第10話 ニンゲンたちの丑三つ時+1





「耀子ちゃん、何のつもり」



 わたくし、阿久津耀子と円さんだけになった教室に、冷たい声が響き渡った。



「――何を仰っているかわかりませんわ」



 円さんはわたくしの体を引き剥がしながら、言葉に警戒心を含ませる。



「目を見れば解るよ。幼い頃と同じ、嘘を吐くと瞳がちょっと左に寄るんだ」



「っ! ……円さんはずるいですわ」



 ――そんな事を言われたら、心が揺れ動きそうになりますわ。



 わたくしは緩みかける心の蓋を抑えながら、円さんと向き合う。



「何を企んであんな事を言ったのか知らないけど、オレは耀子ちゃんと付き合うつもりはないよ」



「わたくしと恋人同士になったら、傷は浅くて済みますわよ。――幼馴染ですもの、アナタには幸福であってほしいですわ」



 今日見た限りでも、円さんはあのバケモノ随分と入れ込んでいた。


 人間とバケモノは何もかも違いすぎる。


 例え恋仲になったとしても、不幸な結末しか行き着かない。



 そういう意味を込めて、わたくしは彼を見つめる。


 けれど円さんはゴメンと一言、真剣な顔をした。



「……でもさ、耀子ちゃん。オレは火澄が好きなんだ。彼女がバケモノだろうが、好きになったことに誰かの作為があったとしても、オレには火澄が全てなんだ」



「円さん」



「だからさ、言っておくよ。――オレと火澄の仲を引き裂こうとするなら、容赦はしない」



 円さんはそう言うと、教室から去って行った。


 わたくしは彼が十二分に離れた事を確かめた後、手近な椅子に座る。



「…………はあ、世の中上手くいかないものですわ。ねえ、そう思いませんかサトリ――いえ、裟藤狸芽」



 肉眼では見えずらいものの、目の前の机に無精ひげを生やした壮年の男が座っていた。



 彼はわたくしが本来所属する御影衆という、斎宮家の最高意思決定機関――所謂、旧家の暗部子飼いの、メッセンジャーである。


 この地に巣くうバケモノの根絶を目指す斎宮が、バケモノを手下にしているなんて矛盾していると思うが、世の中そんなものだろう。



「流石、阿久津の鬼子! 気付いてたのか」



 彼のバケモノは、何故かわたくしの事を鬼子と呼ぶ。



 尤も生粋の日本人でありながらこの金髪と、人間離れしたこの霊能力なら仕方が無いのだろうが。



「鬼子って言わないでくださいます? ……これでも政府の犬だった頃は、エリート街道を走っていたんですのよ、これぐらい造作もないですわ」



「へぇ! そりゃまたすごい!」



「はぁ、棒読みで言われても嬉しくありせんわ。で、何の用ですの?」



 彼の登場は都合がいいとはいえ、指示した行動ではないので気になる。



「おう、そうだそうだ! ほれ、穣ちゃんが頼んでたの持ってきたぜ」



「やっと届いたのですか!」



 狸芽がわたくしに差し出したのは、何処にでもあるような、小さな赤いお守りだった。



 ――あと半日早くあれば、あんな醜態晒さずにすんだでしょうに……。



「そりゃ無理だぜ鬼子ちゃん。普通のバケモノには良く効くだろうが、火澄の嬢ちゃんにはちぃとばかしキツイんじゃないかい?」



「心を読むときは事前に言いなさいバケモノ男。――それで、あの女に効果は薄いとはどういうことですの?」



「薄いってこたぁねえさ。ただ火澄のお嬢はただのバケモノじゃあねえ、どっちかってぇと神様にちかい何かだ。それに出力の問題もあってな、一回こっきりの手品とでも思うんだな」



「つまり、一度しか効かない上に嫌がらせ程度の威力しかないと」



「まあ、そういうこったな。」



 わたくしは、手の中のお守りを見つめた。


 他の地では対バケモノ用として絶大な効果を上げているコレも、樹野という特殊な地の、さらにその負のちからの集約体であるバケモノ女相手では分が悪いということなのだろう。



