動き出す計画

 研究所の奥に進むにつれて、鉄のような臭いが強くなってくる。壁には弾痕が複数刻まれ、廊下には金色の薬莢が転がっている。

「血の臭いが強くなってきたな…。そろそろ戦場に入るぞ。」


 先頭を進んでいるノメリアがそう言い放つ。廊下の角を曲がると眼前には無残に殺害された研究員たちの遺体が転がっていた。

「容赦がないな…。皆殺しというわけか」

「うぅ…!」


 初めて見る凄惨たる光景にエリーは吐き気を催す。ブレイドがエリーの元へと駆け寄り、彼女の肩に手を当てる。

「大丈夫か、エリー?」

「…ひ、酷い…この人たちが何をしたっていうの…!」


 研究員たちの体には銃で撃たれた痕跡があり、彼らは生体兵器ではなくテロ組織に殺されたようであった。

「いきなりこういうのは無理があったみたいだな…少し休むか?」

「…そうだな。少し落ち着かせた方がいいな。」


 ノメリアが前方を見ると、少し離れた先に扉が半開きの部屋が確認された。

「エリーを頼む。俺はちょいと先に進んで安全を確認する。」

「わかった。」


 ノメリアは警戒しながら、その部屋の前へと慎重に進む。ナイフを構えながら扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。その部屋は小規模の実験室であり、比較的に小型の機器を使った実験時に使用されている部屋である。実験室内はテロ組織の襲撃にあった研究員が慌てて逃げだしたせいか、試薬や機材が地面に散らばっている。

 ノメリアはナイフを前に構えたまま、ゆっくりと部屋の奥まで入っていき安全を確認する。実験室には入り口の近くに机と実験棚が一つ、そして、奥の方にもう一つ配置されている。奥の実験棚の裏を覗き込んだ彼の眼には、防護服を着用し、拳銃を右手に携えている男が一人、口を開けて涎を垂らし、虚ろな目で天井を見上げていた。

「動くんじゃねえぞ…?その拳銃握っている腕動かしたらー…殺すからな?」


 ノメリアが呼びかけるも、男は微動だにしない。

「見られねえ装備だな?ここの専属の部隊ではないみたいだな、おい。…ここを襲ったテロ組織か?」


 男は反応しない。ただ、ボーっと天井を眺めているだけであった。その様子を見たノメリアは苛立ち、男に詰め寄り、終いにはナイフの柄で男を殴打する。

「何とか言えよ、ゴラァ!!!なめてんのか?ああ!?」


 ボコッといった鈍い音が響き、男は地面に倒れる。殴られた部分から血が流れるが、痛がることもなく、相変わらず虚ろな目をしている。実験室の外で足音が響く。ノメリアの怒声を聞いたブレイドがエリーを連れてやっていきたのだ。

「どうしたノメリア!?」


 ブレイドが実験室に入り、ノメリアの方へ向かう。彼と地面に倒れている男がブレイドの眼に入る。

「こいつはまさか、テロ組織の…?殺したのか?」

「殺してねえよ。ちょいと殴っただけだ。…全然反応しやがらねえ、不気味な野郎だぜ…。」

「…。」


 虚ろな目をして地面に倒れる男の口からは涎がだらだらと、垂れ流しになっている。これを見たエリーの顔は明らかに引きつっていた。

「この人どうしちゃったんですか…?」

「それが分かれば苦労ねえよ。」

「一応、拘束しておくか…。身柄をエクスシス副長官に届けるぞ。」

「こんなん届けてどうするよ…?尋問でもするのか?…多分これはもうダメだぞ。」

「念のためだ、念のため。もしかしたらがあるかもしれないだろう?」


 ブレイドは慣れた手つきで、腰に備えてあった手錠を男にかける。

「椅子に座って、休憩してろ。落ち着いたら言え。10分程度の時間はやるよ。」


 ノメリアがエリーに促す。

「わ、分かりました…。」


 エリーは椅子に座り、一息つく。先ほどの惨劇を見た彼女の頭の中は、不安が膨らんでいき、もしかしたら、自分もあんなふうになるのではないかと想像していた。彼女の感情はネガティブになり、余計な心配事が頭の中をぐるぐると駆け巡る。男を拘束し終えたブレイドが、表情を曇らせ不安でいっぱいな目をしている彼女に気づく。

