エピソード2 ブラジャーは何処へ行った?



 ――昼前、新校舎の廊下。

 教室のドア越しに静かに響く教師の声、どこか緩んだ静寂の中。

 カツカツ、ペタペタと二つの足音が。

 今日は図書室利用のないこの時間を利用して、ちょっとした雑用を済ましていた。


 新校舎に届く予定の書籍資料が、間違って旧校舎の図書室に送られてしまい。

 各準備室まで小夜子が届けなければならかったからだ。

 ここまでは偶にある只の雑用だ、珍しいのは一点、エリィはそれに同行して手伝っているという事実だった。


(……やっぱり、変です。何時もなら絶対図書室から出て行かないのに、それに)


 一緒にいても何処か上の空、あの常に誘うような蠱惑的な視線も、静かに虚ろである。

 今日だけなら、そんな日もある、で済ましたかもしれないがこの所、毎日なのだ。


 ――嫌。

 このままなんて、嫌。

 何がどう嫌なのか解らないまま、小夜子は言葉を探す。


「……ええと、エリィ。今日のお昼どうします? わたしお弁当作ってきたんですよ」

「んー」

「エリィの好物も、いっぱい入れてきたんです、ね、一緒に食べませんか?」

「んー、……うん」

「…………あぅ」


 取り付く島もありません……、と小夜子は嘆息した。

 この感じ、どことなく既視感を覚える。

 それは何処だったか、と思考を巡らすと、程なく答えがでる。


(もしかして、元に戻って――?)


 ガーン、と小夜子は顔を暗くして、ついで足も止まる。

 今でこそ親密を通り越して蜜のように甘い仲だが、出会った当初は、こんな感じで言葉を交わすのにも一苦労だった。

 何が原因でこうなったかは知らないが、このままでは嫌だ。

 凄く、嫌。

 

 下腹に冷たくドロついた熱を感じながら、小夜子は泣き出しそうな気持ちを堪える様に、拳を握りしめ――。

 

「――――小夜子さんどうしたの? 何か買うの?」

「ふぇっ! は、はいぃ!?」


 突如投げかけられた声に、ビクッっと体を震わせながら返事する。

 わたわたと周囲を見渡せば、そこは旧校舎への渡り廊下にある自販機の前。


「あのっ、ええっと、その……、は、はい。エリィは何を飲みますか? 手伝ってくれたお礼に何か奢りますよ」

「そう? じゃあお言葉に甘えて……何にしようかしら」


 先程とは違い、やや生彩を欠くが普段の雰囲気を取り戻したエリィの姿に、小夜子は戸惑いと安堵と……、少しの怒りを得た。

 この所、いつもこんな感じなのだ。

 小夜子の心配が頂点に達する前に、冷や水を浴びせるように、エリィは正気の光を取り戻す。


「そうねぇ……、やっぱりいつも通り缶コーヒーでいいわ、甘いやつね」

「ええ、わかりました」


 好物を目の前に目をキラめかせるエリィに、小夜子は額に青筋を浮かべながら、コーヒーを手渡す。

 ……手渡す。

 ここに冷静な第三者がいれば、無自覚に何かを吹っ切った小夜子の表情がわかっただろう。

 しかし、世の中そんな事はなかったので、エリィは軽く戸惑いの声を出す。


「小夜子さん? その、握りしめたままじゃ飲めないんだけど……?」

「――エリィ」

「はっ、はい!」


 冷たく堅い、それでいて軽い小夜子の口調に、エリィは上擦った声で答えた。

 エリィからしてみれば、小夜子が何故起こっているか解らなかった。


「しましょう」

「何を、っていうか小夜子さん? 手が痛いんだけど……」


 目が笑わぬまま笑顔で迫り、逃がさぬ様、冷たい缶コーヒーと共にエリィの両手を握りしめる。


「――えっち、しましょう」

「………………………………え、ええぇ! さ、小夜子さん!?」


 直接的な言葉に顔を真っ赤にするエリィは、小夜子の手をふりほどき、自販機の影に隠れた。

 その手には、ちゃっかり缶コーヒーの姿がある辺り、ある意味エリィらしいと、小夜子は溜息と共に顔を崩し近づく。


「冗談ですよ、冗談」

「嘘よ……、目が本気だったわ」

「あら、エリィが隙だらけだからいけないんですよ」

「否定しないの!?」


 さ、小夜子さんが色情魔になった、等とふざけるエリィの顔を掴み、おでこをゴツン。

 あたっ、と目を白黒させるエリィに、小夜子は真剣な顔。


「何か、悩み事があるんじゃないですか」

「それは……」


 言いよどむエリィに、小夜子はゆっくりと顔を放す。


「言えないのなら、いいです。――でも、わたしと一緒の時まで悩まないで下さい、エリィの悩む顔を見るのは、嫌、です……」

「小夜子さん」

「もっと、わたしを見て下さい」


 小夜子の切なげな顔に、エリィの心臓はズキンと痛む。


「ごめ――」

「――駄目です。謝ったら、何も言えなくなっちゃいますから」


 小夜子のたおやかな人差し指に唇を塞がれ、エリィは俯いた。


(この人は、何故こんなにも――)


 それは目映い羨望だったのだろうか、それとも救われた者のそれだったのだろうか。

 エリィの胸に、熱い“何か”が溢れる。

 

「……ありがとう、小夜子さん」

「いいえ、感謝の言葉を言われる様な事じゃないんです。――ええ。これは、わたしのワガママなんですから」

「えと、え? あの……、小夜子、さん?」


 顔を上げ、小夜子に見た“光”に答えようとした瞬間、エリィの目に映ったのは艶然とほほえむ小夜子の姿だった。

 想定していた様子との差に、エリィの頭は着いていかない。

 ――どうして、こうなっているのだろう?


 エリィが戸惑いの姿を晒す一方、小夜子は内に蠢く黒い情動に突き動かされていた。

 彼女はどこか冷静な思考で、エリィを自販機の側面に追いつめる。

 その位置ならば、どの位置からでも死角となり、いざという時でも小銭が奥に、等という言い訳が聞くからだ。


「ねぇ、エリィ。わたし今、ううん、ずっと。そう、ずっと嫉妬しているんです」

「な、何を言って」

「数日前からずっとぼんやりして、わたしと一緒にいるのに、あなたは側にいてくれないッ……」

「――ッ!」


 ギラついた眼光に、低く吐き出された声に、肩に食い込む手の力に。

 エリィは今更ながらに、小夜子を深く傷つけていた事に気付いた。


「前に片桐さんが来てから、ううん、その時じゃない、あの教室に一緒に居てから……」

「あ、あれは――」

「――解ってます。解っているんです。でも感情は別なんですエリィ」


 泣き出しそうに、縋るように、苦しそうに吐き出す小夜子に、エリィは悔やむように唇を噛みしめながら耳を傾けた。


「あの日からずっと、エリィは何か悩んでる、でもッ! でも……、わたし寂しいんです、悔しいんです。大切な貴女が悩んでいるのに、話してもらえない、何もさせてくれない。――何も、できない……」

「小夜子……」

「ねぇ、エリィ。不安……なんです」


 エリィに投げられた言葉は、決して悪意や害意ではなく。

 けれど、怒りと自責の棘に満ちた、悲しい微熱の言葉。

 なのに。


(何で、何で笑っているのよ)


 小夜子は笑っていた。

 熱に浮かされた様に上気した肌で、痛みを抱えた瞳で。

 その凄みとも言うべき迫力に負け、エリィは思わず缶コーヒーを落とす。

 

「あら、駄目じゃないエリィ」


 小夜子は落ちた缶を拾い、飲み口の袖で拭うと蓋を開ける。


「……小夜子さん」


 怖々とエリィが問いかけると、小夜子はにっこり笑って、コーヒーを一口含み。


(何を――――!?)



 ――そして、エリィと小夜子の唇が重なった。



(アタシ、今、キスしてる――!?)


 初めてのキスは、少し甘い珈琲の味がした。


「んッ……んんッ……!」


 驚くエリィの口内に、小夜子の舌が侵入して、無理矢理歯をこじ開ける。

 歯茎を優しく愛撫して、次いで、一方的に舌を絡ませると、小夜子の唾液混じりの珈琲を流し込んだ。


(こんな……、こんな筈じゃ……)


 口では初めての快楽で上気した頬に、一筋の涙が流れ落ちる。

 それは歓喜だったのか、それとも悲しみだったのか、エリィには解らなかった。


「――――っ、ぷはっ!」

「ふふっ、エリィの初めて。また貰っちゃった……」


 唇が離れ、二人の涎と珈琲の入り交じった液体の糸が紡がれて、すぐに消えた。


「小夜子さん……」

「エリィ……」


 愛しい者の名を呼びながら、エリィは小夜子と指を絡ませあう。

 エリィの心は今、激しく揺れていた。

 望むものが手に入った喜びと、望まぬ形で手には入ってしまった後悔。

 冷めて熱くなる心と、勝手に熱を帯びる躯。

 どうしていいか、解らなかった。


「もっと、もっとしましょうエリィ」

「駄目よ……」


 トロけるような誘う言葉に、腰が崩れ落ちないように必死で耐えながら、エリィはそっぽを向く。


「エリィ」

「駄目よこんな所で。……誰かに見られたら」

「大丈夫です、言い訳なんて幾らでもありますから」

「でも……」


 妖しげに迫る小夜子に、力なく反抗するエリィ。

 小夜子は欲望に塗れた瞳で、悪魔の様に囁く。


「――外ではなければ、いいのですね」


 エリィは視線をさ迷わせた後、褐色の肌を耳まで真っ赤にして、小さく頷いた。




 熱に浮かされたまま小夜子に手を引かれ、エリィは旧校舎にある女子更衣室に入る。


(……何か、汚いわね)


