1.準備―札幌市内

少女と妖精と鬼畜

 今日もケイは不安定だ。

 いくつものアルバムをそこら中に広げて、食い入るように写真を確認している。震えた指でアルバムをなぞって、小さく何かを呟き続けている。

 横顔は真剣そのもので。その真剣さこそが痛々しい。

 ――まるで昔の自分を見ているような気分になる。

「……」

 この家にあるのは、ケイが俺と暮らし始めてからの写真ばかりで、ケイの幼少期のものがない。

 もともとのケイの家から持ってこようかとも思ったが、提案するとさらに情緒不安定になるばかりだったから諦めた。

「……覚えてる。…………覚えてる」

 距離を置いて見守る。

「  …… ……」

 パターンがケイの周りで青い燐光として瞬いているが、手出しはできない。

 そのパターンが記憶を塗り替えようとしているのか保存しようとしているのかも定かではないから止められない。

「…………。ねえ。先生」

「なんだ」

 ケイは決まってこう質問する。

「私……変じゃないですか?」

 まともじゃない俺はこう答えるしかない。

「わかんねえよ」

「そう、ですよね。ごめんなさい」

 申し訳なさそうにケイが身をちぢこめて俯く。

 ……俺が人間だったらきちんと教えてやれたのかな。

「ん。スポドリ飲め」

 冷蔵庫のストックのペットボトルを押し付ける。

 受け取るか不安だったが、ケイはおし抱くようにして手に取った。

「ありがとう……」

「寝てていいぞ」

 かなり疲れているはずだ。

「ごめんなさい……」

「謝ることじゃねえよ。昼寝でもしてろ」

「じゃあ、寝よっかな……」

「ちゃんと水分とってからな」

「はい……」

 ふらついているのを見かねて手を引き、扉を開けてやる。隣の部屋の扉も開けて内に送り込む。スポドリを飲んで寝るはず。

 “けい”のネームプレートがかかった部屋がアルバム部屋で、ケイの自室はその隣。

「ん。寝ろ」

 不安そうなケイの頭を撫でる。

「……うん……」

 汗をかいているだろうけど、さすがに俺が着替えさせるわけにもいかない。

 起きてきたら着替えるように言って……いや、その前に散らばったアルバムを片づけてから飯の準備を……

 人の世話は意外にも面倒だ。労働は愛着とは別物。

 愛情があるからこそできるものでもあるけど、疲れるものは疲れる。

 俺を育ててくれた姉ちゃんに申し訳ない気持ちでいる。

「京よりもあなたの世話の方が大変だったのでは?」

「……よう、シェル。登場ついでに先読みすんのやめろ」

「すみません」

 虹銀髪の友人が、廊下窓のカーテンの影からにゅるりと出てきた。

「お前ずっと隠れてたな」

 シェルは銀色に染まっていた指先をくるんと回す。指が元の肌の色を取り戻していく。

「隠れていた方が都合がいいでしょう?」

「……ケイにも挨拶してくれよ」

「わかっております。目が覚めたら紹介願いますね」

「ん」

 シェルは強烈ではあるけど、ケイは天然だしなんとかなるだろう。

 ふわふわしているようで見る目は確かだから、シェルを怖がることもないと思う。

 ……こいつがぶっ飛んだ奇行に走らない限り。

「では、あなたも焦れていることですから単刀直入に」

 イライラするとあれこれ考えてしまうのをわかっている。何もかも見抜かれてるみたいで気色悪い。

「京は責任感が強いせいで、パターンで自らに干渉しています。親の押し付けた価値観である『理想の娘』になるように思い込んでいるのですね」

「まだ駄目なのか……」

 初顔合わせから続く違和感は、3年も一緒に暮らしていれば確信に変わった。

 やっぱあのババアぶっ殺――……駄目だ。どう考えてもアシがつく。

 ひぞれをリンゴで釣って、物証と監視カメラを――

「いえ。あなたが京の母親を殺したことで事態が変わりました」

「殺してねえ」

 さっきちょっと考えちゃっただけで、殺してない。

 想像の中では解体処理まで進んだけど俺は悪くない。

 だって現実ではそんなことやってないもん首絞めて跳ね落としただけで殺してないもん。

「え、殺してないんですか?」

 なんで驚いてんだこいつ。殴るぞ。

「やったら指名手配されてる。大手を振って歩けねえ」

「失礼しました。絞め殺しかけたことで――」

「『殺す』ってワード入れるのやめてくれるか」

 殺人未遂も犯罪だ。

「同類として言いますが、無理に隠そうとしなくていいんですよ? 別に通報もしません。あなたなら、殺して遺体を雪山に埋めてもおかしくないと思っています」

 澄んだ目でなんてこと言いやがる。

「お前と同類とか嫌だわ……」

 シェルはサイコ具合が完璧にいかれている。

「では続けますね」

「そういうところを一緒にしてほしくないんだよ」

 こいつは会話が面倒くさくなるとスルーして本題に戻す。

 そのタイミングが絶妙で脱力する。

「絞め殺……締め落としたことにより、家の中で父母が絶対であった状況は崩れました」

 わざとか天然なのかによって、こいつと友人関係を続行する勇気が左右される気がした。

「今の京は精神的な自由を得ています。あなたは面倒見がいいですし、それでいて意思を尊重するタイプですから、庇護下で気を休めて回復できたのでは」

 褒められたっぽいが、直前がひどかったのであまり嬉しくない。

「ですが、精神は不安定なご様子。頻度は1週間に1、2回。あなたが傍にいる日の夜などが多い」

