第6話 バケモノも帰宅する



 学校から出ると円は幼い頃と同じ様に、私の手を引いて帰路に着く。


 むっつりと黙ったままの私と、安心した顔をして歩く円。



 ――そういえば、久しぶりね。



 いつ以来だろうか、手を繋いで一緒に帰るのは。



 この子が小さな時には、今の様な感じで歩いていたものだ。


 あの頃はまだその姿を見下ろしていたが、今では同じ位置、それよりやや上を見ないと目線が合わない。


 出会った頃には、敵意すら見せていたのに……。



 ――いつの間にか、こんなに年が過ぎていたのね。



 彼と出会った頃が、つい最近に思える。


 バケモノである私は全く変わらないのに、人間は成長するいのが早い。



 ――円も、私を置いて死んでしまうのかしら?



 ――それともあの女と結婚して、私と離れるのが先かしら?



 そう思うと少し、胸が締め付けられる痛みがした。



「……火澄?」



 円が顔を覗きこんでいる。


 気がつけば、私は歩みを止めていた。



「何でもないわ」



 感傷を心の隅に追いやり、私はいつもの様に不機嫌そうな顔をする。



「嘘だ」



「嘘ではないわ」



「ううん、火澄。なんだか悲しい瞳をしている」



 円はその清らかな眼差しで、私の眼を見つめていた。


 幼い頃から、変わらない視線。



 ――そうされると、どうすればいいか、わからなくなるわ。



「…………昔から貴方は、察しが良かったわね」



「オレは、火澄のことなら何でもお見通しだよ」



 円は、ふわっと微笑んだ。


 その表情の前に、私はつい、素直になってしまう。



「円も、私の前から居なくなってしまうのかしら?」



「――オレは、ずっと火澄の側にいるよ」



 間髪いれず言われた答えに、私は胸に暖かなものが、降り積もるのを感じた。



 彼とて解っているはずだ。


 人間とバケモノでは、生きている時間が違う。



 私は長い間生きてきたが、その中で、同じことを言ってきた人間が居なかったことも無い。


 しかし彼らは皆、伴侶を見つけ疎遠になっていったり、バケモノとの争いで死んでいってしまっていた。



 ――だから、そんなことを言われてももう。何も、何も感じないと思っていたのに。



「ふふ、嘘吐きね、円は」



 この気持ちを、何と言うのだろうか?



「あー! 信じてないなー!」



「……いつか、信じさせてくれる?」



 頬を膨らませ憤慨する円に、私は笑みを浮かべた。



「勿論!」



 陰鬱な気分を吹き飛ばした私は、元気よく答える円に意地悪したくなってくる。



「それじゃあ、手始めに、さっきの報酬から貰おうかしら」



「報酬?」



 キョトンと可愛らしく首を傾げる彼に、当然のように鯛を強請る。



「あら、忘れたの? 今日は鯛を食べさせてくれるって、言ったでしょう」



「だめだよ。今日は晩御飯は昨日買った、スーパーの安売りの秋刀魚」



 そんな私に慣れたものか、円はサラリと流す。



 ――この子、昔と比べ逞しくなった?



