第十三章「化け物」

 天気予報の予想は大粒の雨となって現実となった。


 玄関のドアの向こうからでも聞こえてくる雨音は、朝よりも激しさを増している。


「あら優介、こんな日に出かけるの?」


 背中越しから聞こえてきた声に彼は振り返ると、そこには母の姿があった。


「うん、用事があって。すぐに戻るよ」


 優介はそう言って傘を持つと、ドアの取っ手を握る。


「最近この辺りも危ないから、あまり出歩かない方が良いわよ」


 心配そうな表情を浮かべる母親に、「大丈夫だよ」と彼は微笑む。静かにドアを開けると、風に乗って雨粒が入ってきた。そのまま外に出ようとした時、「優介」と再び聞こえた母の声に足を止める。


「これを持っていきなさい」


 そう言って差し出されたのは、紫色の袋に包まれた小さな御守りだった。彼はそれを受けとると、ズボンのポケットに入れる。


「……無茶だけはしないでね」


 不安そうに青い瞳を揺らす母を見て、優介はその表情を和らげると、「わかってる」と返事をする。そして、激しい雨が降り注ぐ空を見上げると、その足をゆっくりと踏み出した。


「じゃあ、行ってくる」




 遠くに落ちた雷の音を聞きながら、優介は病院までの坂道を一人歩いていた。風も強く、横殴りで降り続ける雨に、手に握った傘はほとんど意味をなしていない。彼は小さく息を吐き出すと、諦めたように腕についた雨粒を払った。


 病院の入り口に着くと、休日ということもあってか、ガラス越しに見えるロビーには人の姿が少なかった。


傘をたたむと、避難するように病院へと入る。騒がしかった雨風の音が、閉じた自動ドアによって遠ざかる。優介がそのままエレベーターに向かおうと歩き出した時、前方から康平がやってくるのが見えた。


「優介!」


 声を上げて駆け寄ってくる康平に、異変を感じた優介も彼の元へと近づく。


「どうしたんだよ。そんなに急いで」

「柚葉が……」


 その言葉に、優介の表情が一瞬険しくなる。「何かあったのか?」と強い口調で聞く彼に、康平は呼吸が乱れたまま話し始めた。


「柚葉が……柚葉がいなくなったんだ!」

「何だって」


 彼の言葉を聞いて驚いた優介は、「どういうことだ?」と目を細める。


「さっき病室に行ったら柚葉の姿がなかったんだ。看護師に聞いたら、午前の検診が終わってからはずっと部屋にいたはずだって。あいつ、目が見えないから一人で部屋を出ることは絶対にないはずなのに……」


「早く探さないと……」と焦る康平に、優介は突然エレベーターホールに向かって走り出した。「おい優介!」と康平も慌てて彼の後を追う。


 二人は七階に着くと、真っすぐに柚葉の病室へと走った。優介が扉を勢いよく開けると、そこには柚葉の姿はなく、シーツが少し乱れたベッドがあるだけだった。


そのまま彼はベッドへと近づくと、その上を手で触る。さっきまで彼女がいたであろう温度だけが、わずかに指先に伝わってきた。


「くそ……遅かったか」


 彼は小さくそう呟くと、康平の方を見た。


「今看護師や先生たちも探してるんだけど、この階にはいないみたいなんだ」


 動揺する彼の言葉に、「急いで探そう」と言って優介は部屋を出た。そのままエレベーターホールへと戻ってきた優介は、非常階段の扉を開けると、今度は階段を駆け上がっていく。


「おい優介! どこ行くんだ!」


 非常階段に出た康平は足音が聞こえる上の方を見ながら叫ぶも、返事はない。「くそ」と言って、彼も同じように階段を駆け上がり始めた。


 階段を登り切った優介は、扉を開けて屋上へと出た。降りしきる雨が弾丸のように、顔に当たる。そんな中を、彼は急いで手すりの方へと近づく。


激しい雨のせいで、濁った色に塗りつぶされた町を見下ろすと、優介はゆっくりと目を閉じる。そして大きく深呼吸をすると、自分の意識を耳に集めた。


 雨の音。車の喧騒。人の喋り声。それら一つひとつの音が、目を閉じた真っ暗な世界の中で、小さな灯火となって色を持つ。意識を研ぎ澄ませるほど、次々と産み落とされていく灯火たちが、彼の元へと集まっていく。


 その中に、異質な色を宿す灯火があった。


 闇のように黒く燃えるその炎からは、地を這うような唸り声が聞こえてくる。それに気づいた優介がさらに注意深く意識を向けると、その音の中に、かすさに女の子の声が聞こえた。


