第9話

【自由帳】



      ☆



 今起きた。

 まだ眠気がある。よく寝た気がするのだが……。

 私はゆっくりと目を開けた。

 暗い。

 真っ暗で何も見えない。漆黒の闇とはこのことを言うのだろう。

 それから、床が冷たい。コンクリートだろうか。


 しばらく経って、私は目の辺りを両手で触ってみた。

 濡れている。粘り気のある液体だろうか、手に不快な感触が伝わる。確かに触れたが、痛みはない。

 これは血だろうか?

 それとも……?


 いや、それよりも、本当に何も見えない。これまで感じたことのない、不安と恐怖を感じる。

 嫌すぎる予感。

 そうだ、人はいるのだろうか。もしいたとしても、まともな人物だとは思えないが……。


「すみませーんっ!」


 私は今までに出したことがないほどの大声で叫んでみた。

 しかし、その私の声はやまびこのように返ってきて、むなしく、どこかも分からない場所に響くだけである。

 ただ、声が物凄く響く気がする。ホールみたいな広い場所か、はたまた地下か。そんな想像をしてみる。


「誰かいませんかーっ!」


 もう一度。

 しかし、反応はない。


 その後も何度か叫んでみたが、反応は無い。

 それよりも、喉が潰れてしまいそう。ヒリヒリする。そして、喉が渇いた。

 ただ、意識は確かにある。もうすっかり目が覚めている。頭も正常に働いていると思う。

 じゃあ、何か考えてみよう。

 私の名前は……橋本星那。誕生日は……四月二七日。

 大丈夫、大丈夫。

 この場所に来る少し前の記憶、真っ先に頭に浮かんでくるもの……。


 あの日、家族を殺したことだ……。それは、とても衝動的なものだった。

 馬鹿は、とんでもないオスで、元カノや気になるひとを平気でストーカーする、とても自己中で嫉妬深い男なのである。何より、私にとって最悪なことは彼がシスコンであることだった。

 兄は私に対しても精神的なものから性的なものまで、様々な嫌がらせをした。

 そんな日々……。

 兄に対する恨みがコツコツと、そして確実に積もっていく。

 そんな毎日……。


 そしてあの日、遂にその恨みが爆発した。

 私は本能のままに、寝ている兄を刺した。精一杯の力で。この後始末はどうすればいいのだろうか……。そんなことも考えずに。

 ただ、そんなことを考えている内に、両親が私の前に姿を現した。


 お前はとんでもないことをした。


 受験が控えているのに……。


 自首しろ!


 両親は私を罵倒した。お前は最低で卑劣な人間だと言われた、私はそう感じた。


 あんなに苦しんだのに……。


 どうして……?


 私が悪い……?


 あり得ないっ!


 電話の受話器を持ち上げた父親の後頭部めがけて、私は万が一にと思い用意しておいたハンマーを思いっきりぶち当てた。高めのボールを叩く野球選手のように。

 そして、腰が抜かれたように床にへばりつく母親の頭頂部にもハンマーを、振り下ろした。餅つきのように。



 ガラッ……。 タンッ、タンッ、タンッ……。


 その時、スライド式のドアが開くような音とテンポよくコンクリートの床を叩く音が聞こえてきた。

 それに続いてまた別の音がコンクリートの床を叩く。


 人だ! しかも……二人もっ!


「助けて下さい!」


 私は天にすがる思いで言う。


「……」


「お願い!」


「……」


「私は梅が丘高校三年の橋本星那です!」


「……」


「助けて!」


「……」


「お願い……」


「……」


 どれだけ叫んでも、返ってくるのは、あのやまびこと沈黙だった。


 ピコン♪


 どっかで聞いたことがある音……そうだ、スマホで動画を録画するときの音だ。でも、何で?


「次は……耳ね♪」


 その時、聞き覚えがある女性の声が聞こえてきた。


「目の次は耳か。分かったよ」


 これまた聞き覚えがある男性の声が聞こえてきた。何なんだろう。私は、先ほどの数倍の不安と恐怖を感じる。


 この後、私は何かされるのだろうか。


 次は耳……どういう意味だろう。


 殺される訳ではないよね……?


「ふふ……。大好き、月哉くん♡」


「そういえば、ちゃんと教えろよ。あんな嘘吐いてまで、あいつと絶交しなくちゃならなかった理由と、俺をコイツと付き合わせた理由」


 その声を最後に、私の耳が音を捉えることは二度となかった……。

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