第十六章「紡ぐ」

 夏の日差しが強く降り注ぐ中、彩菜は額に汗を滲ませながらコンクリートの道の上を歩いていた。相変わらずしゃわしゃわと聞こえる蝉の鳴き声に、余計に暑さを感じるような気がした。


いつもの大通りをゆっくりと上がっていくと、住宅街の間に目的のお店の看板が見えてきた。「溝口酒店」と書かれたその看板を見て、彼女の頭にあの陽気なおじさんの顔が浮かぶ。


「なんか来るの久しぶりだな」


 ちょうど自分も思っていたことを、隣を歩く優介がぼそりと呟いた。彼の両手には、すでに大量の買い物袋が握られている。


「ごめん優介……、買い物まで付き合わせたのに、荷物まで持ってもらって」


 彩菜が申し訳なさそうな表情で謝ると、「別に構わないよ」と彼が微笑む。


「それに彩菜は、俺の命の恩人だからな」


 そう言って優介は、青い瞳で真っ直ぐと彩菜のことを見た。その視線に、夏の暑さとは違う熱を頬に感じる。


「や、そんな、大げさな……。私はただ、優介のことを助けたいって願っただけだよ」


 手に持ったカラフルな紙袋たちを揺らしながら、彩菜が答える。その様子を見て、優介はクスッと笑った。いつもの優しいその微笑みに、彩菜も嬉しそうに笑った。


 結局私が感じていた優介の違和感は、あの妖怪が原因だったらしい。


 柚葉を攫った妖怪の存在をもともと知っていた優介は、奇妙な患者の話しを聞いた時に、もしかしたらと疑ったようだ。そして、柚葉に危険が及ばぬようにお見舞いに行っては、一人で情報を集めていたという。だから救急の患者が運ばれた時も、彼は一人病院に残って調べていたのだ。


「でもどうして優介は、あの妖怪が柚葉ちゃんのことを狙ってるって気づいたの?」


 彩菜は気になっている疑問を彼に聞いた。その言葉を聞いた優介は、「うーん」と少し考えるような表情を浮かべると、小さく呟いた。


「妖力……」

「え?」


 彼の言葉に、今度は彩菜が難しそうな顔をする。


「あの妖怪は随分昔から病気だったからな。たぶん妖力を集めて、自分の身体を保っていると思ったんだ」


 端的に答えてくれる優介に、彩菜はますます「?」を頭に浮かべた。


「昔あの妖怪に襲われた時、柚葉も怪我をした。その時、妖怪の力の一部が彼女の身体に入り込んだんだ。それはあの子にとっては毒でも、もとの妖怪にとっては力になる。だから、遅かれ早かれあの妖怪は、また柚葉のところにやってくると思った」


「そうだったんだ」と彩菜は感心するように目を大きくした。おばあちゃんには薬箪笥のことを聞いたけれど、妖怪の病についてはそこまで深く聞いていない。優介の教えてくれる話しも、彼女にとってはとても新鮮な話しだった。


「でも、その時優介も病気にかかったってことだよね?」

「ああ、でもあの時も彩菜が助けてくれたからな。だから俺は無事だった」


 彼はそう言って優しい瞳を彩菜に向ける。その澄んだ青い瞳に、少し恥ずかしそうにする自分が映った。


「私、あの後おばあちゃんから妖怪や、その、優介のことも色々と聞いたの。優介がそのことでずっと悩んでいたなんて、一緒にいたのに私全然気づけなかった」


 少し俯きながら話す彩菜を見て、「それは違う」と隣を歩く優介が呟いた。


「たしかに俺は、自分が妖怪の血を受け継いでいることを嫌がってた。でも、そのおかげで彩菜や康平の気持ちを知ることもできたし、今もこうやってみんなと繋がっている。それにこの力が無かったら、柚葉のことも助けることはできなかった」

 

 優介の話しを彩菜は静かに聞いていた。彼がこんな風に自分の話しをしてくれることは初めてかもしれない。それだでも、自分がほんの少し優介のそばに近づくことができた気持ちがして、彼女はそっと微笑んだ。


