Daiamond ―金剛石

 私は翰川先生と早めのお風呂に入り、翰川先生と戯れながら髪を乾かしあい、翰川先生の作ってくれたお夕飯を食べて、翰川先生とお話ししながら勉強を教えてもらった。

「……夢のような時間だった……」

 翰川先生は、両足が義足だ。

 普段は自分一人でも入れるそうなのだが、浴槽と壁に手すりのないお風呂場では苦労するらしい。『もし、キミに甘えて良いのなら……』と恐ろしく可愛らしく綺麗な顔でおねだりをしてくれて、私は了承した。

 了承せざるを得ない究極の可愛さだった。

 髪を洗ったり、立ち上がる彼女を支えたりと介助を行った。

 彼女はいたく喜び、『お礼になるかわからないが』と言ってたくさんのお話をしてくれた。

 科学者の逸話や、物質が誕生したときのエピソード。学問が応用されて、巷にあふれる製品となっていく過程……

 科学も翰川先生も魅力的だった。

 翰川先生は手を振り振りして、森山くんと佳奈子のアパートへと帰って行った。

 ……落ち込む私を励ましてくれたのだと思う。



「…………」

 一日千秋の思いでリーネア先生を待っている。

 彼は自分の部屋に荷物を残しているのだから、帰ってこないはずがないのだ。

 インターホンが鳴り、リビングから玄関へ駆け出す。

 ――扉を開けると、リーネア先生を俵担ぎしたオウキさんと目が合った。

 レプラコーンの青年が恐ろしく綺麗な顔で笑う。

「や、京ちゃん」

「……こ、こんばんは」

 彼は笑みを苦笑に変えて、肩の上の息子さんを指さす。

「帰ろうとしたら『合わせる顔がない』ってぐずり出したから黙らせちゃった。中入ってもいいかな?」

 リーネア先生は眠っているのでなく気絶しているらしい。

「どうぞ……」

「ごめんね」

 リビングのフロアソファにリーネア先生を寝かしてから、オウキさんは私に深々と頭を下げた。

「この度は息子が誠に申し訳ない」

「っ」

「教導役を降りるなんて、『もうお前とは関わらない』レベルの戯言だ。京を不安にさせて……ごめんね」

「……いえ」

 先生も不安定だった。

 気付いて支えてあげられたら良かった。

「俺は息子の不始末を謝罪するしかできない。だから、さっさと張本人に謝ってもらおうね。起きろアホ息子」

「づっ」

 オウキさんの指先から、緑の火花が散った。

 リーネア先生が涙目で飛び起きる。

 そして、私と目が合った。

「……」

 一瞬だけ顔を歪め、しかしすぐさま逡巡を振り払い、私に向き直る。

 どこまでも誠実で強い人だ。

「お前が言いたいことから、聞く。恨み言でも文句でも」

「…………」

 私は首を横に振り、彼に告げる。

「恨みなんかないです。……先生も、私とおんなじで。限界がくることもあるよね」

「……」

 彼は虚をつかれたような顔をして私を見ている。

「私は臆病だったんです」

 臆病過ぎて、オウキさんが来ると決まってからずっと様子がおかしかった彼を、見て見ぬ振りをした。

 時間が経てばいつも通りの先生に戻ると必死で思い込んでいた。

 向き合っていれば、記憶を失うほど思い詰めることもなかっただろうに。

「ごめんなさい。先生が苦しそうだったのに。私は、自分のことばっかり考えて」

「……ケイ。……」

 オウキさんが手でリーネア先生を制止し、私に言葉を促す。

「できれば、ストレートにね」

「……はい」

 勇気を出して、ここ最近言おうとして言えなかった言葉を絞り出す。

「私は先生が好きです。先生に、教導役でいてもらいたくて。……これからも、生徒でいたいです」

 私が平常な人間に戻るきっかけをくれた。

 こんなにも溢れる感情は、彼がくれたものだ。

「……だからそばにいて……」

 もう、お兄ちゃんと混同しないから。

 彼は彼だ。

 3年の月日を共に過ごした、尊敬する先生だ。

「…………」

 彼の返答も、絞り出されたような声音だった。

「……ごめん。八つ当たりした」

 先生の涙は、宝石となって床に落ちる。

 白く透明なダイヤモンド。

「お前の強さが羨ましかったんだ。……眩しくて、見てられなくなった。なんで俺はできなかったんだろうって、思う」

「……」

「お前のこと尊敬してるとかなんとか言ったくせに」

「せ、先生」

「怒ってない?」

「怒ってませんし先生のこと大好きで尊敬していて一緒に居たいです」

 心からの言葉を贈る。

「ん……」

「大学に行っても、たまに先生のところに遊びに行っていいですか?」

「うん……って、うわやばい」

 ダイヤモンドが肩に落ちて、彼も気付いた。

「……」

 しばし、沈黙が流れる。

「あげる」

「わわわわ……⁉︎」

 リーネア先生は、無造作に私の手にダイヤモンドを握らせてきた。

 落とさぬようとっさに握り締めようとすると、次々と拾い上げて追加してくる。

「ちょ、先生⁉︎」

「どうせ保証書ないから安もんだ」

「う、受け取れませんよ、こんな……‼」

 安物と言われても、生まれてこの方宝石に縁のなかった私を固まらせるには十分な量と粒の大きさだ。