「休憩のはずが逆効果だったか、エリー?」

「ブレイド…。」

「あまりネガティブに考えるな。うまくいくことだけを考えろ。…例えそれがどんな状況だろうとな?」

「そんなの無理よ…。」

「無理だからこそ、そう思える奴が勝つんだよ。」


 エリーは目を伏せて言う。

「…ブレイドさんも、そう思ってるのですか?」

「ああ、そうだ。戦場で、俺は常にそう考えている。だから、今日まで生き延びることができた。ここより酷い戦場に幾度となく行ったが、大体先に死ぬ奴は暗く否定的な感情を持った奴ばっかりだったな。…感情というのは人の行動を大きく左右するものだ。必ずではないが、そこを改善することで、一つでも生き残るポイントを押さえることができれば儲けもんだと思うんだがな?」


 エリーはノメリアの方をちらっと見る。ノメリアは机に腰掛け、実験棚に配置されてある試薬を眺めている。

「…ノメリアさんも、そう思いますか?」

「…負けるとか死ぬとか、思ったことねーよ。そもそも、この俺がやられるわけねーだろ…。いいか、エリーよ?こういうところで、負けると考えた時点で、負けてんだよ。第一、まだ何もわからねーのにうまくいかないだの、負けるだの…そんな、最初から負けている奴が勝てると思うか、うん?無理に決まってんだろ。…負けると思うのは負ける瞬間に思えばいいだけだ。どんな時でも、無理でも、関係なく自分は勝つと思え。思うだけなんだ、楽勝だろうが!」


 2人の話を聞いたエリーは、しばし下を向いていたが、何かをくくったように椅子を立つ。

「私…必ずここから生きて帰ります…!そして、こんな任務を押し付けた長官だか、1stだか知らないけど…そいつをぶん殴ってやります!」


 先ほどの表情とは打って変わって満面の笑みで、顔の前で拳を握るエリーを見て、ノメリアは言う。

「…いや、それは…やめた方がいい…ぞ?」

「あ、ああ…それはマジでやばい…。エリー?俺たちの前ではいいけど…言葉は選ぶんだぞ?」


 予想に反した二人の表情と返答に、エリーは酷く困惑する。

「え、えぇ…。こういう感じじゃないの…?」




 ベルン研究所の後方にある森の中を黒いスーツ姿の男が一人歩いている。その男の手、顔には白い包帯がぐるぐる巻きになっており、顔に巻かれた包帯の隙間から右眼が覗いている。ブーッという振動音がし、男が携帯を取り出す。

「…はい、ミハイルです。」

「私だ…。セブンスだ。」

「ああ、セブンスですか!…えーっとですね…そうそう!彼女は無事に格納しましたよ!それと彼女の実戦データを記録した映像も回収しました!」

「私が連絡を入れる前に、報告しろといつも言っているだろう?…まあ、いい。道草食わずにすぐに戻れ。…“ヘカトンケイル”の件がある。“Palingenesia”の本格的な起動の始まりだ。」

「…了解です。」


 ベルン研究所を背景に、足早にミハイルと呼ばれる男は森の奥へと進んでいった。



 

 RAS本部


「このところ…RASの高官には不幸が続くな?」


 暗闇に満ちた部屋の中で、光に照らされた大きな円形テーブルに長官含めた11人のRASの高官たちが席についている。高官たちが座っている椅子の上部には対応する1~13の数字がローマ字で印字されており、浅羽総一郎とウィッカーマン・キルケの4と5は空席である。

「忙しいところだが、召集させてもらった。…緊急の事態でね。知っての通り、我らがRASのナンバー4である浅羽総一郎が、昨日の21時46分55秒にテロ組織の襲撃に会い、殺害された。浅羽だけでなく、彼のいた研究所、第3オレゴン脳科学研究所に従事していた研究員たちの大半をも失った。」