 気持ちというのは不思議なもので、雑然とした更衣室の光景だけで、熱情が引いていくのをエリィは感じた。


「初めて入ったけど、更衣室ってこんな汚いの……?」

「汚いって……、この校舎自体が古い分、雑多な感じがしますけど、どこもこんなものでは……」


 露骨に嫌な顔をするエリィに釣られてか、小夜子の様子も少し落ち着く。

 よくよく見れば、菓子の空き箱等の塵屑やら、古びた化粧品やら、脱ぎ散らかした下着などが、そこらかしこに散らばっている。

 念のために電灯は点けていないが、点けた所でエリィが踵を返す事は、想像にかたくない。


「っていうか、ここ使用中よね。誰か帰ってくる前に、他の場所へ――さ、小夜子さん!?」

「いえ、ここが良いです! ここにしましょう!」


 小夜子はエリィの手を引っ張り、入り口から死角となる部屋の隅へと向かう。

 部屋の暗さからだろうか、小夜子の横顔に何か思い詰めた何かを感じ、エリィはそれを拒否できなかった。


「ねぇ、小夜子さ――」

「――駄目、ですか?」


 窓の光が届かぬ部屋の角に着いたとき、小夜子の縋るような眼差しに、エリィは言葉を飲む。


(試されてる――)


 小夜子はエリィの物言わぬ態度を許諾だとして、軽いキスを顔に降らせながら、エリィを脱がしていく。


「わたしだけを見て、……わたしだけを感じてください……」


 その必死そうな姿に、エリィは先程より強ばっていた躯から力を抜いた。

 試されているからとか、そんな理由ではない。

 そもエリィには、愛する者の行為を拒む選択肢を持っていない。

 そしてそれは、諦観混じりであったとしても、確かなエリィの心の輝きであったのだ。


「小夜子さんのその目、アタシ好きよ」


 欲に溺れた天使の劣情、エリィだけが知る姿。

 小夜子の服を優しく暴きながら、エリィは優越感と少しの安心を感じていた。


(きっと、アタシと同じように……)


 不安だったのだ。彼女も。

 女同士という公にできない、先に確かなもののない、不安定で綱渡りな関係。

 あるのはお互いの“気持ち”のみの、それ故に何より純粋な――――。


「……エリィ?」

「ね、小夜子……」


 お互いの上半身が露わになった時、エリィは両の腕を小夜子の頭に回し、そっと自らの胸に誘う。


「どうしたんです、エリィ」


 エリィの薄いが肉感的な胸の心臓部に、小夜子の片耳があてがわれる。

 とくん、とくん、とくん、とくん。規則正しい音が小夜子の精神を落ち着かせた。


「聞かせて、小夜子が思ってる事、考えてる事、感じてる事、その全部を」

「……エリィ」

「……アタシもね、不安だったの」


 その一言で、小夜子の心が氷解した。

 小夜子はそっと瞳を閉じ、エリィの心音に自らの支配を預ける。


「……同じ、だったんですねわたし達」


 エリィの返答は無かった。けれどその代わりに、小夜子を抱きしめる力が、少し強くなる。

 とくんとくん、とくんとくん。

 小夜子は耳で、エリィは重なったカラダから伝わる微かな振動で、お互いの心を確かめ合う。

 ――しばし、無言。

 それから、エリィが口を開いた。


「小夜子は無意識だったかもしれないけれど、たった一つ、受け入れてくれない事があったわ。――それは“さっき”叶ってしまったけれど、アタシは小夜子がこの関係を後悔してるのかもって、不安だった」


 エリィの告白を小夜子は黙って聞いていた。

 それに対する返答や謝罪は、今は必要無い様に思えたからだ。

 小夜子はゆっくりと瞳を開き、心を吐露する。


「……わたしは大人だから。そして貴女は子供で、綺麗で、汚しているんじゃないかって、未来を閉ざしているんじゃないかって、不安でした。挙げ句、片桐さんにまで嫉妬して、羨んで。わたしは駄目駄目です、エリィの恋人失格です」


 エリィは、小夜子の言葉に涙した。

 最初から、こうすれば良かったのだ。

 変な願掛けなんてしないで、話し合えばよかったのだ。


(なら、何の為にアタシは弓美に――)


 この事だけは、知られたくない。

 最も汚い部分は、まだ、見せられない。


「……エリィ?」


 頬に落ちる自分のではない雫に、小夜子は疑問の声を上げた。

 エリィはそれに答えず、震える声で、小夜子への気持ちだけを語る。

 一筋の願いに、気が付いて、と。


「アタシ、死んでもいいわ。小夜子が望むなら、何をされたっていい。例えどんな汚い部分を見せられても、アタシは決して逃げたりしないから、ね。これからは全てを聞かせて、アタシに見せて――」

「エリィ……!」


 全てを受け入れると言の葉を紡いだエリィの姿に、小夜子は母なる“何か”を見た。

 そして縋るように、ぎゅっと抱きしめる力を強くすると、少し震えながら、小さな嗚咽を漏らした。

 エリィはそんな小夜子の頭を、優しく撫でていた。

 この世に存在するのは、ただ二人。

 ――そんな錯覚すら覚え始めた時。


「いやー、今日の体育も疲れたね――」


 ドタバタと多数の足音と共に、部屋の明かりが点けられた。


(誰か来た――――!!)


 エリィと小夜子は真っ青になりながら、顔を見合わせた。




 ――大げさに言うならば、それは奇跡であった。


 更衣室に誰かが入ってきた途端、二人は一秒も掛からず周囲に散らばった服を拾い集め。

 更に一秒掛からず、音を立てず付近の空ロッカーを捜し当てて、音も立てずに躯を滑り込ませる。

 かくして二人の秘密の暴露は、未然に防がれた。


(危なかった……。けれど、いくらエリィが小さいとはいえ、二人で入るのはちょっとキツです……)


 狭いロッカーの中に、押し殺した二人の吐息と、密着する素肌。

 小夜子は、エリィの心臓が早鐘を打っているのに気付いた。

 暗がりの中、エリィの顔をよくよく確認してみると、青ざめながらも安堵している様子が見とれた。


(ああ、なんでエリィはそんなに――)


 後に続く言葉を、小夜子は飲み込む。

 それはただ、可愛い、や。守らなければ、等という真っ当なモノでは無かったからだ。

 むしろ――


「…………悪戯、したい?」


 消え入りそうな声で吐かれた言の葉には、小夜子が普段押し殺し、目を反らしている“性”とも言うべき“何か”があった。


 小夜子の腕の中で、安心しきって嵐が過ぎ去るのを待つエリィ。

 ――例えば。

 この扉をいきなり開いたら、この愛おしいヒトはどんな顔をするだろうか?

 大声を上げて人を呼べば、どんな行動を取るだろうか?

 怒り、悲しみ。

 それとも、それとも――?。



 ――――あなたを、汚したい。



 悪徳に濡れた吐息と共に出された声は、しかしてエリィにすら届かず宙へ消える。


(全部受け入れるって、そんなの。エリィが悪いんですから――)


 天使と徒名される小夜子は、事実、性根も天使であった。

 本人も天使とまでは行かずとも、清廉潔白に生きてきた自覚があった――エリィに出逢うまでは。


 何故、こんなにもこの少女に惹かれるのだろうか。


 この濃い褐色ですべすべとした肌に、だろうか。


 それとも、のぞき込む者全てを吸い込む様な、真っ青な瞳に、だろうか。


 或いは、桜色をした可愛らしい唇に、だろうか。


(――違うわ)


 小夜子を狂わせるのは、破滅の裾が見えても欲してしまうのは。


(エリィ、あなたが全てを受け入れると言った様に。わたしは、あなたの心の全てが見たい)


 例えそれが、嫉妬や憎悪、絶望だったとしても。


 恋に狂うとは間違っている。

 狂ってしまったから、恋なのだ。


 何処かの誰かが言ったそんな言葉を思いだし、小夜子は静かに“狂い”を受け入れた。


 小夜子が精神を深化させていくと同時に、多数の衣擦れの音と共にざわめく更衣室。

 近くの声にビクつきながら、エリィは小夜子の手が、自身の躯をなぞるように移動しているのを感じ取っていた。


(――――あれ?)


 最初はただ、楽な位置を探しているのかと、気にも留めずにいた。

 しかし――。


(気のせい、よね)


 その手が、エリィの小振りながら肉付きのよい尻にきた時、違和感を覚える。


(……気のせい、……よね?)


 最初はさわさわと、次にやわやわと、そのタッチを変え蠢く小夜子の手に、エリィは脳裏に浮かんだ疑問を打ち消す。


(……ぁん、んんっ。いや、……まさかね)


 だがそれが、むにむに、といった動きに変わった途端、確信に変わった。


(な、何してるのよ小夜子さん!?)


 エリィは慌てて顔を上げ、小夜子の顔を確認する。

 いったい、何をしているのだ。


「(こんな時に、何考えてるの!?)」

「(こういうのも、スリルがあっていいでしょうエリィ)」

「(~~~~っ!!)」


 危険な欲望に酔う小夜子に、エリィはその手の甲を抓るも効果は無く、逆に気分を燃え上がらせてしまう始末。

 最早、愛撫と言っても過言ではない小夜子の手付きに、エリィは激しく困惑し危機感を覚える。


(早く何とかしないと――あぁん、んぁっ……っくぅ。指、そんな所まで――!)


 形のいい臀部に飽きたらず、その前面や、上に手を伸ばし始めた小夜子に、エリィは音を立てないように身を捩る。


「(どうしたの小夜子さん! いい加減にしてっ!)」

「(ふふっ、だってエリィ。なんでも受け入れるっていったじゃない。――なら、わたしと一緒に破滅のスリルを味わいましょう)」

「(時と場合ってものがあるでしょ!)」


「んー? ねぇ弓美、何か言った?」

「や、何も言ってないけど、どしたのん?」

「いや、何か切羽詰まった声が聞こえた様な……?」

「……アンタ、お腹減りすぎて幻聴まで聞こえてきた?」

「あー、ひっどーい!」


(~~~~っ!!)