「……お前、俺のこと嫌いか?」

「それとこれとは、別物です。……好きですよ」

 改めて言うと気恥ずかしいが、きちんと答える。

「好きって言ってくれるのうれしい。俺も大好き」

 とんでもなく綺麗な顔がとんでもなく綺麗に笑った。

「ごめんね。疲れてるから、寝るね」

「あ……は、はい……」

 彼は『おやすみー』と無邪気な笑顔でリビングを出て行った。

 オウキさんを振り向くと、爆笑をこらえる顔をしていた。

「……ごめん。ちょっと待って」

 苦しそうに何度か咳払いして、顔を上げた。

「ど、どうしたらいいですか、これ?」

 私の両手のひらに集められた、元はリーネア先生の涙であったダイヤモンド。

 一粒平均は1センチ弱くらいか。

「うーむ……あの子は女性に宝石を贈る意味を考えてなさすぎなんだよねえ。素のまま渡すなんて」

「そ、そういうことでは……」

 期待する答えと違った。

「うーん……あ、そうだ」

「?」

「テーブル借りるよー」



「どうぞ」

「……きれい」

 宝石を花に見立てたブーケ。

 ダイヤモンドの白だけではなく、ルビーやサファイアの色彩も混じっている。

 私の目の前であっという間に出来上がったそれは、まさしく魔法のような手並みだった。

「ダイヤモンドだけ、じゃない……ですよね」

「んー? 余ってたから」

「……あのっ、こんなには、受け取れないです……」

 店で売られていてもおかしくないクオリティのオブジェをもらっても、私は彼らに何も返せない。

「俺としては、怪物の息子を人間らしくしてくれたってだけで、どんなものでも返せない恩義があるんだけどねえ」

 くすくすと笑って私を撫でる。

「いいんだよ。可愛い女の子が持ってた方がその宝石も浮かばれるもの」

「っ……」

「俺たちにとって、宝石の価値は時価だけだしねえ?」

 苦笑気味に付け足す。

「……」

 透明なガラスケースがテーブルに置かれる。

「ネックレスとか指輪とかは、将来働き始めた自分へのご褒美とか……大切な人からの贈り物でもらうだろうし。俺たちからは花束で」

 土台に手際よく固定し、ケースを被せてくれる。

「……すごいなあ、職人さん……」

「ありがとー。机の上にでも飾ってくれたら嬉しいな」

「ありがとうございます」

「うん」

 オウキさんはいつも朗らかで、心地よい。

「あ、そうだ。キッチン借りていいかな」

「?」

「リナにグラタン作る約束してて……」

「そういうことなら。私もお手伝いします!」

「ありがとう」



 具材を切って、オーブンで蒸す。

 ホワイトソースの準備をしながらおしゃべりするのが楽しい。

「異種族の割合は、やっぱり魔術学部が一番多いかなぁ。特に魔術工芸は俺の親戚の巣窟だし」

「そうなんですね。内訳はどういう感じですか?」

「俺のおじさんおばさん、おじいちゃんとか。あと妹」

「妹さん」

「双子で……あっ。俺の父さん母さんは異世界で職場があるからこっち来てないだけで、遊びには来てるよ」

「賑やかですね……」

「うん。すごいよ。毎日乱痴気騒ぎ」

「……もし、私が大学に行ったら、魔術学部にも遊びに行っていいですか?」

「それはもちろん。見学会があるから、入学したらしおりんとか佳奈子ちゃんとかと一緒においでよ」

「はい! またお会いできますか……?」

「うん。またお話ししようね」

「……ありがとうございます、オウキさん。グラタンもすっごく美味しいです」

「えへー……」

「オウキさん、どうしてそんなに喜んでくれるんですか?」

「職人妖精の本能でねー。自分が作ったものを喜んでもらえたらすごく幸せなんだ」

「……」

 そんなにも純粋な笑顔で言われると、釣られて顔が赤くなってしまう。

「リナリアのことよろしくね。ほんとはキミの教導役のはずなのに、京の方がしっかりしてるんだもの。申し訳ないよ」

「……私は、もらってばかりです。リーネア先生にも、オウキさんからも」

「あはは。ほんとう、ありがとね」



 翌日の朝8時。

 オウキさんが帰って行く。

「他で用事が出来ちゃって……ごめんね。もっとゆっくり出来たらよかったんだけど」

「いえ。会えて幸せでした」

「……ありがとう。寝こけてるアホ息子にもよろしく伝えておくれ」

「リーネア先生、アホではないと思います……」

「頭がいいだけで中身は妖精こどもなんだよ。……ほんとにありがと。また遊ぼうね」



 約1時間後。

「……美味い」

 起きてきたリーネア先生は、グラタンとパンをもしゅもしゅ食べている。

「良かった。それ、オウキさんが作っていってくれたんですよ」

「そっか……東京で会ったら謝ろ……」

 そうだ。そういえば、彼は明日から東京に行くのだった。

「……大丈夫ですか?」

「うん」


「留守番、頼むな」


「……」

 彼は『留守番』と言った。

 つまり、またここに帰ってくる。

「はいっ。任せてください!」

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