「見つけた」


 ぱっと目を開くと、優介は急いで出入り口の方へと走った。ちょうど屋上に現れた康平に「柚葉を見つけた」と大声で叫ぶと、彼は驚いた表情で優介を見た。


「柚葉はどこにいるんだ!」


 駆け寄ってきた優介に康平が聞くと、二人はそのまま非常階段を降り始める。


「この病院の裏山だ」

「は?」


 康平は目を大きくして優介の方を見た。


「どうして柚葉が裏山にいるんだよ!」


まったく状況が理解できない康平は声を荒らげるも、それでも優介は足を止めることなく階段を急いで降りていく。


 一階に着いた優介たちは、通路に出ると裏口の方へと走った。静かな病院の空間に、二人の走る音が響く。裏口の扉を開けると、強烈な雨風が吹き込んできた。優介は傘も持たずに飛び出すと、目の前にそびえる山を見上げた。


「まだ近くにいるはずだ……」


 彼はそう呟くと、今度は茂みの中へと入っていく。「ちょっと待てよ!」と慌てる康平も、彼の後に続いてその中へと足を踏み入れた。


「おい祐介! どこに行くんだ」


 康平の言葉にも答えず、優介はどんどん奥へと進んでいく。雨が強いせいで視界は悪く、辺りには白い霧が立ち込めていた。しびれを切らした康平が、優介の腕を強く掴んだ。


「優介! どういうことか説明しろよ!」

 

 息を乱して叫ぶ康平に、優介はためらうように唇を噛むと、彼に向かって言った。


「柚葉は……連れ去られたんだ」

 

 優介の言葉を聞いて、康平は目を見開いて驚く。


「柚葉が……連れ去られた?」

 

 半ば呆然と立ち尽くす彼に、優介は小さく頷く。


「話しは後だ。まずは早くあの子を取り戻さないと」

「ちょっと待てよ。柚葉が連れ去られたってどういうことだよ? それに、なんでお前がそんなことわかるんだよ!」


 ますます声を荒らげる康平は彼の胸元を掴む。それでも優介は辺りを見渡して柚葉を探す。


「くそ! 雨で音が聞こえない」

「お前さっきから何言ってんだよ! 早く柚葉を見つけないと……」


 あからさまに怒っている康平の口を優介が右手で塞いだ。いつも冷静なはずの優介とは違う態度に、思わず康平が言葉を喉の奥に飲み込む。


「柚葉はまだ近くにいるはずだ」


 そう言って右手を離すと、優介は鋭い視線で辺りを見回す。康平も必死になって周囲を探すも、激しい雨風のせいで、前方さえもまともに見渡すことができない。


「これじゃあ拉致があかない。戻ってみんなを呼ぼう」


 康平がそう言って引き返そうとすると、優介が足元に落ちていた鋭く尖った枝を拾った。


「そんなもん拾ってどうすんだよ……?」

「奴をおびき寄せる」


 そう言って優介は右手に持った枝で、左手の甲に突き刺した。康平の目の前で、真っ赤な血しぶきが飛ぶ。


「何やってんだよ!」


 突然の出来事に康平は慌てて優介のもとへと駆け寄った。彼は左手を押さえながら、それでも尚鋭い目で辺りを見渡している。


「康平、柚葉を取り戻したら急いで逃げろ。いいな」


 鋭い目で自分のことを睨む優介に、康平はわけがわからず困惑する。


「逃げろってお前なに……」


 康平が全て話し切る前に、彼の背中に強い寒気が走った。それは雨に濡れたからではなく、もっと別の、本能としての危機感から来るものだった。目の前の優介も同じものを感じたのか、彼も息を止めると、慎重に辺りを見渡す。


 何かが近づいてくる。


 康平は直感的にそんなことを感じた。自分たちの方に向かって、得体の知れない何者かが近づいてくる気配が、心の中を支配する。


同じ場所にいるはずが、先ほどとはまるで別の場所へと来てしまったような感覚。不気味に耳の奥でなり続ける風の音と、振り続ける雨がその恐怖心をますます大きくする。強烈な喉の渇きを覚えながら、康平はゆっくりと唾を飲み込んだ。


「優介……これって」


 不安を滲ませたような声で彼が聞くと、優介は黙ったまま森の奥深くを睨んでいる。


康平も同じようにその視線の先を見るも、深い霧に覆われていて、うっすらと草木が見えるだけだった。遠くで雷鳴が聞こえたかと思うと、黙っていた優介が口を開いた。


「来る……」


 暗闇をじっと睨んだままの優介が呟いた時、突然辺りが静寂に包まれた。すると突如、目の前の暗闇がわずかに動いたような気がした。それに気づいた康平が目を細めると、黒い影は周囲の木々を飲み込むように大きくなっていく。