 ロッカー前にいる誰かの声に、二人の攻防がピタッと止まる。

 エリィと小夜子は二人して、青い顔を見合わせながらお互いの口を塞ぐ。

 瞬き一つせず静止する一時の間、エリィは脳の冷静な部分で思考した。


(破滅、……破滅ね。そう、それが小夜子さんの心の反対側って事なのかしら。となると、普段の真面目さはその裏返しかしら。……いえ、今はそんな事を考えている場合じゃなくて……)


「あれ? あれれ? ねぇ、アタシのブラ知んなーい?」

「弓美がその手に持ってるのがそうじゃないの? 今日、黒いブラしてなかった……って何? まさかノーブラで体育してたの?」

「いやー、ウチのあの子が綺麗好きじゃん?」

「ああ、成績優秀だけど、何時も図書室にいるとか言う“あの”」

「そう、その“あの”よ。あの子、潔癖っぽい所がある癖にスキンシップ好きだからさー、予備の下着持ってきてた訳よ」

「はぁー、豆だねぇ」

「そ、れ、に、やっぱ汗くさくない方が男受けいいじゃん」

「……豆だねぇ、本当に」


(だらだら話してないで、とっとと着替えなさいよっ!)


 エリィはロッカー前で話す二人組に苛立ちながら、小夜子に対する乱暴な“手”を思いつく。

 後は、実行するのみ。

 痛くなければ覚えませぬとやらは、何処で呼んだ言葉だったか。

 にっこりと笑顔を小夜子に向けて、威嚇する。

 小夜子はそんなエリィの様子に、正気に返りつつあったのか、顔をひきつらせた。


「ま、このアタシの男受け講座は兎も角」

「話始めたのそっちじゃーん」

「いやね、何かサイズが違うなーって」

「タグは? サイズ違いの同じのとか?」

「や。アタシ、タグ切り取り派だから……」

「そのブラもタグ取ってあるなら、弓美のじゃないの?」

「その筈なんだけどねぇ……なんか、一回り小さくなってるような。おっかしいなぁ、……おかしいなぁ」

「弓美、あんたまた育ったのか! この胸は、またそだったんか!」

「やん! 揉むな! 揉むなって!」


 バタバタと騒ぎながら遠ざかる音を聞き届けると、エリィは殊更に微笑みながら、小夜子の口に指を突っ込む。


「(アタシからも一つ、“スリル”をあげる、これに耐えられたら、今回は許してあげるわ)」


 エリィはそう言うと、何かを必死に訴えようとする小夜子を無視して、大口を開ける。



「(~~~~~~~~~~っ!!)」



 瞬間、エリィは小夜子のその豊満な胸に噛みついた。

 小夜子はエリィの歯を強く噛みながらも、なんとか声を出さずに済ませる。

 幸か不幸かその数秒後、更衣室の電気が消され、暗闇と静寂が訪れた。


「……っぷは。もう全員行った様ね」

「ううぅ、そうみたいですね」


 エリィと小夜子は恐る恐るロッカーの外にでる。

 どうやら危機は去った様だと、エリィは嘆息した。


「――正座」

「はい?」

「正座、しなさい。小夜子さん」

「…………はい」


 形の良い眉をつり上げて、エリィは小夜子に言いつける。

 小夜子はしゅんとなりながら、素直に正座した。

 エリィの見立てだと、激しい自己嫌悪に陥ってる様だ。


「で、何かいう事は?」

「え、えーっと。エリィったら激しいんですから」


 小夜子は手で乳房を持ち上げ、噛み痕を見せながら小首を傾げる。

 しかし、その顔はひきつった笑みだ。


「小夜子さん」


 エリィは冷たい声を出し、人差し指を立てる。

 仏の顔も三度まで、後二回まで軽口を許してもらえるが。

 やたらと笑顔なのが、小夜子にはとても恐ろしく感じて、そんな気にはなれない。


「……ごめんなさ――くちゅん」

「ああ、もう。話は着替え終わってからよ。さ、とっとと着替えましょう」


 小夜子の可愛らしいくしゃみに、エリィは問題を少し先延ばしにした。

 冷静に考えても、今は服を着る事が先決だ。


 曇り硝子からの薄明かりを頼りに、手早く服を着込むと、エリィは小夜子がまだブラすらキチンと付けていない事に気付いた。


「どうしたの小夜子さん、風邪引くわよ?」

「…………」


 小夜子はそれに答えず、数度ブラの着脱を繰り返すと、今日一番青ざめた顔でエリィに言った。


「このブラ、わたしのじゃないです……」


 エリィは思わず天を仰ぐ。

 一難去ってまた一難、という事だった。




 昼休みの図書準備室は、お通夜ムードだった。

 この学校での図書準備室は、司書のみが使用する小さな職員室のようなモノで。

 現在、唯一の司書である小夜子の公私混同によって、エリィと小夜子の独占スペースと化していた。


「エリィ……どうしましょう。わたし、もう駄目ですぅ……ご飯だって喉を通りません……」

「え、何、小夜子さんボケてるの? 本気なの?」


 昼前から続いて青い顔をする小夜子は、どよんとした空気を出しながら、手作りの弁当二人分を食べ尽くす勢いで口に運んでいた。

 それは言葉とは真逆な行動に、エリィとしては、さもありなん、と思うほか無い。

 何せ――。


「――まさか、ブラを取り違えるなんてね」

「もきゅもきゅ、ゴクン。……うううぅ。もうわたし達、いえ、わたしは終わりです……、これからは女子更衣室を覗いていた変態として新聞の一面を飾り、職を失った挙げ句、一生後ろ指をさされて暮らしていくんです……、もう生きていけません」


 食べる手を止めず、そう悲壮気に涙する小夜子を前に、エリィは深く嘆息した。

 これくらいネガティブな想像がポンポン出るのなら、きっと立ち直りも早いだろう。

 もし彼女が本当に絶望しているならば、こんな呑気に昼食をとっていたりしないからだ。


「それで、何処まで本気で言ってるの? 小夜子さん」

「あうぅ。……何処までって、エリィと一緒に北の大地に逃げる所まで本気ですよぅ」

「そこまで言ってなかったでしょ。……そうじゃなくて“もう終わり”って所よ」


 そう、大切なのは“もう終わり”という点だ。


「……エリィ?」


 危機的な状況であるというのに、落ち着き払ったエリィの冷静な態度に、小夜子は平静を取り戻す。


「よく考えましょ、本当に“もう終わり”なのかって」

「そう言うって事は、もしかして――」


 縋る様な小夜子の視線に、エリィは無い胸を張って答えた。

 実の所、先程からずっと考えていたのだ。

 それ故に、ある一点だけ確認できれば、ほぼ問題ないと断言できよう。


「アタシの推理……いいえ、推測によると、何も起きない筈よ」

「そんな真逆!? だって、ブラが違うんですよ! という事は、わたしのブラを間違って着ていった人がいる筈――」

「――そう、そこよ。そこの所こそが、ある意味、不幸中の幸いだったって事よ」

「え? え?」


 どういう事です? と小夜子は疑問符を浮かべる。

 エリィは三本指を立てて、己の考えを述べた。


「先ず一つ、ブラの色と柄よ」

「ブラの色? 黒のスケスケレースだったけど……それがどう関係するの」

「ねぇ小夜子さん、もっと冷静になって思い出して。あの時、確かにアタシ達は急いでいたわ。更に、更衣室は暗かった。けど、別にお互いの顔すら見えないほど暗かったわけでは無いでしょう」

「……ええ、確かに」

「少なくとも、色や柄を見間違える程じゃあ無かったわ」

「そしてもう一つ思い出して、間違ったブラは、小夜子さんのモノとほぼ一緒だったでしょ」


 エリィの言葉に、小夜子はガサゴソと自身の衣服の中をまさぐると、器用にも上を脱がずに黒いレースのアダルティックなブラを取り出して、机の上に置いた。


「そうです……。最初は確かに間違いなく自分のだと信じ切って手に取ったんです。……でも着てみるとちょっと大きくて、よくよく見るとこのブラ、わたしのと少し違う柄です。ほらここ、今日着てきたのは蝶の羽のタイプなのに、これは蝶の羽風になってる奴です」

「小夜子さんより大き……じゃない。ごほんごほん。…………そう、違うのならいいけど、何が違うの? それ」

「何言ってるんですか! 今日のはエリィが好きって言ってたから買ったモノなんですよ、酷いです! 後、胸の大きさに反応しないでくださいエリィの浮気者……!」

「う、ぐ。ご、ごめんなさい……っていうか、好きって言ったのは一回だけで、小夜子さんが勝手にバリエーション増やしているんじゃない」

「エリィがそういうのばっかり買うからじゃないですか……、おそろのを着たいです」

「あ、うん。ありがと。アタシもよ…………じゃない!」


 エリィは、こほん、と咳払いをして続ける。


「兎も角、よく見ないと気付く事が出来ずに、着ないと解らなかったって事は、相手も同じって事よ」

「……でもそれじ ゃあ、“何も起きない”って事にはならないですよエリィ?」

「まぁ、そうね。だから――二つ目」


 三本立てていた指を一つ折りたたみ、エリィは二本にして語る。


「タグよ」

「ブラのタグがどうかしたんですか?」

「小夜子さんって、ブラのタグを取ってるじゃない」

「はい、やっぱり気になっちゃって……」

「それなのよ。幸運な事に取り違えた相手も、恐らくタグを取ったモノを使用していた。だからそれを加味して、判別できなかったと推測できるわ」

「な、なるほど……」


 納得しかけている小夜子に、畳み掛けるようにエリィは人差し指を突きつける。


「そしてこれが最大の理由」

「それは……?」

「単純な事よ、そして最もわかりやすい理由。――思い返してみて、あの時、ブラが無くなった等と言った騒ぎが起こって、全てのロッカーを探すというような出来事があった?」

