんも理数を好む女の子。きっと楽しい女子会になっているのだろう。
「ミズリはお仕事を頑張っているのだから。僕は奥さんとして夫の帰りを楽しみに待っている」
翰川夫妻はいつでも仲睦まじく、話を聞くと心が温まる。
「いいですね、仲良し夫婦で」
「ん……そ、そう言われると照れるな」
もじもじとする彼女が心底可愛い。
手の中のゲーム機に目を落として呟く。
「大学で、好きな住民のアンケートを取ろうかな」
「……」
この翰川先生、実は東京の大学で教鞭をとる教授さんである。
しかし――実験室を爆破してしまったことで出禁を喰らっている。
そのおかげで俺と出会って家庭教師を申し出てくれたからありがたかったのだが、純粋なる疑問が。
「出禁喰らってるのにアンケ取れるんです?」
禁が解けるのは後期が始まる9月下旬までだ。あと3週間弱残っている。
「むっ。ネット掲示板で取るから大学に行く必要はないぞ」
「掲示板」
「そうだ。心配いらない。……あと、僕は実験室を爆破したんじゃない。実験室の扉を爆風で吹き飛ばしてしまっただけだ」
「何も変わらない気がするのは俺の気のせい?」
爆発で発生する風だから爆風と呼ばれるのだろうに。
「むー! 違うもんっ!」
ぷんすかして手をぱたぱた振る。
うわやっべ超かわいい。
「今日は、コードのアーカイブ代表として! 生徒であるキミに! コードについて授業する‼」
携帯ゲーム機をバッグにしまい、代わりにタブレットPCとぶたさんプロジェクタを引っ張り出した。
プロジェクタで中空に『コードとは何か~初級編~』というタイトルを表示させながら、翰川先生が口を開く。
「コードとは『物理的な世界を描いている情報』だ」
「先生。早速よくわかりません」
俺は、”呪い”がかけられていたせいで神秘全般に疎い。
「わからなくても当然だ。キミは仕方がない」
彼女はいつも優しい。
「学術的に説明された文献はあるが、長年アーカイブから遮られていたキミではまだ難しかろう。ということで、たとえ話だ」
「たとえ話」
「ゲームはプログラムで動いている」
「……プログラム」
「そうだ。スタートボタンを押せばゲームスタートで、十字キーを使って移動しAでジャンプし、Bを押せばダッシュする……」
翰川先生は任〇堂フリークなんだろうか。
明らかにこれはマリ〇ブラザーズ……
「そういう『プレイヤーがこのボタンを入力したらこのアクションをする』というゲーム側の判断部分や、『穴にキャラクターが立ったら落ちて死亡判定・アイテムを取ったらキャラがパワーアップ』などのステージの設定などなど。ゲーム内の世界を構築しているのがプログラムなのだ!」
「格好いいっすね」
とっつきにくかったが、そういう表現を使われるとなかなかのものに思える。
「うむ。格好いいぞ。……ゲームだけではない。家電やロボット、パソコンやスマホのアプリ・ソフトウェアもプログラムが使われている」
「家電だとどうなるんですか?」
「電子レンジなら、『ダイヤルを回すと焼き時間や温度が増減する』・『ボタンを押すと調理のモードが切り替わる』……だとか。ダイヤルやボタンに反応してレンジが『この焼き方だ!』とばっちりやってくれる」
「AB十字と変わらないんですね」
ボタンの形と役割が違うだけで、人の意思を機械側に伝えるものがあるのは共通だ。
「そうだ。機械のアクションが違うだけでな」
「それが何でアーカイブの話に繋がるんすか?」
翰川先生の持つ神秘は、コード。
物理法則に従って動く神秘。
「コードは、世界を描いている情報だ。ゲームの世界を構築するプログラムとデータの塊と同じように、世界を描く」
彼女のレモン色の瞳はいつも好奇心で煌めいている。
「ならば――その通りにコードを扱えるのなら、物理現象さえ描き出せるのではないか? ……こういう神秘だ」
すっかり溶けたアイスクリームにスプーンを差し入れる。
リンゴをクリームにからめてパクリ。
スプーンを畳んだウェットティッシュの上に置く。
翰川先生のアイスクリームにスプーンを差したような筋が生まれる。
リンゴが動き、クリームをたっぷりとのせて翰川先生の口元に運ばれる。
目の前で動作を再生されたように見えたが、置かれたスプーンは微動だにしていない。触れていないのだから当然だ。
