第二章「消失」

「ほんと、ごめん!」


 翌日、大学の授業が終わり、バス停で康平たちと合流した彩菜は開口一番に謝罪の言葉を発した。


「すぐに……すぐに取りに帰って病院に向かうから」


 何度も謝る彩菜の姿を見て、康平と優介はいつもの光景に呆れたように笑う。


「まあそれなら俺たちも一緒に付いてってやるよ。別に急いでないし」

「一応……昨日連絡したんだけどな」


 わざとらしく目を細める優介を見て、彩菜は「う……」と落ち込んで頭を下げる。

 

 そう。昨日優介から、「サプライズプレゼントよろしく」ってメッセージをもらったはずなのに、肝心のプレゼントを待ってくるのを忘れてしまったのだ。


 慌てふためく私を見て、二人は優しく許してくれたものの、おかげで康平にも内緒だったサプライズ計画は思いっきりバレてしまった。


 せっかく優介と考えたのに、私のせいで台無しだ……。


 到着したバスに項垂れながら乗り込む自分の姿を見て、「そんなに気にしなくていいよ」という優介の優しい言葉が心に染みる。怖がりなところも含めて、よく忘れやすいこの性格もどうにかならないものだろうか……。


「でもよ。柚葉の誕生日プレゼントなら、別に俺にまで内緒にすることないだろ」


 ちょうど三人分空いた座席に腰を下ろした康平が言った。


「だって……その方が康平も喜んでくれるかなって思ったもん」

「まあ、康平にはバレたけどね」


 いたずらにクスッと笑う優介に、彩菜は「うぅ……」と頭を抱えて再び嘆く。それを見て康平が「気にし過ぎだって」とけらけらと笑った。


 予定では総合病院前のバス停で降りるところだったが、二人とも彩菜の家まで付いて行くことになったので、三人は途中でバスを降りた。


 家まで向かう途中、消沈している彩菜の気持ちとは対照的に、からっと晴れた空の下では蝉の鳴き声が元気よく響いていた。


「久しぶりに来たけど、相変わらずでけー家だな」


 玄関前で康平が右手でひさしを作って、屋根を見上げながら言った。昔はよく康平と優介が遊びに来ていたのだが、二人が揃って家に来るのはかなり久しぶりだった。


「すぐに取ってくるから、ちょっと待ってて」


 彩菜はそう言って玄関の引き戸を開けて中に入ると、ちょうど入れ違いに外に出ようとしていた祖母とばったり出くわした。


「おや、彩菜。ちょうど良かった……」


 少し困ったような表情を浮かべる祖母を見て、「どうしたの?」と彩菜も心配そうに声をかける。


「春月の姿が朝から見当たらないんじゃ。餌も食べに来んし、何かあったんじゃないかと心配での。だから庭の方を見に行こうかと思っていたところなんじゃ」

「またあの子、どっか行っちゃったのか……」


 春月は気まぐれでよく居なくなることがあるが、餌も食べに来ないことは今まで一度もなかった。祖母の言葉を聞いて、彩菜も春月に何かあったのではないかと眉をひそめる。


「だったら俺たちも探そうか?」


 彩菜たちの会話を聞いていた康平が、開いたままの引き戸からひょいと顔を出して言った。


「おやまあ康平と優介も来てたのかい。これまた立派になって」


 二人の姿を見た祖母が嬉しそうに顔を綻ばす。幼い時から二人を知っている祖母からすれば、彩菜と一緒で二人は孫のような存在なのだ。


「良かったら僕たちも探しますよ」

「え、でもこれから……」


 優介の言葉に彩菜が申し訳なさそうに二人の顔を見る。


「別に見舞いの時間なんて決まってないから大丈夫だって。それに春月がいないとばあちゃんも心配だろ」

「ありがとう康平。おばあちゃん、庭の方は私たちが見てくるから家の方をよろしくお願い」

「そうかい。三人ともすまんねえ。よろしく頼むよ」


 おばあちゃんはそう言ってぺこりと頭を下げると、居間の方へと歩いて行く。


 彩菜たちは再び玄関を出ると、右手に回って庭へと向かった。庭の方を探すとは言ったものの、我が家の庭はかなり大きい。おそらく、庭のスペースだけで一軒家があと二つは建つのではないかと思う。