「!? それじゃあ!」

「ええ、十中八九この事は露見しない筈よ。まぁ、ちょっとした怪談とかにはなるかもしれないけれど――ぐぇっ!」

「――ありがとう! エリィ~~~~!」

「さ、小夜子さん、く、くるちぃ……」


 得意げに語っていたエリィに、勢いよく席を立った小夜子が、これまた勢いよく力一杯抱きつく。

 感謝の念は伝わってくるが、小柄で非力なエリィとしてはとても苦しい。


「エリィ~~! エ~リ~ィ~!」

「おおきいおっぱ……きもち、じゃ、なくて……ぎ、ぎぶ、ぎぶだって、小夜子さ……」


 天国と地獄を前に、意識が昇天しようとするエリィ。


「……おっぱいはせいぎ――ガクッ」

「――――はぅあっ!! ごめんなさいエリィ!」


 包容を緩めた小夜子の腕の中で、エリィはノーブラの感触を堪能しながら崩れ落ちる。


「これはもう、小夜子さんのお乳を飲まなければ痛みは消えな――――」


「――――助けてエリィ!」


「はぅ!?」「ひゃん!?」


 突如現れた第三者の声に、二人は飛ぶように離れた。

 その第三者、弓美は抱き合っていた二人の姿など目に入っていないかのように、真っ直ぐエリィだけを見つめて歩いてくる。


「ゆ、弓美? あの、これはその、訳が……」

「そうです、これには深い理由が……」


「エリィ……」


「ごめんなさ――――え?」

「へ?」

「うわーん。エリィぃ~~~~~~~~~~~」

「えええええ!?」「そこはわたしの――!?」


 能面の様に冷く堅い表情をしていた弓美は、ふにゅっと相貌を崩し、泣きながらエリィに抱きついたのだった。



 くすんくすんと泣く弓美が落ち着いた後、エリィはその頭を優しく撫でながら理由を聞き出す。

 小夜子はその光景を横で、少し不機嫌そうに見ていた。


「それで、何があったの?」

「うん……」


 ぽつりぽつりと弓美は語りだす。


「さっきの時間、体育だったの」

「――っ! そ、そうなの」


 その一言だけで、嫌な予感がエリィの脳裏に走った。

 もしかしたらあの更衣室に、弓美も居たのかもしれない。

 小夜子もその考えに至ったのか、強ばった顔でエリィと目を合わせる。


「着替える前は、何もなかったの……」

「じゃあ、授業中に?」

「ううん。その後、終わった後に着替えるじゃない。そんでさ、アタシ汗っかきだしさ、胸も大きいじゃない。だから運動用のスポブラを着てたのよ」

「……体育の時だけスポブラするって、前に言ってたわねアンタ」


 どこかで聞いた話だ。

 エリィはひきつった笑みを浮かべていません様に、と祈りながら耳を傾ける。

 ちらりと小夜子を見れば、彼女も心当たりがあったのか、青い顔で冷や汗をだらだら流している。


「……今日のブラは、この前、エリィと一緒に買った同じ黒色のやつだったのよ、あのレースの大人っぽいエッチなやつ」

「……そう、なの」

「へぇ。エリィと片桐さんは一緒のブラしているんですか、仲がいいのですね」


 青い顔をしながら器用にも悋気を出す小夜子に、エリィは必死に目配せして宥め、弓美の言葉を待つ。


「ブラがね、小さかったの。着替える前は確かにぴったりだったのに、小さかったの」

「…………弓美、また胸が大きくなった?」

「違うわっ! よく見たら柄も少し違ったし――――これは幽霊の仕業よっ!!」

「どうしてその結論に行ったの!?」

「ふえーん、あの更衣室に幽霊が出るなんてアタシ、聞いてないーーッ! もうアタシ体育出ないーー!!」


 再び泣き出し、エリィのお腹に顔を埋める弓美。

 彼女から吐き出された答えに、エリィは頭を抱えた。


(そういえばこの子。お化け苦手だったっけ……)


 昔はその手の怪談話などで泣き出す度に、そんなものはありえないと、尤もらしい推理をでっち上げて納得させたものだ。


(最近はそんな事なかったから、すっかり忘れてたわ……)


 だがしかし、今はそんな事を思い出している場合では無い。

 直に見て確かめた訳ではないが、小夜子が取り違えたブラは弓美のモノとみて間違い無いだろう。

 更に言えば、弓美がこうなっているのはエリィ達二人の――もっといえばエリィの所為に違いない。

 ここは、責任を持ってなんとかするべきだろう。

 エリィは堅い決意を秘めて、告げる。


「心配しないで弓美、アタシが証明してあげる。――幽霊なんていないって!」

「……エリィ!」


 ぱぁ、と花開くように笑顔を見せる弓美に、アルカイックスマイルを浮かべるエリィ。

 青い顔を慌てふためかせ、必死にアイコンタクトで制止を訴える小夜子にも、親指を立てて大船に乗ったつもりでまかせて、と伝える。


(とはいったものの、……どうしたらいいのよ、マジで)


 弓美に疑いを抱かせずに幽霊疑惑を解消し、出来ることなら気付かせもせずに、二つのブラを元の持ち主に戻す。

 エリィは導き出した難題に、眩暈を覚えた。




 弓美が落ち着いたのを見計らって、エリィは口を開いた、


「先ずは確認ね。その小さくなったブラは今何処に?」

「……くすん。今も着けてる。ちょっと小さいけど入らないわけじゃないし」

「成る程、――小夜子さん。確か備え付けの救急箱があったわよね。ちょっと持ってきてくれない?」

「わかりました。ちょっと待ってくださいね、――何処にあったかしら?」

「……エリィ?」


 普段の自分ならそうする筈だと、努めて平静な顔をしながらエリィは二人に言った。

 同時に、小夜子には図書準備室備え付けの救急箱を持ってこさせる。

 無論、アイコンタクトを交わして、時間を稼ぐように伝えるのも忘れない。


(何をどうするにしても、今は少しでも考える時間が欲しいわ……)


 救急箱の中身が以前と変わっていなければ、弓美から小夜子のブラをひとまず取り戻せる。

 だが問題はその後だ。

 事態を穏便に済ますにはどうしたらいいのだろうか?

 内面で目まぐるしく思考を回転させながら、エリィは弓美から情報を引き出す。

 彼女の行動から“穴”を引き出すのだ。


「じゃあ。ブラが無くなる前のから順を追って、思い返してみましょう」

「えーっと……。朝起きた時は確かに自分のブラを着けた。んで、体育の時はスポブラに着替えて、着替える時に変だって気づいたのよ!!」

「気づいた時に、何か、調べたりした?」


 興奮気味の弓美を、どうどうと宥めながら、エリィが先を促す。


「その時は気のせいだって思ったし、けどその後トイレで確かめてみたら、確かに小さくなっていたのよ!

 他の子のと間違えたんじゃないかって思ったけど、そもそもウチのクラスは、アタシが一番胸大きくて、その次の子でも十五は大きさ違うもの。

 それだけ違えば、いくら同じ柄でも着ける前に気づくし。

 念のために保健室でメジャー借りて、バストサイズ計って確かめたけど、変わってなかったし。うう……こんな短時間でブラのサイズが小さくなるなんて、絶対幽霊の仕業だよぅ……。」

「……幽霊の仕業は置いておいて、更衣室は? その後確かめて見なかったの?」

「うん、それは一応確かめた。怖かったけど隅々まで探したよ。でも、何も出てこなかった」

「そう……成る程」


 あの時、更衣室を出るのが少しでも遅れていたら、弓美とはち合わせる可能性があった。

 その事実に安堵と冷や汗を感じながら、エリィは考えていた“手”の一つが潰れたことを確信した。


(更衣室を調べていないって言うなら、簡単に誤魔化せたかもしれないけど、そう簡単にはいかないわね……)


「ふぅん……」

「ね、エリィ。何か解った?」

「……ん。ちょっと待って、一度情報を整理しましょう」


 ややゆっくりと言葉を紡ぎながら、エリィは脳内で素早く方針を打ち立てた。


 まず一つ、弓美を怖がらせない為にも、これは人為的なモノにする事。


 次に、周囲に波風立てず禍根を残さないように。

 事故、或いは過失による事件であったにする事。


 そして上の条件を鑑みて、一緒に体育を受けていたクラスメイトの犯行ではなく、最悪、弓美自身の過失であると証明する事。


 また、エリィと小夜子が疑われない様に、第一発見者となってはならない。

 一緒に探した途端、発見しました。というのは如何にも怪しすぎる。


(――いやいやいや! 無理でしょこれ! どうしろっていうのよ!)


 己の導いた条件に、内心で悲鳴を上げながらエリィはまず一つ、情報を確定させる。


「ま、先ず。これは確定しておきましょう。――これは、人の手による犯行、或いは過失よ」

「人の手による?」

「ええ、アタシは目に見えない幽霊とかオカルトは信じない。全ての物事には物理的な理由があるのよ」

「おー! 流っ石ーエリィ! 頼もしい限り! ……冷静に考えればそうよね、こんな昼間から、幽霊なんて出ないもんね」

「……でしょう」


(出来れば幽霊の所為にしたかったわ……)


 果たして、人の手に寄るものと断定してよかったのか。

 自分の首を絞めているような、底なしの泥沼に裸足で乗り込んでいくような不安と苦しみを、エリィはドヤ顔を弓美に向ける事で押し隠した。


「あ! ありましたよ救急箱!」

「そういえば、何に使うの? それ」

「……まぁ、念のためって奴よ」


 追いつめられつつあるエリィの精神を助けるような小夜子の発言に、エリィはホッとしながら立ち上がって救急箱を受け取る。


「言った通り持ってきましたけど、誰も怪我なんてしてませんよ?」

「怪我人なんて居なくても、救急箱には使い道があるわ。この場合は……これとこれね」


 エリィは救急箱を机の上の真ん中に置くと、二人に解りやすいように“包帯”と“絆創膏”を取り出した。


「……えと、エリィ? アンタ真逆――」

「それで何をするんです? エリィ」


 何かを察した弓美と、察せ無かった小夜子に、エリィは無い胸を張って言った。


「さ、弓美。制服を脱いで件のブラジャーを渡しなさい!」


 不謹慎にもやや、否、少し、否。ちょっとは興奮しながらエリィは要求した。

 これはブラをひとまず取り返す為に要求しているだけで、そこに何の邪念もない。

 目を煌めかせるエリィに、小夜子はジト目を送るが、エリィは卑怯にも気が付かない“ふり”をする。


「……いやまぁ。何か考えがあってエリィがブラを欲しがってるのは解るけどさ……。やっぱこれはなくない?」

「別にいいじゃない。ちょっと落ち目のアイドルみたいな格好するだけよ。男に見せる訳でもないし平気でしょ?」

「この現代日本の何処に、絆創膏と包帯の即席ブラを喜ぶ女の子がいるっつーのよ……」

「あら。包帯だけの、男の子が涎垂らして群がるような“キワドイ”のがよかっ――」

「――エリィ?」

「あいたぁっ! 痛いっ! じょ、冗談よ小夜子さんんんんん!」

「あー! もうっ! 本ッ当ーーに! 貴女って人は!!」

「えーっと。うん。程々にね司書さん」


 女の子にあるまじき、下卑た目をするエリィに、正義の鉄槌が下った。

 こめかみをぐりぐりと、小夜子が下した。

 うぎゃー、と大げさに叫ぶエリィを横目に、弓美はため息一つ仕方がないと着替え始める。

 そしてその瞬間を、エリィは見逃さなかった。


(さて、我が幼なじみ殿はどの位成長してるかしら?)