「な……なんだよ、コイツ」


 呆然と立ち尽くす彼の目の前に、見たことのない不気味な生物が現れた。はるか頭上から自分たちのことを見下ろすその生物は、漆黒の影のように黒く、そして炎のように揺らめいている。


人間の形にも似たその化け物には、全身の至るところに目玉が付いていて、それは獲物を探すかのようにぎょろりと動くと、康平の方へと一斉に視点が集まる。


「危ない!」と優介の声が聞こえた瞬間、康平はやっと自分の目の前に迫ってきているものが、化け物の口なのだと気づいた。


が、身体の反応のほうが遅く、その場から動けない。「くっ、」と康平は恐怖のあまり目を瞑った。


直後、物凄い勢いで何かが身体に当たったかと思うと、彼はそのまま吹き飛ばされてしまった。脇腹に強烈な痛みを感じて目を開けると、優介が自分の上にのしかかっていた。


「大丈夫か!」


 その言葉に、優介が自分を助けてくれたことに気づく。


「ああ」と言った康平は急いで視線を動かすと、化け物の方を見た。雨と霧に包まれる中、向こうは自分たちのことを探しているようで、全身の目玉を不気味に動かしている。その隙に、康平と優介は咄嗟に茂みの中へと隠れた。


「おい優介。あの化け物は一体……」


「しっ、」と優介は康平の言葉を遮ると、茂みの隙間から外の様子を伺った。この雨のおかげか、向こうはまだ自分たちを探している。どうやら、匂いも消えているようだ。


 優介は拳をぎゅっと力を入れると、康平の顔を見た。


「俺があいつから柚葉を引き離す。お前はその隙に柚葉を助けて逃げろ」

「はっ? お前、何言って……」


「いいな!」と優介は強い口調で言い切ると、すかさず茂みから出て行き、化け物の方へと近付いていく。「おい、優介!」と叫んだ康平の声は、雷鳴によってかき消された。


 化け物の無数の目玉が、茂みから出てきた優介の姿を一斉に捉える。そして、地面を裂くようなうめき声を上げると、その巨体を彼の方へと向けた。


すると得体の知れない生物は、頭部から胸元にかけて亀裂が入り、それは突如ぱっくりと開いた。何もかも飲み込もうとする闇色をした口が、優介の前に現れる。


化け物は獲物を狙って、ゆっくりと彼の方へと近づいていく。優介は息を殺して、距離を保つように数歩後ずさりすると、自分の耳に意識を集中させた。


化け物の口から発せられる憎悪にも似たうめき声を聞きながら、優介はさらにその音の向こうへと意識を研ぎせませた。すると、化け物の体内の様々な音の中から、一瞬だけ人の心音がかすかに聞こえた。


 やっぱり柚葉はあの中にいる。


 優介はぐっと目に力を込めると、目の前の化け物を睨んだ。


「柚葉は返してもらうぞ」


 彼の言葉に反応するかのように、化け物は腹を空かせた獣のような声を発した。

 

 優介はポケットから御守りを取り出すと、それを力強く握りしめる。チャンスは一度。そう心の中で呟くと、彼は構えるように姿勢を低くした。


視線の先、化け物の口の中を覗くと、黒い炎のようなものが、獲物を捕らえる牙のごとく無数にうごめいている。


その時、優介の耳に化け物の足がわずかに動く音が聞こえた。刹那、目の前にいた巨大な黒い塊が一瞬で目前まで迫ってくる。その瞬間を見計らっていたかのように、優介は横に飛び出すと同時に、握っていた御守りを手放した。宙に投げ出されたその御守りは、すぐに暗闇の中へと飲み込まれる。


 狙った獲物を捕らえることができなかった化け物は、そのまま真っ直ぐに突進していき、大きな木々にぶつかった。その衝撃に、辺り一面に潜んでいた鳥たちが激しい音を立てて逃げ出す。


