第4話 研究所内へ

「除水完了…。ドアロック解除しました。ようこそ、スペンサー管轄第4リブリ海底研究所へ。」


 案内音声が終わるとともに、ドアが開き、赤いロングコートを着用した男、ノメリアが歩み出る。腰の左右に刃渡り30 cmの独特な形をした2本のサバイバルナイフを備えただけの簡素な装備で、警戒することもなく悠々としている。彼は目の前にある電子パネルに手を当て、停船している人専用の輸送船の数を調べる。

「随分時間がたったはずだが、一隻も出ていないな。…誰もここに辿り着いていない…となると。」


 研究所内へと通じる二重扉に近づくが、反応しない。

「なるほど。最後に”Queen”をこの施設から出してはならないという職務は全うしたみたいだな。感謝するぜ。おかげで、逃げだした研究員どもの後を追う必要もなくなったわけだ。」


 ノメリアはコートの内ポケットから黒いカードキーを取り出し、二重扉を開け、研究所内に入り、再びカードキーを使って二重扉をロックする。研究所内はさほど荒れてはないが、人影は見当たらず、静まり返っている。彼はサバイバルナイフを1本手に携え、気配を消すことなく、足音を立てながら進んでいく。

「人の気配を感じねーな。総勢100はいるはずなんだが…”Queen”共に皆殺しにされたのか?…まあ、それもおかしくはないが。ここのセクターには争った跡も、死体も見当たらない。下層にいるのかねぇ…。」


 ロックのかかった扉をカードキーで開けて進んでいく。

「しかし…どの扉もセキュリティロックがかかってやがるな…いちいち開けるのが面倒だ。中央管理室でセキュリティを書き換えるか。…それにしても、予想以上にでかい研究所だなー…。任務内容は単純で容易だが…これは骨が折れそうだ。」


 下層セクターへと続く階段を下り、中央管理室のあるセクター3へと向かう。セクター3へと続く少し長い廊下を進み、扉を開けると、そこは広大に広がる外部環境実験室であった。森の一部を再現した広大な実験室は生態調査のために放たれた種々の動物、植物が生息しており、中には遺伝子工学によって絶滅した動植物も見られる。天井はスクリーンで覆われ、外の天気を反映し映像が移り変わる。また、備え付けられた気候変動装置により、温度、湿度等の管理がなされ、これを変更することによって気候を変動させ、求める外部環境を作り出すことができる。

 分厚い透明樹脂の壁を通して、森の景色を眺めながらノメリアは廊下を進んでいく。しばらく進むと気候変動装置の電子管理パネルや種々の機械などが設置されている気候管理室の扉の前に辿り着く。

「…すぅー…。血の匂いがする。初の犠牲者とのご対面ってわけか。」


 ナイフを握りしめ、扉を開ける。目の前には戦闘服を着用した重装備の隊員が5人息絶えていた。争ったらしく、壁やモニター電子パネルに複数の銃弾の跡が刻まれている。

「…専属の部隊か、派手にやられたみたいだな…。」


 死体は腕や足、背骨、首をへし折られていた。思い切り折られたのだろうか、折れた骨が皮膚を突き抜け、体外に露出していた。どの死体も恐怖で顔が歪んでいる。

「“Queen”達は常人以上の筋力を持っているから、まあ、可能か…。しかし、これだけの人数…果たして無傷で彼女らができるだろうか?できたとしても、かすり傷では済まないはずだ。…だが、彼女らの血痕すら見当たらない。」


 ノメリアは何となしに、死体を蹴る。すると、その衝撃で、飛び出してた骨が地面に当たり、ポキリと簡単に折れる。彼はそれを見逃さなかった。

「…うん?…」


 彼はそっと、その骨に触れてみる。触れた骨は少しの力で、簡単に折れる。

「何だ、これは?…こんなこと、あり得るのか?」


 彼は顔をしかめ、周りを見渡す。すると、投げ出されている無線機に目が行く。彼はそれを拾い無線を入れる。

「あー…誰か、聞こえるか?俺はノメリアという。この研究所の異変を聞き、えー…生存者の救出に来た。聞こえるなら、誰か答えろ。」


 無線からは誰の応答もなく、ただノイズが流れるだけであった。

「…部隊は全滅…というわけか。しかし、きな臭いな。さっきも思ったが…“Queen”は確かに人間と比べて、失敗作といえども高い戦闘能力を持つ。だが、これだけの人数…しかも、銃を持っているプラス訓練された戦闘員を相手に無傷でいられるはずはない。何かしら策を講じたとしても、これほどまでの一方的な結果に終わるはずもない…。それに、引っかかるのはこいつらの骨の異様なもろさだ…この骨のもろさなら、簡単に腕や足をへし折ることはできるが…“Queen”にこんな能力があるのは聞いてないぞ。」