 ――けど何か一つ、攻めたいわね。



「ただ焼くだけじゃいやよ、何か工夫して」



「……うぅ、火澄は、躊躇無くハードル上げてくるよね」



 困ったように唸る円に、私は挑戦的な表情を向ける。



「無理じゃないでしょう?」



「余り手のかかるものは出来ないよ、夜があるんだから」



 と言いながらも、彼は静かに闘志を燃やす。 



「期待しているわ」



 それを見た私は上機嫌になった心を感じながら、家への歩みを再開した。







「ご馳走様、今日も美味しかったわ」



 私は、円の作る料理に、満足して礼を言った。



 元来バケモノである私は、人の食事を必要としない


 しかし嘗て人だった私は、その時の記憶は無いものの三食時間通りに欲してしまう。



 この地の歪みその象徴としてバケモノになった私は、生前どうだったかわからないが。


 当初、人の食事が食事に見えなかった。



 能力を制御できずに、料理に込められた人の想念と、食材から発せられる、在るがままを無理やり変貌させたという、負の想念。


 それらを料理に見、さらには食感にも反映してしまい。


 以来、人の食事は取らないようにしてきた。



 ――けれど、何故か円の作るものは大丈夫なのよね。



 人の気質でこうも違うものだろうか。


 円が料理を作るようになってから、恐らく生前に食べていであろう、まともな食事に在り付けるようになった。



 ――ありがたい事だわ。



「お粗末さまでした。……火澄は、いつも美味しそうに食べてくれるよね」



「それは、貴方が美味しい料理を作っているからね、誇って良いわ」



「えへへ、それは光栄だね」



 食欲が満たされいい気分で炬燵に転がる私を他所に、円は食べた後の食器を片付け始める。



「そうしてると、貴方も男らしく見えるのにね」



 家での円は学校での姿と違い、付け毛を外して引いていた紅を落とし、男物セーターとジーンズという性別に合った格好をしている。



 ――それだけ、なんだけど。



 日中の女装姿が似合い過ぎているのだろうか、とても男らしく見える。



 尤も、家事をしている今の姿は男らしいと言うより、主夫なのだが。



「仕方ないよ。この家を継ぐ条件が、結婚して女児が産まれるまで女として暮らせ、だろ」



「それに、中性的な顔しているものね。生まれてくる性別と家を間違えたわね」



「間違ってないよ、性別も家も。でなければ火澄に、こうして……、その、さ。出会えていないよ」



 ――え?



 私は、想定外の言葉に彼の方を向く。



 彼は台所に立ち食器を洗いながら、耳を真っ赤にしていた。



「……ふーん」



「な、なんだよふーんって」



「耳、赤くなっているわよ」



「っ!」



 ――あらあら。



 私の頬が自然に緩む。



 彼が小さい頃から面倒見ているからか、私が側にいても素直な少年に育っている事が、嬉しい。



 しかし――。



「私は、どういうふうに、その言葉を受け取ればいいのかしら?」



「ど、どうでもいいだろ、そのまんまだよ! そのまま!」



 うぅと唸る円をニヤニヤしながら見て、私は言う。



「ふふ、じゃあ光栄だわ。姉として母として、受け取っておくわ」



「……………………女として、じゃないのか」



 円は見るからに肩を落として、沈む。



「四百年位早いわ、若造」



 ――きっとこの子も後数年したら、私の元から離れていくのね。



 相手は誰だろうと想像し、思い出す。


 阿久津耀子。



「そうだ――」



「ねぇ――」



 言葉が重なる。



「火澄からでいいよ」



「いえ、円からになさい」



「そう? わかった。それじゃあ、耀子ちゃんの事なんだけど」



 ――丁度よかったわ。



「ええ、私もそれを聞きたかった所よ」



「あ、そうなんだ。それでね……」



 円の語った事は、こういう事だった。



 私が彼と出会う前、この斎宮家の跡取りになる前。


 分家の中でも有力な家の三男だった彼は、生まれる前から婚約者が決まっていたらしい。



 それが阿久津耀子、同じ斎宮分家の娘。


 彼が本家の跡取りになる三歳ごろまでは、親交があったそうだけど、その時を同じくして阿久津の家が没落。


 彼女は外部筋の分家に引き取られたそうだ。



 その阿久津耀子が今回急に、政府から派遣された斎宮家専属監査官として戻ってきたそうだ。


 この話は跡取りである円にも知らされていなかったらしく、彼にしては珍しい事に不快感を露にしていた。



「というより、監査官って何? 私もこの家に関わって長いけど、聞いたことないわね」



「さあ、その役職はをだいぶ昔に廃止されたものらしいから、たぶん飾りだと思うけど……」



「結局、何もわからないのね」



「うん、でも耀子ちゃんは変な事しないよ」



 ――へぇ。



「信頼しているのね」



 私の言葉に棘が混ざる。


 それを感じ取ったか知らずか、円はお茶を入れこっちに戻ってくる。



「信頼というより……うーん」



「というより?」



「願望、かな。久しぶりにあった耀子ちゃんは、綺麗になっていたけれど、なんだかこう、ヘン? だったから」



 円は何だか困ったような顔をして、そう言った。


 その時、ヴィィィンと、くぐもった振動音がした。



「……オレ、じゃないね」



 お茶を載せたお盆を置き、ポケットから携帯電話を取り出した円が言う。



「なら、私のね」



 ――どこにやったかしら。



 私は自分に似つかわしくない、淡い薄紅色の小さな電話を思い出す。


 円に無理やり持たされたソレだが、機械の類が何となく苦手な私は、どこかに放りっぱなしである。



「今朝、鞄の中に入れておいただろう」



 何処においたかと首を傾げる私に、呆れるような溜息を付き彼は指摘した。



「そうだったかしら…………、と、ああ。あったわ」



 指摘された通り、近くに放っておいた通学鞄から見つかった電話を取り出し、着信していたメールという見て私は思わず笑み溢す。



 ――そんなに、死に急ぐのね、耀子。



 あからさまな悪意と、憎しみに満ちた敵意に濡れた文面が心地よい。



「何かいいこと書いてあった?」



「何故?」



「何故って、火澄笑っているよ」



「ふふ、そうかもしれないわね」



 ――飛んで火にいる夏の虫、と言った所ね。



「……精々、利用させてもらうわ」



「火澄?」



「ええ、何でも無いわ。ふふふ」



 いぶかしむ円を他所に、私は頭の中で打算を組み上げメールの返信をするのであった。



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