第9話 バケモノは自覚する



 私は元の姿に戻った後、刻印を通じて円に終了の意を伝えた。


 直後空間が私を中心点に収束して、元の理科室へと戻る。


 同時に円の刻印を通じ、送られた清浄な気が私の体中の充満する。



 ――何時まで経っても、慣れないわね。



 その不快さに眉を顰めるより早く、服従刻印が私の力を封ずる。


 世界との一体感が解け、ちっぽけで貧弱な体に押し戻された私が憮然としたのを見て、



「……おわったの、ですの?」



 放心状態の耀子が怒りを抱えたまま、呆然と呟いた。



「そうだよ耀子ちゃん。――火澄、ご苦労様。後はオレの仕事だね」



 円はそう言うと、持ってきた道具で理科室を清める準備を始め。


 その横にいる苺は、持ってきていた携帯ゲーム機の電源を切りへらへらと笑いながら私達の元に来る。



「おっと、火澄、駄目じゃないか食べ残しちゃ」



 苺は途中落ちていたハイヒールを拾い、ゴミ箱へと投げ捨てる。



「あら? 本当だわ。私ったらはしたないわ」



 私は力を使い、ゴミ箱にハイヒールが入る直前、黒く揺らめく炎で灰も残さず一瞬の内に燃やし尽くす。



「――――ッ! 火澄!」



 その光景を見ていたであろう耀子は、いきなり立ち上がり私の胸倉を掴みあげる。



「へえ、心は折れていないのね」



「……何で、燃やしましたの?」



 こちらを睨みつける耀子の瞳は、溶岩のような怒りで染まっていた。



 そんな耀子に私は冷たい笑みを浮かべる。



「――風流センセイは、今宵ここに来なかった」



「失踪扱いにするつもりですの? だから証拠は邪魔で燃やしたと?」



「ええ、いつものことよ」



「いつものこと! そうやってアナタ達は、アナタは!」



「間違っている、とでもいうのかい? 耀子」



 割り込んできた苺の言葉に耀子は唇を噛み締める。


 耀子に向かって諭すような目を向ける苺。



 ――いったいどういう関係?



 私の疑問を他所に、耀子は私から手を放して俯いた。



「………………でも」



「でも?」



 苺が先を促す。



「解っていますわ、これは必要な事だと。それでも、それでも言いますわ。――――アナタ達は、間違っている」



 耀子は何かを打ち壊すように、そう叫んだ。



 ――この子、眩しいわね。



 私は感心した。



 そして胸にチリつく痛みも認めた。



 ――私は、羨ましいのね。



 心に闇を抱えて、なお真直ぐにいられる強さ。


 きっと、嘗ての私が得られなかったモノ、そして嘗て私が失くしたモノ。



「――それで、どうするの耀子ちゃん」



 耀子の叫びを聞いた円が、彼女の後ろから問い掛けた。



「問うのは、わたくしですわ」



 耀子は円に振り向く。



「何を?」



「――火澄は、わたくしを風流先生を使い襲わせましたわ」



「そうみたいだね」



 ――円?



 彼の冷静な顔。


 そこには、非道を犯した私への失望も怒りも不快感もなく。



 ただ事実を聞き肯定するという態度に、私は戸惑う。



「先生を殺しましたわ、まだ助かるかも、まだ助けられたかもしれませんのに」



「それが火澄の、いやオレ達の役目だから」



「先生を失踪扱いにするのですか? お墓は?」



「それは、オレの役目じゃない」



 耀子の質問に、淡々と答える円。


 その答えに、彼女の体から怒気が上がる。



「……火澄は危険です。人の手に余りますわ」



「そんな事はないよ」



「何時かアナタに牙を剥くかもしれない」



「オレは、火澄を信じてるから」



 笑って答えた円の言葉に、耀子は苛立ったように一回、地団駄を踏んだ。



「――間違ってますわ。間違ってますわ円さん」



「それで、どうしたいんだい? マイドーター?」



「宣戦布告しますわッ!」



 耀子はバッと、こちらを振り向き続ける。



「わたくしが、この地の歪みを正して見せます。斎宮の歪んだ家系も、火澄! アナタと云うバケモノも、そしてなにより――円、家に役目に囚われたアナタを、解放してさしますわ」



