第5話 冷たい出会い

 王宮内は静寂せいじゃくそのもの。外の城下町かあるいは繁華街か、盛況していた街並みとは対照的で神秘的な雰囲気が漂う。その静寂さが王宮という神秘さと威風を成り立たせているのかもしれない。確かに綺麗で落ち着いた雰囲気の空間ではあるものの、こう広すぎてはむしろ落ち着くことが出来ない。そして何よりもこの静けさは小学生にとって少しばかり退屈だった。


「ちょっとくらいなら良いよね?」


 こんなよくわからない状況だというのに恐ろしさよりも好奇心の方が勝ってしまう。そんな私の心がなんだか一番恐ろしく感じる。けれどこれだけ広く物もあるのだから探検だってしたくなってしまう。故郷にいた頃は隣町まで一人で平気で歩いて遊びに行っていたこともあるし、少しくらいの徘徊はいかいなら大丈夫と高をくくっていたのかもしれない。私のいた部屋から少し歩いて、中心である大広間へと向かう。途中衛兵らしき人から隠れながら探索を続ける様はまるでスパイでもしているようだった。

 途中、今度は大きなテラスバルコニーのような広場へたどり着く。美しい外観と落ち着いた内装が掛け合わさり、現代でいうところの世界遺産にも記録されそうな幻想的な空間が広がる。そんな景色を目の当たりにし、高揚とした気持ちが通り抜けていく風に乗る。気づけば王宮の廊下を駆けていた。

 気付けば大広間へたどり着き、先ほどはよく観察出来なかった色んなものを目にする。見るものすべてが珍しく、興味をそそられて、その場で自転をしながら周囲を観察。首を上げて天井を見た瞬間、私は動きを止めた。


「ん? 何あれ、壁画かなんかかな? 何か書いてある」


 天井に壁画のようなものが描かれていた。私のいた世界地図にも似ているけど細かい所が違うように見えた。そしてその大陸を囲むように『龍のような姿の生き物』が描かれていた。ドラゴンではなく東洋の『龍』と呼ばれるものの姿に酷似しており、蛇のように長い胴体だった。両目には宝石が埋め込まれているのか、左右異なった赤い輝きと黄金の輝きがキラキラと光りを放つ。

 そして見たことも無いような文字、御伽話に出てくるルーン文字、あるいは漢字やひらがなにも似ている造形で書かれていた。見たこともない文字のはずなのに、なぜだか私には意味することが理解できていた。


『時の流れを生みし咆哮ほうこう。天と地に分かつ飛翔ひしょう。光を生みし眼光がんこうと闇をもらう眼力がんりき

 生ある者はあがめるか 禁忌きんきと恐れ畏怖いふするか

 命燃えゆくいただきにて―…』


 そこまで刻まれており、途中で掠れるように消えて終わっていた。なぜ読めたのかは理由もわからなかった。何やら伝記のようにも碑文ひぶんのようにも思えたのと、同時に不思議と身近に感じるような温かさも感じていた。親近感と言ったらいいのだろうか。


「『黄金の眼』と……『深く紅い眼』」


 輝きと同時に内に秘める力強さを放つ『黄金』の眼。対して全てを取り込むかのような底なしの深さを感じさせる『深紅』の眼。『紅』という言葉でまたあの夢に出てきた『朱い情景』が脳裏によみがえる。そういえばあの女の子も紅い眼をしていた。横顔しか僅かに見ることはできなかったけれど、あれは本当になんであったのかわからない。

 ただの夢とも思えない。想像を絶する何か辛く、悲しいことがあったように感じてしまう。まるで自分が経験したかのような、身体が冷たく、熱くも感じる。そして胸が締め付けられるような苦しさを覚える。あの光景に恐怖を感じつつ、自分と似た『何か』を感じていた。