「まあでも、二人に変な風に疑われていたのはショックだったけどな」


 わざとらしく目を細める優介に、彩菜は「げっ」と声を漏らすと慌てて否定する。


「ち、違うの。あれはだって、私もそんなこと知らなかったし、まさか優介が柚葉ちゃんを守るためにピリピリしてたのもわからなかったし……」

「そんなにピリピリしてた?」


「うん」と彩菜が頷くと、優介が困ったように笑った。


「できるだけバレないように動いてたつもりだったんだけどな」


 そう言った優介は照れ隠しするように頭を掻いた。


「でもこれからは優介も一人じゃないよ」


 にこっと微笑む彩菜が、彼の顔を見上げる。


「私もこれからは優介の力になれるように頑張る! 今はまだまだ未熟だけど、もっと妖怪のことや病のことについて勉強するから。だから優介も何かあった時は相談してね」


 彩菜は強く言い切ると、ふんと満足そうに鼻から息を吐き出した。それを見た優介が「ありがとう」とつぶやく。


「でもまずは、学校の勉強が先だな」

「う……そうです、ね」


 痛いところを突かれた彼女が、あからさまに苦笑いを浮かべる。そんな彼女を見て、「冗談だよ」と言って優介も笑った。



「おい彩菜……お前これ、どういうつもだよ」


 居間にある座卓の上に並べられたチョコレートの山を見て、康平が呆れた口調で言った。


「だって今日は柚葉ちゃんの退院祝いなんだよ! 盛大にお祝いしないと」


 ね、柚葉ちゃん! と彩菜が言うと、隣に座っている彼女は「うん!」と満面の笑みで答える。


「盛大って言ってもバランスがあるだろ、バランスが。なんで刺身や唐揚げと一緒に、こんなにチョコが並んでんだよ」


「そんなに文句があるなら、康平は食べなくて良いよ」と彩菜は彼の前から大皿を取り上げようとした。すると康平は「悪かったごめんごめん」と慌てて皿を取り返す。


「もうお兄ちゃん、せっかく彩菜ちゃんが家に呼んでくれたのに、文句言ったらダメだよ」


 柚葉がじーっと鋭い視線を送る。その様子を見ながら、優介は静かに箸でマグロを捕まえていた。


「おい優介、お前も黙って食ってないで、何かフォローしてくれよ。さすがに二対一はキツイって」


 困った表情を浮かべて助けを求める康平に、彩菜の目の前で「うーん……」と優介が何か考えている。たぶんこの顔は、ただマグロを味わっているだけだ。それに気づいた彼女はクスリと笑った。


「優介兄ちゃんは私のこと助けてくれたんだから、こっちの味方だよ。ね、優介兄ちゃん!」


 にこっと笑う柚葉に、「そうだな」と優介が即答で答える。それを見て、康平が大きくため息をついた。


「でもほんとにビックリしちゃった。まさか目が見えるようになるなんて思わなかったもん」


 柚葉は驚いたように話すと、目の前にあったチョコレートをつまんだ。


「それに柚葉ちゃん、身体のほうも良くなったんだよね」

「そうなの! 先生もすごく驚いてて、どこも悪いところはありませんって言ってたよ」

「これも全部、優介のおかげだな!」


 目の前に座っていた康平が得意げにうんうんと頷いている。その隣では、柚葉を助けた当の本人が今度はブリの刺身を捕まえていた。


 祖母の話し曰く、本来妖怪の病というのは、人間に感染ることはないらしい。


柚葉の場合、彼女が幼かったことと、怪我をしていたことが影響するのか、かなり特殊なケースだと祖母は話していた。何にせよ、柚葉の視力が戻って身体も元気になったことは本当に良かった。


「柚葉ちゃん、これからはたーっぷりと遊ばないとね!」


 嬉しそうな顔で話す彩菜に、彼女も同じように笑顔で答える。


「うん! みんなで遊びに行きたいところもたくさんあるの! お祭りでしょ、花火も見たいし、キャンプもしたい……あ! あと、プールにも行きたい!」


 目を輝かせて遊びに行きたいところを宣言する彼女を見て、彩菜が苦笑いを浮かべる。そしてその様子を見た康平が、お腹を抱えて笑った。


「柚葉、残念ながらプールは無理だな!」

「え! なんでよ」


 わざとらしく頬を膨らます柚葉に、康平は合図を送るようにチラッと妹の隣を見た。その視線を受けた彩菜が、少し気まずそうに頭を下げる。


「ごめん、柚葉ちゃん……私、泳げないの」


 顔を赤くして落ち込む彩菜に、柚葉は目を丸くしたかと思うと、今度は自身たっぷりの表情で言った。


「彩菜ちゃん、大丈夫! 私も泳げないから一緒に練習しよ」


 そう言ってにこりと笑う彼女を見て、「あ、ありがとう……」と彩菜は困ったような笑みを浮かべた。


「それだったら俺と優介で特別に教えてやろうか?」 

「えー、それだったら優介兄ちゃんだけで結構です。ね、彩菜ちゃん」

「え? あ、うん。そだね……」


 ぎこちなく答えた彩菜がチラリと前を向くと、たまたま優介の青い瞳と目があった。その瞬間、優介に泳ぎ方を教えてもらっている自分が頭に浮かび、彼女は慌てて視線をそらす。ダメだ……、そんなの考えるだけで溺れてしまいそうだ。


