第一話 コンビニ店員の帰郷
コンビニ店員の帰郷
――――7月29日
緑に色付いた山が、その村を囲んでいた。
山沿いを流れる川では、まだ幼い少年少女達が水をかけ合って遊んでいる。
「……うぅぅぅぅ……」
だがそんな少年少女達の姿を見ても、今の俺は何も感じない。
正確に言わせるならば、それどころではないという事。
「……うぉ……ぉ……こ……ぅぅ……」
乗客のほとんどいないバスの中、座席に座ってから約一時間が経過しただろうか。
俺の体に異変が起きたのはおよそ十分前、一つ前のバス停を通り過ぎた辺りからだろう。
周りの懐かしい景色にえもいわれぬ興奮を覚えていたその時の自分。
その後、自らに降りかかる災厄など知りもしないで。
そう、完全に油断したのだ。
何事もなく目的地へとたどり着けると妙な安心感を持ってしまったのだ。
なんたる慢心、これは俺の心が招いた結果なのか。
十分前の自分に話しかけることが出来るなら伝えたい。
今すぐ『降りますボタン』を押せと、すぐ近くに魔の手が迫っているのだと!
だがいくら考えたところで現状を打開するにはいたらない。
もう現実には起こってしまっているのだから。
顔中、いや……体中から吹き出す脂汗。これは決して暑さのせいではない。
バスの中は暑さなど微塵も感じさせない程に冷やされているのだから。
そう、問題はこの冷やされた車内。
俺をここまで危機的状況に陥れたのはヤツである。
俺の頭上、真上に設置され、俺に向けてフルパワーのフォースを送り続けるあいつ。
クーラーだ!
あいつのお陰で車内は涼しく保たれているのは認めよう。
だがしかし、ヤツは人々に非常に強力で凶悪な二次災害を引き起こさせる。
俺はその二次災害の被害者なのだ。
極度の冷却により体が冷やされると、体調に変化が訪れる場合がある。
そしてその中でも最も多い症例。
その名も……
急性ウ○コだ!
敢えてもう一度言おう……
急性ウ○コだ!
俺を攻め立てる猛烈な便意。腹からは不機嫌な鳴き声が度々聞こえてくる。
ぐぎゅるるるるぅぅ~~!
「はぁ……う……んぐ……ぁあ……」
まさか25にもなって、いやまだ24だ俺は、こんなにも危機的状況に陥る事になるとは。
早く着け!早く着け!こんな所でこんにちはしたら、末代までの恥だ!
何としても耐えろ、頑張れ肛門様、負けるな肛門様。
人生の危機に直面してるこの状況下、時間の過ぎるスピードが異様に遅く感じるのは何故だろうか。
運転手のオヤジがわざと遅く走っているような錯覚さえ起こす。
そんな長く険しい戦い、勝利の地がようやく視界に入ってきた。
「見えたっ!!」
思わず喜びの叫びを上げる俺に、周りの乗客達は驚きの視線を送ってくる。
いや、腫れ物に触るような目かもしれないが、思わず声を出してしまう程嬉しかったのだ。
その場所は俺にとってまさに聖域。神の庭。天空ウラヌス。
周りの視線など今の俺には些細な問題。
だがここで気を抜くと、ケツからフォーリンラブになりかねない。
慎重さを忘れべからず。
バス停の元に停車する地獄のバス。
俺は慎重に刺激を与えないようにバスの通路を歩く。
歩いた時の振動すらも大惨事の引き金になりうる。
ゆっくりと謎の動きをする俺の姿に、運転手も何かツッコミたそうな顔をしているな。
笑いたければ笑うがいいさ、こっちは死活問題なんだよ。ああん?
何とかバスを降りる事に成功、後はトイレまで歩けばミッションコンプリート、俺の勝ちだ。
降りた場所はとても都会とは言えない、緑豊かな小さな村の一角。
年季の入った家屋が建ち並ぶが、それと同じくらい田圃がひしめいている。
そんな懐かしい景色への余韻は後回しだ。
肛門様がそろそろクライマックスへ向かおうとしているのだ。
一番近いトイレを脳内ではじき出すと、再び少しの絶望感が押し寄せる。
「くぅ……まさか……ヘブンか……」
ここから一番近いトイレと言えば、この村に唯一一つだけ存在するコンビニ。
ヘブン・レイブン……だ!
全国区で展開するコンビニエンスストアの最大チェーンである。
品揃え、気軽さ、清潔感、味、そして24時間年中無休。
のはずなのだが、この村のヘブンは20時に閉店です。
その田舎ヘブンが今、俺を救済する最後の砦なのだ。
脂汗にまみれた顔を拭う事すらままならないままに、目的地を自らの視界に入れる。
照りつける真夏の太陽の暑さなど、少しも気にならない。
ある意味、今の俺ほど無敵なヤツもいないだろう。
すぐ近くに全裸の美少女がいたとしても、きっと俺は見向きもしないはずだ。
「ぅうっ!く……くそ……ふんんっ……く……あ……はぁはぁ……今の波は危なかった……」
ヘブンまでおよそ100メートル。普段ならばなんて事のない距離。
今の俺からの換算によると、約1キロといったところか。
俺の歩く道、その足元を蟻の大群が悠々と抜き去っていく。
周りの民家からは子供達の楽しそうな声が響き、忙しく鳴く蝉の声は四方八方から聞こえてくる。
新芽が育ち緑に染まる村の中の色は、田舎特有の情緒が溢れていた。
そんな中を必死の形相、世界の終わりかというくらいのヤバイ形相をしながら歩く俺。
周りから見たら人生に挫折した青年が死地を求めているように見えなくないかも。
ケツ筋フルパワーであらゆる衝撃を殺す。俺の
「ん?あれ?もしかして?」
そんな俺の視界を遮る変態っぽく絡みに来る男。
「邪魔だぁぁ!どけぇぇ!」
「えぇっ!いきなり!?」
そう……今の俺に怖いものなどない。
襲いかかる火の粉は軽く振り払う。それが俺クオリティ。
ぐぎゅるるるぅ~~
「ふごぉぉぉおお!」
大声を上げた時の振動が、今の俺の
く、くそう!俺とした事が……
俺の様子がおかしい事に気付いたのか、俺をこの状態へと陥れた謎の男Aが再び声をかけてくる。
「な、なんだ?どうしたりょーちん?顔色真っ青だけど……」
俺のことをりょーちんと呼ぶヤツは地元の仲間しかいない。
つまり俺に話しかけてきたこいつは地元の仲間の誰かだがそんな事より出る!もう出る!出ちゃうよ!
