シュレミア2 (4.エピローグ)

「森山光太」

「はい?」

 自分の部屋でシャツにアイロンをかけていると、シュレミアさんが出現した。

 何の予告もなく俺の背後に現れた。冷蔵庫から飛び出すようなミスはしていない。

 やはり、前回のシュレミアさんは彼ではなく、彼とそっくりな悪竜兄弟。

「それだ。その悪竜」

 彼の口調から敬語が抜け落ちており、小樽旅行以来の冷たさに背筋が冷える。

「心読むのやめてもらえませんか」

「読むまでもない」

 なんだか物凄く不機嫌なご様子だ。

 眉間に小さなしわを作っているだけなのだが、俺でさえ表情の変化が読み取れるのだからよほどのことだと思う。

「それは、俺と似ていたか?」

「……そっくりでしたよ。見間違えるくらい」

 光を浴びると虹に艶めく銀髪も、気品と威厳も。全部瓜二つだった。

 違ったのは性別だけ。

「…………」

「言っときますけど、何っにもしてないですからね。あなたのご家族が、あれこれしてくれた後に登場したから……てっきり、シュレミアさんが降臨したのかと」

「そうか。……良い。お前に責任はないからな」

 よくわからないうちに納得された。

「あの……ものっそい怖いんですが」

「良いと言っているだろう」

「……」

 なんなんだ。

 ここまで理不尽なのは久しぶりだぞ。

「俺と出会った人は悪竜兄弟ですか?」

 半ば分かり切った質問だが、これは『話を無理やり終わらさせないぞ』という意思表示だ。

「お前と会ったのは。……」

「会ったのは?」

「……俺のドッペルゲンガーだ」

「やばくないですか?」

 ドッペルゲンガーと会うと死ぬのではなかったか?