 もう思い出したくもなかった私はそのまま王宮を飛び出して、今度は城砦の方へと駆け出して行った。


 ◇


 城砦は衛兵、兵士が多く、鍛錬場たんれんじょうらしき場所で鎧を付けたが絶叫のような大声を上げながら、多くの兵士を鍛えていた。兵士はただそれに返事をしながら従う。怒声のような掛け声でひたすら槍を振るう。

 その怒声を今度はかき消すような銃声が一斉響き渡る。突然の轟音に驚き、反応が遅れるように僅かに身体が跳ねた。別の場所では射撃訓練が行われていたようだ。五十メートルほど先に設置された的を撃ち抜くもので、命中率はまちまちであった。


「ひぇ……、あんなに怒鳴られながら鎧着て、槍を振るうなんて私じゃ無理だ。銃も近くに居なくてもあんなに凄い音で響くなんて初めて知ったよ」


 懸命に訓練をしている兵士の人々が汗水垂らしている姿を見て、自分があの場にいたらと想像してみる。鬼教官にしばきまわされ、へばって倒れ込んでいる姿しか思い浮かばなかった。怖い思いも痛い思いもしたくないので、その場から離れようとしたその時だった


「そこの者!ここで何をしている!」


 背後から怒声が響き渡った。

 驚きのあまり、勢いよく振り返ると見張りの兵士がこちらに向かってきていた。咄嗟のことで混乱しながら慌てて城砦内を逃げ回る。道行く人々をかき分けるようにして躱していく。自慢にならないけど、逃げることだけは得意。それが功を奏したのか徐々に差は引き離されていく。このままなら逃げきれると少しだけ気が緩み、曲がり角を曲がったところで強い衝撃に襲われる。

 派手に転び、尻餅をついてしまう。お尻をさすっていると手を差し出された。白く綺麗な指先と繊細な手だった。


「大丈夫? 随分と派手に転んだわね」


 綺麗な声。だけどどこか寂しさの入り交じる、冷たさを感じた。顔を上げると美しい女性が私に手を差しのべてくれていた。一本一本に艶のかかった栗色の髪。長い睫に私と同じ碧い瞳。でもその碧には私と違って、吸い込まれそうな魅力が仄かに感じられた。少し惚けてしまい、すぐさま我に返って彼女に平謝りをする。

 冷たさと温かさが入り交じる表情で私を見ている。そうと思いきや今度は追ってくる兵士を指して「逃げなくていいの?」と訊ねてくる。

 私はすぐさまその場を立ち去り、逃走劇へと戻る。彼女はどうして私を捕まえなかったのか、その時は考える余地もなかった。かなり逃げ回り、肩で息をして壁に寄りかかって息を整えながら周囲を確認する。どうやら追手を振り切ったようだ。はたまた、さっきの女性がやり過ごしてくれたのか。


「さっきの人、ここでお仕事してるのかな。凄い美人だったけど……まさか皇女様とか?」


 セルバンデスさんの言っていた皇女様か、それともメイドさん達の一人だったのかもしれない。けど、もし皇女様だったら色々と失礼なことをしてしまったけど大丈夫だろうか。走り回った汗に冷や汗が混ざり鳥肌が立つ。もやもやとした不安がお腹に残り、お城に連れてこられて、王位継承おういけいしょうだのなんだのに巻き込まれた現状に頭が追い付かない。


「はぁ、もう何がなんだか。そもそも私、家に帰れるのかな」


 くたくたになった身体で壁に手をかけた瞬間、ガクッという音と共に壁が動いた。状況を理解しようとしていた思考回路はその瞬間止まり、身体は宙に浮く感覚に襲われる。私は声を上げる間もなく、そのまま開いた壁から転がり落ちていった。



 ◇


 水の滴る音が僅かに聞こえる。暗くどんよりとした空間。僅かに差し込む外の光以外、黒に包まれている。


「うぅぅ……踏んだり蹴ったりだ」


 どちらかと言えば自業自得なんだけど。調子に乗って気を良くして、冒険のつもりで勝手に出歩いたことで招いた結果だった。故郷にいるお婆ちゃんから見知らぬ土地では大人しくしているのが一番とよく言われていたのを思い出す。