 再びのそりと動き始めた化け物は、身体中の目玉を優介の方に向ける。そして巨大な口を開けて構えようとした時、その動きが止まった。


 優介が様子を伺うように目を細めると、今度は化け物が急に苦しみ始める。


「やったか……」


 睨み続ける彼の視線の先では、化け物が悶え苦しむように呻き声を上げている。すると突然雄叫びのような声を発した。


 この世のものとは思えないその激しい叫び声に、二人は思わず耳を塞ぐ。優介がわずかに目を開けると、暴れようとする化け物の口の中から、小さな青い光が姿を現わした。


それはいくつもの帯となって、化け物の身体を覆うように伸びていく。悶え苦しむ怪物は、その苦しみに耐えきれずに膝をついた。ぼろぼろと剥がれ落ちていく皮膚が、焼けた炭のようになって地面へと落ちていく。


そして剥がれた皮膚の場所からは、呪印にも似た赤い文字が浮かび上がり、それは化け物の身体を這うように増殖していく。


「どうなってんだ……」


 化け物の様子がおかしいことに気づいた康平が、茂みの中から現れる。怪物は、まるで助けを求めるかのように優介に腕を伸ばした。


しかし、急速に朽ちていく身体がその重さに耐えきれず、腐った枝のように腕はちぎれ落ちた。そしてそれは、一瞬にして灰と化す。


「康平! いたぞ!」


 優介の叫び声の先、康平が化け物の口の方を見ると、漆黒の暗闇の中にわずかに浮かぶ柚葉の姿が見えた。


「柚葉!」


 康平は慌てて茂みの中から飛び出すと、化け物に向かって走った。苦しみ続ける化け物は、口から柚葉を吐き出して立ち上がったかと思うと、逃げるように森の影へと消えていく。

 

 二人はすぐさま柚葉のもとに駆け寄った。わずかに上下する胸に、生きていることを確認するも、その身体は燃えるように熱かった。


「柚葉! しっかりしろ、柚葉!」


 康平が必死になって呼びかけるも、柚葉には意識がなく、苦しそうな表情を浮かべている。


「早く、早く病院に連れていかないと!」


 柚葉を抱きかかえようとする康平の腕を、優介が突然掴んで止めた。


「何すんだ優介!」

「ダメだ……」


 彼はそう言って右手で柚葉の首筋に触れる。指先からは、燃えるような熱さが伝わってきた。


「これは普通の病気じゃない。おそらく……さっきの妖怪と同じ病いだ」

「どういうことだよ……じゃあ柚葉は、どうなるんだ!」


 目の前で衰弱していく妹の姿に、康平は声を荒げる。そうしている間にも、今度は柚葉の腕に赤い呪印のようなものが浮き出てきた。それはさっきの化け物と同じように、彼女の身体を這うように少しずつ増殖していく。


