大丈夫だよ
それから、一週間ばかり。オレは学校でたくさんの友達を作った。
授業はほとんどオレが受けてないテストの返却に費やされていたけれど、ちゃんと席に座っていたし、始業から終業までちゃんと校内にいた。
売れてるアーティストの新譜がどうとか、今期の深夜アニメがどうとか、将来がどうとか、社会がどうとか。よくわからない話にもちゃんと興味を示してふつうの高校生をやっていた。主語が微妙に変わっただけで話していることは三か月前とあまり変わっていなかったから、合わせるのは簡単だった。
学校が終わったあとは、ときどきユキのところへいった。
毎日ではない。友達との予定がない日や、学校を休んでいたぶん提出を強要された膨大な量の反省文を書くのに飽きたときだけだ。
ユキに「まずはふつうの生活に慣れることを優先してほしい」と“おねがい”されたから。
それでも、学校がない日は朝から会いにいったりした。
けれど昼過ぎくらいまでユキが眠って起きなかったので、ユキが目を覚ましてからオレは話をした。
すぐにたくさんの友達ができてしまったこと。
授業が退屈すぎていやになってしまうこと。
クラスメイトがみんなバカに見えてしかたないこと。
とにかくたくさんの話をした。
でも、次会ったときにユキはそのほとんどを忘れてしまっていた。
新しく投与されることになったクスリのせいらしかった。
声が出るのも、水泡の量が少なくなったのも、そのクスリのおかげらしい。
べつに忘れられるのは苦じゃなかった。
忘れるのなら、また同じことを話せばいいだけだから。
「なあ、コウ。おまえホントに大丈夫か?」
ときどき杉原によくわからないことをきかれた。
べつにオレはどこも悪くなってなんかいない。
学校にもふつうにいけているし、両親とだってふつうに話せている。
だからオレは「大丈夫だよ」答えた。
そして夏休みがきた。
ユキの忘却は進んでいた。
数日前のことだけじゃなく、それよりも前にあったことをユキはすこしずつ忘れていった。
たとえば、ユキはミュージアムのことを覚えていた。けれど自分が昔なにになりたかったかを忘れていた。
ユキは自分が山を登ったことを覚えていた。けれどどうして登ったのかを忘れていた。
「大事な記憶ほど、覚えていられるんだって」
ある日、ユキが浮かんだ水泡を指で弾きながら言った。
「わたし、自分のことと、コウのこと、どっちを先に忘れるんだろうね?」
オレには答えることができなかった。
気まずい沈黙が訪れると、ユキはいつも決まってぜんまいを巻いた。
ぎーぎーという音がして「結婚行進曲」が病室に流れる。
曲が終わると、ユキは必ず未来の話をした。
「ねえ。コウはハネムーン、どこにいきたい?」
「べつにどこでもいい」
「暑いところとか、寒いところとか」
「ユキのいきたいところでいいよ」
ユキは目を閉じて遠い“いつか”に想いを馳せる。
まるで夢を見ているみたいだった。
事実、オレといる間もユキはときどき眠ってしまうようになった。
それは眠るというより意識を失っている感じで、ユキが一度コトンとベッドに頭をつければ、オレは彼女が目を覚ますまでオルゴールを鳴らしているくらいしかすることがなかった。
「……コウ」
「ああ」
目を覚ますと、ユキは真っ先にオレの名前を呼んだ。
自分の中にまだオレの記憶があることをたしかめるみたいに。
オレがその場にいないときも同じだと、杉原が苦笑しながら語っていた。
「ああ、コウくん」
「どうも」
ある日、ひさしぶりにユキの父親と病院のロビーで出くわした。
ユキの父親はひどく憔悴していて、早希を失って間もない頃のオレの両親そっくりだった。
まだ、ユキは生きているのに。
「なあ、コウくん。ユキにとっての幸せとは、なんなのだろう?」
譫言みたいな口調で尋ねてくるユキの父親にオレは言った。
「それはもちろん、ちゃんと病気を治して、学校にいって、それからやりたいことをやれる日々を送ることじゃないですか」
「……」
しばらく黙り込んで、それからユキの父親は杉原と同じことをきいてきた。
「コウくん、大丈夫かい?」
それはこっちのセリフだった。
オレはふつうに眠って、ふつうに食べて、ふつうに生きている。
休んだほうがいいのは彼のほうだと思った。
「はい。大丈夫ですよ」
そして、一か月が過ぎた。
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