「……でもまあ、使いようですわね」



 ――上手く使えば、心を揺らがせることぐらいは出来るでしょう。


 精悍な顔を歪ませこちらを厳しい目でみるバケモノ男の、物言いたげな視線を無視して指示を与える。



「まあいいですわ。取り合えず、この教室の後始末をお願いいたしますわ。それから風流先生の情報操作も……そうね、どこぞの御曹司と駆け落ちとでもしておきましょう。例え嘘でも、遺族には希望を持たせておくべきですわ」



「……」



「何か言いたそうですわね。でもアナタがわたくしに不満を持っていようと、上に二心を持っていようと関係ありませんわ、組織の歯車として責務を果たして頂戴」


 彼は一瞬難しそうな顔をした後、迷ったように口を開く。



「……別にやるこたぁやるさ。ただな、俺はアンタが心配なのさ。これが……いや、何でもない」



 その言葉、表情は、政府に出向していた時からの十年以上の付き合いであるわたくしにとって、初めて見るものだった。



 ――尤も、彼の事情はまったくと言っていいほど知らないのですけれど。



 普段は飄々としている彼の変化に嫌な予感を感じながら先を促す。



「わたくしが?」



「ああ、そうさ。なんたって、アンタは危うすぎる」



「……どういうことですの」



「惚けなくていい。俺から見れば丸解りだ。始めてあったときから何一つ変わっちゃいない。……なぁ、いつまで復讐に拘る気だ。親御さん死んでからもう十年以上経ってるだろう。そろそろ――」




「――そろそろ?」




 わたくしは狸芽を睨み付けた。



「そろそろ? なんです? 復讐を止めろと? 憎むなと? 両親の仇を討つなと仰るの?」 



 胸に湧き上がって来る、粘ついた熱情に身を任せる。


 全身を侵食する復讐と言う名の甘い蜜が、痺れる様な悦楽をもたらす。


 幼いわたくしには、両親の死を受け止め切れなかったのだろう、


 それ以来、捻じ曲がった感情はわたくしの体を歪んで駆け巡り、人として間違った生理反応を起こす。



 ――心地よいですわ。



 この地に帰ってから何故だか体の調子がいい、どんどん力が増していっている。


 このまま行けば、あのバケモノ女に勝てる所まで行くかもしれない。



「止めるなら、アナタと言えど容赦は致しませんわ」



 彼はそんなわたくしを見ると、呆れたように溜息を付いた。



「だからなぁ、それがダメだっつうの」



「それ、とは?」



「嬢ちゃんには自覚がないようだが、今のアンタはこの地の歪みに囚われてるぜ。このままだと、――俺たちと同じバケモノに成る」



「……」



「俺はアンタが、どんなに歪んだ心を持とうが復讐を企もうが構わねぇ、けどな、バケモノになるのはいただけねぇ。アンタが何だかんだ理由つけてこの地から離されていたのは、不穏分子だからって訳じゃねぇんだぜ。」