「婆ちゃんの言う通りだったなぁ。うぅ、痛い。ちょっと擦りむいちゃった」


 少し擦りむいたところが気になるけど、他に目立った怪我は特になく、服についた砂ぼりを払い除ける。辺りを見回しながら城の中の仕掛けに関心を向ける。どうやら隠し扉からそのまま地下に落ちてきたみたいだ。


「結構な高さから落ちたのかな?」


 落ちてきたであろう通気口のような穴を見上げてみるが、暗さも相まって上が全く見えない。かなりの高さのように感じてしまう。底無しの洞穴のように先の見えない今の状況そのものだった。

 辺りを見回すと石造りのようなレンガの壁。びついた鉄格子がいくつも連なり、錠前のようなものが確認できる。子供の私でも容易に想像がつく、わかりやすい場所だった。


「多分牢屋……だよね? どうしよ、怖い人とかいないよね?」


 誰かが一緒にいるわけでもないのに、言葉に出して自分自身に問いかける。

 牢屋の中は数人が入ることが出来るくらい十分な広さだった。でもベッドや布団のような物は無く、何もない空間。衛生環境は決して良いとは言えない。 華やかな王宮内とは全く別世界のように陰鬱いんうつとした雰囲気が霧のように私の心さえも包んでいく。


「なんかジメジメしてて嫌な感じ。……悪い人を捕まえるための場所……なんだよね」


 チャリンという静かな空気に金属の擦れる音が鳴り響く。


「だ、誰!?誰かいますか??」


 恐怖から、びくりと身体が瞬時に反応。すっ頓狂な声を上げてしまったけど、恥ずかしさよりも怖さの方が強かった。眼をこらして牢獄の中を確認してみる。すでに先客がいたようだ。黒く、それも吸い込まれてしまうような漆黒の長髪。傷だらけの屈強くっきょうな身体。そして強く光る眼光、黒い瞳に不思議な魅力と同時に畏怖さえも感じさせる美しさがあった。それは先ほど見た強い光そのものであり、私を救ってくれた光だった。


「あ、さっきの……!! えっと紫苑、将軍??」


 私の声に反応するように顔を上げて、驚いた表情を見せる紫苑将軍。


「貴女は……さきほどの」


 私のことを覚えていてくれたことが嬉しくなり、少し顔が熱くなる。


「さっきは助けていただいて、ありがとうございました」


「いえ……。自分に出来ることしたまでのことです。どうかお気になさらず」


 そう言って助けてくれたはずの彼が頭を下げる。私もペコペコと頭を下げてお礼を言う。覗き込むように彼の今の姿を見ても、まともな扱いを受けているようには思えなかった。

 食事も満足にっていないのかやつれているようにも見える。

 眼を閉じて正座でまるで「めいそう」でもしているかのようだった。声をかけようにもなんて話しかけようか、言葉につまる。

 でも放ってはおけないという衝動しょうどうに駆られた私は『彼』にすぐに戻ると言い残して牢獄の出口を探し始める。彼は呼び止めようとしていたけれどそんな気力もなかったのか、力ない声が微かに聞こえるだけだった。少し奥へと歩いていくと受付のようなテーブルで突っ伏して居眠りをしている兵士の遭遇。気づかれないよう、そのまま出口の扉に手をかける。音に僅かに反応したものの大きないびきをかいて熟睡しきっていた。


「この人、ほんとに大丈夫なの……?」


 私にとっては幸いなこととはいえ、牢屋の見張りが居眠りを続けていることに少々不安を覚える。投獄されているのが凶悪な人物だったとしたらどうするつもりなのだろう。なんて考えながら呑気にいびきをかく兵士をジト目で警戒する。そろりそろりと気づかれないように鍵を取って牢獄を後にした。

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