第4話 バケモノと秘密の理科準備室



「風流センセイ、いるかしら?」



 私は理科準備室に入り、声を上げた。



 部屋の中は太陽が昇っているというのに、薄暗く埃っぽい。


 中央に置かれた大きな机には、授業で使うのであろう書類と、様々な実験器具が無造作に置かれている。



「あら……あなたは?」



 その中でパソコンに向かっていた女性、風流さゆりが振り向く。



 白衣にワイシャツ、タイトスカート。


 おおよそ、物理教師という記号に忠実な服装。



 ややもすれば堅苦しい印象だが、風流さゆり本人のたおやかな雰囲気がそれを打ち消していた。



 ――触れたら折れてしまいそうな女



 同時に、常人ならば眩暈を感じる程の妖しく暗い情念を、彼女が纏っているのを感じる。



「伊神火澄よ。センセイの受け持ちではない為、覚えていないでしょうけど」



「そう、あなたがあの?」



「私のこと、知っているのね」



「あなた、有名人だから」



 風流さゆりは、くすくすと笑う。



 ――センセイ方の間では、どんな噂が流れているの?



 少し気になったものの、私はその疑問を押し込める。



「センセイ? 私、貴女に伝えたい事があるわ」



 熱に浮かされたように、肌を赤く上気させ。


 狂おしい情愛を秘めた瞳を、艶めいた仕草で伏せ。


 恋いに堕ちて溶かされてしまった、清らかな乙女の様な声色を出す。



「え、っと。伊神さん?」



 私の演技に何かを思い至ったのであろう風流さゆりは、若干の動揺を見せながら、期待に満ちた態度で先を促す。



「好きよ、さゆりセンセイ」



「…………嬉しいわ、伊神さん。でも――」



「でも? 私とさゆりは、生徒と教師で?」



「ええ、だから……」



 風流さゆりは、私の耳に秘密の関係でいいなら、と囁いた。



 ――教師が生徒の思いの気持ちに答えるなんて。



「ふふ、いけないセンセイね」



 多くの欲望と少しの情愛に満ちた、彼女の黒く淀みつつある目を、私は力を込めて見つめた。



「ぁ――――ぅ、――――っ」



 予想通り何の抵抗もなく、彼女の意識その主導権を握る。



「私達は恋人、深く深く愛し合っている恋人よ」



「こ……い、びと」



「ええ、だから貴女は私に隠し事をしないで何でも話すわ」



「――何でも、はなす」



「良い子ね、センセイ。センセイは何でも私の言うことを聞くでしょう」



「なんでも、いうことを、きく」



 瞳から意志の光をなくしながらも、こくりこくりと頷く彼女を見て、私は洗脳が利いているのを確信する。



「質問に答えなさい」



 そう風流さゆりに命令して、私は支配を切る。



「――――あ、れ? わたし、何して……」



 我に返った彼女に、私は頬を赤く染めて抱きつく。



「さゆり、私も大好きよ」



「え、ぁ、……ええ、好きよ火澄」



 今、彼女の頭の中では、私が新しい恋人として居座っている。



 これで、新しい犠牲が出ることは無いだろう。



 ――けど、この反応。やっぱり生徒と付き合っていたのは本当らしいわね。



「質問があるわ」



「あら、なにかしら?」



「さゆり、行方不明になっている生徒は、どう処分したの?」



 私は、真直ぐに切り出した。



「…………」



 風流さゆりは、悲しそうに顔を歪めると後ろを向く。



 ――判り易い方ね、ちょっとぐらい、精神抵抗があると思ったけど、……犯罪には不向きな性格だわ。



 向いた先にある硝子窓に、顔が写った。


 泣き黒子を濡らし静かに泣く姿は、たおやかに活けられた花の様。


 その、世界で一番不幸だと謂わんばかりの態度は、私の胸の奥をじりじりと焦がす。



「ね、さゆり、此方を向いて下さらない?」



 私はそっと近づき、横に立つ。



「伊神さん……」



 不安そうに此方を見つめる瞳、その内側に揺らめく、ねっとりとした黒い黒い歪み。


 その歪みは全身へ侵食し、すでにその身をヒトではない何かに変えている。



 ――もう、手遅れみたいね。



「ふふ、大丈夫よ。さゆりがどんな人物であっても、どんな過ちを犯しても、私は貴女を受け入れるわ」



「――――火澄!」



 彼女は、私に抱きついた。



 ――気持ち、悪い。



 風流さゆりはそのまま、私の顔中に口づけをしながら両の腕で愛撫を始める。


 そして白衣を脱ぎ捨て、ブラウスを肌蹴た。



 彼女の地肌が温もりを求めるように、柔らかで白い肌が押しつけられる。


 情欲の籠もった吐息が、私の顔にかかる。


 私を制服の上からまさぐっていた手が、制服を脱がそうと手つきを変わった。



 ――不快極まりない。



 ――円以外から、触られたくないわ。



 私は心の中で嘆息しながら、再び洗脳するために両手で彼女の顔を掴み、目と目を合わせる。


 彼女は糸の切れた人形みたいに、だらりと私から手を下ろす。 



「今夜、十一時半頃、隣の理科室に来なさい」



「……わかったわ」



 風流さゆりにそう命令した私は、自分で衣服を整えた後、洗脳を終える。



「では、今夜。逢瀬楽しみにしていますわ」



 そうして、私は理科準備室から出た。

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