南風に背中を押されて触れる

郷倉四季

2013年【行人】目が合ったら三秒以内に声をかける。

 目が合ったら三秒以内に声をかける。

 なんとなく決めたナンパのルールだった。


「こんにちはー。って、里菜さんじゃないですか! 相変わらず美人ですね。これから僕とお茶とか? どーです?」


「はぁ? なんや、行人か。あんた、まだナンパなんかしとんの?」


 ルール通りに声をかけると時々知人に当たる。

 とくに里菜さんは僕が苦手とするタイプだった。


「里菜さんが相手してくれないからですよ」


「あんた軽いねん。秋穂に処理してもらぃな」


「いや、あいつは……」


 ナンパ中に最も訊きたくない名前をあえて言う。

 性格が普通に悪い。

 苦手を通り越して、正直いうなら少し嫌いだ。

 その最たる理由は彼女がやくざであることに尽きる。


 人は見かけによらないけれど、二十代前半のギャルっぽい姿で、やくざ。

 正直、やめてほしい。


「はぁー、ヘタレやなぁ。行人」


「里菜さんが僕に自信つけさせてくださいよ」


「自信はな、他人につけてもらうもんちゃうねんで」


「そー言わずに」


 と言って里菜さんの乳を揉もうとすると、容赦なく左足のすねを蹴られた。

 当然と言えば当然だが、痛い。僕がすねを抱えるように蹲ると、里菜さんは鼻を鳴らした。


「こっちは忙しーねん」


 里菜さんは僕の背中を思いっきり踏んだ。足跡を残すようにぐりぐりと。


 背中に足跡のある男のナンパ?

 流石に無理があるか……。


 ――――――――


 部屋に帰り汚れた服を洗濯かごに入れた時、携帯が震えた。

 母からの電話だった。


「お兄ちゃんから行人に連絡ない?」


 話によると一週間前から兄貴は家に帰っていないらしい。

 以前から家を空けることはあったが、一週間連続は珍しく電話が通じないのはあり得ない、とのことだった。


 典型的な内弁慶な兄貴が家に帰らないのは確かに予想外の出来事だった。

 母は僕なら何か知っていると思ったらしい。けれど、僕の携帯のアドレス帳に兄貴の名前はないし、ここ二年の間、まともに顔を合わせていなかった。


「知らないのね。何か分かったら連絡頂戴ね」


「分かった」


「あと、西野さんの娘さんに迷惑をかけてないでしょうね?」


 母は秋穂のことをいつも西野さんの娘さんと言った。


「問題ないよ」


「そう」

 母の声はどこか事務的だった。「それと、中学三年の頃の同窓会の案内が来ているけど、取りに来る? それとも返信しておく?」


「こっちで連絡取るから大丈夫」


「そう。じゃあ、棄てとくわ」

 言うと母は電話を切った。

 僕は新しいTシャツを着て、夕食の準備をはじめた。


 秋穂が帰ってきて、十九時過ぎにに夕食となった。

 今日のおかずは、ニラとキャベツとひき肉の餃子と大根とレタスのサラダだった。

 食事をはじめてから、僕は兄貴が帰ってきていない話をした。

 二十代後半の大人が一週間近く自宅を空けて両親に心配をかけている、というのは情けない話ではある。

 が、あの兄貴からすると、やはりおかしな話だった。


「へぇ」

 と秋穂は呟いた。「そういえば、バイト先の先輩も最近、連絡が取れなくなってるんだよ。聞いてみると、その先輩の彼氏さんもらしいんだけど」


「ふむ」と返事をしつつ、大根とレタスのサラダにドレッシングをかけた。「カップルで音信不通って駆け落ちとか?」


「そういうタイプじゃなかったよ。しっかりとした人だったし、両親が亡くなってからは弟さんを養っていたし。感情的な物事で動くタイプには見えなかったなぁ」


「ふーん」ドレッシングをかけすぎて、辛くなった大根とサラダを食べた。「じゃあ、事故?」


「なら、職場に連絡があると思うんだよ。優子さん真面目だから、無断欠勤なんて一度もなかったし」


 優子さんって言うのか、と思いつつ白米を食べ、餃子をたれにつけて食べた。味噌だれにしてみたが、しつこくなく白米とよくあった。


「ちなみに、秋穂。その優子さんと連絡が取れなくなったの、いつから?」

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