第六話 始まりの遠い夏

始まりの遠い夏

夏というのはどうしてここまで暑いのだろうか。

外を歩けば数十秒と経たぬ内に汗が滲み出してくるし、風すらも生温い。

いくら脱いでも、それにも限界がある。


「ファイヤー!」


明焦山、通称コゲ山を登る俺の全身は既に汗まみれ。

服にもじっとりと染み込み、額の汗はポタポタと滴り落ちていた。


「ホントに久しぶり!コゲ山を登るなんて、中学以来かな!」


なんて声を弾ませる女が、俺の後ろを愉快についてくる。

タバコのせいか息切れがヤバい。

昔の俺はこの登山道を軽く登っていたなんて、なんだかとても信じられないな。


「龍太君、でもどうしたの?いきなりコゲ山を登るなんて言い出して」


「はぁはぁ……そこに山があるから……だ!」


本当はこの目で確かめてみようと思っただけだ。

恐らく今あの場所に行っても何もないとは思うが、念の為自分の目で確かめたいのだよ俺は。

みんなは川で遊んでいるので、俺は一人で山を登ろうとしたが、何故かしーちゃんは勝手に俺の後をついてきた。


「龍太君って山登りが好きなんだ?」


「はぁはぁ山と言えば俺、俺と言えば……はぁはぁ……山。俺と山ははぁはぁ……表裏一体なのだ……」


本当は昨日の夜ここに来る予定だったが、辺りが暗すぎたので断念。

ちなみに、決してビビったわけではない。


「……」


耳を澄まし、かつてこの辺りで聞いた音が聞こえないか確かめてみるが、やはりあの機械音のような音は聞こえない。

さらに足を進めれば、やがて目的地であるプチクレーターが見えた。


「わ、懐かしい!プチクレーター!」


隕石の衝撃により小さなクレーターが出来ているので、この北嵩部の人間は大半プチクレーターと呼んでいる。

そこにたどり着いた俺はそのクレーターの中心に立ってみた。


「ふーむ……」


「何?何かあったの龍太君?」


しかし周りを見渡してみても、感覚を研ぎ澄ましてみても何もないし、何も感じない。


「言ったろ、十年前、俺は宇宙人に会ったんだって」


しーちゃんの顔がひきつったのがわかったが構わず続ける。


「ここがその宇宙人と初めて会った場所なのだ」


端から見たら、空想や妄想に取り憑かれた狂人に見えるかもな。

だが俺は嘘は言ってない。


「ここで俺は、卵を横にしたような形の宇宙船を見つけた。その宇宙船は、僅かに青い光を纏っていた」


俺は十年前に起きた出来事をなぞっていく。


「やがて宇宙船が開き、中から水色の髪の女の子が一人現れて……」










『おはようございます』










と言ったのだ。


そしてその後、その後は……。










――――「おはようございます」


「へ?」


…………挨拶されたぞ?


真夜中に、『おはよう』の挨拶だ。

ん、でもまぁ、日付を越えてるし、一応朝って事でいいのかな。


それならおはようの挨拶は正しいのかもしれ違ーう!今はそんな事はどうだっていいんだよ!

なんで幽霊が俺に挨拶をしてくるんだ!

これは新手の脅かし方か何かか!?


「ここは地球、間違いないでしょうか?」


なんだ、何を言ってるこの幽霊は。

迷子にでもなったのか?それとも記憶喪失か?


「……」


少女はその大きな卵の上から飛び降りると、綺麗に地面に着地する。

幽霊にしては随分と実体がはっきりしているな。

なんか普通に喋ってるし。

ならば会話をしてみるのも一興か。

幽霊と意思疎通した人間なんてそういないだろう。

俺がその最初の一人になるのだ。


「おい幽霊女!お前に聞きたい事がある!」


「ユーレイオンナ?とはなんでしょう?」


質問を質問で返されてしまった。

やるな、さすが幽霊だけの事はある。


「まぁ聞け、お前の名前はなんだ?どこで死んだ?この世にどんな未練がある?」


現世に化けて出てくる幽霊だ。もちろん何かしらの未練があるのだろう。

と、テレビ番組で見た事がある。


「名前……そうですね。まずは自己紹介というものを致しましょう」


「……」


なんだか妙に話の波長が合ってない気がするんだが。

こいつにはもしかしたら、自分が幽霊だという自覚すらないのか。

そういえば幽霊の中には、自分が死んだ事すら気付かない者もいるらしい。

と、テレビ番組で見た事がある。


こいつはもしやその類の幽霊なのかもしれない。

幽霊女は、なんだか少し笑顔で俺の方へと近付いてくる。

不気味だ。

このまま俺は殺されてしまうんじゃないだろうか。

少し警戒したが、彼女は俺から二歩程離れた位置で立ち止まった。


「おはようございます。こんにちは。こんばんは。初めまして。私の名前はアンドリュケルム・イグナシート・イブ・ファクリシェリンと申します」


「そんな名前あり得ん。ゲームの登場人物じゃあるまいし」


あまりにわかり易い嘘をつく女、もとい幽霊女だ。

俺が本気で信じるとでも思ったのか阿呆め。

これでも俺の頭脳は学年十本の指に入る手練れだぜ。

俺を出し抜く事、それは不可能である。浅はかだったな小娘が!


「……?私の名前はアンドリュケルム・イグナシート・イブ・ファクリシェリンです」


「……」


こいつはどうやら俺の事を相当ナメているようだ。

だがしかし、幽霊に名前を聞こうとした俺もどうかしてるな。


「あなた、君、お前、テメェのお名前はなんですか?」


「な!」


「な!という名前なのですね。了解、理解、把握しました」


なんなんだこいつは……。

俺の中の幽霊像と全く似つかないが、本当に幽霊なのか?

