プロローグ2

6月17日


璃紗りさちゃん、今日も会いに来ちゃったよん!」


「あ、こんばんは、いらっしゃいませ井上さん。いつも指名してくれてありがとうね」


そこは都会のど真ん中、ネオンが溢れる町の酷く騒がしい屋内、それはこの店にとっての日常。

綺麗なドレスに身を包み、髪を盛り、巻き、そして美しさを表現する女性達。

そんな女性達との会話を楽しみながら酒を飲む男達。

煌びやかなライトが店内をミスティックに、エロティックに染める。

そう、ここはキャバクラ。激戦区の中の人気のある一店舗だ。


「今日は璃紗ちゃんにプレゼントを持ってきたんだ!」


「え?ホントに!ありがとう井上さん!」


璃紗、と呼ばれている女性は、この店のナンバーワンである。

男性への接し方が上手く、そして聞き上手、大人なルックスを持つ彼女。人気が出ないはずがない。

璃紗というのはもちろん源氏名であり、彼女の本名ではない。


「ちょっとトイレに行って来ます」


トイレの鏡の前、自分の顔を見る璃紗は頭をかきむしる。

せっかくセットしていたヘアースタイルが、そのせいでボサボサになってしまった。


「何が璃紗ちゃんだ、アタシは亜莉沙ありさだっつーの……」


彼女は苛立っているのか、さっき貰ったプレゼントのネックレスを首から引きちぎると、それをゴミ箱へ投げ捨てる。


「何やってんだろアタシ……もう、わかんないや……」


トイレの片隅、壁に寄りかかり、そしてそのままズルズルと座り込む彼女。

彼女は毎日に嫌気がさしていた。時々何もかもがどうでもよくなり、死のうかと考える事もあった。

だがその考えをすぐに冷静になった自分が否定する。

今回も突発的に起こる、その発作の一部であった。

彼女は震え、パッチリの目からはアイラインが涙と一緒に流れる。


「……みんな……今、何やってんのかな……?」










――――ちょうどその時、亜莉沙と同じ事を考えていた青年がいた。


(あいつら、何やってんのかなぁ……?)