 突如、挙動不審になった彼女に、柚葉と優介は小首を傾げる。


「ところで優介兄ちゃんって、どうやって私の病気を治してくれたの?」


 柚葉の質問に、話題が変わったことにラッキーと思いつつも、彩菜も興味があったので優介の顔を見た。


「それ、私もすっごく気になっての。どうやって柚葉ちゃんの身体を治したの?」


 興味津々の彩菜が、テーブルに身を乗り出して尋ねる。「それは……」と口を開こうとした優介の代わりに、慌てて康平が答える。


「それは、あれだ! あの時必死だったから、俺も優介もあんまり覚えてないんだよ。大変だったからな。な、優介!」


 ぎこちなく笑いながらも、目だけは真剣な眼差しで見てくる康平に、優介は「……そうだな」と話しを合わせる。


「えー、何それ。すごく聞きたかったのに……」


 残念そうに唇を尖らす彩菜の隣で、「そうなんだ」と柚葉も同じように眉毛を八の字にする。


「私も優介お兄ちゃんがどうやって助けてくれたのか聞きたかったな」

「柚葉、お前はそういうことは知らなくていいんだ」

「何でよ。お兄ちゃんのケチ」


 べーっと下を突き出す彼女を見て、優介と彩菜がクスクスと笑った。するとお盆を持った祖母が居間へと入ってきた。


「おやおや、随分と楽しんでいるようだね」


 そう言って祖母は、人数分に切り分けたスイカをテーブルの上に並べていく。


「うわ! スイカだ!」

「柚葉ちゃんもたくさんお食べよ。まだいっぱいあるからね」


 微笑みながら話す祖母の後ろから、食べ物の匂いに惹きつけられたのか、春月もやってきた。「なーん」と甘えたように鳴く春月の頭を、柚葉が嬉しそうに撫でている。


「春月、これからは勝手にどっか行ったらダメだからね」


 飼い主の忠告に歯向かうように、春月はテーブルの下に隠れると、反対側から姿を現す。しかも、なかなか厚かましいことに、優介の膝の上にちょこんと乗った。


「こら、春月」と彩菜が言うと、春月はそっぽを向いて「なーん」と鳴いた。それを見て康平たちが笑っている。


「そうじゃ彩菜や、すまぬがもうすぐ和久がやってくるから、蔵から酒瓶を出しておいてくれんかの」

「…………え?」


 あからさまに嫌そうな表情を浮かべる彼女に、優介が「俺が行こうか?」と立ち上がろうとした。それを彩菜は両手を伸ばして制する。


「ううん、大丈夫……私が、行くから」


 そう言って立ち上がると、彩菜は庭の方へと向かった。スリッパを履いて地面に降りると、夏の日差しが鮮やかに周囲を照らしている。


これだけ明るければ大丈夫だろうと思って目の前を見るものの、ひっそりと佇む蔵の姿に、彩菜はゴクリと喉を鳴らす。やっぱり、まだちょっと怖い。


 ちらっと後ろを見ると、「怖いなら無理するなよ!」と康平が笑いながら言ってきたので、彼女は「大丈夫です!」と頬を膨らます。そして再び蔵の方を向くと、ゆっくりと歩き始めた。


 扉の前に着くと、いつもと同じように鍵を外して扉を開けた。ひやりと流れてきた空気と、ぬっと現れた暗闇に、強がって一人で来たことに早くも後悔し始める。


 さっと電気をつけて暗闇を追い払うと、彩菜はきょろきょろと辺りを見渡した。今回はすぐに酒瓶は見つかり、それは蔵に入ってすぐ近くのところに置かれていた。


ほっと彩菜が胸をなでおろした時、足の間を何かが通り抜け、彼女は「ひっ!」と声をあげる。慌てて足元を見ると、ちょうど春月が蔵の奥へと走っていくところだった。


「こら春月!」


 彩菜の言葉も虚しく、春月はすぐに姿を消した。「もう……」と大きくため息をつくと、彼女は周囲を慎重に確認しながら、蔵の奥へとゆっくりと足を踏み出した。「春月ー」と呼びかけても、もちろん返事は返ってこない。


 恐怖心と戦いながら一歩一歩奥へと進んでいくと、目の前にはあの薬箪笥が姿を現した。相変わらず自分のことを見下ろすその大きさに、彩菜は思わず息を飲む。ただ、今までは恐ろしさしかなかったこの家宝だが、不思議と今は落ち着いて見れるようになっていた。


 大切な人を守るため……。


 彩菜はいつか祖母から聞いた言葉を呟いた。


 ここで自分が優介のことを二度も助けたことが、何だか夢のような気がする。ふと横を見ると、春月が薬箪笥の足元でおとなしく座っていた。


そんな姿に彼女は微笑むと、もう一度家宝を見上げた。それは今までのご先祖さまの想いを、静かに紡いできた大切な宝物。


 私の家には代々伝わる不思議な薬箪笥がある。

 それは、あやかしを守るために作られたという。 


 差し込む陽光を浴びた薬箪笥に、彩菜はそっと目を閉じると心の中で呟いた。

 

 ありがとう、と。

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恋する乙女は妖怪薬剤師! もちお @isshi

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