「…………」
リンゴを咀嚼し終えて嬉しそうな翰川先生が口を開く。
「今のは、『スプーンがアイスに沈んだリンゴを掬い、僕の口まで運ぶ』というのをコードで描いた。僕がした動作を、リンゴの位置やアイスの水位以外ほぼそっくり再生した形になる」
「……すごい、ですね」
「褒められると……恥ずかしい」
もじもじする先生が可愛い。
「と、当然ながら。コードを扱うにも慣れと訓練が必要だ。正確に精密な物理現象を描くには複雑な行程を必要とする。自然現象を再現するときなどは、常人の脳では記憶も演算も到底足りないので、専用のコンピュータをコードの補助に使うこともある」
「でも翰川先生は完全記憶と演算があるから……」
「僕は唯一生身でコードを万全に使えるぞ」
『えっへん』と言わんばかりに胸を張る。
「そんなわけで! 僕は大学の実験室で、コードによる爆風再現実験を行った」
「爆発を再現したんじゃなくて。爆風のみを再現した……ってことですね?」
「うむ。計算は完璧だった。……が、途中で生徒が窓を開けてしまってな……爆風が荒れ狂いそうになったので、実験室の緊急避難扉に向かって爆風を逸らした」
事情は分かった。
「先生のミスじゃないんですね」
出禁が重たい罰に思えてきた。
「いや、僕のミスだよ」
「?」
静かに話す。
「窓を開けた学生は、僕の研究室に入ったばかりの新米でな。暑い日だったから、気を利かせて開けた。先に言わなかった僕と先輩研究生の落ち度だ」
「……」
「実験室は教員の名がなければ使えない。その部屋の中で起こる事故は全てその教員の責任であり、この場合、処罰を受けるのは僕だ」
普段は天真爛漫でどこか幼く見える彼女だが、こういうところを見ると、彼女が社会人であり歴とした大人なのだと感じられる。
「その研究生は先輩方に謝られた後に非常に叱られ……僕が改めて注意するまでもないくらいに反省していたので、僕からは短い注意にとどめた」
そりゃあ、自分のせいで大事故が起こったのを目の当たりにすれば、これ以上ない反省の機会になっただろう。
「学部長に反省文を提出してから出禁の処罰を受け入れた僕は、『長いお休みになったから、札幌講演のあとは札幌に滞在しよう』と思い、研究室を相方に任せてこちらにやってきた。……そこでキミと出会ったわけだ」
「……」
「リーネアが居るからというのもあったが、今となっては光太と知り合えたこの幸運に感謝している」
「な、なんか……偶然に偶然を重ねて会えて、嬉しいです」
「僕もだ」
笑う顔に胸が締め付けられる。
「あ、そうだ。コードを生身で使えるからといって僕が偉いということは一切ない。コードという神秘は、多種多彩な個人差のあるスペルには及ばないまでも、個人で得意分野の違いがあるのだ」
手元のタブレットを操作して次々と画像とテキストを表示させていく。
「寛光の工学・工業のとある教授は、電気工学に特化したコードを扱う。コードで電気回路を動作させる手際は僕より数段上だぞ」
素人でもわかる、その回路基盤と計算式の複雑さをスクリーンで見せてくれる。
「マジですか。こんな複雑な式を……」
「彼女が作る電気回路はもはや神業の域……芸術だ」
ほうっ……と恋する乙女のような顔をする。
彼女というからには女性か。仲良しなのかな。
「尊敬してるんですね」
「うむ。シェルのお姉さんだしな! 悪竜の2番だ」
「…………」
悪竜。
大昔の王様と神様を真似ようとして神様に作り出された5万人超の兄弟。
一桁の番号は1番から9番までしかいないのだから、かなりのレアキャラに感じる。
「竜なのに
「いや、彼女の種族判定は雷の精霊だ。精霊がコードを使ったとておかしいところは何もないぞ」
「種族名がめっちゃ神秘的ですね」
たまにとてもファンタジーなので、魔法ファンである俺としてはそういう話題を聞かせてもらえるのは嬉しい。
授業も勉強も終わり、翰川先生がいそいそと着替えを準備してバッグに入れ始める。
「どしたんすか?」
「キミのおうちにお泊りしたい」
ほわあと笑って言うので、心臓が撃ち抜かれた。
「……階段大丈夫ですか?」
「僕には瞬間移動があるから安心したまえ」
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