第2話

 運転する辻が東洋人なのに驚いた男が、「オルタネーターをヤラレタらしい。どこに行くのかね?」

 「一時間ほど先にあるモテルを予約してある。今晩はそこに泊まる予定なのだが」

 「それは都合がよい。そのモテルで妹がバーテンダーをしているんだ。連れて行ってくれないかね?」

 危険人物でもなさそうなので辻が頷く。

 買い物の帰り道だったのかトラックから降ろした紙包みを後部座席に積み込むと男が助手席に乗り込んだ。

 「俺はロバート・シュミットだ」といって手を差し出す。辻も名乗って握手を終えると、「あんたは日本人か?」と尋ねる。

 そうだと答えると、日本に数日間だけ滞在したことがあるという。


 男は辻より十歳ほど年長に見受けられる。高校を卒業後に志願して海兵隊に入隊し、ベトナム戦争中に二度戦場に派遣された。二度目の従軍では伍長として小隊を率いた。その小隊が属した中隊が敵に襲撃され、中隊長の大尉が地雷に触れて両足を吹き飛ばされる重傷を負った。

 左右に展開した中隊の左翼を男が、中隊長はその右側の小隊の先頭にいた。突然左側のジャングルから攻撃を受けた部隊が、右に退避しようとして中隊長が地雷を踏んでしまったのだ。

 突然の襲撃だったが、男にしてみれば自分がしかと左翼を警戒していれば急襲を防ぐことができたと悔いが残り続けた。

 この作戦が中隊の最後のもので、直後に別の部隊と交代して米国本土に引き揚げることになっていた。男は特別許可を得てその途中で日本の米軍病院に収容されていた大尉を見舞ったのだ。

 「ヨコスカで下船して、軍用車で二時間か三時間の先に病院があったな」

 「その地名を覚えていますか?」

 「なんでもサガミとかいったな」

 「サガミハラでは?」

 「そうだ。広い敷地の病院で、二階建ての白い病棟が並んでいたのを覚えている」

 「世間は狭いですね。その病院のすぐ隣に住んでいたことがあるんですよ」

 「本当か? これは驚いたな。西テキサスで日本人と遭遇することも滅多にないのに」と男が驚く。辻も同じであった。

 小田急線の相模大野駅から十五分ほどの地にあった独身寮の隣が広大な米軍病院で“米軍相模原病院”の看板が正面にかかっていたことを辻は覚えている。週末に寮にいると、重傷者を搬入するヘリコプターの爆音を耳にしたものだ。

 男が訪れたのは辻が入社する前年で、ベトナム戦争が泥沼化していた一九六七年であった。

 「馬鹿な戦争をしたものだ。なんのための、だれのための戦争か、俺たちにも判然としなかった。南ベトナムの腐敗政府や軍部が足を引っ張り、結局、北ベトナムに踏みにじられてしまった」男が吐き捨てた。

 「その大尉はどうしましたか?」

 「長く療養していたが、後遺症が悪化して亡くなった。いまでも申し訳ない気持ちでいっぱいだ」

 「あなたはアメリカン・インディアンのように見受けられますが?」

 「そうだよ。アパッチだ。アパッチ族は元々はロッキー山脈の山中に住んでいたんだ」と語り始めた。

 東部や中西部の部族が白人の移住者に押されて西に移住し、ロッキー山脈近辺にはダコタ、スー、シャイアンなどの有力な部族が流れ込んできた。そのためアパッチはテキサスの地に移り住んだのだ。

 一時はテキサス内に広く住んでいたが、同じようにロッキー山脈から追い出されたコマンチ族もテキサスに南下してきた。勇猛なことで知られたアパッチ族も騎馬ではコマンチ族の後塵を拝して、アパッチ族の多くがテキサス州の西端から西隣のニューメキシコ州に再び移動した。アパッチ族の酋長で脱獄を繰り返して映画の題材にもなったジェロニモもニューメキシコ州に住んでいた。

 語り終えた男が、「こんな乗用車はこの辺りではめったに見かけない。ここではトラックや最近流行のSUVばかりだ。あんたの職業はなんだ?」

 辻が説明して、ついでにこの週末旅行の目的を告げると、

 「ビッグベンドは一見に値する。だが、リオグランデ河がこの数年の雨不足で浅くなりメキシコからの密入国者が絶えない。そのためにあちこちに検問所がある。高級乗用車に乗った男が独り、しかも東洋人では、新手の麻薬の密輸入業者だ、と国境警備隊に疑われて当然だ」

 そこまで語った男が、「妙案がある。助けてくれたお礼に俺の妹にいっしょさせよう。一度結婚した出もどりだが、ジェニファーといって、気質は俺の妹にしてはよい」

 五十歳前後と思しき男の妹では、腕が辻の太腿のような中年の大女では、と案じる辻を察したのか、

 「歳はたしか今年二十五歳だ。十人いる兄弟姉妹の末娘でね」

 男が続ける、「日曜日に行く露天掘りはチノか?」

 「よく分かりましたね」

 「ニューメキシコ州の西にある大規模な露天掘りならチノを除いてない。現場を見ると驚くばかりだ。軍隊時代の戦友のひとりが働いていて一度訪れたことがある。アパッチに伝わる話では、昔は銅の塊を地表でも拾えたそうだ。それが今では含有率が一パーセント以下とか。百トンの土砂から一トンの銅も採れない。だから採掘場は大型のダンプが動き回るダムの建設現場とそっくりだ。それでも北米を代表する銅鉱山のひとつだそうだ」