 ノメリアは先ほどまでの態度を正し、警戒し、音を立てず、気配を消す。ナイフを前方に構え戦闘状態の体勢を保ちながら、前に歩みを進める。ここには何かがいる。それも、あいつが認識していない何かが。

 赤髪博士はここで何をしていたのか?そんな疑問を抱きながら、彼は中央管理室へと進む。中央管理室へはことのほかスムーズに進み、すぐに扉の前についた。彼は扉の前で立ち尽くし、扉を開けるのをためらった。

「いやな予感がするな…。」


 体勢を崩さないように扉を開け、彼は中央管理室に入る。見渡したところ誰もそこにはいなかったが、彼はゆっくりと上を向いた。

「…うはぁ…何だこれは…?今まで見た、どの現場よりも気色悪い…。」


 中央管理室は大きな部屋で2階まであるが、吹き抜けであり、2階中央から3方向に延びる連絡路から1階の様子を覗くことができる。その連絡路は胸まで縦に伸びる鉄製の格子で支えられた手すりが付けられているが、その鉄格子から何かが複数ぶら下がっているのが見える。ぶら下がっているそれはここの研究員であり、首には括り付けられた白衣が食い込んでいる。首を吊っていたのだ、その連絡路いっぱいに、研究者の首吊り死体が4,50人、揺れることなくぶら下がっている。

 

 今までにない猟奇的な光景に彼は絶句し、息を呑んだ。周囲には争った形跡は見当たらず、その死体には何かしらの損傷を負っているようには見えなかった。

「なるほど…上層セクターに誰もいないわけだ。…しかし…。絶望した研究員が自殺したっていうのか?これだけの人数がか?…いや、しかし…諦めるにしても早すぎる。まだ、異変が生じて2時間もたってないぞ。…考えるのは後だ。今はできることをするか。」


 ノメリアは中央管理室のメインコントロールルームへと入る。そこには巨大なモニターが中央に、横に小さなモニターが複数配置されている。中央のモニターにはこの研究所の簡略化された見取り図が表示されており、横のモニターは監視カメラの映像を流しているが、いくつかのモニターは監視カメラが故障しているのか、映像が映っていなかった。そのモニターの下の方にはそれぞれ設置している場所が表記されている。

 セクター2:C-1廊下と表記された監視カメラの映像に目を向ける。そこには6人の少女“Queen”達が映っている。彼女らの一人、ベベルがカードキーを取り出し、扉を開けているのが彼の眼に入る。

「…なるほど。赤髪博士のカードキーを持ってるってわけか。いやはや、来るのが遅かったら、逃しているところだったのか。しかし、奴も詰めが甘い。…まあ、よもやこいつがないと彼女らは出ることはできないがな。」


 ノメリアはキーボードをたたき、セキュリティファイルにアクセスする。パスコードを入力し、横に設置してあるカードリーダーに使用している黒いカードキーを通す。すると、モニターにセキュリティロック解除と表示される。

「さて…、これで輸送船連絡路の扉以外は全自動で開く、と。…そして」


 彼は彼女らを見る。

「そのカードキーはただのカードとなったし、いちいちカードリーダーにそれを通す必要もなくなったわけだ。感謝しろよ、“Queen”共?」


 ノメリアは外部環境実験室、気候管理室と表記された監視カメラの映像へと目を移し、録画されている映像ファイルを開く。

「さて…ちょいと、真相解明でもするか。」


 そう言って、彼は映像を流しながら、管理者権限で赤髪博士のパソコンにアクセスし、保存されている実験報告書や資料のファイルを開く。

「……予想はしていたが…ファイルの量もフォルダの量も多いな。それに、何が何だかさっぱり…。」


 彼が頭を抱えていると、映像に変化が起こる。専属部隊の小隊が外部環境実験室に姿を現し、気候管理室へと入ってきた。

「…やっと来たか。」


 小隊の隊長が無線で連絡を取っており、口元には笑みが浮かんでいる。しかし、すぐに、形相を変え隊員に指示を出し、部隊は戦闘隊形へと移る。部隊の一人が突然痙攣を起こす。それを合図に、部隊の一人が取り乱すとすぐに、その右腕が逆方向へと勢い良く曲がる。痙攣を起こした一人は体が背面側へと、まるで携帯電話を閉じる方向とは逆の方向に折るように曲がっていき、ついには、その背骨を砕き、絶命する。