「……何故ですの」



 次の言葉を半ば予想しつつ、先を促す。


 狸芽は一瞬、目を険しくした。



「解ってんだろ? アンタは火澄のお嬢に似てちからが強過ぎる。アンタを第二の火澄にするわけにはいけない」



 誠実で真直ぐな物言い。


 彼なりの、心からの心配をわたくしは感じ取った。



「気遣い有難うございますわ。でも、復讐がわたくしの生き甲斐で目的、止まるわけにはいきませんわ」



「…………止まらないのか?」



「ええ、止まりませんわ」



 奥歯にモノが挟まったような彼の顔。


 その意味する所を察しながらも、わたくしは無視して続ける。



「横道に逸れましたわね。……アナタにはまだ頼みたい事がありますわ。調査では寺浄家の長女にバケモノ化の兆候があったはずです、次の仕掛けで使いますから手筈を」



「寺浄家ってぇたらアレだろ? バケモノを倒すちからは無くなったんで、表に引っ込んで商売やって大儲けしてる」



「ええ、そうですわ」



「本人達は知らねぇだろうが、特に長女は稀に見るほど陰転化への抵抗力を持ってるって話だろ。ほっといても平気じゃねえか?」



「言いましたわ、仕掛けに使うって。その長女とやらが面白い事情を抱えていると聞いてますわ。だから、バケモノ女にぶつけてみますの、面白そうでしょう?」



 にこやかに哂い、狸芽を見つめる。



 彼は苦虫を噛み潰したように、不快な表情をしながらそっぽを向く。



「……悪趣味だぜ」



「お褒めの言葉、ありがとう御座いますわ」



「ちっ、いけすかねぇ鬼子だ」



「で、次ですが……」



「ああん? まだあんのかよ!」



「まだあるんですのよ。――――いえ、これが本題ですわ」



 視線に押さえ切れない憎しみを沿えて、わたくしは狸芽を真正面から見る。



「老人共の画策している、儀式の準備はどうなっていますか?」



 儀式。


 数百年前に行われたという、人の夜の安寧をもたらす為の祭事。


 この地への影響力が下がったと感じた、御影の幹部の座に付く一族の老害共は、示威的行動の為に儀式を行おうとしていた、――尤も、計画段階で中止されていたのだが。



 一見するとただの政治的行動の一つだったけれど、わたくしにとってはまたとないチャンス。



 この地における権威を失いつつある御影衆、その最後の拠り所である伊神火澄。


 老人共が密かに神聖視する彼女の絶大なちからを、奪い取る大きな機会である。


 彼らに復讐する為ににわたくしは、御影衆に面従腹背し信用を得て、政府の犬にまでなって権力を得てこの地に戻ってきた。



 だから、この好機を逃す択肢は無いのだ。



 ――殺して壊して燃やして、斎宮という家に連なる者ごと全て塵に返して差し上げますわ。



「……」



「どうしたの? 早く報告なさいましな」



 わたくしの燃え上がる殺意を読み取ったのか、狸芽は哀しそうな顔をしていた。



「……儀式の準備は数日以内には終わるだろう。その後はこの地のちからの安定具合によってだ」



「なら、この地と繋がるあのバケモノ女次第というわけね」



「……そうだな」



「老害共の警護のすり替えは、上手くいってますの?」



「……ああ、今のところ問題が起きたとは聞いていない」 



「わかりましたわ。次は――」



「――阿久津耀子!」



 不満そうだった彼は、大声を上げてわたくしの名を呼ぶ。



「ん? なんですかいきなり?」



 わたくしが意図を推測する前に、彼は確認するように発声する。



「どうしてもやるのか?」



「愚問です、いまさらですわ」



「オマエ、当主に告白しただろう。小さな頃から思っていた王子様を巻き込むのか?」



「見ていましたのね、悪趣味ですわ。……お姫様を助けてくれる王子様なんて、御伽噺の中でしかいませんわ。それに」



「それに?」



「アレは多分、わたくしのではありませんわ。まあ、その告白にしてもバケモノ女への当てつけですし」



「そうか。……じゃあさ、火澄のお嬢と対決するつもりなのは何でだ。後でちからを奪うなら、今、無理に敵対しなくてもにないだろう?」



「アナタが言ったのでしょう? わたくしとあのバケモノ女は似ています。――だからこそ、その存在が許せないのですわ」



 彼女について調べ、解った事だ。


 同じ様に斎宮の分家に生まれ、そのちからの強さ故に疎まれ隔離され。


 仕舞いには儀式の生け贄に選ばれ、儀式が失敗に終わりバケモノになった後は、本家の便利な道具として飼い殺し。



 利用するだけ、利用し、用が無くなったらゴミ箱へ。


 まるで、自分の将来を垣間見たようだった。



「どうしても、火澄のお嬢を狙うのか」



 本家当主の円さんにも伝えられていない事だが、円さんと火澄は、二人は儀式の生け贄に捧げられる事になっている。


 その為、後数週間もしない内に、無実の罪を着せ、二人を拘束する手筈が整いつつある。



 ――まあ、それに手を貸しているわたくしが、偉そうな事を言う権利は無いのですが……。