亜莉沙のいる場所とは全く違う、比較的静かな町。

そんな町のとある道路脇。彼は制服に身を包んで、仕事をこなしていた。

通る車を次々と止め、運転手が酒を飲んでいないかを確認する仕事である。

また一台新たな車がその場所を通り、彼が誘導棒を使ってその車を止める。

車に近付き運転手が窓を開けると、彼が慣れた口調で聞く。


「こんばんは、ただ今飲酒検問をやっていまして、お酒の方は飲んでいませんよね?」


そう、彼は警官。

飲酒検問の真っ最中であった。


「ご協力ありがとうございます。それではお気をつけて」


今日の飲酒検問に引っかかった人は今のところゼロ。

車通りの少ないその道では、待っている時間の方が多いくらいであった。

待っていればいるだけ、色んな事が脳裏に浮かんでくる。

今日の彼の頭の中に思い出された事は、懐かしい子供の頃の記憶。

中学時代、毎日のように遊んでいた仲間達の記憶だ。

社会に出て故郷から遠く離れてしまった彼は、二十歳の辺りから、仲間達との連絡は全くなくなっていた。

勤務中ではあったが、その懐かしい記憶を思い出すと、彼の胸は熱くなる。


「会いたいなぁ……」


貴史たかふみ、誰に会いたいんだ?彼女でもいるのか?」


「え!?」


「どこの女だ?この辺りか?」


いつの間にか声に出していた事にようやく気付いた彼。

一緒にいた上司にその言葉を聞かれ、一瞬戸惑うが、すぐに観念したようで苦笑しながらも考えていた事を口に出した。


「いえ、女の子の話じゃないんです。地元の仲間達の事をちょっと思い出しちゃいまして」


「仲間か、今は会ってないのか?」


「はい、もう五年くらいは連絡もとってないんです」


「そうか」


一緒にいた彼の上司は、四十代のベテラン警官。貴史が尊敬する警官であり、人生の先輩である。

そんな上司の口から言われる言葉は、強い説得力を持っていた。


「仲間は大切にした方がいいぞ。せっかく繋いだ絆を、このまま錆び付かせるのは本当にもったいない事だからな」


胸の奥底を刺激するようなその言葉は、貴史の気持ちを揺れ動かした。


「そうですね……。本当にその通りです。なんだか、さらに会いたくなっちゃいました」










―――「ふ~……」


「お疲れ様です伸明のぶあきさん」


「あ、美雪っち、おっつ~!また明日もファイトするぞ~!」


「はい!」


明るい挨拶をしながら去っていく従業員の女の子。

そんな彼女をにこやかに見送った好青年は、店内の電気を落とした。


「消灯オッケー、戸締まりオッケー。さて、帰るかな」


彼は誰もいなくなった店内で一人、鼻歌を歌いながら店を閉める。

無人の店内はかなり不気味な雰囲気を放ってはいたが、彼にとってそれは慣れたもの。

彼は普段と変わらぬ軽い足取りで店を後にすると、駐車場に停めてあった自分の車へと向かう。

自慢の車のエンジンをかけ、オーディオから好きな曲を選択する。


「今日は何にしよっかなっと……」


探している途中、彼の指が止まった。


「あ、これ、なつっ!」


車の中のスピーカーから流れ始めたのは、彼にとっては非常に懐かしい曲。

ピアノの旋律が心地よく響くと、彼の記憶もその頃まで遡っていく。

やがて歌が始まる。重なり合ったいくつもの声、女声と男声が絡み合い一つの歌となるそれは、どこの学校でも大体行われているもの。


そう、合唱である。


ただ、そこで流れている合唱は、男声と女声の声量にばらつきがあり、とても特筆してうまいとは言えないものであった。

それもそのはずである。

何故ならその合唱は、彼自身が中学生の時に同級生と一緒に歌ったものを録音したものだからである。

中学生卒業の時に配られた今までの合唱の入ったCD、それを彼はこのHDDの中に刻んでいたのだ。


「う~ん……いいなぁ……。みんなどうしてるかなぁ……」


彼もまたこの日、懐かしい中学時代の事を思い出していた。

彼が亜莉沙、貴史と違ったところはすぐに携帯を手にとった事。


彼は中学時代、クラス委員長だった。

そんな彼は思い立ったらすぐに行動するタイプであり、彼のこの行動も何ら不思議な事ではない。

彼が真っ先に電話をかけたのは、今でもたまに連絡をとっている中学の同級生であった。

数コールの後にようやく電話が繋がる。








――――「やっぱ前の方がよかったんじゃねぇか?」


「そっか~?俺は今のリフの方が好きだけど」