「…最近の奴らの行動は何かと大胆になりましたね、長官?まさか、私たちの研究所に直接攻め入るとか…RASと全面戦争でもしようというのかしら?」


 ローズ・ホイットニー(11th)が長い髪をかき上げながら、長官1stに向かって言う。

「奴らのうちにかなりやり手の研究員がいるみたいだ。既存の生体兵器の改良種だけでなく、新型種もここのところ目立ってきている。」

「ここいらで、痛い眼に合わせておかないと連中、のぼせ上りますよ?」


 ボーマン・ヴァーロット(7th)が苛立った口調で言う。短気な性格の彼はこれまでのテロ組織の襲撃にかなり腹を立てているようだった。それを見たエクスシスが場を落ち着かせるために輪に入る。

「痛い眼に合わせると言えども、我々が直接手を下すことは推奨できないぞ。あまり表立った行動をすれば、各国から反発を受けることになる。RASは我々が想像している以上に強大な力を持っている機関だ。迂闊な行動は首を絞めることになる。」

「しかし…これ以上、奴らの好きにさせていいわけがないだろう!?現に、浅羽が殺されたんだぞ!?」

「落ち着くネ!落ち着くネ!!」

「…全く、短気な奴だ…。」


 場がざわつき始めたところで、1stが手を2回たたく。

「落ち着け…、不安なのは分かるがみっともないぞ?」

「し、しかし…!」


 1stはゆっくりとした口調でボーマンだけでなく、RASの高官達に話す。

「確かにRASの持つ力は強大であり、それを迂闊に扱うことはできない。…だが、状況が変わった。RASの高官だけでなく、そこに従事していた研究員並びに職員たちをもテロ組織に殺された…。このまま指をくわえて、政府に対応を望むつもりは毛頭ない。」

「…!長官!我々は軍事機関ではありません!…現にテロ対策用の生体兵器を政府、軍に提供はしているが、あくまで我々はより良い人類の未来の創生に貢献するための研究機関です!…我々の管轄内ならともかく、管轄外にまで手を出すのは…!」


 リリー・ギリース(6th)が1stの不穏な発言に食らいつく。彼女に追従して、エクスシスが意見を放つ。

「RASは政界の中でも見過ごすことができない存在になっています…。すでに、我々のことを疎ましく思っている官僚たちも多数いる中で、さらに敵を作るのはどうかと思うが…。」

「…ククク…。」


 1stが不気味に笑う。

「話は最後まで聞くんだ…。何もRAS単体でやろうって話じゃあない。無論、軍に大まかな部分は任せる…。ただ、私が軍の司令部に出向し、共同で作戦を行うというものだ。政府と軍だけに事態を任せると事が遅くなってしまうからな…。それに、これに関する全責任はRASの長官である私がとるとすれば、奴らも悪い顔をしないはずだ。お互いテロ組織には頭を悩ませているからな?」

「…。しかしながら、これはRAS全体にかかわる問題です。貴方だけでなく、副長官の私も同伴させてもらいたい。」


 エクスシスは真剣な表情で、1stに言う。彼はエクスシスを見て、目を閉じ微笑む。

「次期長官である君には、私がいない間のRASの運営をやってほしい。私の同伴には…そうだな…レナート、君を任命しようか。」

「…かしこまりました、長官。」


 レナートは一瞬だけ、不満げな表情をする。1stはそれを見て、やれやれといった具合に首を振り、話を続ける。

「加えて、もう一つだが…。浅羽君の不幸により、RASの席が1つ空いている…。新たなるRASの高官を迎え入れなければならないが…。君たちの中で、推薦するに値する人物はいないかい?」


 RASの高官たちは互いに顔を見合わせて話すも、これといった人物は挙がってこない。

「残念ですがそのような人物は今のところいませんね…。」


 エクスシスがため息をつきながら言った。

「そうか…私の管轄にも惜しい人物はいるが、RASに入るにはまだまだでな。」


 1stが口を開く。それにエクスシスが続く。

「…長官の期待する人物ですか…。気になりますね、誰ですか?」

「中々切れる男でな。数カ月後には遺伝病の分野で成果を上げるであろう人物だ。…浅羽君と同じ日本人。」



「赤髪蔵馬という男だ。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る