「……恥ずかしいから、そんなにじっと見るなおバカエリィ」

「はしたないですよエリィ、同性とはいえ女の子の着替えをそんなに熱い目でみるのは」

「さ、小夜子さん!? ちょっと力が強いんじゃないぃ!!」


 額に青筋を浮かばせながら、エリィに目隠しする小夜子。

 そして、再び上がるエリィの悲鳴。

 弓美は二人のじゃれる姿に呆れながら、止めていた手を動かす。

 目を塞がれているエリィの耳に、しゅるしゅるという微かな絹音が入る。

 そう、今まさに巨乳の美少女が制服を脱いでいるのだ。


(なんていう不覚、おの大きい乳を生で見れな……。いえ、これは浮気とかじゃなくて、あくまで幼なじみとして成長をね……)


 心の中で悔しがるエリィは、同時に小夜子への言い訳を始める。

 恋人の邪念を感じ取った小夜子は、彼女の目を塞ぎながら、器用にもこめかみのみを圧迫した。


「あたたたた! 手加減! もうちょっと手加減しなさいったら」

「駄目です、力を弱めたら罰にならないでしょう?」

「何というガッテム!」


 小夜子と半ば本気の遣り取りをしながらも、エリィ宇の耳は決して、着替えの音を聞き逃さない。

 しゅるしゅるという音の後、「んっ……」という吐息と共に、プチっという軽い音。


(――今、ブラを外したに違いないわ)


 小夜子の手の下で、エリィの目が鋭く輝く。

 きっと、そのふにゅんとした感触の乳房に、魅惑のサクランボに張り付けているに違いない――。


 エリィがその姿を想像した直後、邪な耳は状況の変化に気づく。

 あんっ、……くっ。んんっ……はぁ……ん。等の艶めいた吐息。

 スルスルという音と共に、机に柔らかい何かが転がる音。

 恐らく、その豊満な胸に包帯を巻いているのだろう。


「――うしっ、出来た!」

「終わった?」

「ちょっとエリィ!」


 弓美の宣言が出るや否や、エリィは僅かな希望を抱いて、小夜子の手を退かす。

 そして、――エリィの願いは叶えられた。


(……これ、は――!)


 目を開いた先には、フェティズムを感じさせる光景が広がっていた。

 制服の上を手に取り、今まさに着ようとしている弓美。

 ギャルの様な外見とは裏腹に、鉄壁のプリーツスカートの上に広がる健康的な白い肌色。

 羨ましいくらいに括れた腰に、引き締まったお腹。

 そして不器用に巻かれた胸の包帯は、上乳のみならず、下乳も大胆に覗かせ。

 更には、所々に大きな隙間があり、いやらしく包帯が乳肉に食い込んでいる様子が伺える。


(大事な部分だけがきっちりガードされて、でも少し形が解るのが解るのがいやらしいわね……、はっ! これが学内一モテる女の技――!?)



「また、随分とそそる格好じゃない」

「また、随分とそそる格好をしているのですね」



(――ん? ……んんッ!?)



 思わず漏れた言葉に重なる未知なる声、エリィは首を傾げた後、慌てて声の方向、図書準備室の扉へ顔を向ける。


「――え、と。……誰?」


 そこには、エリィ達以外の第三者。

 涼しげな相貌と、一見しただけでも解る妖しい色気を持つ。

 おかっぱ頭の女生徒の姿があった。





 それは、女として油断なら無い人物だった。

 精緻な白磁人形の様に美しく、声は冷たく。

 それで居て端々に肉の柔らかさを主張する“動き”を持つ少女。


「なんだ樹里亜っちじゃん、脅かさないでよもう」

「一応教員専用の部屋なんですから、ノックくらいしてください上井さん……」

「あら、ごめんなさい。なんだか楽しそうな声が聞こえていたから、つい」


 彼女――上井樹里亜は、胸を強調するように軽く腕を組み、エリィへ、次いで弓美に意味深な流し目を送る。


「悪いけれど、話は聞かせて貰ったわ。ええ本当に――そそります」


 彼女は弓美に近づくとすぐ、右足を股の間に差し入れ、制服を持ったままの手を掴み拘束して、耳元に息を吹きかける。


「樹里――、ひゃうぅん! ンンッぁ! やぁん!!」


 弓美が制止する前に、次いで空いている手でサラシの上から弓美の巨乳をむにゅんと一揉み。

 何という、鮮やかな手並みだろうか。

 そしてそのまま手を下に滑らせ、豊乳の頭頂部から半球のラインをなぞりお腹の下まで淫靡に撫でさすった。


「そんな羨ま――!」

「な、何やっているんですか!」


 エリィが迂闊な言葉を吐き終える前に、顔を真っ赤にしながら小夜子が注意の言葉を投げる。

 しかし樹里亜は意に介する事無く済ました顔で、今度は小夜子に向かって手をわきわきさせた。

 

(え、何なのコイツ……)


 現れた途端、やりたい放題する樹里亜着いていけず、エリィはポカンと口を開けて眺めるばかりである。


「何って、挨拶です天束司書。……よろしければ貴女も――あだっ!」

「――成・敗! だからその、出会い頭に誰彼構わず迫るのは挨拶とは言わない」

「ふふ大丈夫、人はえらんで」

「……なお悪いわ」


 まったくこの女は、と弓美はもう一度ゴツンと脳天に拳骨、対して樹里亜は痛いですと頭を押さえて踞った。


(弓美のゲンコは痛いのよ……、じゃ、なくて! こんな目立つ変人、この学校に居たかしら?)


 エリィは樹里亜の残念美人ぷりに、警戒心を無くして、大いに呆れながら問いかけた。


「……んで、アンタ何しに来たわけ?」


 その問いかけに顔を上げながら、樹里亜は少し言い淀む。

 エリィは直ぐに、自己紹介をしていなかった事を思い出して、短く名を告げる。


「エリィ、そう呼んで」

「――ではエリィさんと。貴女の噂は弓美さんからかねがね」

「…………あっそ」

「……冷たい言葉、つれない人ね」

「……………………はぁぁぁぁ」


(本当に、何なのこの馬鹿!)


 エリィは黙って目を閉じ、困惑三割呆れ七割の深いため息を出した。

 声をかけられ顔を上げるのは普通の反応だ。

 だがしかし、そのまま四つん這いになり、おもむろに這い出して進み。

 椅子に座るエリィの下着をはぁはぁと荒い息を漏らしながら堂々と正面から覗くのは、女として、人としてどうなのだろうか?


「――弓美、説明」


 エリィは眉間を押さえながら、弓美に助けを求める。

 この手に負えない変態は、なんなのだろう。


「何を――ってアンタまた! せいば――?」


 着替えを終えた弓美は事態に気づき、ぷりぷり怒って樹里亜に近づき足を振り上げる。

 でもエリィはそれを直前で制止して、自分の足で踏みつけた。

 どうしようもない変態である事は理解したが、一応は初対面の人間である。

 制裁はせめて自分の手で、上履きを脱いでるのがせめてもの情け。


「いい加減に、やめろっ!」

「はうぁあ! ……褐色ロリにサイハイソックスで踏まれる、非常に気分が高ぶるわ」

「だ・れ・が! 褐色ロリよ!」


 涼しげな顔を仄かに高潮させ喜ぶ樹里亜に、エリィはドンドン、グリグリ、グニグニと容赦なく踏みつける。


「えっとその、エリィ? 気持ちは解りますけど、それ以上すると上井さん気持ちよくなるだけみたいだけですから……」

「そうそう、こんな変態喜ばす事ないって、エリィ」

「ふぃいぃいいい――」


 下から届く“けらく”の声の声を無視し、エリィは二人に目配せしてこの女の情報を求めた。


「ああ、エリィは知らなかったっけ? この変態は上井樹里亜。先月ウチに来た転校生だよ。こんなんでもさぁ、外面はかなり良くて、品行方正成績優秀な高値の美少女って、噂になってたんだけど……ホントに聞いた事ない?」

「そうそう。エリィのいる2ーAのお隣、2ーBに転入されたので体育とかの合同授業で一緒――、はしてませんね。エリィってばテストの時以外、教室まで行きませんから……。

 あ、でもこないだ上井さんの話、したじゃありませんか? それに、数日前にも図書室に来ていましたよ、気づきませんでした?」

「……図書室に来てたのは気づかなかったけど、どうしてこんな変態、耳に入らない」

「先に行ったとおり、人を選んで――」

「選ばない! そんな事しない!」

「あ、ちょっ! やめっ! 弓美さん、それは本気でマズ――!?」


 迂闊な事を口走った樹里亜は、弓美に踏まれぐえぇと悲鳴を上げる。

 その美人にあるまじき残念な姿に、エリィは己の辞書から、樹里亜に対する遠慮や配慮の二項目を消し去った。


「で、では改めまして。――上井樹里亜よ、よろしくお願いするわ。エリィさん」

「…………アンタのような変態に、“エリィ”って呼ばれるのは気にくわないけど、下の名前で呼ばれるのはもっと嫌だから、特別に許してあげる。感謝しなさい」

「そう、可愛いわ。ツンデレなのね貴女」

「ち・が・う! 誰がツンデレよまったく……。んで、何しに来たのよアンタ。まさか変態行為だけをしに来た訳じゃないでしょうね」

「無論それもあ――嘘ですごめんなさい。それ以上体重かけられると、イってしま――」


 どん引きしたエリィは、思わず足を退ける。

 やはり、上履きで踏んだ方が世の為だったであろうか。


「それで、続きは?」

「やはり、つれないですね……。まぁそれは兎も角」


 樹里亜は立ち上がり、ぱっぱと服の埃を落とすと、躯をくねらせながらイヤらしく制服をたくし上げ――。


「は!? アンタいきなり何を――!?」

「――つまりは、こういう事です。私も弓美さんと同じくブラジャーが自分のモノではないの」


 その芸術的なラインが垣間見れる腹部のその上には、弓美や小夜子と同じ様な(エリィから見れば)大きなサイズのブラがあった。


(うん? あれ? これって何処かで――?)