 庭は白い塀で囲われているが、その向こうはすぐに裏山へと繋がっている。春月が塀をよじ登ることはないと思うが、万が一向こう側に行ってしまっていたら探しようがない。そんな不安も感じながら、彩菜は広い庭をぐるっと見渡した。


「んー……さすがに見渡しただけじゃ見つからないよね。こうなったら手分けして……」

「たぶんこっちだ」


 彩菜の言葉を遮るようにして、優介が突然歩き出した。彩菜と康平は不思議そうに顔を見合わすと、彼の後に続いて歩き出した。


「おい優介。もう見つけたのかよ」


 きょろきょろと辺りを見渡す康平だが、その視界に黒猫らしき姿は見当たらない。目に入るのは夏の青空に負けないくらいの濃い緑色の草木と、庭の隅にある蔵だけだった。


「ねえ優介、どこにいるの?」


 自分の家の中とは言え、彩菜も春月の姿がまったく見えないので、眉毛を寄せて優介に聞いた。その言葉に優介はくいっと顎を動かすと、「あそこ」と付け加える。


「あそこって……」


 優介の示す方向を見て、彼女の背筋に嫌な予感が走る。そこには昨日入ったばかりの、薄気味悪い蔵の姿があった。


「もしかして……あの中にいるってこと?」

「たぶん」


「はあ」と彩菜は大きくため息をつくと頭をがくんと下げた。


 普段滅多に入らない蔵なのに、まさか二日連続で入ることになるなんて…………ほんとに、やだ。


 そんな彩菜の気持ちを露も知らない優介は、疑うことなく真っ直ぐ蔵へと進んでいく。「本当にあんなところにいるのかよ」と康平も言いながら、その足取りは優介と同じ方向を向いていた。

 

 普通なら疑ってしまうようなことでも、優介が話すと妙に説得力がある。それに彼の勘はよく当たるので、彩菜は内心怖がりながらも、優介が言うのであれば春月はあの蔵にいるのだろうとどこかで感じていた。

 

 蔵の前に到着すると三人を待ち構えていたかのように、鍵の付いた大きな扉が静かに佇んでいた。


「俺、この蔵に入るの初めてなんだよな」

「あれ? 康平、この蔵に入ったことなかったっけ?」

 

 きょとんとした顔で聞く彩菜に、康平が苦虫を噛んだような表情を浮かべる。

「だって昔、こっそり三人でこの蔵に入ろうとしてお前のばーちゃんにめちゃくちゃ怒られただろ。あれ以来ここに近づいてないって」

「んー……そう言えばそんなことあったような気もするな。たしか、私と康平が大泣きしたやつだよね」

 

 彩菜の言葉に康平は少し耳を赤くして、「余計なことは覚えてるよな、お前」とつっけんどんな態度で返事をした。「だって事実じゃん」と彩菜も負けじと唇を尖らせる。


「でも大丈夫なのかよ? 俺たちがここに入って」

 

 康平が不安そうに眉毛を寄せる。うちのおばあちゃんは怒るとかなり迫力があるので、よっぽどトラウマなのだろう。

「うん……さすがにもう大丈夫だと思うよ。それにおばあちゃんも春月探してほしいって康平たちにお願いしてたし」


「ならいいんだけど……」とまだ少し不安そうな表情を浮かべる康平に、彩菜は「大丈夫だって」と微笑んだ。が、そんな彼女の心には別のことが引っかかっていた。

 

 おかしい。忘れていたとはいえ、康平の言葉でさっきの記憶はちゃんと思い出すことができた。それに、幼なじみの康平でもやっぱりこの蔵に入ったことがないのだ。じゃあどうして優介は……。

 

 そんな疑問がふと頭をかすめて優介の顔をちらっと見た時、たまたま目が合った彼が「早く入ろう」と静かに口にした。それを聞いて、「あ、うん」と彩菜は慌てて扉の鍵へと手を伸ばした。


がしゃんと鍵の外れる音が、やけに耳の奥まで残る。昨日入ったばかりの蔵が、何となく違う表情をしているような気がして、彩菜はぶるっと小さく肩を震わせた。

 

 今日は優介と康平もいるから怖くない……はずだ。


 彩菜は恐怖心を吐き出すように大きく深呼吸すると、鉄の取っ手を握りしめた。不気味なきしみ音をたてながら、扉は中へと続く道を作り出す。


 そして三人をいざなうかのように、暗闇を閉じ込めていた蔵はその大きな口を再び開けた。

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