2013年【行人】「秋穂」「なに?」「好きだよ」

 夕食を終えホットコーヒーを二つ作って、片方を秋穂の前に置いた。

 僕はソファーに腰を下ろして、文庫本の続きを読んだ。


「ねぇ、行人」


「なに?」


「今日、一緒に寝ない?」


 何でもないことのように、秋穂は言った。


 僕は文庫から目を上げて秋穂を見た。

 何の意図も掴めなかった。しばらくの沈黙を保った後に


「やめとく。理性が持つ気がしないから」

 と言った。


 実際に僕の頭に浮かんでいたのは、裸の藍と抱き合ってキスをする他人のような自分だった。


「理性って……」

 呆れたように秋穂はため息をもらし「お風呂入ってくる」と言った。


「あ、一緒に寝るのはあれでも、背中くらい流そうか?」


 秋穂が僕を見て、笑った。


「今度ね」


「いってらっしゃーい」


 秋穂は何かに感づいているようだった。

 それが動画の件なのか、UMA探しの方なのか、僕には判断がつかなかった。

 どちらにしても僕は普段通りであるべきだろう。


 深夜、バッグを担いで部屋を出ようというところで、廊下の電気が点いた。


「で、どこへ行くの?」パジャマ姿の秋穂が立っていた。


「コンビニ強盗」


「面白くない」


 まったくだ。


「秋穂」


「なに?」


「好きだよ」


 秋穂は僕をじっと見た後、「いってらっしゃい」と詰まらなそうな顔で言った。


「いってきます」


――――――


 合流した田中さんはスーツ姿だった。

 ちゃんとネクタイもしめていた。


「なんで、スーツなんですか?」

 田中さんの車に乗り込んで、そう尋ねた。


「私の勝負服だよ」


「奥さんにプロポーズした時も、スーツだったんですか?」


 車を発進させながら、照れくさそうに田中さんは笑った。


「いや、当時の私は学生だったんだ」


「それはまた」

 僕は苦笑いを浮かべた。「じゃあ、どういう時に着たんですか?」


「はじめてAVを借りに行った時とか」


 真剣な顔でAVコーナーに入っていく若い田中さんを想像して、僕はしばらく笑った。


「で、UMAを見つけて、どうするんだい? 行人くん」


 僅かに残った笑いの感触の中で「やくざに売るんですよ」と僕は言った。


「高値で買ってくれるのかい?」


「ええ、そりゃあもう」

 僕にとって、最高の高値で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る