「……ッ!? そんな、いったいどうなって」

「あわわわ……!? 樹里亜っちも“そう”なんて、やっぱり幽霊の仕業なんじゃ!?」


 樹里亜のブラを見て、顔を青くする小夜子。

 それに釣られて弓美も、表情を曇らせる。


(――真、逆)


 その時、エリィの感じていた既視感が確信へと変わった。

 小夜子の反応、それはきっと――。


(……ぬかったわ。もう一人被害者がいたなんて想像もしてなかった。

 この女の登場でブラをすり替える難易度が格段に上がってしまったわ。

 ううん。そもそも小夜子さんと弓美のブラが取り違えているという前提すら覆ってしまった。

 いったいどうすれば、事態を丸く収める事が出来るの――?)


 混迷をみせる事態に、エリィの神経がささくれ立つ。

 一方、樹里亜はマイペースに制服を直し、興奮しながら口を開く。


「ふふ、旧校舎の女子更衣室に出る幽霊。面白くなって来ました」

「…………馬鹿馬鹿しいわ、幽霊なんて」


 一人高ぶる樹里亜にあたる様に、エリィは吐き捨てる。

 だが樹里亜はその事を気にすることなく、エリィに向かってビシッと人差し指を向けた。


「そう、――それです。エリィさん」


 共に顔面を青く染めていた弓美と小夜子が、何事かとエリィと樹里亜に注目する。


「それ?」


 鼻息荒く、フンスと胸を張る樹里亜に、エリィは投げやりな視線を送った。

 すると樹里亜はその端正な顔を一瞬前とはがらりと変え、冷徹に、しかして妖しく口元を綻ばす。


「――――アンタ、いったい?」


 低く、堅い声で問いただしたエリィに、樹里亜は切れ長の目を愉しそうに歪めた。


「これは挑戦よ、エリィさん。私はこの事件をオカルトだと考えているわ。人在らざる者が起こした、人知を越えた怪事件」

「……ふん。言っちゃあ何だけど、ブラジャーが他人のモノに変わっただけの事件に御大層な言い方ね」

「ロマンですから」

「あ、そ」

「でも、――そのロマンを貴女が崩した」

「……何の事?」


 大仰な身振りで話していた樹里亜が、真っ直ぐにエリィを見つめる。

 彼女の真意が読めず、エリィは困惑しながらも警戒した。


「聞いたわ。あの“放課後のキューピッド”エリィさんが、謎を解き明かしてしまったんですって? ――なんて、なんて無粋」

「あ、あれはアタシがエリィに頼んで――」

「弓美さん、だとしても彼女のした事に変わりはないわ」

「ふぅん。……それで、アンタはアタシに何を望んで――!?」


 樹里亜は挑戦的な笑みを浮かべ、エリィに密接しながら言った。


「ち、近――」

「名付けるとしたら、そう――“とりかへぶら”」


 椅子に座ったままで、後ろに逃げれないエリィの顎をクイッ、と上げて。

 樹里亜はまるでキスをするかの如く、その吐息がかかる距離まで顔を近づける。



「この“とりかへぶら”の、貴女の真実を私に見せて頂戴」



 その病的なまでに熱を帯びた瞳に気圧され、エリィはごくりと唾を飲み込んだ。





 コイツは――敵だ。



 エリィが確信した途端、ストンと気持ちが切り替わる。

 樹里亜への気持ちが冷え切り、思考がより鮮明に回転を始める。


「はあ、何いってるのバカ樹里亜っち!」

「そうです、何故そんな事になるんですか!?」


 弓美と小夜子が樹里亜にくってかかるのを制止、冷たい声で答える。


「……受けるわ、その挑戦」

「エリィ!?」

「この馬鹿に付き合う必要なんてないわよエリィ」

「あら、酷い言い種ですね」

「大丈夫よ、別にかまわないわ」


 エリィは弓美と小夜子へ安心させる様に微笑む、だがその目は笑っていない。

 

「弓美、小夜子さん、アタシは言ったわ。謎を解くって、やることは変わらないし、新しい手懸かりがそっちからくるのなら、断る理由はないわ」


 信じて欲しい、視線でそう訴えると、弓美と小夜子は視線を交わしながら、渋々引き下がった。


「……はぁ。まぁ、エリィがそういうならいいけどさ」

「エリィがいいなら、でもケンカはダメですよ」

「ふふ、同意は得られた見たいですね」


 樹里亜が愉しそう笑うのに対して、エリィは冷静にかつ素早く考えを巡らす。


(まったくもって、不自然なのよ)


 更衣室で迂闊に逢瀬を重ね、引き際を見誤り、慌ててブラを取り違えるのは、起こり得る話だ。

 だがもう一人登場し、更に勝負まで挑んでくる。

 これが偶然であろうか、否、不自然極まりない。


「――まったく、お粗末な事だわ」


 ぶっきらぼうに呟かれた言葉に、樹里亜は目敏く反応する。


「あら、可愛い探偵さんは。もう謎を解いていたのかしら」

「……最初に言っておくけど、アタシのは推理というよりただの推測よ、けど、もう目星はついてるわ」

「え、本当なのエリィ?」

「エリィ!?」

「そう、それは頼もしいわ。なら貴女からその推測とやらを聞かせて?」


 驚く二人に、少し眉を動かして期待を露わにした樹里亜。

 しかし、エリィは澄まし顔でその望みを却下する。


「残念だけど、それは出来ないわ」


 すると樹里亜は、怪訝そうな顔で不機嫌さを隠さずに口開いた。


「どうしたの、今更臆したとでも?」

「違うわ、単純に……足りないのよ」

「何が足りないんですか? エリィ」


 三人の疑問を代弁した小夜子に、エリィは態とらしく肩を竦める。


「大方の見当はついてる、けど皆にも理解できるような。道筋を立てられる「情報」、それが足りないわ」


 今回の件、十中八九、樹里亜が仕掛けた事だろう。

 だが、何故、何時、どの様にが想像の域を越え、推測の位置まで降りてこない。

 より正確にいえば、エリィが真実だと断じる為の情報がない。


「――そう、情報。……では、どうするのですエリィさん」


 不機嫌さが一変、興味深そうな表情を覗かせる樹里亜。

 エリィは戦意をむき出しにしながら、言葉を投げる。


「簡単な話よ、樹里亜。アンタに先手を譲るわ」

「私に?」

「アンタはさっき、オカルトの仕業だと言ったわ。ならそれを話して頂戴、――アタシだけに謎を解かそうなんて、狡いじゃない」

「私の話を話してからでも、エリィさんの「真実」とを聞くのは遅くは無い、と?」

「ええ、そういう事よ」


(そしてそれが、アンタを追い詰める手懸かりとなるわ)


 エリィの挑戦的な笑みに、樹里亜は数秒考え込む素振りを見せると、いいでしょう、と了承する。

 樹里亜のその反応に、エリィは一つの推論を見つけた。


(アタシは、アンタの発言から“粗”を探すと暗に言った。それを受け入れたという事は、余程完璧な“何か”があるのか、そもそも折り込み済みだったか)


 エリィは、恐らく後者であろうと推測した。

 ともあれ、そうと決まれば、と全員が席に着くように促したエリィは、記録係を弓美に。

 そして樹里亜にブラを脱がせ、小夜子に二つのブラの管理を頼み、発言を待った。


「……よし。準備は整ったから、始めてもいいよお二人さん」

「ええ、ありがとう弓美」

「感謝するわ弓美さん。……そうね、どこから話ましょうか」

「先ずは最初から、アンタが被害に逢う少し前から聞きたいわ」

「了承したわ」


 すると樹里亜は何故か、腕を組んで胸の大きさを強調してから話始める。

 一々ポーズを媚を振り撒かないと、話せないのだろうか。


(――いえ、これは。何時もそうしているという風に取るべきね)


 エリィは私怨混じりにそう断定する。

 少なくともこの女は、自分の人形の様な整った風貌を自覚した上で、肉感のある動きで暖かみを見せ、人の目を惹いているのだろう。

 そんなエリィの推測を余所に、話は進む。


「あれは、さっきの体育の時でした。授業で使った器具を全員で片付けて、終わったものから解散という流れで、諸事情により一足早く終えた私は、更衣室に向かったのです」

「そういえばアンタ、取り巻きにやらせてたっけ……」


 呆れたように言う弓美に、樹里亜は笑って答える。


「取り巻きにやらせたなんてそんな……、あれは私の大切な友人達の純粋な善意。私自身は強制もお願いもしていないわ」

「その辺がアンタの怖い所よね、アンタが手伝ってなくても、だーれも悪印象じゃなかったもん」

「ふふ、怖いだなんてそんな……」

「…………話反れてるわよ」


 一体全体、クラスはどうなっているのか。

 エリィはげんなりした。兎に角、この変態が自分のクラスのみならず、隣のエリィ達のクラスの皆からも慕われているのは間違いない、――そして、熱狂的なシンパがいる事も。

 彼女を見る目を、エリィは鋭くした。

 その視線を誤解したのかどうか、樹里亜は話を元に戻す。


「あら、ごめんなさい。続けます……、誰よりも先に更衣室に着いた私は、ある事に気付いたわ」

「……その、ある事とは?」


 恐る恐る小夜子が問う、樹里亜は小夜子を見据えたまま、ニヤリと言った。


「――女の子の泣き声、です」

「そ――」

「――イヤっ!! それって、マジ!?」


 動揺して何かを言いかけた小夜子を遮り、再び顔を青くした弓美が叫ぶ。


(グッジョブ弓美、でもアンタちょっと過剰反応し過ぎじゃない)