「ええ、それが彼女に対する義務。いいえ、救いだと信じていますわ」



「そうか……」



 狸芽はわたくしの答えに深く溜息を吐くと、残念そうな顔をした。



 ――真逆。



「ああ、その真逆だ」



 わたくしは、自分の悪い予感が当たったのを悟った。


 バケモノという本質的に人間と相容れない存在であるこの男と、存外に友好的な関係が築けていた事を驚きながら。


 いつかは来るであろうと思っていたそれを、ある種の諦観と共に受け入れる。


 彼は御影衆から、わたくしの下から、去るつもりなのだ。



「長い付き合いですもの、説明はあるのでしょうね」



「そうだな……俺はな、あの嬢ちゃんとはちょっとした知己で、さらに命まで救われてんだ。それで十分だろう?」



「それなら、道理ですわね」



「だろ? でさ、俺のような老いたバケモノ一人が逆らったところで、どうとなるものでもないけどさ。やらないよりマシだろう」



「傾いているとはいえ、相手は強大ですわよ?」



「へへっ、嬢ちゃんにそっくりそのまま返すぜぇ。……それに、何だかんだ言って火澄の嬢ちゃんにゃあ、味方がいないだろう?」



「円さんがいらっしゃるではないですか」



「アンタも解ってるんだろう? あの二人の関係は飯事の域を出てねぇ、ケツの青い餓鬼が意地張ってるだけだ」



「……」



「もしかしたら、本当に火澄の味方になるかもしれない。けどな、ゴ当主サマはアイツに依存しているだけだ」



「……」



「だからさ、鬼子。今日これで、さよならだ」



 わたくしは告げられた事情と別れに、何かを答えようと言葉を探していた。



「…………アナタは。わたくしの味方で居てくれませんの?」



 彼は少し困った顔をしたが、きっぱりと言った。



「昔、惚れた女とな、最後まで火澄の味方でいるって、約束したんだ」



 その覚悟を決めた顔に、どう説得していいか解らなくなる。


 勿論、いつか別れが来るだろうと思っていたし、覚悟も出来ていたつもりだった。


 だけど彼はバケモノといえど、長年の過酷な任務により何時消滅してもおかしくないほど磨耗している。


 他人の心を読むというちから故に、只でさえ組織の人間から疎まれているのに。今、離反したとあっては命はないだろう。



 ――知人の死を望むほど、腐ってはいませんわ。



「はははっ。ありがとう、阿久津耀子」



「非道いですわ。裟藤狸芽、初めてわたくしの名前をキチンと呼びましたわね」



「最後だからな」



「……きっと、死んでしまいますわ」



「ああ、かもな」



「わたくし、……敵に回りますわよ」



「お手柔らかに頼むぜ」



「……アナタを待っている子はどうするのですの?」



 飄々と答えていた彼は困ったような顔をすると、優しげな眼差しでわたくしの頭を撫ぜた。



「アイツの――詩の事はアンタに任せた。この掃き溜めの中でも、アンタなら信頼できる」



 詩。



 わたくしの部下であり、狸芽といつも一緒にいた少女。



 どこか円さんに似ていた彼女。



 彼女の命は……。



「狸芽。アナタは詩の状態を解って言っているの? 彼女は――」



「――だからだよ。何もこんな老い耄れと一緒に死ぬこたぁねえ。詩の死に様は詩が決めるものだ」



「……詩はアナタと共に居たいのではありませんか? それに大体、貴方が詩を拾ったんでしょう? 最後まで責任を持ちなさい!」



「……」



 痛い所を突かれたと、目を泳がせる狸芽。



 わたくしは心の中で溜息を吐くと、ジロリと睨む。



「聞いていますの! 女の情念、甘く見るんじゃありませんことよ! 責任を持たないというのであれば! わたくにも考えが――」



「……う、ぐ。わ、わかった! わかったよ! 後で迎えに行くから、それまで預かっといてくれ! な?」



 彼は、罰の悪そうな顔をしてそっぽを向く。



「絶対ですわよ!」



「あいよ。じゃあな!」



 狸芽は溜息混じりにそう言うと、煙の様にその場から消えた。



 ――あーもう、まったく。



「世の中ままなりませんわね」 



 右腕ぐらいには考えていた人物の裏切りに頭を抱える。



 復讐をしている身としては、他人の裏切りを責められないのだが、それにしたって痛すぎる。



 彼が使えないなら、他の人間を手配しなければならない。



「それより、詩の事はどうしましょうか」



 わたくしは大きく溜息を吐き、詩が起こすであろう癇癪を予想し、うんざりしながら気持ちを切り替える。



 兎も角、他人の心が読めるベテラン諜報員が敵になった事はやっかい極まりない。


 どうせ彼に死の運命が待っているのならば、効率的に死んでもらうべきだ。


 詩は狸芽と共に死ぬことを望むのだろう。



 ――精々、あのバケモノ女を崩すのに役に立ってもらいますわ。



 わたくしは策謀を巡らせるべく、携帯電話を取り出しながら帰路に着いた。



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