「お前はキックの入れ方が単調すぎる。あともっとアクセントをつけて叩けよ」


とある落ち着きのある趣の居酒屋、その片隅で四人の男が音楽についてを語っていた。

四人は一つのバンドを結成しており、自分達で作曲した曲についての討論を繰り広げてる。


「おいゆう、お前もなんか意見ないのかよ」


男達は四人とも襟足が長く、髪の毛の色もそれぞれ違う。

その中の一人、悠と呼ばれた男は長い黒髪に、女の子のような綺麗な顔立ちをしていた。

彼はもう25歳であるが、見た目は十代と言われても違和感がないくらいの童顔である。

キンキンに冷えた生ビールを飲みながら煙草を吸う姿は、あまりに似つかわしくない。


「う~ん、BLOOD RAINはもう少しシャウト入れたいかな。一曲目の迫力が足りない気がするよ」


「シャウトなら好きなように入れればいいじゃん。お前が歌うんだし」


「あ、確かにそうだね。ははははは」


「ったく……」


そんな彼の雰囲気に和んでしまう空気。

それは彼自身の性格であり、ずっと昔から変わらない長所でもある。

そんな彼の携帯がお膳の上で小刻みに震えて音を立てた。


「あ、電話だ」


ディスプレイの表示を見て、少し珍しい人からの電話だという事を知ると、彼はトイレへと向かった。


「はい、もしもし」


「おぉ~、その声は紛れもなくゆっち!」


「ノブちゃん、久しぶりだね!半年ぶりくらい?」


電話の相手は、中学校の時の同級生である伸明。

彼と伸明もまた違う町に住んでいたが、たまにこうして連絡を取り合っている珍しい仲間であった。


「ゆっち、先月会ってるぜ~。今取り込み中かな~?」


「今はスタジオ終わってミーティング中だよ」


「ゆっち、まだバンドやってたん?んじゃあやっぱビジュアル系?」


「もちろん。やっぱV系一番カッコイイよ」


彼のいるバンドは、世間から疎外視されがちなビジュアル系。

特異なルックスやコスチュームに、それぞれの世界観、そして特徴的な歌い方、人によってはかなりの中毒性を持つ、バンドの一方向である。

彼はそんなバンドのギターボーカルだった。


「まぁそんな事はどうでもいいんだ。ゆっち、同窓会したい気分になってるっしょ?」


「同窓会?そう言えばまだ一度もしてなかったね。僕に電話したって事は、中学の同窓会って事だよね?」


「ソーナンス!級友達と同窓会、素敵やん?」


電話越しでも伝わってくる伸明の熱意に、思わず笑ってしまう悠。

そんな悠の心の中にも、懐かしい同級生と会いたいという気持ちはあった。

だから同窓会という言葉を聞いた瞬間から、悠の答えは決まっていた。


「僕は賛成だよ。みんなに会いたいしね」


「ケテーイ!それじゃあゆっち、張り切っていってみよー!セイ、パーリナイ?」


「パーリナイってどういう意味?」










――――6月25日。


朝、まだ梅雨の時期。

前日降った雨に庭先の葉は雫を煌めかせ、道路にはまだ水溜まりが残っている。

前日とは違い、雲は未だ多いが、太陽は眩しく朝の町を照らし出していた。

とある町の住宅街にある二階建ての一軒家。

まだ築三年という非常に新しく綺麗な家である。

久々に覗いた太陽の下に、溜まった洗濯物をかける女性が一人。

そんな彼女の近くの芝生をあどけなく歩き回る子供の姿。

そんな子供とじゃれ合う茶色い毛並みのダックスフント。


「あ、コラ、まりちゃん。そんなとこで遊んじゃ汚れちゃうでしょ!」


尻尾を振りながらじゃれ合うダックスフント、楽しそうに笑い声を上げる子供。

そんな幸せそうな光景を見てると、母親である彼女も思わず笑って許してしまう。


「まったく……でも、カワイイ~」


そんな彼女に声をかけるスーツ姿の男性。

家の中から急ぎ足で出てくるその姿から、彼にはあまり時間の猶予がない事が伺える。


「じゃあしずく、行ってくる」


「あ、待って!まりちゃんほら、パパに行ってらっしゃいは?」


まだあどけない少女はその小さな手を、父親に向けて懸命に振る。


「パパ、行ってらっしゃい!」


元気な声が父親の耳まで届くと、彼は満面の笑みを見せると優しく言葉を返した。


「行ってきます。あんまりママに迷惑かけちゃダメだぞ」


「うん!」


車に乗り込んだ彼はすぐに車を発進させ、いつものように仕事へと向かう。

それを子供と二人で見送ると、母親は子供に提案した。


「それじゃ、ご飯にしよっか」