「なんだ…これは…。」


 ノメリアは映像に釘付けになる。もう一人の足が、さらにもう一人の首がへし折れた時、錯乱した隊長が銃を四方八方に乱射し始める。ひとしきり発砲したのち、隊長は廊下の奥を凝視したまま固まり、体を震わせていた。隊長が銃を構えた瞬間、右腕、腰、そして両足が勢い良く曲がり、骨が至る所から露出し、無残な肉塊へと変える。そして、痛みでもがいていた二人の首が折れ、部隊は全滅する。

「……まるで、ファンタジーだ…。さっぱり、理解できねぇ。」


 廊下の奥から、誰かが出てくる。彼は食い入るように映像を凝視する。それは“Queen”と似た黒いドレスのような服を着た、銀色の髪を持つ少女だった。

「な…に!?7人目だと…!?…赤髪の野郎。…隠し子がいたってわけか。」


 彼は映像を止め、その少女に注視した。その少女には“Queen”のような身体的な特徴は見受けられず、いたって普通に見える。この少女が、どのようにしてこの惨劇を起こすことができたのか?まさか、サイキックパワー?…くだらねえ。

「一番可能性があるのは…こいつが何かしらの物質を放っていることだな。…骨を脆くし、筋肉を意志とは無関係に収縮させる…か。…想像できねぇ…。」


 額を手で押さえ、苦笑いする。

「…誰だ?」

「動くな!!両手を上げて、膝をつけ!!」


 後ろから、けたたましい声が彼に向けられる。

 振り向くとそこには腕に傷を負い、戦闘服を着た、一人の女性が彼に向けて銃を構えていた。

「両手を上げて、膝をつけ!!早くしなさい!!」

「フ~ン…」


 言われたとおりに、彼は両手を上げ膝をつく。

「全滅したんじゃなかったのか?」

「…お前は誰だ?」

「俺はノメリア。安心しろ、敵じゃない。俺は救援に来たんだよ。だから、その銃を下ろしてくんねえか?」

「信用できない。」

「信用出来る出来ないの問題じゃねーんだよなー…この状況で。」

「……それも、そうよね。」


 そう言うと女性は銃を下ろす。彼は立ち上がり、膝を払う。彼女は彼の元へと歩を進める。

「私の名はアリア。…ここの専属部隊の隊員よ。こんな有様だけれどね…、私以外はもう死んでいると思うわ。…私は“Queen”達をここから出さないために、システムを書き換えようと思ってきたのだけど…。」

「セキュリティシステムはすでに書き換えてある。あいつらの持っているカードキーはただのガラクタと化した。安心しろ。」


 アリアの顔に安堵の表情が戻る。

「そういえば、さっき、救援に来たと言ってたけど…もしかして…あなた一人だけ?」

「ん…?ああ…。」


 彼女の表情が曇る。

「どうして、1人だけなのよ…最悪。上は何を考えているのかしら…。」

「情報をあまり漏らしたくないみたいでねぇ…。もっとも信用を置いている俺だけをよこしただけだ。…まぁ、そう悲観するな。…それより、お前たちの部隊はすべてこいつ1人にやられたのか?」


 映像に映る少女を見せる。

「気候管理室の部隊をやったのはこいつだ」

「!…じゃあ、あの無線の声は…この子の…!…ブラボー3との無線が切れ、少女の声が無線に出たの。…その少女の声を聴いてから、キース隊長の様子がおかしくなったわ。……キース隊長は銃身を口にくわえて…発砲したわ。」


 彼女は目元に涙を浮かべていた。

「…それで終わらなかった…、私以外のメンバーもキース隊長と同じようになったわ。ブラボー1も、そうかもしれないわ…」

「…少女の声の内容は?」

「…『私のために死んで』よ。」

「催眠効果もちの声か?…厄介だな。」

「…あの研究者たちも…この子にやられたのね…。」

「ああ…見たのかってか、見ちまうよな~…。しかし、あの光景を見て声を上げないのはさすがだな。」

「…仮にも軍人よ?」

「…あー…まぁいい。敵の正体もわかったことだし、奴らを始末しに行くか…。」

「助けてくれるんじゃないの!?」

「ああ、助けるとも、お前が化け物どもを殺すのをな?」

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