 小夜子の迂闊な言動に、冷静な顔の下で冷や汗をかくエリィ。

 幸いにも、その事を樹里亜に見抜かれずに話は続く。


「弓美、貴女なら聞いた覚えがあるのでは? 最近、旧校舎を中心に、女の子の泣き声が聞こえてくるって」

「あれ? それって仔猫って話じゃなかった?」

「でも、仔猫を見た者がいる、とは聞いたことは無いでしょう」

「それは……」


 弓美はあううと頭を抱えて押し黙る、彼女の中でどんな想像が繰り広げられているのか、知りたくもあるが、今はその時じゃない。

 エリィは視線で続きを促した


「その時、私は思い出したのです。旧校舎で恋に破れ、自殺したしまった女の子の話を」

「……そんな話、聞いたことありませんが?」

「これは、校内一の古株、用務員の佐竹さんに聞いた話なので、間違いありません。

 何でも二十五年前の出来事で、新聞にも乗らなかった小さな事件の様ですから、天束先生が知らないのも無理はありません」


 樹里亜はねっとりとした視線を、夜子に向けながら言った。

 その視線の意図は何なのか、怪訝な視線を送るエリィをからかうように、樹里亜は舌なめずりをする。


「始めて聞きました、そんな事が……」


 エリィが警戒を強める一方、うるうると同情し始める小夜子。

 その様な感受性の高く、素直な所が魅力で、天使たる所以だが、今の情況を忘れてないだろうかとエリィは心配した。


(――それはさておき、記録に残っていない伝聞の情報。もしその用務員とやらが籠絡されていたら、証言の捏造は容易よね)


 仮に本当だったとしても、その事を今回と結びつけて、彼女は何をしたいのだろうか。

 エリィの疑問を外に、樹里亜は弓美と樹里亜へしたり顔で頷いた。


「……故に、私はこっそり中に入って確めたのです」

「え!?」

「た、確めたちゃったの!?」


(――やられた。これが目的だったのね)


 小夜子が三度顔面蒼白になり、弓美が驚愕におののく中、エリィ内心舌打ちする。


 ――上井樹里亜女は、エリィと小夜子の秘密の関係を知っている。


 そう確信したエリィの脳裏に、かの女の目的において新たな選択肢が浮上する。


 目的はエリィと小夜子に対する強迫であろうか。

 いいえ違う。それでは弓美のいる場でする利が無い。

 では弓美への脅迫だろうか。


 考えられるパターンは、エリィと弓美が親友だと気づいた上で、エリィの秘密を公表する変わりに弓美を。

 しかしその場合でも、弓美個人と密会すればいい。


 弓美と小夜子、そしてエリィがいる場で、匂わせた目的はなんだ。


 ただ恩を売るつもりなら、或いは動きを牽制するなら、挑戦などと回りくどい事をする筈がない。


 それにまだ他にも謎がある、これを幽霊の仕業だとして何がしたいのだろうか。


 ぐるぐると答えの出ない思考が、エリィの中で渦巻く。


「あら、そんな難しい顔して、そんなに怖かったかしら? まだ触りしか話していないのだけれど」

「……ええ、怖いわ。怖くてたまらない。――だから、早く続きを聞かせて」

「エリィ!?」


 小夜子が驚きの声を上げ、弓美が訝しげな顔をエリィに向ける。

 だがエリィはそれら統べてを無視して、樹里亜を睨んだ。


「そんなに熱烈な視線、語らない訳にはいかないわね」


 愉しそうに、樹里亜が話を再開する。

 その口調はおどろおどろしく、まるで怪談を話す様。


(いえむしろ、怪談話そのものね“色々”と)


「……更衣室は、昼だと言うのに真っ暗だったわ」


 ――当然だ。窓の少ない室内で、電灯つけていなかったのだから。


「中に入ると、その女の子の泣き声がいっそ大きくなったわ。

 私はもの音を立てずに、ゆっくりと声のする奥の方へ進み。

 徐々に大きくなる泣き声に震えながら、奥まで辿り着くと、そこには――」


「それでっ! どうなったの樹里亜っち!?」

「な、な、何があったんです上井さん……!?」


 震える小夜子に樹里亜は意味深に流し目すると、ゆっくりと唇を動かし――。



「――何も、いなかったわ」



「え、え!? 何も?」


 拍子抜けした様に肩を落とす弓美に、樹里亜はからからと笑って言った。


「残念だけれど、その時他の人達が来てしまって、明かりがついてしまったの。

 幽霊は明るいと出ないものだから、きっと、どこかに去ってしまったのね。

 ――でも、証拠は残った。

 だって、私のブラが無くなっていたんだもの」


 そう言うと樹里亜は再び制服をたくしあげ、ブラを見せる。


「じゃあそのブラは――――って、ああっ!」


 樹里亜のブラを見た弓美は、大声を出して指差した。


「このブラ、アタシのだ! 何で樹里亜が持ってるの!?」

「私のブラ無くなっていたから、弓美さんのブラを着けてみたの、丁度、女の子の使用済みブラが欲しかった所よ」

「だからって人のブラを勝手に取るな馬鹿!!

 アタシは、本当に幽霊がでたのかもって思って――」

「でも、私のブラが無くなっていたのは事実よ」

「それは――」


 言いよどんだ弓美に、樹里亜は朗々と語り出す。


「誰もいない筈の女子更衣室に響く女の子の泣き声、その声に誘われて行くと、自分の持ち物と引き換えに、望むモノが得られる――そう、名付けて「とりかへぶら」

「……ねぇ樹里亜っち、それって、ふつうに藁しべ長者とか、せめてとりかへばや、ってすればよかったんじゃないの?」


 疲れを滲ませ言った弓美のツッコミに、樹里亜は、あ、あら? とショックを受けたように首を傾げる。


「……そんなに変な名前だったかしら?」


 彼女のネーミングセンスについて、他の三人が言い合ってる中、エリィには核心が産まれていた。


(弓美や小夜子さんは気付いていないようだけど、コイツは間違いを犯した。在るは態と洩らしたか……。 ともあれ、樹里亜は自分がこの幽霊話をどうしたいのか言ってしまった――)


 必要な情報は揃った、何故そうしたいのかも見当がついている。

 エリィは深い、深いため息を吐き出した。

 

 何度か繰り返した相手を選んで――という言葉。


 彼女のその変態性。


 クラスメイトからの人気。


 そして挑戦してきた意味。


 キューピッドの事を持ち出した事。


 エトセトラエトセトラ、様々な情報渦巻き、エリィの中で結論が出る。

 同時に、その心へ諦観と決意の静けさが訪れた。


(ああ、ああ、ああ。何て何て――)



 つまる所――“とりかへぶら”は悪意そのモノだ。



 そしてエリィにとっては、親友にさえ言えぬ、道ならぬ恋への罰なのだ

 今回の事件は、樹里亜が表れた時点で詰んでいる。


「――本当に、お粗末な事だわ」


 あの時、小夜子さんを止めていれば、こんな事にはならなかったのではないか。

 それよりも前、もっと素直になっていれば――。

 エリィの中に後悔の念が溢れ出る、だがいくら過去を嘆こうと、この先に待っているのは一つの、確かな、何かの“終わり”だ。


(なら、アタシに出来る事は――)


 膝の上で、エリィは拳をぎゅっと握りしめる。

 たとえ、どのような結果に終わろうと、すべき事はしなければならない。

 ならば、ならばせめて――。


 そして。

 いつの間にか俯いていた顔を上げ、みんなの顔をみた。

 するとそこには、エリィに注目する三人の姿が。

 彼女たちはエリィの心情の変化を察したのか、物言いたげな顔をしていた。


「――喉が、乾いたわ」

「じゃあ一息いれようかエリィ、ならアタシが――」


 お茶を入れようか、と続けようとした弓美を機先し、エリィは静かに目を閉じる。


「ありがたいけど、アタシのはいいわ」

「喉が乾いたんじゃないの?」

「お茶より、自販機のコーヒーが欲しいのよ。……ね、奢ってよ小夜子さん」

「わかったわ、好きにしなよ」


 エリィの言葉の裏に、堅い決意を感じた弓美は、それ以上何も言わずに引き下がる。


「……ええ、いいですよエリィ」


 小夜子はこの場面でのエリィの我が儘に、戸惑いながらもしっかりと頷く。

 彼女も弓美と同じく、気づいていたのだ。 

 三人の中で、樹里亜だけがエリィの事を読めずに、冷たい言葉で止める。


「……逃げるつもりです?」


 その顔は、樹里亜にしてみれば予想外とだったと言うべきか、焦ったような失望したようなものだったが。

 エリィは気にせずに、不退転の微笑みで軽くいなす。


「真逆、ただの一休憩よ。直ぐに返ってくるわ」

「それでは、ちょっと席を外しますね」


 エリィは、小夜子を連れだって図書室の外へ出て行った。




「それで、どうするんです?」


 図書室から大分離れた廊下で、回りに誰も居ないことを確認し小夜子切り出す。

 その声は硬く震え、エリィで無くとも不安が容易に感じられた。


「……アタシ達の事、話そうと思うの」


 静かに凪いだ声でエリィは小さく、しかしはっきりと言う。――その事に、小夜子は不安を感じた。

 それは、二人の関係を話すことではない。

 エリィの気持ちに対して、である。


(諦めてしまったのですね、エリィ……)


 今、エリィは泣いていた。

 実際に泣いているのではない、心が、泣いているのだ。


「ごめんなさい小夜子さん。これはきっとアタシの罰。大事な親友に、話さなければならなかった事を話さなかった――アタシの罰」

「エリィ……」


 小夜子はたまらず、エリィ抱き締めた。


(悔しい……悔しいです)