 彼は眉間のしわを深くして言い直した。

「お前の幻覚だ」

「それもどうかと」

「変なキノコでも食べたのだろう」

「いや、流石にないでしょ……」

「……変な呪いでもひっかけたんだろう」

「大変だ。シュレミアさん解いてください魔法使いなんだから」

 抗弁していると、業を煮やしたシュレミアさんが虚空に手を翳した。

「ちっ……待っていろ。いま貴様の記憶を飛ばす」

 魔法少女アニメに登場するようなステッキが出てきて、思わず吹き出しそうになる。

「ぶふっ……それ、なんですか」

「ひぞれの思いつきをオウキが具現化した魔法のステッキだ。こんな見た目だが、魔法の力で撲殺痕が綺麗に消えるので重宝している」

 やっべ、殺意モノホンだ。

「もっとファンシーな使い方してくれません⁉︎」

「ファンシーを辞書で引け受験生。魔法というだけで充分にファンシーだろうが」

「魔法使いが理不尽……‼︎」

 両手を挙げて降参すると、ステッキを消した。

 ……金色の粒子になって消えるあたりが本当に魔法少女っぽい。

「ステッキを作るにあたって、オウキは魔法少女とやらが登場するアニメを複数本視聴していた」

「レプラコーンの技能、これで発揮しちゃったんですか……」

 凄い技術なのはわかるが、使いどころは他にあると思う。

「……はー……」

 シュレミアさんは疲れた息を一つ吐き、座布団に座った。

「申し訳ない……感情が荒れたままに来てしまった。八つ当たりだな」

 自嘲と自省が入り混じった表情が痛ましい。

 ……感情が薄目なシュレミアさんがこうまでも暴走するなんて、俺が出会った彼のそっくりさんとは余程仲が悪いらしい。

 しかし、地雷のような話題を突いても辛いだろう。

 何とか話を替えたい。

「シュレミアさんの素ってどっちなんですか。敬語か、そのものすごい威圧感の方か」

「…………」

 彼の瞳に銀色の火花が散り――火花は面積を増して瞳を銀に染めた。

 見るからにやばい。

 地雷原を察知してハンドルを切った先で、もう一個特大の地雷を踏んでしまったような気持になる。

「口調など、意思伝達のノイズなのに」

 嫌な思い出があるらしい。

 踏み込んでしまった。

「……すみません」

 俺が示せる誠意は頭を下げて謝罪することだけだ。

「…………」

 瞬きすると火花が消える。首を横に振り、無表情に戻って俺に向き直る。

 そして頭を下げた。

「いえ。……取り乱しました。謝罪します」

 切り替えが早いのは凄いことだと思うのだが、スイッチを切り替えたみたいな速さには少しぞっとした。

「こっちこそ、あれこれすみません。……ご家族の皆さんにお世話になったお礼もしてませんで。ありがとうございました」

「どういたしまして」

 点けっぱなしだったアイロンのスイッチを切る。

「作業を中断させてしまいましたね」

「大丈夫ですよ。もう終わったところだったんで」

 シャツの熱を軽く冷ましていただけだ。

 コンセントを抜いてケースにしまう。

「……」

 シュレミアさんがじっと見ているのに気づいて、アイロン台の足を畳む手を止める。

「なんすか?」

「あれは。お前が出会ったそれは……俺の双子の姉だ」

 彼の息子のカノンさんが『異種族の双子はそっくりになる』と言っていた。

「双子……なのに、嫌いなんですか?」

 錯乱して口調がぶれるほどに?

 言外に問うと、彼は俯く。

「ああ。嫌いなんだ。あれと話さずすむのなら耳を削いでもいい。……八つ当たりなのは、わかっている。だが、どうしても……嫌だ」


「あれが、俺の姿で俺の居場所に入り込んで笑うのが嫌だ。嫌いだ」

 ――この人も泣くのか。


「死ねばいいのにいなくなってくれない」

 まるで小さな子が癇癪を起こしているようで、普段の冷静沈着な振る舞いとは釣り合わないくらいの、いっそ痛ましいほどの感情の爆発。

「……シュレミアさん。ごめんなさい」

 思えば、彼は最初から、拒絶の言葉を俺に伝えていたではないか。

 なぜそのドッペルゲンガーが嫌いなのかを口に出して説明するのも嫌で、彼は不器用なりに『踏み込まないでほしい』と伝えていた。

「貴様も、あれも、嫌いだ。死ねばいい……!」

「すみません。申し訳ありません……」

 言葉足らず過ぎる彼もどうかと思うが、調子に乗って無遠慮に踏みにじった俺も悪い。地雷を連続で踏み続けたのだ。

 かつて人にされて嫌だったことを自分がしてどうする……!

 謝罪の言葉を連ねようとした時、複数人の声が響いた。

「泣かすなんていい度胸」

「可愛い弟。慰めてあげる」

「不安でしょうに……」

「怖かったわね。もう大丈夫よ」

 男女が入り混じった多人数。

「……ん?」

 振り向けば、十数人程度のシュレミアさん。いや、悪竜兄弟。

 泣くシュレミアさんを女性の悪竜兄弟が慰めている。

「弟妹が悲しんだのなら、いつでもどこでも駆けつけるのが我ら悪竜」

「この子はいつもなら誰かがそばにいるけど、今回は特例」

 取りまとめ役に見える男女二人が、それぞれ俺の両肩に手を置いた。

 この場の全員が、その瞳に色鮮やかな火花を散らしている。

「「「朝までお兄さんお姉さんたちと受験勉強しようね♡」」」

 泣き疲れて寝落ちしたシュレミアさんが目覚めてご兄弟を止めてくれたのは、時計が夜1時に差し掛かった頃だった。



  ――*――

「光太に迷惑をかけてしまった。詫びの品を見繕い送ろうと思う」

「あら。どのようなものを?」

「……商品券にしよう。確か、家具家電で使えるものがあった」

「良いわね。光太くんもお引越しするなら、新調したいものもあるでしょうし。……?」

「我が妻」

「なんでしょうか、私の旦那様?」

「いつも心配と迷惑をかけてばかりで、すまない」

「不器用で感情豊かなあなたが好きよ」

「……愛している」

「私も。……でも、お姉さんとはきちんとお話ししてくださいね」

「いやだ。話すくらいなら死ぬ」

「いじけないで、あなた」



  ――*――

 休み明けテストの日、帰りのホームルーム後に友人の死亡フラグが声をかけてきた。

「もりりん、テストどうだった。俺はダメだったーい。ちっくしょーう」

 俺は充血した目で答える。

「数学だけは完璧な自信があるぜ」

「ふおっ⁉︎ な、何があったんだもりりん‼︎」

 もし俺が、呪いを解いてもらったこと以外であの鬼畜の人に感謝するとしたら。

 それは『苦手だ』としり込みする暇もなくスパルタに数学を鍛えてくれたこと……その一点である。

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