子供はその言葉を聞くと、待ちかねたかのように満面の笑みを見せ大きく頷いた。

家の中へと戻る途中、彼女はポストに入った郵便物を手に取る。

いつものように軽く目を通すと、その中に一通、自分宛のものがある事に気が付いた。


「ん?私宛……?珍しい、誰からだろ」


封筒を開け中に入っていた手紙を見ると、彼女の気持ちは思わず高ぶっていた。

忙しい毎日に追われ、あまり他の事を考えている間もなかった彼女だが、そこに書かれていた事に思いを馳せてしまう。


「同窓会か~、みんな元気かなぁ?」










――――同日、夜。


とある煌びやかな町、とあるコンビニに、無精ヒゲを生やし、ボサボサの髪の冴えない店員がいた。


「っしゃいやせ~」


男性店員は気だるい声で、客に目もくれる事なく適当に仕事をこなす。

廃棄処分する物を棚からカゴの中へ乱雑に投げ込んでいた。


(あ~ダル……さっさと帰ってDVDでも見っかな……。あ、そういやあそこの店員可愛いんだよなぁ……。胸のボリュームがもう最高!ケツのラインも良かったなぁそういや。触りてぇ)


「すいませ~ん店員さん!レジまだですか?」


「あ、は~い、今行きま~っす」


くだらない事に思考を巡らせていた男は、身だしなみを整えていないせいで随分老けて見える。

彼もまた25歳になる歳であるが、この姿は大抵年相応には見られていない。

そんな彼は人とは違う妙な悩みを抱えていた。

彼の悩みは余りに抽象的なものであり、理由も過程も結論も存在しない悩みである。


「あ、龍太君、時間だね。そろそろ上がっていいよ」


「はい、お疲れ様です」


本日もまた、彼は勤務時間を終え家路につく。

安物で調子の悪いスクーターに乗り、何気ない家までの道のりを走る。

その帰り道のちょうど真ん中あたりに、少し古ぼけた自販機が置かれていた。

彼はそこに一旦停止し、缶コーヒーを買いその場で開ける。

そしてポケットから取り出した煙草をくわえ、火をつけると、空に向かって一際大きなため息を吐く。

同時に吐き出された白い煙は空中を泳ぎ、やがて拡散して消えていった。

煙が晴れれば、空に浮かぶ星達の煌めきが彼を迎えてくれる。

彼はいつもこの場所で、こうして一服をする。最近ではそれが日課になりつつあった。


「はぁ……」


そんな彼の心にはポッカリと穴が開いていた。

彼の悩みは、心の一部分に開いたまま塞がらないその穴。

彼を悩ます原因不明の喪失感。それは今に始まった事ではなく、もう十年近くずっと感じてきたもの。

その穴のせいで、いつだって彼の心が満たされる事はなかった。


「ダメだ……やっぱもう思い出せないんだろうな……あの夏の事……」


彼にはなんとなくその始まりはわかっていた。

十年前、中学校三年の夏休みが終わった後からこの喪失感が始まっている事。

原因は中三の夏休みにあるとはわかってはいるが、あいにく彼の記憶はあまりに不鮮明であり、それを見つける事は出来なかった。


「あ~……それよりマジで就職しなきゃなぁ……」


加えて先の見えない未来に、焦りと不安がつきまとう。

彼の気持ちは完全に闇の中にあった。

そんな彼の携帯電話がポケットの中で震えている。

普段からあまり鳴らない携帯に、珍しくかかってきた電話。

着信表示を見て、彼は思わず落胆する。


「なんだよ……美紗子か……」


彼の言う美紗子とは、彼の実の母親の事だ。

仕方なく通話ボタンを押し、繋がった母親との電話。


「うぃ~、んん?あぁ、元気満点100%中の100%だ。そっちはどうなんだよ?」


他愛ない会話が続いた後、母親から珍しい単語が出てきた事に、彼の声のトーンも上がる。


「え?同窓会?ふ~ん、ノブちゃんから?で、いつ?」


伸明から彼の実家に、同窓会への招待状が届いていたのだ。

大まかに内容を聞いた彼は、すぐに承諾すると、さっきよりもずっと機敏な動きでスクーターに跨がる。


「同窓会、あいつらめ、この俺とそんなに会いたいのか。フッフッフ、いいだろう!」


気分が乗った彼は、さっきよりも飛ばして帰り道を走り抜ける。














   迷い込んだのは



        記憶の迷路



   すべてを欺き



        嘲笑う






     偽りの境界線




 

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