 エリィの心を守れなかった、恋人なのに。

 悲しませている、女同士であるから。

 しかし、それ以上に――


 ――嫉妬。


 そう、小夜子は嫉妬していた。

 いつもは月下に咲く黒薔薇の様に、刺々しくも美しいエリィが。

 咲く前に強引に散らされた華の、痛々しく儚げな憂いを帯びた佇まいに。


(ああエリィ……、今の貴女、その嘆き悲しんで、失意の底に沈む姿も綺麗です――――でも)


 でも、それを引き起こしたのは小夜子存在だけではない。

 独占したいのだ、エリィという少女の全てを。

 愛も喜びも、怒りも哀しみも、全部、全部。


「……ごめんなさい、エリィ」


 果たしてそれは、何に対しての謝罪であったか。

 小夜子の心の裡を知らず、その温もりと言葉にエリィの目が潤み始める。

 大切な『何か』を喪失しようとする者の特有の、諦観混じりの絶望に、そしてそれでも奮起して前に向かおうとするエリィの光に。


(エリィはわたしが――)


 小夜子は、衝動的に唇を重ねる。


「さ、小夜子さ……んんっ!」

「ん……」


 微かに漏れた吐息。

 それは、どちらのモノだったであろうか。

 ただ一つ確かな事は、エリィの唇が冷たかった事。

 だから小夜子は、エリィの唇が暖まるまで静かに己の熱を移していた。

 やがて口と口の間に糸を引きながら小夜子は、褐色の肌を上気させたエリィから顔を話した。


「ね、エリィ、わたしは大丈夫です」

「大丈夫って――」


 言葉を続けようとしたエリィは、小夜子の夜を誘うような笑顔に、顔を真っ赤にして息を飲む。


「ええ、わたしはもうとっくに。――貴女を好きになったその時から、破滅する覚悟が出来てるんです。だから……いえむしろ、私と一緒に破滅しましょうエリィ!」

「――さ、小夜子んんんッ!」


 愛を告白する熱さでダメな性癖を叫ばれ、エリィは思わず叫んだ。


「ふふふっ」

「ふふふ、じゃなくて! あー! もうっ!」

「エリィは重く考えすぎなんですよ」

「…………ぐぅ。何だかアタシ、ピエロみたいじゃない」


 ずーんと沈みこむエリィに、小夜子はよしよしと頭を撫でて慰める。


「でもそれがエリィ良いところですよ、周囲の事、相手の事をちゃんと考えるのは当たり前で、大切な事。でも凄く難しい事なんです、だから――」

「……ありがとう、小夜子さん」


 心を持ち直したエリィは、優しく微笑む黒髪の天使の胸に、そっと顔を埋める。


「わたし達の関係は、やっぱりマイノリティなんです。快く理解してくれる人のほうが少ないのが現実です。

 ……だから、いっその事開き直っちゃいましょう! “たったひとつの冴えたやり方”ってやつです」


 胸を張ってウインクを投げかける小夜子に、エリィは笑いながら答えた。


「ジェイムズ・ティプリーね。でもその例えだと、ビターな結末しか待っていないんじゃないの?」

「ならハッピーエンドに変えてしまえばいいんです。わたし達はまだ、そこまで追いつめられてはいない、そうでしょう?」


 軽やかに告げる小夜子の姿に、エリィはその言の葉に決意を込める。


「……ありがとう。小夜子さん、アタシ頑張る」

「いいえエリィ“わたし達”が頑張るんです」

「そうね、“アタシ達”一緒に……」

「ええ……」


 エリィは、瞳を閉じて深呼吸を一回。


(小夜子さんといる為に、今出来る事を。そして弓美、叶うのなら――)


 そしてゆっくりと目を開け、小夜子の顔を真っ直ぐ見たエリィは今度は自分から、少し背伸びしてキスをした。

 そうして二人して自然に笑った後、自販機で二人分の甘く暖かいコーヒーを買って、図書室へと戻った。




「エリィも司書さんもおっそーい! いったい何処で道草食ってたワケ?」

「ごめんなさい片桐さん、上井さんも。ちょっと野暮用がありまして」


 図書室に戻ったエリィ達を出迎えたのは、待ちくたびれた二人だった。


「あまり遅いので、臆して逃げたのかとおもったけど、その心配は無いようねエリィさん」

「逃げる? そんな必要は欠片も存在していないわ」


 二人の対面、小夜子の隣の席に着きながらエリィは樹里亜に頷き、コーヒーの缶を開け一口。

 口内で甘さとほろ苦さを楽しんでから、言葉を紡ぐ。


「……ふう。主役は遅れてやってくるって言うでしょ。まぁ、真実を話すための下準備とでも行った所よ、安心なさい」


 出ていく前と違い、普段と同じ雰囲気を取り戻したエリィの姿に弓美は首をかしげ、樹里亜は興味深そうに遠慮ない視線を向ける。


「……そう、それは期待できそうね」

「アンタからしてみれば、そう面白みのある真実でもないでしょうけど、それじゃあ、始めましょうか」


 物言いたげな弓美の視線をあえて無視して、エリィはコーヒーを更に一口。

 同時に机の下で、小夜子と手を握る。

 心は毅然として前を向いた、しかしそれで不安が消えた訳ではない。

 親友を、喪うかもしれない。

 その恐怖に震える褐色の手を、小夜子はしっかりと握りしめた。


(大丈夫、小夜子さんがいてくれるから……)



 ――そしてエリィは、爆弾を投下した。



「まず最初に言っておくわ。今回の犯人は、――“アタシ達”二人よ」

「……は? え? 何いってんのよエリィ、ここはふざける場面じゃ――」

「本当に、ごめんなさい片桐さん。今回の件はわたしが引き起こしてしまった事なんです」


「――――え、えええぇッ!」


 神妙に頭下げる小夜子に本気を悟った弓美は、驚きあまり机を叩いて立ち上がり、口をパクパクと開く。

 一方エリィは、じっと樹里亜を観察し、一つの推測を確定へと繰り上げる。


「……アンタは驚かないのね」

「驚いているわ。真逆こんなにあっさり言うとは思わなかったから」

「はん、やっぱり知ってて吹っ掛けてきたんじゃないアンタ、ヤな奴ね」

「……お褒めの言葉だと思っておくわ」

「ちょっと! 意味深な会話してないで、アタシにわかるよーに訳を話なさいエリィ! アンタらが犯人ってどういうことよ!」


 刺々しく会話する二人に、バシンッ! と机を叩き、衝撃から復帰した弓美が吠えた。


「落ち着きなさい弓美、今から全部、最初から説明するわ」

「んなッ! エリィ!! なんでアンタそんな落ち着いて――」

「――片桐さん、どうか話を聞いてくれませんか」


 小夜子の縋るような顔に、弓美はわかったわよ……。と、言って席に座り直す。

 それを見届けたエリィは、こほんと咳払いした後、再び口を開いた。


「ごめんなさい弓美、今までアンタに隠していた事があるの」

「……何よそれ、まだなんか衝撃的な事言うつもり? もう驚かないから。つーか、今回の件に関係あんのそれ?」

「ええ、大いにあるわ。事の発端だと言っても良い」


 ぶっきらぼうに、不機嫌そうに顔を向ける弓美に、エリィは静かに答える。

 長い付き合いからか、エリィの真摯な心を感じ取った弓美は、ギロリとひと睨みした後、ため息を着く。


「はぁ~。……エリィ、アンタがそういうなら聞いたげる、恩に着なさいよ」

「ありがとう弓美、アタシの親友」

「……どうしたのエリィ、アンタさっきから変よ」

「いつもアンタには感謝してるわ、だからキチンと一度、伝えて置きたかったの」

「エリィ?」


 弓美の疑問に答えるべくエリィは今、一歩を踏み出す。

 小夜子と目線を交わし頷きあい、次にゆっくりと繋いだ手を机の上に出して言った。



「――アタシは、小夜子さんを異性として愛してる」

「そして私とエリィは、恋人として付き合っています」



 瞬間、室内は言い様のない静けさに満ち、困惑した弓美の言葉によって直ぐ様破られた。


「――――ウソ……」

「……やはり、そうだったんですね。しかしまた随分と直球で来たものね」

「あら、真っ直ぐなのはお嫌い? 樹里亜」

「真っ直ぐなのは好きよ、ただ貴女はもっと回りくどい事をする様な気がしてたから」

「アタシ一人だと、そうだったかもしれないわね。でもアタシは独りじゃない、小夜子さんがいたから……」

「……エリィ」

「………………しまったわ。私とした事が、見誤ったかしら」


 見つめ合うエリィと小夜子、カミングアウトした瞬間イチャつき始める二人に、樹里亜がたじたじと――


「――っじゃな~~~~い!! 何みんな平然としてるの!? っていうか知ってたのジュリア! じゃなくて! いつからそんな関係に……! でもなくて、いや、それも知りたいけどっ! 一体全体どうなってんのよ! いきなり結論から話さないで、順序立てて話なせーーーー!!」


 混乱の極みに至った弓美は勢いよく立ち上がると、ダダダとエリィに駆け寄り、涙目になりながらその肩を強く揺さぶった。


「――あがッ! ご、ごめッ! わかっ、わかったから! そん、な揺らさ――!」

「落ち着いて、落ち着いて下さい片桐さん! ――上井さんも笑ってないで止めてください!」


 結局、弓美を落ち着かせるのに、残りの昼休みを全て費やしてしまい、続きは放課後という事になった。


「エリィ! んで淫行司書!! 謎が解き終わったでしっかり話聞くんだから覚えときなさいよ!」

「行きますよ弓美さん、授業に遅れてしまいます」

「覚えときなさいよーーッ!!」

「ではまた、放課後に」


 午後の授業開始の予鈴が鳴る中。樹里亜にに引きずられてて弓美は教室へ戻って行く。

 二人の関係が頭ごなしに否定されなかった現実に、エリィと小夜子は安堵しながら見送った。



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