「おい、優介!」

「……わかってる」


 そう言って優介は、康平を少し離すと、柚葉にゆっくりと顔を近づける。そして、覚悟を決めるかのように大きく深呼吸をすると、その唇を彼女の小さな唇に合わせた。


 その様子を呆然と見ていた康平の目の前で、荒れた柚葉の呼吸が徐々に落ち着きを取り戻す。


それと同時に、腕に現れた呪印が雨にかき消されていくかのように薄れていく。優介は静かに唇を離すと、柚葉の顔を見る。すると、彼女の薄い瞼がわずかに動いた。


「ゆうすけ……にいちゃん?」

「柚葉!」


 その声を聞いた康平が慌てて妹に近づく。「お兄ちゃん?」と言って、柚葉はむくりと上半身を起こす。


「柚葉、意識が戻ったんだな!」


 喜ぶ康平の姿を見て、今度は柚葉が心配そうな表情を浮かべる。


「お兄ちゃん……、顔に怪我してるよ」


 そっと自分の顔に腕を伸ばす柚葉の姿に、康平は驚いたように目を大きくする。


「柚葉。お前、目が……」


 その言葉にはっと気づいた柚葉は、慌てて周囲を見る。そして、視線を自分の両手に向けると、震える声で言った。


「見える……。私、目が見えるようになってる」


 大粒の涙で両目を濡らす彼女は、康平に抱きついた。いつの間にか小雨になった森の中で、柚葉の泣き声が響く。


「柚葉。とりあえずここから逃げるぞ。じゃないとまたあの化け物が……」

「大丈夫だ……。もうあいつは、追ってこない」


 少し息苦しそうな優介が答える。


「もしかして、お兄ちゃんたちが助けてくれたの?」

「ほとんど優介のおかげだよ。なあ、ゆう……」


 康平が彼の方を向こうとした時、がさりという音と共に、優介がその場に倒れた。


「優介!」と、康平と柚葉が慌てて彼への元へと寄る。


「おい、優介! どうしんだ、おい!」


 彼の言葉に返事はせず、優介は胸を押さえたまま苦しそうに息をする。助けを呼ぼうと、康平はポケットからスマホを取り出した。


「くそ! こんな時に圏外かよ」


 慌てる康平を見て、隣にいた柚葉が立ち上がった。


「お兄ちゃん。私、先に戻って先生たちを呼んでくる!」

「でもお前身体が……」

「私なら大丈夫。どうしてかわからないけど、全然しんどくないの。それに病院はすぐそこだし道もわかるから」


 そう言って柚葉は力強く兄の顔を見る。


「……わかった。なら俺も優介をかついで病院に向かうから、無理だけはするなよ」

「うん!」


 柚葉はこくんと頷くと、後ろを向いて病院までの道を走っていく。その後ろ姿を見ながら、康平は優介の身体を起こそうとする。


「しっかりしろ優介! すぐに病院まで連れて行ってやるからな」


 そう言って立ち上がろうとする康平の腕を優介が掴んだ。


「……むだ、だ」


 わずかに唇を動かし優介が言った。「喋れるのか?」という康平の言葉に、彼は小さく頷く。そしてか細い声で話し始めた。


「病院に戻ったところで……どうすることもできない。それにこれは……俺の自業自得だ」

「自業自得って……お前は柚葉を助けてくれたんだぞ!」


 その言葉に、優介は「いや……」と首を小さく横に振る。そして、ゆっくりと話し始めた。


「康平……、俺はお前に謝らないといけない……。あの子を、柚葉をあんな身体にしてしまったのは、俺のせいなんだ……」


 そう言って優介は静かに目を瞑ると、かつて空き地で起きたあの事故の真相について話し始めた。


「あの日俺は……、お前が家族を呼んで戻ってくる間に、山の方から柚葉の泣き声を聞いた。……でも俺は、本当はあの山に入ってはいけなかったんだ」


 静かに呼吸する優介は、当時を思い出すかのように目を細める。


「あの山には昔から妖怪が住み着いていた。それを知っていた俺の母親は、あの山には決して入るなと、いつも言っていたんだ。……妖怪の血を引く俺があの山に入れば、それに気づいた山の主を呼び寄せることになるからな。日も暮れ始めて、妖怪たちが動き出す頃だったから尚更危険だった」


「……」


「でも俺は、暗い山の中で一人泣いている柚葉のことを放っておくことができなかった。夜になれば探すのは余計に難しくなる。だから俺は、すぐに柚葉を見つけて戻ろうと決めた」


 優介の青い瞳がわずかに揺れる。


「それが間違いだった。柚葉を見つけることはできたが、空き地まで戻ってくる途中で、さっきの妖怪に襲われたんだ」

「なんだって?」


 康平が驚いた目で優介の方を見る。


「そのせいで俺はあの子に傷を負わせてしまった。柚葉の目が見えなくなったのも、身体が弱ってしまったのも……全部、俺のせいなんだ」


 優介はそこで言葉を止めると、「すまない」と小さく呟いた。


「信じてないとはいえ、柚葉があんなことになって、お前が俺たちみたいな存在を憎んでいたのはずっと前からわかってた……。だから俺も、なかなか言い出すことができなかった。情けない話しだよな。普段お前には偉そうな事を言ってるクセに、心のどこかで怖がってた。ほんとのことを言えば、お前との繋がりも無くなるんじゃないかってな……」


「……」


「……でもこうやって最後にちゃんと話せて良かった」


 優介はそう言うと力なく微笑んだ。


「……何ふざけたこと言ってんだよ」


 康平はぎゅっと拳を握ると、強い口調で言った。


「お前はいつも一人で何でもかんでも決めすぎなんだ。最後とか勝手に決めんなよ」


 康平は優介の肩に腕を回すと、ゆっくりと立ち上がった。


「康平……もういい。どの道俺は、さっきの妖怪の病にやられてる。今さら何をしても……助からない」

「ふざけんな!」


 康平の声が静まり返った山の中に響いた。


「お前が死ぬと、柚葉も悲しむだろ。それに、彩菜はどうすんだよ!」

「……」

「彩菜のやつ、お前の様子がおかしいってずっと心配してたんだぞ。なのに、このままお前がいなくなったら、あいつはずっと後悔するぞ。お前はそれでもいいのか?」

「でも俺は……」

「うるせえ!」


 話しだそうとする優介の言葉を、康平が遮った。


「ほんとうに……ほんとうに助かる方法はないのかよ?」


 震える声で聞く康平に、そっと優介が目を瞑る。そして、静かに呟いた。


「あそこなら……」

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