 やがて行き先に点滅するネオンサインが見えてきた。そこが辻が泊まることにしていたモテルであった。

 車から降りて紙包みを抱えた男がバーのサインがあるドアーを開ける。金曜日の夕刻だからか、バーのカウンターにはカウボーイと思しき男たちが座っていた。男が全員にヨオッ!と声をかける。

 カウンターの向こうにいたのがジェニファーであった。アパッチの血が流れているからか頬骨が高い。肩まで届く濃いこげ茶色の髪。北欧人種のようなブルーの大きな瞳が辻を見つめる。濃い眉が印象的だ。

 カウガールが着る胸にふたつのポケットがある白い長袖のシャツ。胸のふくらみに押されてシャツのボタンが今にも弾き飛ばされそうだ。皮のベルトの真ん中にはシルバー色の大きなバックルが。背後の棚に手を伸ばして酒瓶を取る。その後姿は、豊満な腰と太い腿をラングラー製のジーンズが覆っている。

 男が大声で経緯をジェニファーに伝え、翌日に辻をビッグベンド公園に案内するように命じる。長兄の威厳というものなのか、有無をいわせない口調にジェニファーが頷く。

 「ジェニファー、この人は恩人だから今夜の酒は俺に付けてくれ。ミスター・ツジ、それじゃこれで失礼するが、ジェニファーに遠慮することはない。大いにビッグベンドを楽しんでくれ」

 いい終えるとジェニファーから彼女の車のキーを受取って姿を消した。


 チェックインを済ませた辻がバーにもどった。

 ジェニファーが、「あんな機嫌のよい兄を見たのは久しぶりだわね」といってカウンターに座る男たちに同意を求める。

 男たちのひとりが、「本当だ。こうして酒を飲んでいるだけで、いつもならどやされるのにお説教もなかった。どうしたんだろうか」

 辻がカウンターの男たちとひとりひとり握手をして座った。ジェニファーに、「夕食はここで取れるかな?」

 「大丈夫よ」といってカウンターの下から取り出したメニューを辻に手渡す。

 「飲みものは?」

 「テキサスのビールがいいな。ローンスターを」

 ジェニファーが栓を開けた中瓶を辻の前に置く。

 テキサス州は合衆国に併合される前にわずかな期間だが独立国だったことがある。現在のひとつ星が描かれた州の旗は当時の国旗であった。星がひとつだから州の愛称も“ローンスター”なのだ。

 「お兄さんの話では密入国者が多くて検問所があちこちにあるとか」

 「そうよ。国境警備隊の隊員がここにもよく立ち寄るのよ」 

 辻が改めてケン・ツジと名乗ると、ジェニファー・ロドリゲスだけど、追い出した前夫の名なので元のシュミットを名乗っていると告げる。

 「兄貴から聞いたかもしれないけど、結婚に失敗してね」

 「だから俺と再婚しようといっているのに」とカウンターのひとりのカウボーイがふたりに割り込む。

 「アル中のあんたが相手では、二度目の失敗がミエミエよ」

 他のカウボーイたちからもそうだそうだ、の声がかかる。陽気な連中だ。

 「俺がいるからこの店はもっているようなもんだぜ。客を大切にしないと」

 「ジャー、たまっている付けの全部を今払ってよ。オーナーからせっつかれているんだから」

 またカウンターに笑い声が広がる。

 テキサス人は男も女も陽気だ。テキサスの語は、州内に住む十を超えるアメリカン・インディアン種族のひとつであるハシナイ族の“友だち”から出ている。

 ニューヨークからダラスに移り住んだ辻は、街角ですれ違う若い美人のだれもが微笑みかけるので戸惑ったことがある。マンハッタンでは経験することではない。俺も捨てたものではない、と当初は変な自信を抱いたものだ。が、しばらく住んで周りを見れば、美人たちはだれにもそうなのだ。

 オーダーしたリブアイ・ステーキが運ばれてきた。大皿に大きなステーキとこれも特大のポテトが載っている。

 「ダラスからだそうだけど、職業はなに?」

 「日米合弁会社の責任者をしている」

 「社長さんね。私も社長なのよ」

 「まだ若いのに社長とは偉いね。なにをする会社?」

 「ワイナリーと呼ぶにはちっぽけな規模だけど、ワイン用の葡萄を栽培して醸造もしているのよ」

 「そのワインをもらおうか?」

 「初出荷はまだなの。秋にはご馳走できるかもしれない」

 「俺たちもご馳走にあずかりたいな」ジェニファーにアル中と呼ばれたカウボーイが割り込む。

 「あんた、ワインとビールの区別ができるの?」

 「ワイナリーのオーナーと知り合いになる。想像もしていなかったことで、光栄だよ」

 辻のことばを遮ってカウボーイたちが、「俺たちも光栄至極だ」


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