「いつ話したっけ?」

「見ればわかることです」

「…………」

 シェルは自分の突出した知能が突出している自覚が一切なく、他との差異を理解できない。ほぼ宇宙人のような存在だ。

 ついたあだ名は『フルスペックポンコツ』。

 有事の際には頼りになるが、普段はひぞれに負けず劣らずの暴走特急。

 なんで俺の友達はまともなのが居ないんだろ。悲しい。

「類は友を呼ぶのですよ?」

「自虐は楽しいか?」

「お互い様です。俺をまともでないと認めれば、あなたも自分がまともではないことを認めることになります」

 この野郎。

「何か弁明があるのなら聞きますし受けて立ちますが、正直に言うと限りなく不毛な論争になると思います。お互いダメージを受けるばかりです」

 まあ確かに空しいよな。自分が世間からずれてることを認識するだけになるし。

 でも、俺はこいつよりはましだと思う。

「五十歩百歩――」

「その話はやめよう俺が悪かったから。……続けてくれ」

「わかりました。精神が安定しないのは記憶が安定しないからです」

「記憶」

「記憶は感情に強く影響を受けるもの。一方で、独立した脳の機能でもあります。本人の意思にかかわらず働くことの方が多いでしょうね」

 俺の元居た世界では、銃声や爆轟で心を壊して病んだ人間は多かった。

 持ち主にとって都合のいい記憶に脳が改変することもあれば、強烈に残ってしまった都合の良くない記憶もある。

 そういうことだろうか。

「パターンが機能自体を変質させてしまっている場合、本人がその変質を意識できなければ治りません」

「どうやったら治るんだろうな。お前いける?」

 なんたって魂をいじくれる種族だし。

「砕くことしかできません。京に致命的な障害が残ります」

「じゃあ駄目か」

 『人間の感覚などわかりません』と言っていたし、実際に難しいんだろうな。

「ご期待に沿えず申し訳ありません」

 しれっとしているように見えて案外と誠実だ。本気で謝罪している。

「……こっちの口が過ぎた。悪い」

 同じパターンの俺が何とかできたらいい。

 でも駄目だ。俺には普通の精神状態がわからないから、他人の内面なんて下手にいじれない。

「原因となった“お兄ちゃん”についてどうにかするしかないのでは?」

 ケイは俺のことをそう呼びたがる。不安定な時には猶更なのだから、そこに原因があるとは思う。

 ――俺になんとかできると思えない。

「あなたと混同しているから苦労するかもしれませんが」

「……考えとくよ」

 ひらひらと手を振るのは降参の合図だが、シェルを相手に真面目なことを話した俺としてはそんな気分だ。

「はい」

 これ以上踏み込まないでほしいという意思表示を拾って、シェルが頷く。

 読みがいいのに察しが悪いこいつ相手にはこれくらいはっきり伝えた方がいい。

 シェルは、ケイが廊下に向かってぶん投げてしまっていたアルバムを拾い上げ、ぱらぱらとページをめくる。

「というか、その過保護さでよくぞ旅行を許しましたね」

「ケイがみんなで行きたいって言うから叶えたかった」

 心配ではありつつも、ケイの要望は出来る限りは叶えてやりたい。

「あー……そうなんですね」

「ケイに告白しようとしてた男子を海に沈めようと思ったけどやってないし」

「良いことです」

「馴れ馴れしくケイに腕回してた奴を関節固めるだけで許したし」

「昔のあなたなら躊躇いなく関節を外していたでしょう。成長してます」

「そうだろう。俺超えらい。風呂場覗こうとしてたやつらを逆さ吊りにして温泉に叩き込んだけど後悔してないし」

 シェルが感心したように何度も頷く。

「……あなたは種族特性に忠実ですね」

「父さんたちと一緒にすんなよ」

 俺の父さんは身内の女性を溺愛している。父さんの双子の妹な叔母さんがナンパされてた時とかえげつなかった。

「ところで、あなたはご自身の祖母が男性に絡まれていたときはどうしますか?」

「そいつに頭必要ないと思う」

 どう考えても殺さなきゃ殺すべきだ殺す。

「…………。良いと思います。合理的で」

「?」

 たまにシェルにため息をつかれる。

 なんか凄くいらっとする。

「細かいことは……一応いいです。部屋に入っても?」

 ネームプレートのかかった部屋を指さした。

「許可を頂けなければ透視するしかありません」

 種族が種族だからか入室許可には敏感だ。たまに平然と不法侵入するけどな。

「アルバムが散乱した部屋を? なんか用事あんのか?」

「パターンは道具を通して伝っていくことがあります」

「ん……まあ、確かに」

 パターンを込めた道具は幽霊を殴れる。こいつが教えてくれたことだ。

 あれは道具にパターンが伝わっているということか?

 そもそも、俺はパターンを感覚で使ってるから、よくわかんないんだよな。

「あなたが触れては京の記憶に逆効果かもしれませんし、そうではないかもしれない。スペルなら関係なく動かせます。どうでしょう?」

 スペルはもっとも単純な魔法のアーカイブ。シェルの持ち物だ。

 最初からそう説明してくれればいいとは思う。

 でも、プライバシーに関わるような状況でこうやって聞いてくるようになっただけでも進歩らしい。そういうことを共通の友達が言ってた。

「頼む」

「わかりました」


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