この場で波を乗り越えるのを待つか、今すぐヘブンへと駆け込むか。
かなりの消耗戦により、俺の城門のライフはそろそろ底を尽きる。
このビッグウェーブに耐えきる程は保たないだろう。
ならば行くしかない!
玉砕覚悟の一騎打ち!
24歳フリーターコンビニ店員、
ビッグウェーブの最中、俺は一か八か最期の賭けに打って出た。
決断を下した俺の動きはバイトでも見せた事のない程に機敏。
その速度、まさにボルト。
筋肉を硬直させたまま、ヘブンへ向けての猛ダッシュ。
ドアを開け放つと同時に剣心も顔負けの神速で店内へ滑り込むと、店員も口をあんぐりと開けたまま呆然と立ち尽くしていた。
保つか保たないかの瀬戸際、俺の脳裏には一瞬、三途の川がよぎる。
そしてたどり着く
後はドアを開き、ズボンを下ろし、便座に座るだけ。気持ちだけ既に最前線だぜ。
やった……やった……俺はたどり着いたのだ……夢にまで描いたこの場所に……。
俺は口元を緩めつつドアノブに手をかけた。
ガチャ……ガチャガチャ!
あれ?ドアが……開かない……?
そんな……まさか嘘だろ……?
よくドアノブを確認してみれば、使用中を表す赤の色が表示されている。
俺は……
死んだのか……?
こんなところで……
希望が絶望へと姿を変え、次第に意識が朦朧となる。
俺のヘブンズゲートも今まさに限界突破しようとしていた。
24歳、さすが厄年。今年は小汚い一年になるんだ。
汚物にケツを濡らす一年になるのだ。
カチャ……
一瞬自分の耳を疑った。
その音が意味するものは、俺にとってまさに奇跡と同じ。
ドアが開き、中から出てきたのはまだ若い中学生くらいの少年。
出てくる瞬間、俺の心の叫びが思わず口に出る。
「どぉぉけぇぇえええええ!」
「ひぃっ!」
俺の勢いに怖じ気づいた少年は、俺から一気に離れ怯えている様子。
もはやそんなのどうだっていいのだ。俺の視界に入っているのはあの真っ白な便器だけなのだから。
ズボンとパンツを一緒に脱がしながら、ドアも閉めずに便器に座る。
その身のこなしは、俺の人生の中で最速だろう。
座った瞬間に天国に来た快楽に身を委ねる俺。
まさに至福の瞬間だ。地獄から抜け出して、ようやくたどり着いた聖地。
俺はまだ……生きてる。
そんな俺の快便姿を、驚いた様子で見つめる少年。
「少年、お前が出てくれたお陰で助かった。お詫びに俺の快便姿を楽しんでいってくれ」
少年に優しさを持って接したつもりだったが、彼はさらに怯えて走り去っていく。
「まったく、俺の快便姿なんて滅多に拝めないんだぞ。もっと見ていけばいいのに。最近の若い奴らは教育が足りんな」
「あ~そりゃあ逃げるわな。お前のそんな姿なんて見たく……くさぁっ!!何コレ!!何食った!!」
再び俺の前に現れたのは、さっきこのコンビニの前で話しかけてきた謎の男A。
「確かに今回のヤツは少々強めだな。耐性がないと意識を喪失しかねん。北斗神拳奥義、転龍呼吸法を会得してから出直せ」
俺の花道を邪魔しようとした不届き者が、今更俺の前にノコノコと現れやがって。
「俺だよ俺、わかんだろ?しばらく会ってない内に忘れちまったか?うをぉえぇ!!」
細身に短髪の黒髪、細目に少し高めの鼻。
キツネみたいなその顔にどこか見覚えがあるようなないような。
「あ!」
「思い出した!?久しぶりだなぁりょーちん!」
「内藤君か!」
「違っう!内藤君違うー!!」
「えっと……三船さん?」
「違うー!違うー!三船さんって誰だよ!」
「ふ……内藤君でも三船さんでもないのなら、俺は貴様と会った事はない。人違いだ、帰れ」
これは新手の詐欺か。
俺の事を知ってるフリをして近付き、金を貸して欲しいなどと言ってくる手口だな。
だが生憎、俺はそんな浅はかな手にはかからん。
天才ですから。
「俺だよ俺、貴史。成人式の時も会ったじゃんくさっ!!」
貴史……貴史……
タカフミ……
たかふみ……
「タカピー!」
「やっと思い出したか。俺の事忘れるとかゲホッゲホッ酷いヤツだな。オェェェ!」
「な、何言ってんだよ!覚えてるに決まってんだろ!だって俺たち……マブだろ?」
「ゥオェェェ!ちょっと……呼吸がヤバいから……外出てるわ……」
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