 そして再び円に振り向くと、ツカツカと近づき、円の顔に両手を添える。



「耀子ちゃん?」




「幼い頃からずっと好きでしたわ。――愛しています円さん」




 耀子は、円に情熱的なキスをした。



 ――っ!



 何故だか不思議と怒りは沸かず、変わりに胸に痛みが走り目の前が歪んだ。


 私は思わず、顔を背ける。



「へえ、あの二人、案外お似合いかもしれないよ。ねえ火澄」



 苺はそんな私を見逃さず、嗜虐的な顔で同意を求めてくる。


 円から唇を離した耀子は、円に抱きつきながら私の方を剥く。



「人間とバケモノ、何時までも一緒にいられるわけありませんわ。今まで円さんを守っていただき有難う御座います。アナタの役目はもうお仕舞いですわ」



 顔を赤らめ目を白黒させる円、女の顔をする耀子。


 大きくなる胸の痛みと、喪失感が私を襲う。



 涙が溢れそうになり、二人から逃げ出すように私は後ろを向いた。



「…………ふん、用は、済んだわ。帰る」



 やっとの思いでそう口にして何事も無いように、いつもの様に不機嫌さを装って理科室から出る。



「火澄――」



 私を呼び止める円の声を聞こえないふりをして、いつもの歩幅で歩く。 



 深夜の静かな廊下、響く足音。



 室内にいる円達に聞こえなくなるぐらい離れた私は、感情のままに走り出した。






 気が付けば私は円と出会うまで幽閉されていた家の土蔵、その扉の前で座り込み泣いていた。



「解っているんだろう、火澄?」



「…………今は、貴女の相手をしている気分じゃないわ、苺」



 唐突に現れる苺の気配。


 私は振り返りもせずに言うが、苺は構わずに話を続けた。



「そろそろ、自分の気持ちに目を逸らさないでいる頃だよ親友。君のその気持ちは恋だ。家族のソレじゃあないさ」



「貴女に何がわかって!」



 ――私の! 私の何が解る!



「解るさ君の親友だもの。ずっと、見てきたから。……二人の姿に胸が痛んだのだろう?」



「――それは、さっきの戦いで不覚をとったからよ」



「どうしようもない嘘をつくなよ火澄。人とバケモノ、相容れない結ばれないと知っているから逃げ出したのだろう?」



「苺!」



 ――聞きたくない!


 ――聞きたくない!!



 私は、耳を塞ごうとした。


 しかし胸の中で荒れ狂う感情を前に、思うように動いてくれない。



「君に友好的な人間は、皆、人と結ばれ去っていった。人は人と結ばれるものだからね、円だって例外じゃない。君だって気付いていたのだろう?」



「――黙れ! 黙れ!」



「そして君は、涙を流して悲しんでいる。ね、今君の感じている想いが、恋じゃないとすれば何なんだい?」



「……」



 私は、溢れ出る涙をそのままに、自分の体を抱きしめる。


 何故だか、とても寒かった。



「ね? 火澄」



 苺は震える私を、後ろから優しく抱きしめた。



「……苺」



「なんだい? 親友」



 彼女の温かい体温に、私は素直な気持ちを吐露する。



「私、あの子が。……円が好きだわ」



「うん」



「家族としてじゃないわ」



「うん」



「――こんなバケモノが、好きでいていいのかしら」



「うん」



 苺は私を抱きしめる力を強くした。



「……ありがとう、私の親友」



 未だ涙を流したまま空を見上げた。


 歪んだ月は傾き始めているが、まだ朝は遠かった。



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