喋り方もなんだかおかしいし。


「それではコレをしましょう。握手、手と手を握り合う行為」


「な……何を言っているんだお前は……」


握手だと!?


幽霊は実体を持ってない、故に握手など出来るはずがない。

けど差し出された彼女の手は、白く綺麗な肌ではあるが、透けているわけではない。

見た感じ、なんだか触れられそうな気がする。


「初めて会った人間は、握手という挨拶を交わすと記憶してますが、誤りですか?」


「い、いや、間違ってはいないけれども……」


握手なんて交わして、魂が吸い取られたりしないよな……?

そもそも幽霊なら握手は出来ないだろう。

だがもし握手出来たのなら、こいつは一体何者なのか……。

頭の中に湧き上がる数々の疑問を、とりあえず今は振り払う。


まずは第一ステップからだ。

こいつが幽霊なのか否か。

触れればわかる。

俺は一度深呼吸をして、差し出された彼女の手に向けてゆっくりと手を伸ばした。

正直、心臓の鼓動は既に最大MAX。今にも爆発してしまいそうだ。

少し躊躇って空中を停滞していた俺の右手、俺の覚悟を知らずに彼女はその手を軽く掴んだ。


「ま!」


「よろしくお願いします」


掴んだ、掴んだのだ。

俺の手は今、彼女の手に確かに触れている。

つまり、実体があるという事だ。

同時に幽霊であるという事が否定された。


「え、あ、え!?何がよろしく!?っていうかお前は一体何なんだ!?」


彼女は俺の手を離すと、手首に巻かれた腕時計(のようなもの)を操作し始めた。

まさかあそこから麻酔針が発射されたりしないよな。

彼女が操作を終えると、視界が急に歪み始める。

決して俺の目がどうにかなったわけでも、大きな目眩に襲われたわけでもない。

正確に言えば、目の前の女の後ろ、背景、横倒しの卵が歪んだのだ。

テレビ画面にノイズが走ったかのようにそれは一瞬大きく歪むと、次の瞬間に完全に消えて無くなった。


「消え……た……」


何度も瞬きを繰り返してみても、何度手で目を擦ってみても、卵は完全に消えてしまっていた。


「どうなってんだ……?」


「あまり人目につくのは回避したいので、ミュータスヴァイツの状態にしました」


「みゅーたす……何だって?」


一体この女はなんなんだ?さっきからよくわからない言動をするし、髪の毛は水色ときた。

それ以前になんであの卵は消えたんだ?俺は引田天功のイリュージョンでも見せられたのか?

あ!もしかしてこの女はプリンセステンなわけあるかっ!


「そうですね、地球の言葉で言うならば、透明、スケルトン、ステルスと呼ばれるものに該当すると思われます」


「ステルスだと!?」


ステルスという言葉がつくもので、有名なものと言えばやはり『ステルス爆撃機』辺りだろうか。

だがしかし、ステルス爆撃機は決してその機体が目に見えないと言うわけではない。

あくまでレーダーに索敵されなくなるという事でのステルス機能というわけだ。

だが目の前に『あった』あるいは、『今もそこにある』かもしれないが、この女の話が確かだとするのなら、それは視界にも映らないステルス機能だという事になる。

今までテレビでも一度もそんな話を聞いた事はないし、あったとしても映画やゲームの中だけだと思っていた。


「な!さん、君、様、ちゃん。ここは北嵩部村、明焦山に間違いはありませんか?」


「確かにここは北嵩部村で明焦山だが、俺の名前は『な!』ではない」


「そうなのですか。それでは改めてあなたの名前を教えて下さい」


「その前にまず聞かせろ。お前は一体何なんだ?」


俺は何より先に聞くべき場所に切り込んだ。

すべての話はまずそこから。こいつの事を知らない俺が、無闇に名前を教える訳にはいかない。


「何……と申されましても。私の名はアンドリュケルム・イグナシート……」


「そのネタはもういい。俺が聞きたいのは、お前は一体何者なのかという事だ」


彼女は俺の言葉の意味をようやく理解したらしく、大きく二回頷いた後に口を開く。


「緊張で忘却、消失、忘れていました」


既に俺の頭の中には幾通りかの可能性が導き出されている。




1、殺人鬼


真夜中にこんな所をうろつくなんて普通じゃない。

きっと死体を森の中に隠して、その帰りに俺と遭遇してしまったのだ。

恐らくこいつは会話で気を逸らし、油断した所を一刺し決めようと企んでいる。

え、じゃあ俺逃げなきゃヤバくね?



2、変質者


真夜中にこんな所をうろつくなんて、普通に考えて変質者でしょ?

なんだか会話もヤバいし、頭のネジが飛んでそうだし、何より髪の毛水色だし。

もしかしたら夜な夜な男を貪る痴女なのかもしれない。

ん……それなら今夜は是非よろしくお願いします。




3、極秘任務中のスパイ


スパイと言えば、見た事もないようなハイテク機器を使って、様々な過酷なミッションをこなすエリート。

さっき消えたアレも、恐らくはスパイ道具の一つ。

一般的に知られていないのも頷ける。

意味不明な言動を繰り返す辺り、恐らく俺にバレてしまった事に焦ったんだろう。

そしてバレてしまったからにはやはり消さねばなるまい。

あれ……?やっぱ逃げなきゃヤバくない?




俺の推測、あまりに鋭すぎて自分でも鳥肌総立ちだ。

特に3。今一番有力だろう。


「私は……」


何を言われても驚かないぜ俺は。

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